雀/太宰治=雀好きも安心して読める、戦争が変えてしまうもの。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

雀-太宰治-イメージ

今回は『雀/太宰治』です。

文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約18分。

友人が私に語る戦争体験。
悲惨な戦争描写はありません。
しかし大切なことが伝わってきます。

戦争は、君、たしかに悪いものだ。

雀も可哀相な目に遭いません。
雀好きも安心してお読みください!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

故郷の津軽に疎開してきてからひと月ほど経ったある日、買い物帰りの汽車の中で、「私」は小学校時代からの友人である加藤慶四郎君に出会った。

慶四郎君は、白衣に傷痍しょうい軍人の徽章きしょうをつけていて、それだけで「私」にはすべてが察せられた。

「私」は肺病のために徴兵を免れていたが、慶四郎君は戦場で負傷し、伊豆の伊東温泉で療養しているうちに終戦となり、このたび疎開させておいた妻子のいる故郷の家へ帰るのだという。

「私」は買ってきたばかりの清酒一升を慶四郎君に渡して、後日遊びに行く約束を交わした。

三日後、「私」が約束通りに慶四郎君の家を訪ねると、彼は清酒には少しも手をつけずに待っていてくれた。「私」たちは酒を飲みながら旧交を温めた。

慶四郎君は三年半兵隊生活を送っていたが、戦場でのことは語りたくないことばかりで、ただ伊東温泉での最後の半年間だけは思い出深く、一生忘れられないであろう事件が一つあるという。

それは療養所近くにある射的場の娘、ツネちゃんにまつわる話だった。

慶四郎君はツネちゃんのことが気になっていた。ツネちゃんは療養所の兵隊たちの人気者で、その頃、若い色男の兵隊と噂になっていた。

射的場で一番難しいのは「雀撃ち」で、これはブリキ細工の雀が時計の振り子のように左右に揺れるのを、空気銃の小さな鉛玉で狙うのだが、慶四郎君はこの雀撃ちが得意だった。しかし、この日ばかりは全然雀に当たらなかった。

ツネちゃんと色男のことを思うとむしゃくしゃして、ツネちゃんが目ざわりに感じてしまって……、慶四郎君は衝動的にツネちゃんの膝を空気銃で撃った。

慶四郎君ははっとして、すぐにツネちゃんを療養所へ抱えて行った。ツネちゃんの膝の傷は大したことなかったのだが、娘のけがを聞いて慌てて駆けつけてきた父親の、憎々しげに自分を見る目が忘れられない。

慶四郎君は語る。僕にサディストの傾向はない。しかしあの日、僕は人を傷つけてしまった。戦地で敵兵を傷つけてきて、きっと戦争に酔っていたのに違いない。戦争は、君、たしかに悪いものだ。

慶四郎君の奥さんがお銚子ちょうしのおかわりを持ってきて去るとき、片足をひきずりぎみに歩いている。「ツネちゃんじゃないか」、「私」は愕然としたが、「昨日木炭の配給を取りに行って、足にまめができたんだよ」、慶四郎君は言った。

狐人的読書感想

雀-太宰治-狐人的読書感想-イメージ

前回『親友交歓』の読書感想を書いたからでしょうか、今回は本当の親友が登場してなんだかほっこりした気分になりました。

とはいえ、そんな親友、慶四郎君の戦争体験が語られる話なので、全体的な内容にはさすがにほっこりというわけにもいきませんでしたが。

「戦争が人を狂わせる」のかもしれないということについて、考えさせられる小説でした。

あらすじにも書いたように、太宰治さんは1941年(昭和16年)1月、32歳のときに文士徴用を受けていますが、身体検査の結果、胸部疾患のため免除となったそうです。

作中、慶四郎君と偶然にも再会した場面では、「私」はしどろもどろになったり、赤面したり、まごついたりしているのですが、あるいは徴用免除になったうしろめたさみたいな感情が、こうした反応に表れているのかなあ、と感じて、微妙な心理描写が巧みなように感じました(単純に人見知り的な反応で、深い意味はないのかもしれませんが)。

その際慶四郎君も赤面しているのですが、これもあるいは久しぶりの再会に対して、というだけではなくて、傷痍軍人であることが影響しているのだろうか、と考えてみました。

じつはこれ、読んだ瞬間にはどこか違和感を覚えた部分でした。

というのも、戦争の負傷は「名誉の負傷」だ、みたいなイメージが、どうやら僕の中にあったからのようなのですが。なので、それを自慢したとしても、恥じるのはおかしな気がした、ということだと自己分析してみたのですが。

調べてみると、たしかに戦時中には、「名誉の負傷」ということで、地域社会や家族が熱心に傷痍軍人の世話を焼く傾向があったそうなのですが、戦後にはこの社会的な援助が衰える傾向にあるらしく、実際身体に障害を残した傷痍軍人が、貧困のために犯罪に手を染めることもしばしばだったそうで、これは当時大きな社会問題として取り上げられていた、とのことです。

作品発表の年代的に見ても、これを終戦直後の話だと思えば、(射的場の「雀撃ち」の話だけに)やはりこのことも的外れな読みかもしれませんが、このようなことが「私」と再会した慶四郎君の態度に表れていたのかなあ、とか想像して、戦時の高揚と戦後の冷淡みたいな(深い意味のない些細な描写なのかもしれませんが)、ここも「戦争が人を変えてしまう」ということを思わされた部分でした。

以上のことも踏まえて、『雀』は悲惨な戦場の描写や劇的な戦争の場面などはまったく描かれていないのですが、慶四郎君という一人の人間が、自身の体験したちょっとした過ちを語ることで、「戦争が人の残酷な本性を呼び起こして変えてしまう」、戦争はたしかに悪いものだ、ということが伝わってくる作品です。

戦傷の療養先である伊東温泉で、妻子ある慶四郎君が射的場のツネちゃんに惹かれてしまったのも戦争のせい、とか言ってしまうと苦笑かもしれませんが、『人間の心というのは、君たちの書く小説みたいに、あんなにはっきり定っているものでなく、実際はもっとぼんやりしているものじゃないのか。ことにも男と女の間の気持なんて……』という、どこか言い訳がましい慶四郎君の語り口はおもしろかったです。

そんなわけで、ツネちゃんと色男とのうわさに嫉妬のような感情を抱いてむしゃくしゃしていた慶四郎君は、射的の空気銃でツネちゃんの膝を撃ってしまうわけですが、嫉妬に狂った人がとんでもない行動に出てしまう、というのは当たり前の人間感情のようにも感じられましたが、慶四郎君はここに「戦場で体験した空気」が影響していたのだと語りました。

戦いの中で、日常的に人を傷つけていれば、まさにそれが当たり前のことになってしまい、人は人を傷つけることへの抵抗感というものを薄れさせていくでしょう。

ツネちゃんのお父さんが慶四郎君に向けた怒りの目つきは、たしかに戦争で我が子を失う親の目つきそのものだったように思います。

戦争が人を狂わせてしまうということ。

戦争が世界を狂わせてしまうということ。

戦争がすべてを変えてしまうということ。

『戦争は、君、たしかに悪いものだ』

短く、また当たり前のことを言っているだけだと思われてしまうかもしれませんが、慶四郎君のこの一言に、この作品の言いたいことのすべてが詰まっているように感じました。

読書感想まとめ

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戦争は、君、たしかに悪いものだ。

人、そして世界、戦争がすべてを変えてしまうこと。

狐人的読書メモ

『人間は雀じゃないんだ』というセリフも印象に残った。ここでいう「雀」は射的のまとのブリキ細工の「雀」のことなのだが、動物の「雀」と思われてしまうとあるいは語弊が生じるかと思い、読書感想ではあえて割愛したが。人を傷つけたくないし、人に傷つけられたくないが、人は傷を知らなければ、人に本当にやさしくはなれないのだとも思う。最近の政治家の不祥事を見ているととくにそう思う。僕も、傷かぬうちに、傷つかぬままに、傷つけていなければ、よいのだけれど……。

・『雀/太宰治』の概要

1946年(昭和21年)『思潮』(9月号)にて初出。戦争は悪いものだ。凄惨で悲惨な戦争描写はないものの、その一言を実感できる小説であるところが、秀逸な作品である。

以上、『雀/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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