梟雄/坂口安吾=斎藤道三、人生は金だ、正義は力だ、驚きの商法や兵法。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

梟雄-坂口安吾-イメージ

今回は『梟雄きょうゆう/坂口安吾』です。

文字数15000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約53分。

梟雄と呼ばれる戦国武将、斎藤道三の一代記。
コンパクト版。

歴史好きのみならず歴史小説の入門書としておすすめ。

人生は金だ。驚きの商法や兵法。正義とは力。
自己啓発書としてもどうぞ。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

北面の武士の子、峯丸みねまるは美しく、非凡の才知を備えていた。しかし家は貧しく、十一のとき仏門へ入れられた。法蓮房となった峯丸は、たちまちのうちに頭角を現したが、その類まれなる才気は周囲の僧の嫉妬を買った。家の貧しさを理由に、人品の格が足りないと排斥された。やがて法蓮房はバカバカしくなって僧をやめた。

乱世であった。力の時代だった。時運に恵まれれば一国一城のあるじも夢ではなかった。力とはすなわち金のことだ。法蓮房は松波庄五郎と名乗って、油の行商人になった。庄五郎は油を壺に移す際、一文銭の穴を通して一滴もこぼさない、というパフォーマンスをやってみせた。これがウケた。多額の金銀をたくわえた。

それだけではなかった。庄五郎は行商で諸国を渡り歩きつつ、そこの風俗、国情、政情などに耳をすませていた。そして兵法、兵器、軍備の調査と研究を怠らなかった。そうして独自の兵法をあみだした。

それは単純な原理のもので、相手よりも有利な武器を能率的に使うことであった。敵よりも長い槍を用いれば最初の正面衝突に有利である。その後の接近戦では不利になるが、そのときには槍を捨てて刀を抜いて戦えばよい。この原理は鉄砲にも応用されて、後日織田信長が改良を加え、三段撃ちとして有名となった。

こうして準備が整うと、庄五郎は美濃の国の家老に取り入り、政敵側有利と見るや寝返っては家老の家を乗っ取った。この時点で庄五郎は長井新九郎となる。そして、そのことをもって自分を信じ切っている政敵をも排除した。ついには斎藤家とその血をもらい、主家である土岐家を亡ぼす。彼は美濃一国のあるじ、斎藤道三となったのだ。

牛裂き、釜ゆで――道三は罪人を残忍な方法で処分した。道三の戦法は狡猾で、どんな戦でも最後には必ず大勝利を収めた。底知れぬ恐怖と強さ、誰も彼を滅ぼすことはできないと思われた。しかし道三の亡びは、彼が奪った血によってもたらされることになる。

長男の義龍よしたつは土岐の血統だった。追放した土岐頼芸の愛妾を奪ったとき、彼女はすでに頼芸のタネを宿していたのだ。道三は義龍を冷たくあしらい、次男と三男、そしてその妹の濃姫のひめを溺愛した。織田信長に愛娘の濃姫を嫁がせ、そのヒキデモノとして織田家の妾腹の娘を義龍に嫁入りさせたことにも、道三の義龍に対する冷酷な態度が表れている。

道三はうつけ者と噂される信長を侮っていた。しかし最初の会見のとき、信長の兵の装備や信長自身の様子を見てその認識を改めた。以来道三と信長は魂から結び合っていたといえる。

道三はいずれ義龍に害されることになるやもしれぬと予感していた。しかし何らかの心理的な作用によって、これに明確な対策を打つことをしなかった。

道三は長良川の戦いで義龍に討たれた。苦心のすえに援軍に駆けつけた信長の兵数は、敵方に比してあまりに少なかった。が、道三はそんなもの、はなからあてにしてはいなかった。バカヤローのやることはバカヤローらしく快いと苦笑した。

道三は戦に負けたわけではない。ただこの世を去ったのだ。

狐人的読書感想

バンダイ 戦国絢爛チョコ 覇王光臨編 004 斎藤道三

梟雄きょうゆう』とは、「残忍な英雄」を指して使われることの多い言葉です。『梟(フクロウ)』は昔の中国では雛が親を食べて育つ、と信じられていたので不吉の象徴とされています(いきなりの余談ですが、『東京喰種』の『梟』を彷彿とさせるところですね、……ひょっとしたらモチーフなのか?)。

斎藤道三といえば『美濃のマムシ』と呼ばれて有名な戦国武将ですが、その経歴から今回のように、『梟雄』として歴史小説などで描かれることが多い武将ですね(ちなみにマムシは母蛇の腹を食いやぶって生まれてくるといわれていて、『梟』に通じるゆえんがありますが、これもただの迷信で、実際には胎内で卵を孵化させて総排泄口から直接子供を産み落とす、という繁殖生態なのだそうです)。

とはいえ、坂口安吾さんの『梟雄』が斎藤道三のお話だったとはつゆ知らず、何の前知識もなく読んでみたので、これが斎藤道三のお話であることに、その名前が出てくるまで気づけませんでした(汗)

一文銭の穴を通す油売りの件や、独自の兵法をあみだしたあたりで、どこかで聞いたことのある話だとは思っていたのですが、それはたぶん司馬遼太郎さんの『国盗り物語』で、どちらも斎藤道三の一代記、立身出世ストーリーといってよいのではないでしょうか。

坂口安吾さんの『梟雄』は、非常に簡潔にまとまっていて、語り口も平易で読みやすくおもしろいので、歴史好きのみならず、歴史にあまり興味がないんだけどなあ、という方にもおすすめできます。

戦国武将といえば大河ドラマや映画で定期的にヒット作が生まれている安定のジャンルという印象があります。アニメやゲームにおいても男性向け女性向けに、萌えキャラ化されたキャラクターたちの活躍する作品が、一時期流行っていたような気がします(いまはより近代の文豪や古今東西の偉人たちの萌えキャラにシフトしている感がありますが、『文スト』、『FGO』など)。

近年の研究では、『梟雄』や『国盗り物語』で描かれていることは、じつは史実と違う部分があって、とくに道三の生い立ち、『梟雄』でいうところの寺入りや油の行商の話しは存在せず、なされた下剋上は父と二代で行われたものだというのが有力説なのだとか。

しかしながら、言うまでもないことかもしれませんが、創作物において史実か否かというところは、研究者の方でもないかぎりあまり重要ではない、という思いがします。

要はおもしろいかどうか、ドラマチックな展開があるかどうか、という点がエンターテインメントとしての歴史作品には重要なことであって、その点、法蓮房時代のエピソードや油の行商時代のエピソードはとてもおもしろく感じられます。

あるいは偉人の一代記というものには自己啓発書的な向きもあって、考えさせられるところがあります。

たとえば法蓮房はすべての点においてほかのどんな僧よりも優れていましたが、それが周囲の妬みを買ってしまい、貧しい生まれの者と卑しまれ、名僧の器であったにもかかわらず、僧として大成することはありませんでした。

法蓮房は美男子で、犀利白皙、カミソリのようであるが、儀式の席では一ツ品格が落ちる――下司でこざかしい周りの評価を気にして、そのため自分を下司でこざかしいほうへと押しやるような気分になってしまい、結局バカバカしくなって僧であることをやめてしまいますが、これは実感としてとても理解しやすいことのように思いました。

自分の本質が評価されるのではなくて、周りの言うことや評価が自分の本質をつくるのではないか、というあべこべ感については、どうしても考えてしまいます。周りの言うことなんか気にせずに、自分というものをしっかり持って、困難に打ち勝っていくというのがなんとなく成長もののマンガなどのセオリーだという気がしますが、その意味ではこの部分においては法蓮房の弱さが露呈している形に見受けられますが、しかしやはり現実に実現するのはなかなか難しいことのように思ってしまいます。

またこのことは、能力ある者が集団に溶け込みうまく生活していくことのむずかしさをも示しているように感じました。もちろん法蓮房にもひとを見下すような傲慢なところがあったのかもしれませんが、それにしてもこのような集団生活の困難さ、集団での生きにくさ、みたいなものを感じたことのあるひとはけっこう多いのではないでしょうか?

もしも法蓮房の家柄がよければ、こんなことにはならなかったのかなあ、と思えば、ひとの貧富に対する厳しい偏見にも思わされるところがあります。『人生万事、ともかく金だ』と法蓮房が考えるようになったのも無理からぬことですよね。

貧乏人はいつまでも貧乏人のままなのか、と思いきや、やはり才能のあるものはどこかの世界でのし上がることができて、法蓮房ものちに斎藤道三という一国を支配する戦国武将にまでのし上がるのかと思えば、この展開はいかにもドラマチックだし、僧として大成しなかったのは運命的なことのようにも感じて、そこに物語としてのおもしろみがあります。

松波庄五郎と名乗って油の行商人となり、一文銭の穴に油を通して壺に移し売る、というのはよく考えたなあ、ですよね。それができるようになるまでの特訓もさることながら、珍しいパフォーマンスで耳目を集め、それにより商品を売ろうという発想は、現在の実演販売やテレビショッピングにも通じるような商売手法のように思いました。

実演販売やテレビショッピングの場合には、商品自体の性能が大きく寄与している場合も多いので、僕は庄五郎のほうによりすごさを感じてしまいます。こういう発想は、いわれてみればそうか、というふうになるのですが、それを思いつくのは本当に難しいことです。

同じことは彼の編み出した兵法にもいえますよね。相手よりも長い槍を使えば最初の突撃が有利になる、その後の近接戦闘で長い獲物は不利ですが、なんのことはない、刀に持ち返ればいいだけの話、鉄砲も昔の火縄銃は一発撃ったら次弾を撃つのに時間がかかるので、当初はさほどの脅威とは思われていませんでしたが、これも三段に構えて順々に撃てば、連続射撃が可能となります。

教えられればたしかにそのとおりなのですが、これに気づくのがなかなかむずかしい、というのが発明や発見の肝要なところですよね。

それは兵法の一番当り前の第一条にすぎないけれども、とかく発見や発明に対する本当の努力は忘れられているものだ。そして常人の努力は旧来のものを巧みにこなすことにだけ向けられている。それは新しい発見や発明が起るまではそれで間に合うにすぎないものだ。

――この部分はいかにも格言的で、とくに発明をする人間でなくとも感じるところが多く思い、印象に残りました。

正義とは力なのだ。

――これが現実でしょう。漫画やアニメの勧善懲悪は理想であって、悲しいことでしょうが現実にはありえないことのようにも思ってしまいます。だからこそ、正義が必ず勝つ、悪は滅びる漫画やアニメに憧れを抱いてしまうのですが、その正義や悪だって誰が決めたものなのか、広義には人間の決めた概念に過ぎず、多数派が正義、少数派が悪、強いものが正義、弱い者が悪、とかいってしまえば、本当の善悪などは存在しないというのが真理という気がします。

本格的に下剋上を起こす件や道三となってからの歩みについても語りたいことはまだまだあるのですが、今回は長くなってきたのでこのへんにしておきたいと思います。

やはり織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などのメジャーどころに比すればマイナーということになってしまうのかもしれませんが、斎藤道三はさまざまな作品に取り上げられていて、それらは大変におもしろいので、あまり詳しくなくて、興味を持たれた方には入門書としてこの作品を、ぜひ読んでいただきたいです。

読書感想まとめ

戦国大戦 他009 SR斎藤道三

斎藤道三の一代記、コンパクト版。平易な文章が読みやすく、語り口がおもしろいので、あまり詳しくない方には入門書として、万人におすすめできる短編小説です。

狐人的読書メモ

鯨統一郎さんの『邪馬台国はどこですか』や『新・日本の七不思議』、『新・世界の七不思議』に書かれていた信長についての独自の説がおもしろかったのを思い出した(信長はじつはうつ病だった説などなど)。信長の伝説については枚挙にいとまがないので、いずれ信長を取り扱っている作品についても読書感想を書きたいと思った。

・『梟雄/坂口安吾』の概要

1953年(昭和28年)『文藝春秋』にて初出。歴史小説の入門書として万人におすすめできる斎藤道三の一代記、コンパクト版。

以上、『梟雄/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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