二癈人/江戸川乱歩=人を使わずに自分一人でやれ、風化する感情論。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

二癈人-江戸川乱歩-イメージ

今回は『二癈人/江戸川乱歩』です。

文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約29分。

井原は湯治場で知り合った斎藤に
不思議な親しみを覚えて20年前の罪を告白する。
が、告白を聞き終えた斎藤は驚愕の真相を明かす。

真犯人は人間じゃない、だけどやっぱり人間です。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

井原は湯治に来ていた温泉場で斎藤と出会い、意気投合する。斎藤の顔面は戦争によって無残に傷ついていた。井原は初対面のときから斎藤の表情にどこか見覚えがあるような気がしていた。十日というわずかな日数でここまで親しくなれたことを不思議に思った。

井原は、これまで誰にも話してこなかった身の上話を、斎藤に語り始める。それは井原が大学在学中に犯した罪についての告白だった。

ある朝、友人の木村が妙なことを言った。「昨夜は大変な気焔だったね」――昨夜木村が寝ている部屋に、井原が突然入ってきて、いきなり議論を始めたのだという。井原は小学校時代に寝ぼけ癖があったのを思い出し、木村に話すとそれは夢遊病だということに。

以後、井原は寝ている間に人の物を盗んでしまうようになる。その度、木村に仲介してもらい、謝って物を返すと、事情を知った持ち主は笑って許してくれるのだが、噂はたちまち学校中に広まってしまう。真夜中に出歩く井原らしき人物を見たり、足音を聞いたという人も現れる。

井原はそのうち取り返しのつかないことをしてしまうのではないかと恐れていた。そしてその事件が起こった。

下宿のオーナーである老人が強盗に遭って亡くなった。老人の金庫から盗まれた債権や株券が、井原の部屋にあった。井原は自首した。

井原は名家の長男だった。金を目的に強盗する動機はなかった。夢遊病者であることは周囲の証言で明らかだったし、友人の木村がとくに熱心に運動してくれたこともあり、井原は無罪となった。

事件以降、夢遊病の発作は不思議と治まった。が、その後の井原の人生は廃人同然だった。大学は中退し、家業は弟が継ぐことになり、結婚もできず、二十年経ったいまも、こうして若隠居といった境遇で暮らしている――井原は力なく笑った。

井原の話を聞き終えた斎藤は言った。

その事件は友人の木村が仕組んだものではありませんか、夢遊病の証拠品は部屋にそっと置くことができる、先入観にとらわれた目撃証言はすべて曖昧である、木村はあなたの少年時代の寝とぼけ話を聞いてあなたに罪を着せることを思いついた、夢遊病者の犯行であれば減刑されるのは明らか、たとえば木村には老人に対し敵討ちといったような動機があったのではないでしょうか、もし彼がいまのあなたの告白を聞いたら、さぞかし後悔したことでしょう――。

井原と斎藤はそれから長い間対座していた。やがて斎藤が部屋を出て行く。井原は憤怒をじっと抑えつけていた。だが、しばらくすると、井原は自分の愚かさを悟った。証拠はない、手も足もでない、俺はあの男の手前勝手な憐憫をただ頂くばかりじゃないか。

井原はすばらしい木村の機智を、憎むよりも讃美しないではいられなかった。

狐人的読書感想

なんだか二つの意味で恐い小説でした。

ひとつは、悪意はなかったとしても、誰かを利用した結果、その誰かは人生を狂わされてしまうということです。

真犯人の木村(=斎藤)は、井原が憎くて夢遊病者の犯人に仕立てたわけではなくて、ただ下宿のオーナーである老人に復讐するため利用しただけであることが読み取れます。

坂口安吾さんの小説に「どうしても悪いことをせずにいられなかったら、人を使わずに、自分一人でやれ」といったようなフレーズが出てくるものがあるのですが、ふとこの言葉を思い出してしまいました(この場合に当てはめるには、ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが)。

復讐の事情については描かれていませんが、とはいえ、それがたとえ正当な復讐であったのだとしても、まったく無関係の人間を利用して、その人のその後の人生を狂わせてしまうほどの迷惑をかけてはいけないと単純に思いました。

復讐をはたしても自分が捕まってしまえば意味がないという気持ちや、うまくいけば誰も刑罰を受けずに復讐がなせるという思いつきの誘惑に抗えなかった気持ち、その事件がきっかけでそこまで友人の人生を狂わせてしまうとは思わなかったという誤算、などはわかるのですが、それでもやっぱり、木村の行いは卑劣だし卑怯だし、許されることではありません。

しかしながら、目の前に利用できる誰か、踏み台にできる誰かがいることに気づいたとき、その誰かを利用したり踏み台にしたりしないと、絶対の自信を持って言い切れるのか――と僕自身問われると、そうだとは言い切れない自分がいるような気がします(……僕だけ?)。

木村にしても、意識なく人の命を奪ってしまったことで、そこまで井原の心を傷つけてしまい、まさか廃人同様の人生を送ることになろうとは想定外のことだったのかもしれません。

想像力の欠如という気はしますが、やはり人間は自分本位な生き物だから、いざとなれば友達を利用したり見捨てたりして、自分の利益を優先させてしまうのも心のどこかで当たり前のことのように受け入れてしまう自分がいます。

もちろん、だからといって木村を擁護したいというわけではなくて、何らかの罰を受けなければならないとは思うのですが、戦争で受けた顔面の傷がその報いだということなのでしょうか?

であれば、肉体的廃人と精神的な廃人と、結局二人の廃人を生み出してしまっただけであって、これは実際の刑罰にも通じるところがあるように感じて、刑罰が被害者側の心の癒しにほとんどならないことを思って――犯罪や事件や復讐は起こってほしくないとただ願うばかり。

当然、僕自身も誰かを傷つけてしまうようなふるまいをしてしまわないよう、常に気をつけたいと思っていますが、いつもこれがなかなか難しくて、ほとほと自分がイヤになるときがあります。

とはいえ、犯罪、事件、復讐――人を傷つけてはダメゼッタイ、ですね。最近のニュースでも、人の痛みを考えないような、痛ましい事件を見かけるように思います。

もう一つの恐いは、感情は風化するということです。

『二癈人』は話の展開や意外な真相もおもしろいのですが、ラストの井原の心情描写がいろいろと考えられて興味深いです。

そういえば、クラピカも言ってたんですよね、「一番恐れるのはこの怒りがやがて風化してしまわないかということだ」って(『HUNTER×HUNTER』)。

喜怒哀楽。

人間は激しい感情を感じた直後には絶対にそのことを忘れないように思いますが、やはり時間の経過とともに風化していくものだという気がします。

復讐はよくないことだ、と前述したばかりなので、怒りの風化はむしろその観点からは歓迎すべきことのようにも思えるのですが、無気力の末の諦観や卑屈な気持ちから生じるものが感情の風化なのだとすれば、それはまったくいいこととも言い切れないよう思うんですよね。

想像してみることがあります。

いま、命を奪ってしまいたいほど憎い相手がいたとして、何十年もすればその憎しみも風化するのだろうか、ということを。

相手を許す気にはなれないけれど、もう命を奪おうとは思わない、みたいな心境になることがあるのでしょうか、なかなか想像しがたいようにも感じてしまいます。

斎藤(=木村)が最後になんで真相を暴露したのかも気になるところです。

罪悪感から話さずにはいられなかったということなのでしょうか? だったらちゃんと謝って、罪を償うべきはずなのに、そのまま逃げるように帰ってしまい、あとに残される井原の苦悩は考えなかったのでしょうか? 黙っておいたほうが井原のためだった、という思いはどうしても湧いてきてしまいます。

やっぱり自分勝手な人間だと思ってしまい、どうしても好きにはなれないキャラクターですが、だけど現実の人間がよく描かれている感は否めませんね。

僕も斎藤と同じ人間かもしれない、ということもまた否めません、というのが今回のオチ。

読書感想まとめ

人の人生を狂わせること。人の感情は風化するということ。二つの意味で恐い小説。

狐人的読書メモ

さらに加えるならば、先入観が生み出す冤罪というものもまた恐ろしいと思った。

・『二癈人/江戸川乱歩』の概要

1924年(大正13年)6月『新青年』にて初出。江戸川乱歩初期短編。ミステリーのトリックは書き尽くされている、が、有名なトリックを裏返して用いる手は効果的だという話が興味深かった(本作とは無関係)。

以上、『二癈人/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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