狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『葉桜と魔笛/太宰治』です。
太宰治 さんの『葉桜と魔笛』は文字数6300字ほどの短編小説です。すらすら読めます。厳格な父、病を得て余命いくばくもない妹――姉としての「私」の想い。短い中にもまさかのどんでん返し、残されたままの謎があって、哀しさや切なさだけでなく、不思議な余韻を感じられる作品です。明かされたはずの謎についてもいろいろと(ややこしく)想像したくなります。心情を吐露した妹の言葉には、女性の本音が垣間見えて、現代人だからこそ考えさせられるところがあります……、女性の本音とはいえ、男性が書いているわけではありますが(太宰治 さんについてのイメージを覆させられる方もあるいはいるかも――そんなところも見どころです)。未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
葉桜の頃になれば、私はきっと思い出す――と、老婦人は物語る。
中学校の校長先生だった私の父は頑固一徹の学者気質。妹は、私に似ないで美しく、髪も長く、とてもよくできるかわいい子だったが、体が弱かった。妹は腎臓結核のために十八歳の若さでこの世を去った。私はそのとき二十歳だった。
医者には妹の余命は百日以内と宣告されていた。しかしそれから二ヶ月が過ぎて、そろそろ百日が近づいてきても、妹は何も知らず、終日寝床に寝たきりではあっても、歌をうたったり、冗談を言ったり、私に甘えてきたり……、割と元気な様子だった。ただ、これがもう三、四十日経つと――私の胸はいっぱいになった。
そんな五月の半ば頃、葉桜の季節――妹を思い、不安に胸が張り裂けそうな私が野道を歩いていると、突然、春の土の底から響く、恐ろしい太鼓のような音が聞こえてきて……。私の感情は破裂して、大声を上げて泣いてしまった。のちにその音は、日本海大海戦の軍艦砲の音だったと知る。
ようやく落ち着いてから帰ってみると、「ねえさん」と、妹が私を呼んでいる。この頃の妹は、やせ衰えて、もう永くはないことを悟った様子で、甘えてくることも少なくなり、私にはそのことがいっそうつらかった。傍に寄った私に、「ねえさん、この手紙、いつ来たの?」と尋ねる妹。私は胸を突かれ、顔の血の気がなくなっていくのをはっきりと自覚する。
知らない人からのおかしな手紙だから読んでみて、と促す妹の白々しさに、私は歯噛みする思いがした。知らないことがあるものか。私はその手紙の差出人がM・Tという男であることを知っていた。M・Tは、妹が父と私に隠れて、こっそりと文通している相手だった。私は五、六日ほど前に、たまたま妹のタンスを整理していて、一束の手紙を見つけてしまったのだ。手紙には、心ばかりではない、妹と男の恋愛模様が綴られていた。
三十通あまりの手紙の、最後の一通を読み終えて、私は手紙をすべて焼いた。貧しい歌人と思われるM・Tは、妹が病気であることを知ると、妹を捨てて、もうお互い忘れましょう、などと残酷なことを平気で書いていた。それっきり、一通の手紙もよこさなくなった。私はこのことを黙っていようと決心した。私さえ一生人に語らなければ、妹はきれいな少女のままで……。
――妹に促されるまま読んだ手紙には、残酷な別れを告げたことへの謝罪とその真意、本当は妹を誰よりも愛していること、明日の晩の六時、庭の塀の外から、軍艦マーチの口笛を吹くという約束、自作の愛の詩……、などが綴られていた。
ふと。「姉さん、あたし知っているのよ」と、澄んだ声で呟く妹。「ありがとう、姉さん、これ、姉さんが書いたのね」私は恥ずかしさのあまり、自分を千々に引き裂きたい衝動に駆られた。恥ずかしい愛の言葉、下手な詩、明日の晩の六時には自分が口笛を吹くつもりでいた。妹の苦しみを見るに見かねての行いだった。そんな私に妹はさらに続ける。「姉さん、心配なさらなくても、いいのよ」
「姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう? あれは、ウソ。あたし、あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて、あたしに宛てて投函していたの。姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になってから、それが、はっきりわかって来たの。ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い。あさましい。ばかだ。あたしは、ほんとうに男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。お悧巧すぎた。……」
思わず妹を抱きしめた私の耳に、聞こえてくる軍艦マーチの口笛……、妹も耳をすませて聞いている。時計を見ると六時。私たちは強く強く抱き合ったまま、葉桜の奥から聞こえてくる不思議な口笛に耳をすましていた。
神さまは、在る。きっと、いる。
それから三日目に妹はこの世を去った。年を取ったいまにして思えば、あの口笛は父の仕業だったのかもしれない、と考えるも、すでに他界している父に確かめるすべはなく――
私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年とって来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。
狐人的読書感想
はてさて、いかがでしたでしょうか。
――てか、この長いあらすじを読むくらいだったら、本編を読むのもそんなに変わらないよ! と、自分で書いておきながら自分でツッコミたい衝動に駆られてしまったわけなのですが。
ま、まあ三分の一くらいにはなってるし、全文読む時間がない人にとっては……(そんな人はそもそも長いあらすじを読む時間さえ……)。
どう言い繕っても言い逃れできそうにありませんが、うまくまとめられずとも、あらすじを書くと読書感想がまとめやすい(はたしてそちらもうまくまとまるかどうか、ですが……)、という自己都合、ということで、ご容赦いただけましたら幸いです。
ではでは順番に、『葉桜と魔笛』を読んでの読書感想を、いくつか書いていきたいと思います。最後までお付き合いいただけましたら、重ねまして幸いです。
新緑の葉桜と儚い命のコントラスト! 魔笛の謎!
まず読みやすく、綺麗な文体だと思いました。僕のまとまりのないあらすじとは異なり、これ以上ないと思わされてしまうほど、完成されたストーリーは、さすが文豪、太宰治 さん! と唸らされてしまいます(これが言いたいがための長いあらすじだった! というあとづけ)。
文豪の小説というと、小難しくて、文体も古く、読みにくそうなイメージが(僕には)ありましたが、最近いろいろな文豪作品を読んでいるうちに、その固定観念は払拭されつつあるようです。文豪作品を読むきっかけとなった『文豪ストレイドッグス』に感謝(『文豪ストレイドッグス』と言いたかっただけ?)。
タイトル『葉桜と魔笛』も秀逸ですよね。儚く散る、といったイメージからは、満開の桜のほうが向いているようにも思いましたが、新緑の、生命力を感じさせる葉桜と、余命短い妹のコントラストも、また美しいです。なんとなく、こちらのほうがこの物語には合っているように思わされてしまいました。
(桜の美しい小説はこちら。下は「さくら違い」かもしれませんが)
『葉桜と魔笛』の「魔笛」の部分もいいですよね。ラストシーンの不思議な口笛を「魔笛」と表現しているのだと解釈できますが、これははたして神さまのお恵みだったのか、はたまた父の真心だったのか……、考えさせられてしまいます。
たしかに私のいうように、隣の部屋で話を聞いた厳格な父親が、娘たちのため一世一代の大芝居を打ったのだと想像すれば――哀しくも、こんなに美しい話はないように感じます。
そしてやはりこれ以上のストーリー展開はないように思わされてしまいます。私の主観で語られている小説なので、この口笛自体が私の想像で、実際はそんなものはなかったのだというふうにも、想像の翼を広げてみましたが、とても太宰治 さんの作り上げた『葉桜と魔笛』には及びそうもありませんね。さすが文豪、太宰治 さん!
手紙偽造偽造疑惑! 明かされた謎をややこしく!
私の姉としての思いやりに溢れる「手紙(ラブレター)の偽造行為」(こう言ってしまうと台無しかもしれませんが)、そしてこれが妹にバレていたと知ったときの恥ずかしさといったら――これは多くの人が共感できる部分ではないでしょうか。
青春の青臭さ(葉桜だけに)というか、若気の至りというか、思春期的な恥ずかしさみたいな(まあ姉は当時二十歳なわけでさすがに思春期はないでしょうか?)。彼氏彼女に送ったメールを、あとで読み返してみると恥ずかしいこといってた、みたいな感じでしょうか。しかもそれを肉親に読まれてしまう恥ずかしさといったら――察するにあまりあるところがあります。
そして、この姉の「手紙偽造」(だからこの言い方……)の展開を覆す、今度は妹の「手紙偽造」(自作自演)の告白!
――前項に引き続き、想像の翼をさらに広げてみて、じつはこの告白は、姉の心遣いを慮っての、妹の嘘だったのでは……、と考えてみました。
妹の恋は想像ではなく真実だった、しかしそうなると、それを知った姉は、妹が病気以外でも苦痛を抱えてこの世を去っていくのだと、どうしてもっと早くにそのことに気づいてやれず、未然に防いでやれなかったのかと、後悔を抱えてこの先の人生を生きていくことになってしまいます。姉には自分の分まで幸せになってほしい、と考えた妹は、文通は自作自演と嘘をつくも、話しているうちに感情が昂ってしまい……、というのはいかがでしょうか?
いかがでしょうか? といいつつ、やはり、『葉桜と魔笛』のストーリーラインには遠く及ばないように思います(せっかく明かされた謎をただただややこしくしただけにも)。さすが文豪、太宰治 さん!(今回これ何回いうつもりなのか……)
ところで、本を読んでいると、途中で違った筋を思いついて、そのままストーリーが続いていく――といった体験があるでしょうか? もしもここでこうなったら……、ifの話とでもいえばいいでしょうか? まあ当然のことながら、本筋には到底及ばないことが多いのですが、結構いい話になることもあって、こうしたおもしろさも、一つ読書の楽しみ方だと思う今日この頃という余談でした。
草食系は積極的(ほどほど)にガンガンいこうぜ!
さて最後になりましたが、この作品で一番考えさせられるところは、やはり病で弱っていく妹が、女性としての(あるいは人間としての)本音とも思える、あらすじでも引用した、心情を吐露した言葉ではないでしょうか。
「姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になってから、それが、はっきりわかって来たの。ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い。あさましい。ばかだ。あたしは、ほんとうに男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。お悧巧すぎた。……」
ガンガンいこうぜ――とまではいえないにしても(いえないよね?)、『葉桜と魔笛』の舞台となっている時代(日本海大海戦からおそらく明治時代)からすれば、現代の貞操観念は低下していると、捉えることができるかもしれませんが、それが嘆かれているだろうか、と改めて考えてみると、そんなこともあるような、ないような……、まあ、もっと昔には貞操観念などないも同然だった(これはさすがにいいすぎか?)といった話も聞いたことがあるので、一度定着してしまえばそれが常識となってしまうわけで、要するに何がいいたいのか、と問われてみれば、「草食系」だ「絶食系」だ、と取り沙汰される昨今、太宰治 さんは「肉食系」だったんだなあ……、という話です。
じつは、ちょっと厳しめの貞操観念が定着したのは、戦後まもなくなのだとか。敗戦によって急速に、西洋の価値観が日本に広がっていった時代のことで、裏を返せば、その時代の貞操観念が厳しすぎた、ともいえるのではないでしょうか?
(まだ、さほど太宰治 さんの小説を読んでいるわけではないのですが、以下の随筆からも、太宰治 さんの「肉食系」ぶりが感じられるように思うのは、はたして僕だけ?)
(ちょっと違うかもしれませんが、奔放な女性を肯定しているとも捉えられる文豪作品に、以下のものもあります)
少子化が、こちらは間違いなく嘆かれている現在、妹の主張するところとは、論点がずれているかもしれませんが、恋愛に対する態度について、いろいろと考えさせられる言葉だと、興味深く思いました。
読書感想まとめ
太宰治 さんの『葉桜と魔笛』は、長いあらすじを読まされても損のない(?)完成された物語。小説を想像する楽しさを感じられるとともに、どうしても本物のストーリーを超えられない、文豪の凄さを思わされる作品でした。魔笛の正体は、はたして父の口笛だったのか? 妹の「手紙偽造」は、はたして本当なのか嘘なのか? 想像の翼を広げてみて、楽しんでいただければ幸いです。妹の最後の言葉。草食系、絶食系。恋愛に奥手なあなたは、積極的(ほどほど)にガンガンいこうぜ!
狐人的読書メモ
完成されたストーリーだけに、これをアレンジしたり、オマージュしたりは難しそう……、だからこそチャレンジすべき?
・『葉桜と魔笛/太宰治』
1939年(昭和14年)発表。妻の美知子さんの語るところによれば、そのお母さんから聞いたお話が、本作品のモチーフとなっているよう。とにかく完成度の高い作品だと思った。
以上、『葉桜と魔笛/太宰治』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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