うた時計/新美南吉=清廉潔白のれん!人生は泥道、汚れた心洗われる童話。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

うた時計-新美南吉-イメージ

今回は『うた時計/新美南吉』です。

文字数4500字ほどの童話。
狐人的読書時間は約10分。

うた時計の美しい音楽と、田舎道の情景が心に残ります。
人は心を汚さずには生きられない。
だけど心の芯をきれいに育てておけば、
それは何かのきっかけでまた現れます。
心洗われる童話です。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

二月のある日、野中のさびしい道を、三十四、五の男と、十二、三の少年と、同じ方へ歩いていた。男が話しかけて、自然に会話がはじまった。

少年は名前をれんといった。清廉潔白せいれんけっぱくの廉。清廉潔白というのは、何も悪いことはしないので、たとえ神様の前へ出ても、巡査に捕まっても平気だという。男はにやりと笑った。

れんは人なつっこい少年だった。寒いからといって、男のオーバーのポケットに手を入れてもいい? と訊いてきた。れんがポケットに手を入れると、中から美しい音楽が流れ出して、男は少しだけ慌てた。

それはうた時計の奏でる音色だった。れんはこのうた時計のことを知っていた。それはれんのよく遊びに行く薬屋にあるものと同じだった。薬屋のおじさんはうた時計を聞くと、昔家を飛び出してしまった息子の周作しゅうさくのことを思い出すのだという。

大きな池に、黒い水鳥が二、三羽浮かんでいるのが見えた。れんはひよめの歌を歌った。男は昔この道を、町の中学校まで通ったことを思い出していた。

れんと男は分かれ道で別れた。れんはひとりになるとぴょこぴょこはねながら歩いた。男はれんを後ろから追いかけてきて話しかけた。じつはゆうべ、男は薬屋に泊めてもらったのだが、間違えて時計を持ってきてしまった、この時計を薬屋に返しておいてくれないか。

れんは時計を受け取った。ひとは清廉潔白でなければならないよ。男はまた去っていった。

再びれんが歩き出すと、今度は自転車が一台、後ろから追っかけてきた。それは薬屋のおじさんだった。昨日十何年ぶりに戻ってきて、改心してまじめに働くといっていたのに、時計を盗んでまた出て行った息子の周作を追ってきたのだ。

れんはいう。間違えて持ってきてしまったんだよ。ひとは清廉潔白でなければならないと言っていたよ。老人の手に渡されたうた時計が、また美しく歌い出した。老人の目には涙が、野の果てには白い雲が、浮かんでいた。

狐人的読書感想

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いいですね。よいんのある童話です。うた時計の美しい音色と、田舎道の情景がいつまでも心に残るような、味わい深い作品でした。

清廉潔白なものというのは、どうしてこうも眩しいのでしょうねえ(ということは、自分は清廉潔白ではないと言うことに等しいわけなのですが、汗)。

清廉潔白という四字熟語は、読んで字のごとく、清く、心が美しく、やましいところのないさまをいいます。とくに「廉」という字には「私欲がない」という意味が込められています(ちなみに四大行で、体にとどめたオーラを増幅させる技術は「練」!)。

清廉潔白であること、私欲を失くすということは、大人になっていくにつれて、なかなかむずかしくなってくることのように思えるのですが、周作が別れ際、れんに言ったように、人間は清廉潔白であらねばならない、りっぱな正直な大人になれよ、というのは本当にそのとおりだなあ、と思わされてしまいます(そして思わず「あなたもね」と呟いてしまいそうになる僕は、やはり清廉や潔白というものからはほど遠いひねくれものだと自覚してしまうのですが、汗)。

子供のころは誰もが持っていた純粋さや素直さというものは、大人になれば忘れてしまうもののように感じました。だけど周作の場合、それは心の奥底に眠っていただけで、ちゃんとそこにあったようですね。

純粋さや素直さがなぜ忘れられてしまうのかといえば、やはり人間社会というものは、それらを抱えては生きていくには、生きにくいところだからではないでしょうか?

もちろんそんなものは言い訳にすぎず、自分の心の弱さがそうさせているだけなのではないか、ということもいえるかと思います。

どちらの要因も真であって、人は素直さや純粋さというものを失っていくように思うのですが、周作の場合はやはり後者の心の弱さ、甘えが主要因のように見受けられましたが、れんとの出会いによって、それを思い出すことができました。

若い頃に家を飛び出し、十何年ぶりに帰ってきて今度こそまじめに働くと言った矢先、家のものを持ち出してまた去ろうとするとは、とんでもないドラ息子だなあ、と思ってしまいますが、れんとの出会いをきっかけにして、清廉潔白な人間になってほしいなあ、と願わずにはいられませんでした。今度はいつになるかわかりませんが、周作がまたつぎに帰ってくるときには、お父さんである老人の涙をうれし涙に変えてあげてほしいところです。

そしてこれは、いつか自分自身に対してのメッセージにもなりえるかもしれない、とも感じています。

自分は決して道を間違えない、と言い切れる人間はいないのではないでしょうか?

いわずもがな僕だってそうです。

れんにはその名の由来のとおり、清廉潔白なまま大人になってほしいと願いますが、前述のとおり、それはとても難しいことだと思います。

人にだまされたり、心ない一言に傷つけられたり、勉強や仕事がうまくいかなかったり、夢を諦めたり見失ってしまったり……、生きていく途上で経験するさまざまなことがらが、僕らの心を汚していく――僕らは僕らの心を汚す。

人生は泥道で、僕らは泥道を走ってる。

汚れずに生きていくことなんかできないのかもしれません。

汚れて汚れて汚れて汚れて、だけど汚れた心を洗われる何かが、清廉潔白な何かがこの世界にはたしかにあって、それに触れることできれいな心を取り戻せることができるのだとしたら、そのことを覚えておきたいと思いました。

そしてそのためには、心の奥にきれいな芯の部分を残しておかなければなりません。それを子供時代にしっかりと育んでおかなければいけません。そのこともまた忘れていてはいけないように思いました。

それを忘れそうになっているとき、ふとこの『うた時計』をまた読めたらいいなあと、そんなふうに思わせてくれる童話作品でした。

読書感想まとめ

うた時計-新美南吉-読書感想まとめ-イメージ

人がずっと清廉潔白であり続けることは難しい。人生とは泥道で、人は心を汚さずには生きていけないものだから。だけどこの世界には清廉潔白なものがある。それに触れることで心洗われ、芯のきれいな部分をまた見ることができるかもしれない。そのためにきれいな心を育んでおきたいと思う。

狐人的読書メモ

ところで、清廉潔白の「廉」のような、人の名前の由来というものに興味を覚えた。親に訊いてみれば、そこには意外なエピソードがあっておもしろいかもしれない。だけど意外なエピソードがなかったら、あるいはがっかりするかもしれない。そう思ってみれば、訊いてみたいような訊いてみたくないような気がする。

・『うた時計/新美南吉』の概要

1942年(昭和17年)、『少国民の友』(小学館)にて初出。のち新美南吉唯一の生前童話集『おぢいさんのランプ』(有光社、1942年―昭和17年-)に収録。心洗われる短編童話。

以上、『うた時計/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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