報恩記/芥川龍之介=人間が天国や地獄に行けると思うな!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

報恩記-芥川龍之介-イメージ

今回は『報恩記/芥川龍之介』です。

文字数18000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約42分。

盗んだ金で恩返しはエゴ。その恩を受けるのもエゴ。逆恨みするのもエゴ。善も悪もエゴ。エゴエゴエゴ。エゴって言うのもエゴ。人間はエゴばっかり。だからせめて覚悟を持っていたい。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

安土桃山時代の京都、天下の大盗賊・阿媽港甚内あまかわじんないは、海運業を営む商家、北条屋ほうじょうや弥三右衛門やそうえもんの家に忍び込む。茶室のほうから女のすすり泣く声が聞こえ、興味本位で覗いてみると、主人夫婦が二人きり、何かを嘆いている様子。持ち船の沈没、投資の失敗――どうやら店は倒産寸前らしい。

甚内は主人の顔を見て驚く。弥三右衛門は二十年前に甚内の命を救ってくれた恩人であった。甚内はその場で弥三右衛門に正体を明かし、恩返しのため、三日で六千貫の金を調達することを約束する。

甚内が約束の金を集めて弥三右衛門の家に来ると、庭先に盗人らしい人影を見つけて、これを撃退する。物音を聞きつけた弥三右衛門が現れる。甚内は一部始終を話し、約束通り六千貫の金を渡して去っていく。こうして北条屋は倒産の危機を免れる。

二年後、弥三右衛門は一条戻橋で甚内のさらし首を目撃するが、その首は甚内のものではなく、かつて勘当した放蕩息子・弥三郎やさぶろうのものだった。

弥三右衛門は想像する。二年前のあの夜、庭先に忍び込んだ盗人は、一人息子の弥三郎だったのだ。弥三郎は逃げ出した後、また家に戻り、自分と甚内の話をすべて聞いたに違いない。そして父の受けた恩に報いるため、甚内の身代わりに首を落とされた……。

もしも甚内の恩返しを受けなければ息子は――弥三右衛門は大恩人である甚内を憎みそうになっている自分に気づく。

二年前のあの日、弥三郎は博打の元手欲しさに我が家に忍び込み、甚内に撃退されたのち、再び家に戻って、父と甚内の話を聞いていた。弥三郎は去りゆく甚内の後を追い、「子分になって恩返しをしたい」と頼み込むが、「親孝行でもしろ。貴様などの恩は受けぬ」と冷たく拒絶される。

それから二年の間、弥三郎は父が甚内に受けた恩と、自身が冷たく拒絶された恨みとの狭間で葛藤する。が、吐血の病にかかり、余命僅かであることを知ると、ある名案が弥三郎の頭に浮かび上がる。

「貴様などの恩は受けぬ」と冷たく言い放った甚内に、恩と恨みを一度に返せる方法――それは誰も顔を知らない天下の大盗賊・阿媽港甚内の身代わりとなって、処刑されることであった。

狐人的読書感想

おもしろかったです。

構成としては、同じ出来事について三者が三様に語る形式――あの凄い名作『藪の中』との類似が指摘されていますが、本作の三者の語りにはほぼ食い違いはなく、すっきり読めます。

テーマとしては『羅生門』など、多くの芥川作品に描かれている「人間のエゴイズム」ということになりそうですね(芥川龍之介さんは本当に人間のエゴを描くのが巧みな作家さんだと再認識させられます)。

天下の大盗賊・阿媽港甚内あまかわじんないは恩返しのため、倒産寸前の店の主人・北条屋ほうじょうや弥三右衛門やそうえもんに大金を渡します。しかし、今度はこの恩返しのために、弥三右衛門の一人息子・弥三郎が命を落としてしまいます。

この恩返しの連鎖の中で、一番苦しんでいるのが普通の人である弥三右衛門で、最も苦しんでいないのが盗賊の甚内である点、とても興味深いんですよね。

甚内は恩返しを当然盗んだ金ではたしたのだと想像できるのですが、ひょっとして義賊だったんですかねえ……自分のやっていることに罪悪感を持っていないというか、少なくとも覚悟を決めてやっているのだろうという雰囲気は感じられます。

弥三右衛門は盗んだ金で恩返しされたことをわかっていて、そのことに罪悪感を覚えており、しかも勘当したとはいえ、一人息子の命を犠牲にしてしまったと思えば、その苦悩は察して余りあるものがあります。

弥三郎は中途半端な小悪党といった感じで、恩と恨みを一度に返す方法については、なかなか冴えたことを考えついたなあ、などと感心してしまいましたが、しかし甚内としては、別にそのことに報恩も復讐も感じなかったんじゃないかな、って気がしますね。

(甚内が引き続き盗賊としての活動を続ければ、弥三郎はすぐ偽物だったとわかるわけですし、その意味では弥三郎の報恩と復讐にはほとんど意味がなくなるわけです――本人以外の者にとっては)

甚内は盗んだ金で恩返しをした気になっているし、弥三右衛門は恩返しを受けたにもかかわらず、それが盗んだ金であること、息子を失ったことで甚内を逆恨みしそうになっているし、弥三郎に至っては完全に自己満足になっちゃってるし――三人とも、見事にエゴイスティックだなあ、なんて思うわけです。

その中でも、一番感銘を受ける生き方をしているのは、やはり天下の大盗賊・阿媽港甚内の生き方なんですよね、僕としては。

甚内は悪人ですが、何か覚悟を決めて生きているからこそ、何事にも動じない強い精神を持っているように感じられます。

悪いことは当然よくないのですが、しかし善悪なんてものは、時代によってその価値観が移ろってきたわけで、非常に曖昧なものであって、だからこそ他者と共有する善悪に、あまり意味はないのかなって気がするんですよね。

一般的に良いことでも悪いことでも、結局人間は自分の信じたことをするしかなくて、後悔せず、その結果の責任をとる覚悟さえしていれば、人生を生きる苦しみというようなものは、軽減されるのかもしれないなとか、ちょっとだけ人生を学んだような思いがしました。

弥三右衛門や弥三郎のような、中途半端が一番よくないとはいえ、これが普通の人であって、やはり甚内のような超越的な態度をとれる人というのは特別な人なのかもしれず、覚悟を決めて生きるっていっても、結局それがむずかしいんだよなあ――なんて感じた、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

人間が天国や地獄に行けると思うな!

狐人的読書メモ

・『わたしのように四十年間、悪名あくみょうばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。』――人の不幸は蜜の味? なんか共感を覚えてしまった(性格悪し)。

・『報恩記/芥川龍之介』の概要

1922年(大正11年)『中央公論』にて初出。『藪の中』の構成に類似。人間のエゴについて描かれている。技巧をこらしていることで、主題がぼやけているという指摘もある。狐人的にはストレートにおもしろい作品だと思った。

以上、『報恩記/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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