ごんぎつね/新美南吉=狐人の感想は「ごんとナルトと、鰻の命大事に!」(ネットで話題になった「ごん自業自得」説にも言及)

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

ごんぎつね (日本の童話名作選)

今回は『ごんぎつね/新美南吉』です。

新美南吉 さんの『ごんぎつね』は、文字数5500字ほど。ごんはかわいそう? 自業自得? 一人の小学生の読書感想が物議を醸した童話! 未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

昔、山の中にごんという一人ぼっちの小狐がいた。昼夜を問わず、近隣の村でいたずらばかりしていた。ある秋のこと、ごんは、小川で魚を捕っている兵十ひょうじゅうを見かける。兵十が魚を入れるびくからちょっと離れたすきに、ゴンはびくの中の魚をつぎつぎと逃がしてしまう。

最後にくわえたうなぎが、ごんの首に巻きついたところで、兵十が怒鳴り声とともに戻ってくる。ごんは驚いて、うなぎを巻きつけたままその場を逃げ出す。どうにか逃げ切ったごんは、ほっと一息、うなぎの頭をかみ砕くと、体からはずして、草の葉の上にのせた。

十日後、ごんは村で葬式に出くわし、兵十の母が亡くなったことを知る。兵十は床に伏せる母親のために、あの日うなぎを捕っていたいたのかもしれない……、自分のいたずらのせいで、兵十は母親にうなぎを食べさせることができなかったのでは……、だから、兵十の母親は亡くなってしまったに違いない――とごんは心に思う。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

ある日、ごんはいわし屋からいわしを盗み、兵十の家へ放り込む。翌日、様子を見に行くと、兵十は頬にかすり傷を負っている。いわし屋に盗人と間違われたと呟く兵十。その日から、ごんは山で採った栗やまつたけを、兵十に気づかれないようそっと差し入れるようになる。

ある晩、ごんは兵十が加助と連れ立って歩いてくるのに出くわす。気づかれないように、二人の話を聞くと、どうやら自分がしている差し入れが話題に上っている。加助はそれを「神さまの恵み」だといい、毎日お礼をするよう兵十に促す。ごんは、それでは自分は引き合わないな、と思う。

その次の日も、ごんは兵十の家に差し入れにやってくる。それに兵十が気づく。またいたずらに来たと思った兵十は、火縄銃でごんを撃つ。かけよって、家の中を見ると、土間に栗が置いてある――

「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは」

火縄銃兵十の取り落した火縄銃から青い煙が細く出ていた。

 

 

狐人的読書感想

さて、いかがでしたでしょうか。

人の心を持った小狐のごんは、まさに「狐人」にふさわしい存在で、勝手ながら(種族としての)「狐人」を名乗る僕としても、感情移入せずにはいられない物語でした。

ごんが「狐人」にふさわしい理由はもう一つあります。

ダンボそれはごんが「一人ぼっち」だということです。

僕が名乗っている(種族としての)「狐人」は「孤人」という言葉の変換ミスから誕生した概念でした。「孤人」はその字が表すとおり、「孤独な人」を指していいます。

現在、孤独死が、独居老人よりも40代、50代の独身者に多いという話をご存知でしょうか。恋愛に積極的になれない「草食系」の発展型であるところの「絶食系」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

現代、この「孤人」が増えているように思います。そして孤独が常態化して、それを寂しいと感じなくなっている人もまた増えているように思うのです。小説、漫画、アニメ、ゲーム……、寂しさを紛らわせることのできるツールが、現代には溢れています。

もちろん、それらが悪いのだと言いたいわけではなくて――人恋しいと思うことは、当たり前の人間感情であるはずなのに、それが欠落している、あるいは凍結している人たち……、異常なはずの精神的欠落が、当たり前に蔓延する世界――うまくはいえないのですが、そういった人を、僕は「狐人」という種族として定義したくて、うまくできないでいます。

コンビニ人間 (文春e-book)最近読んだ小説では、2016年、第155回芥川賞を受賞して話題となった、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の主人公、古倉恵子が、僕の考える「狐人」像に最も近いです。まさに、僕が言いたくて、言葉にできずにいることを、小説にしてくれていると感じました。古倉恵子の性質を、ユーモアとして笑って楽しむ向きもあるようですが、僕は正直まったく笑えませんでした。いろいろとレビューを見てみると、共感している人も結構多く、この作品は現代を的確に捉えているように思いました――その先の未来を想像すると……(本当に、笑えないのは僕だけ?)。

――狐人語りが長くなってしまいましたが。

話を『ごんぎつね』に戻しまして――しかし、ごんは、狐人的に一部の感情を失っていたり、凍結させているわけではありません。その証拠に、村でいたずらをしています。これは、村人たちに構ってほしい、寂しさの表れだといえるのではないでしょうか(罪悪感の表れだと捉えられる、兵十への差し入れも同様のことが含まれる)。

[まとめ買い] NARUTO―ナルト― カラー版(ジャンプコミックスDIGITAL)(1-27)ここで思い浮かべた漫画があるのは、きっと僕だけではないはずです――そうです、岸本斉史さんの『NARUTO -ナルト-』です。一人ぼっちで、誰かに自分の存在を認めてほしい――ごんとナルトの境遇は似ています、というかドンピシャ、ですよね。「狐」という共通点もありますし……、ナルトのモチーフはごん? と思わず思わされてしまいます(僕だけ?)。

子狐ここから、ごんには寂しいという感情がある――これを凍結させるのは、孤独な時間の積み重ね、だと僕は考えているので、小狐のごんは子供である、とイメージしたのですが、実際は「小狐」には「小さい狐」と「狐の子供」という二つの意味があって、ごんが「子狐」とは断定できないようです。

ごんが子供か子供でないかは、読者に与える印象に大きな影響を与える重要な要素のように思います(ごんがじつは大人だと考えると……、この後の話題に出てくる、とある小学生の感想も充分頷けるもののように感じてしまいますが、はたして……)。

……ところで「小狐」と聞けば、『刀剣乱舞』のイケメン、「小狐丸」を思い浮かべてしまうのは僕だけ?(あと「小狐座」という星座もありますが)

他にも、想像力で補完しなければならない部分が多く、あらゆる作品(特に童話)にいえることなのでしょうが、それが作品に対する多様な見方を生み出すわけで、この『ごんぎつね』も例外ではないように思います。

何年か前、ある小学生の『ごんぎつね』の読書感想が、ネット上で物議を醸したのだと知りました。

その小学生曰く、悪いことをしたごんに訪れる結末は自業自得であり、その行いはただの自己満足に過ぎないというのです(要約です。誤解や誤りがあったらすみません)。

正直、慧眼だと思いました。ただ、大人としては、周りの子供たちがみんな「ごんはかわいそうだ」という感想を持つなかで、こうしたことを言われると、不安になってしまうのにも頷けます。

ちょっと調べてみましたが、たとえば図書館のイベントなどで、『ごんぎつね』の読み聞かせをして、子供たちの反応を伺ってみると、「ごんは自業自得」というようなことを言う子供は、昔から一人くらいはいたりいなかったりしたようです(狐人調べ)。

悪魔のキャラクターおそらく、「ごんは自業自得」派の人というのは、自分に置き換えて考えられないから、そういう意見になるのかなあ、と考えてみました。大なり小なり、人が客観的悪を働かずに生き続けることは困難でしょう。例えば、道に転がっている石ころをどこまで失くさずに蹴って帰れるか、みたいな遊びを帰り道にしていて、思わず強く蹴り過ぎて、向こうからやってくるお母さんの押すベビーカーの中の赤ちゃんの目に当たってしまい、当たりどころが悪くて失明させてしまったとして、その報いに、自分も失明しなければならないかと問われても、「ごんは自業自得」派の人はそうだ、と言うのではないでしょうか(……例える必要なかったかも)。

そう言えるということは、その人はまったく悪事というものを働いたことがないのか、あるいは悪事をしていて気づいていないのか――前述のとおり、前者は相当困難だと僕は思うので除外して、では後者、なぜ気づけないのか、について考察を進めてみると、悪いことをしてもひどく叱られる機会がないから? というところに行き着きました。

モンスターペアレント最近、中国では一人っ子政策のつけでべたべたに甘やかされて育った(と思われる)世代が親となり、我が子の粗相を注意されて逆ギレし、注意した人に暴力を振るう「怪獣家長」(モンスターペアレント)が社会問題化しているそうです。

人間の行いには客観的悪と捉えられるものがいくらでもあるように思います。代表的なのは食事でしょうか。他者の命を奪ってはいけないを徹底するなら、食事はできないことになりますが、食事をしなければ人間生きていけないわけで、これは反対に客観的正義と捉えることもできるわけですが、『ごんぎつね』の話に置き換えるだけならば、では我々は命を食べた報いを受けるべきなのか、といった説明ができるかもしれませんね(屁理屈かもしれませんが)。

とはいえ、「自業自得」や「自己満足」といった感想が、慧眼であることに変わりはないと思います。

ハッピーエンドの話ばかりがフィーチャーされがちな世の中ですが、じつは報われない話の方が、現実世界には多いのでは……、後悔して、反省して、償いをしようとしても、必ずしもそれが報われるとは限らない――この部分、『ごんぎつね』は童話でありながらも、現実を如実に描いているとはいえないでしょうか?

特に「自己満足」の部分は、神さまの恵みだと思われては引き合いにならない(得にならない)と思いつつも、ごんが兵十への差し入れをやめなかったところから察するに、罪悪感の表れや、村人へのいたずら同様の寂しい気持ちの裏返しであったとしても(だからこそ)、ごんのエゴを否定できないところがあります。

auの三太郎CMで、浦ちゃんが落ちるリンゴを見て万有引力の法則を発見したように――もといアイザック・ニュートン さんが落ちるリンゴを見て万有引力の法則を発見したように(作り話だという話もありますが)、素直なものの見方というのはとても大切ですよね。

天才少女ただ少数派の鋭い感性を持つ人間というのは、天才の可能性を秘めているとも思いますが、人類の歴史を鑑みるにその多くは排斥されてきたように思います。

長らく認められなかった地動説などが適切な例といえるでしょうか。ちゃんと才能を認めれる天才はごく一部であるように思われてなりません。

そして、鋭い感性を持った人が、天才性を発揮して報われることは、その逆の場合と比較してごくわずかなように思います。毛色の違う子供は、排斥、迫害、いじめの対象とされることがありますよね。ある種独特な感性を持った子供の親、その年長の親族、あるいは担当教師の方などは、その感性を伸ばしてあげるべきなのか、周囲と同じように均してあげるべきなのか……、悩みどころなのではないでしょうか――個性重視の教育、とはいっても……(実現性の問題)。
(子供の才能といじめについて考えさせられた新美南吉 さんの他作品⇒たけのこ/新美南吉×怪獣家長×YouTuber×光と闇のED=親にもおすすめ!

頬杖をつく少女

photo by Dustin J McClure

件の小学生については、投稿者がその子のことを「姪っ子」と呼んでいることから、伯父伯母または叔父叔母の方であると察せられるのですが、きっと真剣にその子のことを考えているからこそ、話題に上せたと思うわけで、ではそういう大人が周りに一人でもいてくれたなら、その子は「狐人」にならずにすむ(?)のでは……とか思ってみたり(そこまで考えていたわけでなくもなく話題にしてみたら、意外な反響……という可能性も高いかもしれませんが)。

ナルトも、イルカ先生が自分の存在を認めてくれたからこそ、立派な忍になることができましたし。

「一人だけでいい、自分の存在を認めてくれる誰かがいますか……?」

あるいは

「一人だけでいい、存在を受け入れてあげられる人がいますか……?」

――とかなんとか。

ごんと兵十もナルトとイルカ先生のような関係を築いていけたなら……、と願わずにはいられないわけなのですが(ここにも両作品には通じるところが……ナルト好きの方、分かりますか?)。

しかしながら、『ごんぎつね』の現在の結末がなければ、こういった考察もできないわけで――そこに、文学作品とエンターテインメントの差、みたいなものを感じました(もちろん両方ともすばらしい作品です!)。

ところが調べてみると、『ごんぎつね』には三つの型があり、

・元猟師の『口伝バージョン権狐』
・これを新美南吉さんが物語としてまとめた『草稿バージョン権狐』
・そして現在の子供用に編集された『ごんぎつね』

一つ目の『口伝バージョン権狐』ではごんは撃たれていないそうです。

希望現在の『ごんぎつね』が文学作品として完成された形であるとはいえ、それでも、「ごんは目をつぶっただけだよね!?」と思いたいのは僕だけではないはず! ……ですよね?

 

(ただし、兵十の母親が亡くなった原因がごんのいたずらにある――というのはごんの勝手な思い込みであって、兵十はそのことに関しては、べつになんとも思っていなかったのでは? という見方もあるそうです。……そういわれてしまうと、元も子もないような気がしてしまいますが。でもでも、あの思わせぶりな終わり方は……ねえ?)

狐人的読書メモ

影絵のキツネの手をした少女……しかしまたしても、客観的悪とか正義とか、「答えのない問題」みたいな、思春期中学生が考えるような(……まさか中二病じゃないよね?)論を展開してしまいました。
(⇒『運/芥川龍之介=狐人的感想は「答えのない問題」の狐人的回答(みなみけの夏奈がヒントをくれた?)』
精神年齢(実年齢?)が察せられるような内容になってしまいましたが、はやく大人な論が展開できるようになりたいものです。

・『ごんぎつね/新美南吉』の概要

1932年(昭和7年)、『赤い鳥』に初出された作品。新美南吉 さんの出身地、現在の愛知県半田市岩滑やなべ地区の矢勝川、隣接する阿久比町の権現山を舞台にしているといわれている。小学校国語教材の定番。ちなみに、ごんには新美南吉 さんの故郷、愛知県半田市から特別住民票が交付されている。お生年月日は1931年10月6日で、これは執筆が完成した日付である。

・小狐丸

平安時代の刀工、三条宗近の作といわれる太刀(日本刀)。九条家秘蔵とされていたが現在所在不明。『刀剣乱舞』の小狐丸は、小さくない、美しい毛艶の美男子。レア度「上」。「私が小! 大きいけれど!」 。

・小狐座

白鳥座の南に位置する北天の小星座。南中時期は9月下旬の午後8時ごろ。ちなみに無印アニメ版のオリジナルキャラクターにランドクロスの大地という聖闘士(鋼鉄聖闘士)がいて、子狐座(小狐座)がモチーフとなっている。

・うなぎ

うなぎじつは、ごんに頭をかみ砕かれ、食されるわけでもなく、草の葉の上に放置されてしまった、作中一番の被害者。年々漁獲量は減少傾向にあり、値段はまさにうなぎ上り。2010年、独立行政法人「水産総合研究センター」によって、完全養殖の実験に成功したとの発表があったが、いまだ実用化には至っていない。稚魚を大量に育てる技術が確立できていないのが、その要因。稚魚ビジネスは一攫千金が狙えるかも、という噂もちらほら。「近大マグロ」で話題となった近畿大学とうなぎの養殖場で共同開発された、うなぎに代わる食材がなんと「なまず」! ……しかし味はさんまに近いのだとか。いろんな意味で「いのちだいじに」(ドラクエ風)!

以上、『ごんぎつね/新美南吉』の読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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