狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『猿蟹合戦/芥川龍之介』です。
芥川龍之介 さんの『猿蟹合戦』は文字数2700字ほどの短編小説です。さるかに合戦の後日談。君たちもたいてい蟹なんですよ。この一言にすべてがあります。あなたには問題の答がわかりますか? 自分のことも大切ですが大切な人が大切なのです。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(まずは昔話の『さるかに合戦』のあらすじ)
猿が蟹に、猿が拾った柿の種と、蟹の持つおにぎりの交換を要求する。蟹は当然嫌がった。そんな蟹に猿は言う。種を植えれば、柿がいっぱいなって、お得だよ――猿のうまい言葉につられて、蟹は種とおにぎりを交換する。
「早く芽を出せ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」
やがて成長した柿の木にたくさんの柿が実る。しかし蟹は背が低く、柿を取ることができない――そこへやってきた猿が、蟹の代わりに柿を取ってあげよう、と言う。早速木に登った猿だったが、自分で柿を食べるばかり……。ついには柿を催促する蟹に、猿は青柿を投げつけた。その怪我がもとで、蟹は帰らぬひと(蟹)に……。
蟹の子は復讐に燃えた。同情した臼、栗、蜂、牛糞(登場キャラにバリエーションあり)がこれに協力した。
蟹の子と有志たちは見事親蟹の仇を討った――。
(ここから『猿蟹合戦/芥川龍之介』のあらすじ)
――その後、彼らは警察に逮捕され、裁判にかけられた。
裁判の内容はつぎのようなものだった。蟹と猿との間には証書がなかった。猿は熟柿とは特に断っていない。青柿を投げつけた行為に悪意があったかどうかは、証拠不十分である。
よって主犯である蟹は最高刑となり、共犯者たちは無期懲役となった。弁護士は「あきらめたまえ」と言って蟹の泡を拭ってやった。これは刑の宣告のことを言ったのか、弁護士に支払った大金のことを言ったのか……。
世論も蟹に同情しなかった。蟹は猿に利益を独占されたのが悔しかっただけ――とは商業会議所会頭某男爵。倫理学上、復讐は善とはしがたい――とは大学教授某博士。私有財産をありがたがっているからだ――とは社会主義の某首領。蟹は仏慈悲を知らなかったらしい――とは某宗の管長某師。蟹の行いは武士道の精神と合致する――と、一人蟹を擁護した某代議士は、動物園で猿に尿を引っかけられた意趣返しだといわれ、貶められた。
蟹の家族はどうなったか。蟹の妻は身を落とした。蟹の長男は心を改め株屋の番頭。蟹の次男は小説家、善は悪の異名などと皮肉を並べている。蟹の三男は愚物で、蟹のほかにはなれなかった。それが横ばいに歩いていると、おにぎりが一つ落ちていて――(いわずもがな)。
君たちもたいてい蟹なんですよ。
狐人的読書感想
さて問題です。最後の一文「君たちもたいてい蟹なんですよ」
この意味はつぎのうちどれが適当でしょう?
- 善悪は表裏一体ということに気づかず自己中心的に行動している。
- 自己の主張を曲げて相互扶助の心を持たねばならない存在である。
- 法律や社会規範の前には体制や世論に屈せざるを得ない存在である。
- 封建時代の規範を頑なに守ろうとして自分を変えていこうとしない古い人間である。
(一応、回答は一番下の狐人的読書メモにあります)
いきなり失礼しました
しかしながら、この問題が示すとおり、ラストの一文に、この小説のすべてが込められている、といって間違いないでしょう(……たぶん)。
昔話の『さるかに合戦』は悪いことをした猿がやっつけられる勧善懲悪、あるいは因果応報の物語でしたが、芥川龍之介 さんの『猿蟹合戦』ではその後日談が描かれていて、これが否定される形となっています。
仇討ちといえば、かつては武士道の精神にも通じる正義の行いでしたが、時代の変遷とともに、正義の行いから悪の所業へと変わりました。法的に仇討ちが禁止されたのは1873年(明治6年)の「敵討禁止令」からです。
――とはいえ、法律や社会規範が変わっても、人の心はなかなかすぐには変われません。復讐はよくないことだ、という価値観が昔よりも浸透しているいまでさえ、そうではないでしょうか?
誰かの手によって、大切な人を失った遺族が、人一人の命を奪ったにしては、あまりにも軽すぎる加害者の刑罰に、憤りを隠せない姿などは、ニュースで取り上げられることがあります。失った大切な人を取り戻せないのなら、せめて……。そのお気持ちは、察するに余り有るものがあります。
この作品が初出されたのは1923年(大正12年)のことです。よくいわれるように、大正デモクラシー真っ只中の世相、つまりは人の心とは隔絶した社会の在り方を、皮肉的に風刺した小説だと解釈できます。
人の心とは隔絶した社会の在り方――しかしそれを否定しては正常な人間社会が成り立っていかず……、自分の正義を押し通せば、蟹のように我が身を、我が家族の身までも滅ぼすことに……、誰かが理不尽に耐えなければならない、だけどいったい誰が……?
僕は、小説を読んでいて、このようなことを思わされる機会は結構多いように思います。
(いったい誰が耐えなければならないの?)
大切な人が大切
今回考えたのは、誰もが加害者にもなり得るし、誰もが被害者にもなり得るということ。
すなわち、自分が加害者になったときのことを思えば、被害者になったときに耐えられるだろうか、あるいは自分が被害者になったときのことを思えば、加害者にならないように生きられるか、ということです。
しかし自分がやられたくないからやらない、という考え方は、翻せば自分がやられてもいい覚悟さえあればやってしまうかもしれない……、といった思考転換をしてしまいそうな、そんな可能性があるようにも思いました。
では、どうしたら……、と悩んでいると、終盤の蟹の家族の顛末がふと頭をよぎりました。
ちょっと皮肉が効き過ぎていて、一概にみんながみんな不幸になったとはいえないところがありますが、普通に考えて、人の命が一人分誰かの手で失われてしまえば、加害者の家族も被害者の家族も不幸になってしまうのではないでしょうか?
もちろん家族だけではなくて、友達や恋人――大切な人が悲しむことになるでしょう。
大切な誰かを悲しませたくないと思えば、加害者にならないように生きられる気がするし、大切な誰かがそばにいてくれたら、被害者になったときにも耐えられるかもしれない――と思ったのですが、どうでしょう?
もちろん加害者に限っては、無意識的になってしまう場合もあるので、意識的に回避するのが難しいところもありますし、被害者側に立てば、その人にとって一番大切な人を失くした場合、周囲の人間のフォローがどれだけ効果を発揮するのだろうか、みたいな葛藤もあって、やはり完全解決には程遠いようにも思えるのですが……。
少なくとも狐人的には、誰かの支えになれるような、また誰かに支えてもらえるような人間になりたい――と、言うは易く行うは難しなのですが……。
大切な人が大切――という、なんだか字面的にも当たり前のことをいっている読書感想となってしまいましたが、当たり前のことをするのが一番大切で難しいんだ! ――ということで、むりくりでも共感していただけたならこれ幸いです。
(復讐はよくない! ――とはいえ、復讐の物語にどうしようもなく惹きつけられてしまうのは、僕だけではないはずです、よね?)
読書感想まとめ
ラストの一文にこの小説のテーマが集約されています(……おそらく)。復讐はよくない! ――とはいえ、じゃあ誰が復讐するのを耐えなくちゃいけないの? その答えは「大切な人が大切」(答えになってない?)。
狐人的読書メモ
(武士道の精神についてはこちらもあります)
(復讐を抑制しようとした「喧嘩両成敗」はこちら。ちなみに日本の仇討ちの代名詞『忠臣蔵』の赤穂浪士たちが処罰されたのは「喧嘩両成敗」のため)
・『猿蟹合戦/芥川龍之介』の概要
1923年(大正12年)「婦人公論」初出。昔話『さるかに合戦』のパロディ作品。その後日談。機知に富んだ皮肉と風刺が味わえる。
・問題の答(もはや明白かもしれませんが、一応)
3
・裁判内容について
実際、どうなの? ――というお話。刑法199条、60条が適用。現実的には被害者が一人である点、動機面で情状酌量の余地があることから、蟹は最高刑とはならない可能性が高い。また猿と蟹が証書を交わしていないことについても、契約の成立を主張することは民法上可能。さらに、熟柿とは特に断っていない点は、民法401条1項により、品質について定めがない場合は中等の品質のものを渡すことになるため、青柿しか渡さなかった猿は債務不履行となる。
・新聞雑誌の輿論について
某男爵は資本主義、大学教授某博士は倫理学、某首領は社会主義、某宗の管長某師は仏教主義の立場からそれぞれ蟹を非難している。さらに資本主義は仇討ち批判を材料に社会主義を攻撃し、社会主義は資本主義的反動勢力を攻撃している。ここから社会の混迷する様子が見受けられ、仇討ち(武士道精神)に代わる価値観は提示されていない。……芥川龍之介 さんの新聞や社会に対する批判は結構強め?
以上、『猿蟹合戦/芥川龍之介』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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