老年/芥川龍之介=人工臓器、デジタルクローン、老年は克服できるか?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

老年-芥川龍之介-イメージ

今回は『老年/芥川龍之介』です。

文字数4000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約14分。

芥川龍之介の処女作。あまり読まれていないらしいから、
読んでおけばちょっと自慢できるかも。
老年のむなしさは誰でも感じられるはず。
人工臓器やデジタルクローンで老年は克服できる?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

夜になると雪が降ってきた。ある料理屋で、一中節いっちゅうぶし(浄瑠璃の一種)の順講(おさらい)があり、多くの男女が集まっていた。その末座にいるのが、この店のご隠居、房さんだった。

房さんは放蕩ほうとうと遊芸に一生を費やした。運よくこの料理屋に引き取られて、いまや楽隠居の身の上になっていた。

ふと、中洲の大将や小川の旦那が、昔盛んだった頃の武勇伝を聞きたがったが、房さんは禿頭はげあたまをなでながら、小さな体を一層小さくするばかり、「どうぞ、ごゆるり」と言ったきり、途中で席を外した。二人は房さんの年老いたことを感じずにはいられなかった。

やがて、中洲の大将と小川の旦那は、そっと座敷を抜け出した。自分たちの順番が回ってくる前に、一杯ひっかけようというつもりだ。廊下伝いに母屋のほうへ回ると、ひそひそ話が聞こえてくる。

それは女を口説いているらしい房さんの声だった。なんだ、やっぱり年を取ったとはいえ、隅にはおけない――二人とも、白粉おしろいの匂いを空想に浮かべて、障子の中をそっと覗き込んだ。

が、そこに女の姿はなかった。

房さんは、こたつに入り、香箱座りしている小さな白猫を相手に、ひとり、なまめいた言葉を誰に言うともなく繰り返している。

中洲の大将と小川の旦那は黙って顔を見合わせた。そして長い廊下を忍び足で、また座敷のほうへ引き返していった。

雪はやむけしきもない。

……

狐人的読書感想

『老年』は芥川龍之介さんの処女作だそうです。始まりが「老年」というのもなんとなくおもしろみが感じられるように思うのですが、どうでしょうね?

生前に単行本化されていないこともあってか知名度は低いらしく、おもしろいというのとはちょっと違う気はしますが、短いということもあり、芥川作品に通底するテーマが描かれている点でも読んでみて決して損のない小説だと思いました。

ここで僕がいう芥川作品に通底するテーマとは「人生に対する諦観」というか、「すべてがむなしい」みたいな感覚のことなのですが(間違っているかもしれませんが)。

作家人生を送る中で、作品の屋台骨となるテーマが最初から一貫してほとんど変化しなかったというのは、どこかすごいことのようにも感じられるんですよねえ……(著者の晩年と最期を思えば変わるべきだったのだといえなくもないのかもしれませんが)。

論文などでは「隔絶され廃れていく江戸文化」について象徴的に描かれている、といった見方もあるそうです。僕にはちょっと難しく感じ、だけど、いわれてみれば確かに、という感じもします。

結果的にそういう見方のできる作品になったのか、あるいは著者が意識的にそういう見方ができるように書いたのだろうか、ということはけっこう疑問に思うことがあります。

国語の試験を彷彿とさせるんですよね。

「この作者が作品を通して読者に伝えたい、または考えさせたいテーマは何か具体的に答えなさい」

みたいな。

著者に聞いてみないと真実はわからないだろうし、必ずしも問題作成者の考えと著者の考えが一致するとは限らないだろうし、みたいな。

いずれにせよ、複雑で難しいテーマを作品に折り込めるというのはすごいことだとは思うのですが、だけど、たまに「著者はもっと気軽な気持ちでこの小説を書いたのではなかろうか」などと思うことがあるんですよね。

さて。

老いることへの不安やむなしさといった感情は、誰しも抱くものであって、不老不死が実現できていない現代においても、逃れることのできないしがらみのように感じてしまいます。

『老年』では房さんの心情が描かれていないので、房さん本人がいまの自分の境遇をむなしいと感じていたか否かの判断はできませんが、少なくとも、房さんの老いを感じた中洲の大将と小川の旦那は、そこにむなしさのような感情を抱いていたように読み取ることができます。

老いに対するむなしさは、老いた本人よりもそれを傍から見る他人のほうが、強く感じるものなのかもしれません。

そういえば最近、「デジタルクローン」というものを知りました。

自分に関する文章や画像や動画や音声や、「ライフログ」といわれるものをデジタル保存して、自分とまったく同質の人格(AI)を作り出そうという試みだそうです。

手塚治虫さんの人格をデジタルクローンで再現して、新作マンガを描いてもらおう、といったプロジェクトもあるらしく、おもしろいなと思いました。

デジタルデータ化された人格であれば、冗長構成を作り、サーバの管理をしっかりすれば、半永久的に生きられるとも、たしかにいえそうなんですよね。

生物の場合には交換不可能な肉体が滅びるから亡くなるのであって、デジタルクローンの肉体であるサーバは交換できるから滅びない――ある意味不老不死を実現できるわけですが、クローンということは本人ではないわけで、だったらあまり意味がないようにも、やっぱりむなしいようにも感じてしまいますが、興味深い話ではあります。

自分が滅んだあとも、自分の子孫が生き続けてくれる――そこに見出されるなぐさめや希望にも通じるものがあるのでしょうか、興味をそそられてしまいます。

医療分野でも人工臓器の複製などに長寿化の可能性を見出すことができますが、もしも自分の自我をまったくデジタルデータ化してデジタルクローンを作り出せるのだとしたら、自分の肉体は滅んでも自我は生きていることになって、それはやっぱり不老不死の実現だといえる気がしてきます。

肉体がなければ衣食住の心配もないわけで、(デジタルの中で)本を読んだりゲームしたり――好きなことばかりして生きていけるのだとしたら、かなりすばらしいという感じがしますが、どうなんでしょうね?

SFっぽい話になってしまいましたが、肉体の不老不死よりも精神の不老不死のほうに、実現性と魅力を感じている今日この頃です。

読書感想まとめ

人生に対する諦観。老いに対するむなしさ、憐憫。だけどデジタルクローンがそれらを解消する希望となりえるのでしょうか?

狐人的読書メモ

まったくの余談ばかりだが、ここでも余談をひとつ。

「香箱をつくる」(香箱座り)という言葉が妙に印象に残った。これは猫の座法(座法って……)のひとつで、前足を胸の内側に折り曲げて座る猫の座り方。かわいいのに趣があっていいと思った。

近代文学などでたまに見られる表現。近年では、辞書などには乗っていないが、ネット上ではよく使われる言葉。

香箱座りをしている猫はかわいいが、これは非常にリラックスしている状態らしく、飼い主と飼い猫との信頼関係のバロメーターになるとのこと。

・『老年/芥川龍之介』の概要

1914年(大正3年)『新思潮』にて初出。芥川龍之介の処女小説。発表時の署名は「柳川龍之介」。単行本未収録であり、「芥川龍之介全集」第1巻に収録された。著者自身、一中節には造詣が深かったらしい。

以上、『老年/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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