玩具/太宰治=三歳、二歳、一歳のときの記憶ってある?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

玩具-太宰治-イメージ

今回は『玩具/太宰治』です。

文字5000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約15分。

三歳、二歳、一歳のときの記憶をよみがえらす。とはいえ、幼児期健忘でそれを覚えている人は少ない。映像で覚えるか文章で覚えるか。臓器移植による記憶転移。記憶って不思議。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

「私」が『玩具』という小説を書こうとしている話。「私」という一人の男が、あるなんでもない方法によって、自身の三歳、二歳、一歳のときの記憶をよみがえらす。

生まれてはじめて地べたに立ったときのこと。皮膚で聞いたものの名前。二つのときの冬に、一度狂った話。達磨と言葉を交わしたこと。夜更けに家中を駆け巡る鼠や青大将。赤い馬と黒い馬。祖母の今わの際の姿を見ていたこと。祖母の子守唄。(未完)

狐人的読書感想

「(未完)」としめられているのが印象的ですが、この作品自体が未完なわけではなくて、作中で「私」が書く三歳、二歳、一歳のときの記憶の小説が未完であるということで、不思議な余韻を感じます。

メタフィクション小説とのことで、「私が書く小説の中の私が書く、小説の中の私」って、ややこしいような不思議な感じです。

つまりは不思議な小説だといえるんですかね?

「三歳、二歳、一歳のときの記憶をよみがえらす」というテーマは興味深く感じました。

人って、幼児期の記憶って覚えているものなんですかね?

思い出せない過去の記憶を催眠療法で呼び起こせるみたいな話を聞いたことありますが……調べてみると、幼児期の記憶を覚えている人はいるみたいですが、どちらかといえば覚えていない人のほうが多いようですね。

「幼児期健忘」といって、普通、だいたい三歳よりも前の記憶は、成長とともに忘れていってしまうものなんだそうです。

記憶ってなんなんだろう? ってよく思うのですが、脳のメカニズムとかの説明を読んでみても、いまいち理解できないんですよね。

人と話してみても、「私は映像として思い浮かぶ」とか「私は文字や文章で思い浮かぶ」とか、記憶の仕方は人によっても違うものなのかなって印象を持ちます。

調べてみると、視覚優位者、言語優位者、聴覚優位者みたいに、画、字、音と、記憶処理のために認知する分野に好みや得手不得手があるようで、それが違いとなっているみたいです。

記憶って不思議だなぁ、と思った、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

三歳、二歳、一歳のときの記憶ってある?

狐人的読書メモ

・臓器移植によって記憶転移が生じた、という話も聞いたことがある。細胞記憶というものがありえるのかという話もまた不思議。

・『玩具/太宰治』の概要

1935年(昭和10年)『作品』にて初出。小説家の「私」が「玩具」という小説を書こうとするメタフィクション。構成や未完の結びが多くの議論を呼んでいる作品。

以上、『玩具/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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