火/横光利一=日常に劇的なことなんてない、だけどちゃんと伝わる親子の愛。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

火-横光利一-イメージ

今回は『火/横光利一』です。

文字数8500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約30分。

母は自分を愛してくれているのだろうか。
ダイヤがあれば街へ見習いに行った姉も
返ってきてくれるだろうか。

子供らしい葛藤と気持ちの描かれた横光利一の初期短編小説。
老若男女問わずおすすめ!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

初秋の夜、九つになるよねは、針仕事をしている母の肩に負ぶさり、膝の上に顔をうずめたりして甘えていた。すると隣家の裏庭の障子しょうじが開いて、酒を飲んでいたかねさんが現れた。母は兼さんに連れられて行ってしまった。米は悲しくなった。

その日、刺繍ししゅうの先生は来るのが遅れていた。米の父は六年前にアメリカに行き、病気になったという知らせを受けて以来、半年あまり送金が途絶えていた。米の姉が看護師見習いとして街へ行ってからは、米の母がひとり刺繡を習い続けていた。米はじぶんの家が非常に貧しくなったと知った。が、どこが前より貧しくなったのかはわからなかった。姉に逢いたいと思ったが、手紙にそのことを書くのは気恥ずかしくてできなかった。

米は学校の帰り道、御陰石みかげいしの橋にチョークで「カネサント、オカサントユウベ」と書いた。昨夜目を覚ますと隣には母と男がいたのだ。砂の中にきれいな粒を見つけた。ダイヤモンドだ! これでほしいものが買える、いや、姉が家に帰ってこられる。途中、上級生の知り合いの子に「ダイヤじゃない」と否定されて米は泣いた。

夕方、米は母のいいつけで牛肉の缶詰のおつかいに出た。刺繍の先生が来ていた。急いで買って帰ってくると、母は缶詰の汁で着物を汚したといって米を睨んだ。抱きしめてもらえるとばかり思っていた米は母が急によその母のような気がして悲しくなった。ダイヤを見て慰められた。これがあれば姉が帰ってきて、家族ちりぢりに暮らさなくてもよくなる――しかし、ダイヤはもうダイヤではないような気がしてさびしくなった。

刺繍を習うのには、先生を家に泊める約束をしなければならなかった。その晩、米の母は刺繡の先生につきっきりだった。牛肉の缶詰は先生のもので、米は母が来てくれるのを待つように、ゆっくりとご飯だけを食べた。おかずがこないうちにお腹がいっぱいになった。

米は提灯を持って二階へ上がった。寝るときには灯を消すようにいわれていたが、母が来るまで起きていようと思った。いつのまにか寝てしまった。

一時過ぎに米が目を覚ますと、母がしっかりと自分を抱きしめていた。母の背後にはランプを持った刺繍の先生が黙って立っていた。あたりに煙がこもり、傍の畳に黒焦げの部分が広がっていた。「早く寝よう」と米が言うと、母は目を潤ませた。虫の知らせだわ、母が小さな声で呟いたとき、子はもういびきを立てていた。

狐人的読書感想

火-横光利一-狐人的読書感想-イメージ

まだまだ甘えたい9歳のよねの葛藤、子供らしい気持ちがひしひしと伝わってくるとてもいい小説でした。

印象に残った米の気持ちは大まかにいうならふたつあります。

それは、「貧しさ」と「母の愛情」について抱く疑問、という感じになるかと思いますが、以下ひとつずつ綴っておきたいと思います。

貧しさという点については、半年前からお父さんの送金が止まって以来、お姉さんが看護師の見習い生として街に行ってしまったことで、米は自分の家が非常に貧しくなってしまったことを知るのですが、ただどこが前よりも貧しくなってしまったのかはわかりません。

お姉さんが家を出て街に行ってしまったのはあきらかに送金のストップがきっかけで、おそらくいまのところ、一応は毎日ちゃんとごはんが食べられて、ちゃんと学校に行けて、こういった状況から自分の家は貧しくなったはずなのだけれども、その貧しさが実感できないといったような複雑な心境はとてもよくわかるような気がしました。

貧しくなったといっても急に手持ちのお金がゼロになったり、食べ物がすべてなくなるわけではないでしょうし、貧しさといえばある日突然一家を襲うようなイメージがありますが、思えばそれはじわじわとやってきて、気づいたときには目の前にある、といった類のものなのかもしれませんね。

それでなくとも親というものは、子供にはお金の心配をさせたくないと願うものなのではないでしょうか? その意味も含めて、子供が家の貧しさを実感するというのはなかなか難しいことだという気がします。

とはいえ9歳の米は、貧しさの本質というものをよく捉えているとも思います。それは砂粒の中にきれいな粒を見つけて、それをダイヤだと思い、これで小刀やカバンなどの欲しいものが買えるとうれしくなった直後、すぐにお姉さんのことを思い浮かべて、これでお姉さんが帰って来られる気がした、というくだりに如実に表れています。

つまり、米は欲しい小刀やカバンといった物質的充足よりも、お姉さんと一緒にいられる時間といった精神的充足のほうをこそ求めたことになり、これは物質的幸福と精神的幸福のどちらが真の幸福であるか、あるいは物質的不幸と精神的不幸はどちらが真の不幸であるか、といった問題の、ひとつの答えを表しているように感じました。

もちろんダイヤという物質があってはじめて小刀やカバン、お姉さんが得られるわけではありますが、小刀やカバンよりもお姉さんを選んだ米の心の在り方は、子供の純粋な願いであり、成長して大人になってもひとが持ち続けるべき大切な気持ちなのではなかろうか、そんなふうに思えました。

まあ、米がいま抱えている寂しさや不安が、小刀やカバンよりもお姉さんを選ばせたということもいえるでしょうが。

そんなわけでつぎは「母の愛情」についてです。

米でなくても、「親は本当に自分を愛してくれているのだろうか?」といった疑問を持つことは、多かれ少なかれ誰にでも経験があるのではないかなあ、と愚考するわけなのですが、どうでしょう?

シングルマザーといえば現代は増加傾向にあると聞きますが、今も昔もさまざまな理由で母子家庭や父子家庭といったものはあるわけで、たとえ両親がそろっていたとしても共働きの世帯も多いわけで、子供が親の愛を疑う状況、とかいってしまうとちょっと重いかもしれませんが、寂しさを感じる状況というのは誰もが経験することのように思います。

親の愛情を知らない子供は恋愛にそれを求めてしまったり、自分に自信が持てずに仕事が長続きしなかったり、自分が親になったときに子供の愛し方がわからなかったり――などなどと聞くと、親になるということの重責を考えてしまいます。

愛を知らない子供が愛を知らない親になって、その愛を知らない親が愛を知らない子を育てて――と想像してみると、これはかなりよくない負の連鎖のように思えるのですよね。

親になるためには厳しいテストを受けて、それに合格した夫婦のみが子供を産んで育てることが認められる社会――みたいなSFっぽいお話を読んだことがありますが、妙に納得させられた記憶があります。

ちゃんとごはんを与えてもらえて、学校に通わせてもらえて、いったい誰のおかげで生きていられると思ってるんだ、とかいわれてしまえば、たしかにそのことに感謝をしなければならないわけなのですが、前述の「貧しさ」のお話のように、物質的に満たしておけば精神的なところは無視してもいいのか、という疑問はどうしても抱かざるを得ませんね。

もちろん親だって仕事をしてお金を稼がなければ子供を育てることができないし、仕事をしなくてもいいのだったら愛情をいくらだって注いでやりたいのに、という状況も多いように思えます。

さらに、個々人の愛情の感じ方の差、みたいなところもあるのではないでしょうか? 仮に同じ二組の親が同じようにふたりの子供に愛情を注いだとして、ふたりの子供の感じ方はやはり違うのではないでしょうか? ひとりはその親の愛情に満足しても、もうひとりは愛情の不足を感じるかもしれない、みたいな。

そう捉えてみるならば、親ばかりでなくて子供にも親の愛情を受ける姿勢といったようなものが、求められるのかなあ、と漠然と考えました。親の置かれている状況を鑑みて理解し、愛情の不足を嘆くばかりではなくて、家の手伝いなど積極的に行って、それでコミュニケーションを築いていかなければならないのかなあ、みたいな。

当然親には子を産んだ責任があるわけで、だから子に愛情を与える責任というのは、子が親の愛情を感じようとする以上の努力を有するものだとは思うのですが、とはいえそこにあぐらをかいて、何もしないのも違うのかなあ、みたいな。

でもでも、米が姉に逢いたい気持ちを手紙に綴るのが恥ずかしく感じたように、家族に自分の気持ちを伝えるのはなんだか気恥ずかしいという別の問題もあるんですよねえ。

本当に難しい話だと思います。

しかしながら、『火』のラストを読んでみて、じつはそんなに難しいことではないのかもしれない、ということも思わされました。

自分が蔑ろにしたばかりに、危うく火事で子を失いかけた母親の気持ちが、ラストの情景から感じられて感動しました。

いつも「愛してる愛してる」といい続けるのは疲れてしまうでしょうし、聞いているほうとしてもそのありがたみが薄くなってしまうでしょうし、お互いに本当に愛し合っていれば、その思いというのは普段の生活の中で、何らかの形で必ず自然と伝わっていくもの、という気がしました。

米もきっと、お母さんの胸の中で、その愛情を感じられたんじゃないかなあ。

読書感想まとめ

火-横光利一-読書感想まとめ-イメージ

子供の気持ち。

狐人的読書メモ

米の母が男たちと親しくしていたのにはやはり相応の理由があったのだろうか? もし生きるためには仕方のないことだったのだとしても、子供にとってはけっこうきつい。そのあたりを理解するのはもっと難しいだろう。

・『火/横光利一』の概要

1919(大正8年)『文章世界』初出。初期作品。応募作品であるらしく、そのときの選考員のひとりは、「緻密な客観的作風から主観的な作風に転換しようと苦心している」といったような評価を残している。子供の葛藤がよく描かれたとてもいい小説。いろいろな世代におすすめできる。

以上、『火/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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