男女同権/太宰治=他人を不快にする人、得なのは男か女か、男女同権とは。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

男女同権-太宰治-イメージ

今回は『男女同権/太宰治』です。

文字数17000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約45分。

女に虐げられ続けてきた老詩人の講演会の記録。
なんとなく他人を不快にさせてしまう雰囲気、
あなたは出していませんか?

得なのは男か女か? 生まれ変わるのならどっち?

男女同権とは?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

かつてはちょっとだけ雑誌に載ったこともあるが、いまやすっかり落ちぶれてしまったある片田舎の老詩人が、その地方の教育会の招聘しょうへいを受けて、男女同権と題して行った講演の、これはその速記録である。

男女同権といえば普通、女性の地位を旧来優位とされてきた男性の地位まで引き上げることを目的としているふうにイメージしがちだが、老詩人はそれとは逆の考えを持っている。すなわち「やっと男性の権利を女性に対して主張できる」のだという。

母、下女、学校教師、働いていた印刷所のおかみさんとめしたき女、吉原の女、3人の女房、評論家の女子大教授、彼と行き合ったその他大勢の女たち――老詩人はこうした女性たちにいじめられ、つらい目にあわされ、人生を台無しにされてきたのだと語る。

老詩人は最後にこう締めくくる。

――もう女子が弱いなどとは言わせません、女性は異様な恐るべき残忍性をその心に宿しているのです、女子はか弱いのだからいたわれ? もっと男らしくしろ? 冗談じゃありません、これからは男女同権、言論の自由が、私の女性に訴えることを保障してくれるのです、私はこれからの余生のすべてを、この女性の暴力の摘発に捧げるつもりでございます。

狐人的読書感想

男女同権-太宰治-狐人的読書感想-イメージ

たしかに老詩人の歩んできた人生、出会ってきた女性たちから受けた仕打ちは悲惨です。読んでいて思わずあわれを催してしまいます。だけど老詩人の語りを聞いてると、正直このひとにも悪い部分はあるんじゃないかなあ、という気がしてきます。

話し方は丁寧で、自らを過剰に卑下しているところがあって、ゆえに自分がダメだということは重々承知しているということはよく伝わってくるのですが、それは自分の語る女性たちの悪行についての、ある種のエクスキューズのようにも聞こえるのですよね。

坂口安吾さんの『私は海をだきしめていたい』という短編小説に、『私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと、言うことよりもずるい』という一文があるのですが、この言葉を思い浮かべてしまいました。

適切な例示となるかわかりませんが、よく「いじめられる方にも問題がある」みたいなことがいわれることがありますよね。なんといえばいいんでしょう、ひとを不快にさせてしまう雰囲気といいますか、おどおどしていたり、悪気はないんだろうけれど言うことがいちいちひとの癇に障ったり。

しかしだからといっていじめていいということにはならず、外見が気に入らないとかそういったことはもちろん論外で、どんなに気に入らないところがあったとしてもそれはそのひとの個性として受け止めて、まあ積極的になかよくしろとまではさすがに強制できないにしても、少なくとも暴力を振るったり悪口をいったり無視したりするのはよくないことです。

その意味では老詩人は完全に被害者で、女性たちに受けて来た仕打ちは本当にひどいもので、同情を禁じ得ないわけなのですが、やはりところどころに違和感を覚えてしまうのも事実です。

これだけ女性にいじめられてきたのだから、「ひょっとして自分にも悪いところがあるのではないか?」ということをこのひとは考えることがあったのかなあ、みたいな。つらいときや悲しいときに自分を冷静に見つめることの困難さがわかるだけに、やはりこの点をもって一概に老詩人を責めることはできないというのもわかってはいるのですが。

あるいはそのことをいじめという行為じゃなくてちゃんとした言葉で示してくれるひとはいなかったのかなあ、とか。しかしこれも相当に困難なことではあるでしょうね。

自分の悪いところを率直に教えてくれるひとというのはいないのではないか、と思えるくらいそんなひとは貴重な存在であると僕は思います。その場合、当然相手の性格や裁量にだけ頼るのではなくて、自分の悪いところを率直に指摘してもらうためには、自分もそれなりの態度で相手に接し、信頼関係を構築していかなければならないとも思うわけで、ゆえにこそ、この難しさが際立つように感じています。

とくに大人になれば、そういうことをいってくれる上司や同僚や友達は、得難いもののように思います。いくら親しい間柄でも、相手の悪いと思うところを率直に指摘するのは、勇気がいることですよね。

そう思えば子供時代の親とか教師という存在は、本当にありがたいものなのではないか、ということに気づかされるのですが、いまは親とか教師とかでもそういったことには気を遣う時代なのではないかなあ、とも感じます。

できることなら余計なことには口を挟まず、トラブルや人間関係の悪化につながる事柄は避けたい、というのが普通の人情なのではないでしょうか。

なので、たまにはしっかりと自分を見つめて、自分の悪いところを直せるような、また自分の悪いところを率直に言ってくれるひとたちとの人間関係の構築に努めていきたいとか思うのですが、やはり口でいうほど簡単なことではないという気がしてしまいます。

てか、本題じゃないところをえらく語ってしまいましたが、そんなことをまずは思いました(ここまで長々と語っておいて、まずは、はないか……)。

(しかして)つぎは、気を取り直して『男女同権』ということについてです。

う~む……、男女同権、ですか。僕が語るには難しいお題目のような気がします。

僕としてはあらすじにも書いたように、最近では「女性の働き方改革」という言葉に代表されるように、「男女同権」ときけばやはり女性の地位向上を意味するように捉えてしまうのですが、調べてみると、これがあながち一般的な捉え方というわけでもなさそうです。

たとえば電車に女性専用車両はあるのに男性専用車両はないし、レディースデーは多くあるのにメンズデーはあまり聞かない、みたいな。作中の老詩人のように、男であるがために女性にいじめられているといえばいい過ぎかもしれませんが、男性よりも女性のほうが明らかに得をしている、と考えているひとは男女問わずかなり多いようです。

専業主夫とはいわれますが、いまだに男性の生きる道は仕事一択というのはあるでしょうし、デートのときは女性が重いものを持ってもらったり、お金を払ってもらったり、性的ないやがらせなどで訴えるのも女性の特権のようなところもあったり(まあこれは男性が被害者となるケースがないためというのもあるのでしょうが)、聞いてみればたしかに、意外と女性優位なことは多い気がして、男性の地位を女性の地位と等しくするための「男女同権」という老詩人の主張にも頷けるところがあります。

かといって、現状まだまだ男性優位の社会じゃないか、と聞けば反論には窮するわけで、とはいえいまの社会で、またこれからの社会において、生まれ変わるなら男性と女性どっち? みたいなアンケートをとったらどういう結果になるのかなあ、といったところにふと興味を持ちます。遺伝子的には将来男性はいなくなってしまい、女性だけの社会が訪れるかもしれない、なんていうSFみたいなお話もありますしね。

結局のところ、あらゆる面において完全な男女同権というのは不可能なものだということは、改めて言う必要さえないことなのかもしれません。

男性は力があるから仕事をする上では有利で、女性は子供を産むという生物としての至上の使命があり、それぞれに違う役割を担っている以上は、両者によって構成される社会で真の男女同権が成立することは本当に困難なことでしょう。ここに近年のジェンダーレスとかジェンダーフリーとかを交えて語り出してしまうと、より複雑性を増すことになるかと思いますが、要するに、やはり男女同権を目指すのも語るのも難しいところがあるということです。

男女が完全に分かり合えることなんてない、といったふうに言い換えて捉えれば少し寂しいようにも感じてしまいますが、だからといってまったくこれを諦めてしまうべきではないですし、よりよい男女同権の社会、適度な男女同権の社会というのは目指すべきものでしょう。

ありがちなことをいうかもしれませんが、このことについて大切なのは論理や主張よりも個人個人の感情なのだと思いました。

男性だって大変なことがあるし、女性だって大変なことがあります。お互いにそのことを理解して、尊重して、気遣って、感謝して、そのことを行動や態度によって互いに示していくことができれば、適度な男女同権は自然に生まれてくるものだという気がしています。もちろんこれは即効性を持たない理想論であることに違いないのですが。

女性に虐げられ続けてきた老詩人の気持ちはわかる、いたいほどよくわかるのですが、そこをぐっとこらえて、老詩人を虐げてきた女性はそんなことをしないようにして、男性と女性がお互いを尊重し合ってよりよい社会を築いていければいいなと、なんだか非常に浅い意見かもしれないということは重々承知しているのですが、そんなふうに思いました。

読書感想まとめ

男女同権-太宰治-読書感想まとめ-イメージ

男性の地位を女性の地位と等しくするのか、女性の地位を男性の地位と等しくするのか、考えさせられる小説でした。

狐人的読書メモ

男と女、生まれ変わるのならどっち?

・『男女同権/太宰治』の概要

1946年(昭和21年)12月『改造』にて初出。単行本『ヴィヨンの妻』(1947年)収録。アントン・チェーホフの戯曲『煙草の害について』がモチーフとされているという。まさに男女同権についていろいろと思わされる小説。

以上、『男女同権/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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