嘘/新美南吉=嘘はよくないけれど人は嘘をつく、愛がほしいから嘘をつく。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

嘘-新美南吉-イメージ

今回は『嘘/新美南吉』です。

文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約39分。

久助シリーズ。
おたふくかぜで学校を休んでいる間に転校生がやってきた。
だけどその転校生は嘘つきで、
久助たちは騙されて冒険に出るが……。

少年の成長。
人は愛がほしいから嘘をつく。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

久助きゅうすけ君がおたふくかぜで学校を休んでいる間に転校生がやってきた。年寄りみたいな名前の太郎左衛門たろうざえもんは都会風の少年で久助君も興味津々。だんだんみんなと仲良くなっていく太郎左衛門、しかし転校生がちやほやされるのは初めのうちばかり、徐々にみんなの関心は薄らいでいく。

そんなとき、太郎左衛門が「嘘をつく」という噂が立ち始めた。久助君にはなぜ太郎左衛門が平気で嘘をつくのかわからない。まるで二人の人間が太郎左衛門の中に入っているようだ。

五月下旬のよく晴れた日曜日の午後。徳一君、加市君、兵太郎君、久助君――いつもの四人が退屈で困っていると、太郎左衛門がひょっこり現れて、新舞子しんまいこで大きなくじらの見世物があると教える。みんなは何か起こらないかと期待していたので、太郎左衛門の言葉でもすぐ信じてしまった。

知多半島のあちら側の海岸までは十二、三キロ。しかしみんなの体には力がみなぎっている。つばめのように飛んでいって、つばめのように帰れると思った。日がだいぶ西に傾いて、ようやく新舞子の海岸に着くと、そこにくじらはいなかった。またしても太郎左衛門の嘘だった。みんなくたくたで、もう一歩も動けない。

これからどうやって帰ればよいのか。途方に暮れて泣き出す四人の傍で、太郎左衛門だけが泣き出さないでいる。久助君は太郎左衛門も一緒に泣けばいいのにと思うも、泣かない者の傍で泣いているのはなんだか具合が悪い。

日が沈み、みんなが泣き止んだ頃、太郎左衛門が「ぼくの親戚の家にいって、電車で送ってもらおう」と提案する。みんなはもはや太郎左衛門を信じることができなくなっていたが、他にどうすることもできない。が、親戚の家は本当にあった。みんな電車に乗って無事家に帰ることができた。

その晩、久助君は寝床に入って考える。太郎左衛門も土壇場では嘘を言わなかった――

人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっているわけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれも同じ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところでは、みんなよくわかりあうのだということが、久助君にはわかったのである。すると久助君は、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音を聞きながら、すっとねむってしまった。

狐人的読書感想

嘘-新美南吉-狐人的読書感想-イメージ

おもしろくなかった。

嘘です!

おもしろかったです!

前回の『川』に引き続き「久助シリーズ」です。

新美南吉さんの「久助シリーズ」は少年小説。

少年の繊細な心理描写が秀逸に感じられる作品群だと、僕は捉えているのですが、『嘘』もその例外とはなりませんでした。秀作です。

久助君がおたふくかぜで学校を休んでいる間に転校生がやってきて、見知ったはずの教室や友達や先生が知らないもののように感じられたり。大声を上げて泣いていて、心はかき乱されているはずなのに、一緒に泣かない太郎左衛門に対して妙に冷静な疑問を抱いていたり。

こうしたところは、とてもリアルな描写のように感じました。

大人になってからも、このような少年時代の瑞々しい感情を描けるというのは、なんとなくとても凄いことのように思いました。

少年時代にそのモチーフとなるような出来事があったとしても、大人になれば忘れてしまうような気がするのですが、意外なものごとが印象に残って忘れられないということもあるような気もしますし、どうなのでしょうねえ……。

それから、これは『嘘』だけに対する固有の感想ではなくて、最近の読書で普遍的に感じたことなのですが、あるワードが人に喚起させるイメージ、それを意識しての言葉選びの重要性、みたいなものを思いました。

具体的にいえば。

「ランプ」はほんのり温かでぼんやりノスタルジーを感じさせるワードであり、「つばめ」は素早さや元気な様子(燕返し!)を連想させるワードといった感じなのですが――いまさら気づいたのかとか言われてしまいそうですね。

話を『嘘』に戻します。

太郎左衛門がどうして嘘をつくのか、久助君も「何を考えているのかわけがわからない」といっていますし、その理由についてはとくに語られていないのですが、子供は疎外感を感じたとき、よく嘘をつくようになると聞きます。

太郎左衛門は転校してきたばかりで、始めはみんなの関心を集めますが、次第に「つきあってもいっこうおもしろくない、つまらないやつだ」と思われるようになります。みんなの気を引きたいがためにあらぬことを言ってしまう子供の心理というものはわかるような気がしました。

とはいえ幼少時の嘘には誤認、空想、錯誤といったものもあるので、一概に嘘とはいえないこともあるようなのですが。ナルト(幼少期)やオオカミ少年の例のごとく、親から受ける愛情が不足している場合にも、承認欲求の充足のために子供は嘘をつくとも聞きますから、これは子育てをしている共働きのお父さんお母さんにとっては、子供からのサインとして受け止めることもできそうです。

人間は0歳で嘘泣きを覚え、1歳で物を隠し、5歳で人をおだてて操る術を身に着けるといいます。

嘘はいけないことですが、人は嘘をつく生き物です。

とある研究によれば、人は1日に10回から200回の嘘をつき、またつかれているというデータがあります。また、初対面同士の最初の10分間は嘘が3倍になるともいいます。

嘘には害のあるものと害のないものがあります。

お世辞だったり、言いにくいことを隠して伝えたり――人間関係を円滑に進めるには、ときにこうした嘘が必要とされる場合もあります。

大人同士であれば分別が働いて、嘘をつかれたと気づいても、とくに有害でない他愛のないものであればそのままスルーできるでしょうが、子供同士ではなかなかそれが難しく、最悪いじめのきっかけになってしまったりもするでしょう。

太郎左衛門の場合もこれに近いケースだと僕は感じました。

それだけにあらすじで引用した締めの文、久助君が今回のことで得た教訓と成長には、ちょっと感動させられてしまいました。子供のときになかなかこんなふうには考えられないように思いますが、ひょっとして僕だけ?

田舎の自然の中で育った、純朴で素直な少年だからこそ、このように感じて成長できたのではないかと感じ、久助君がさらに好きになりました。

久助君にはこれからも太郎左衛門と仲良くしてほしいところ。

「久助シリーズ」

読んだのはこれでまだ二作目なのですが、今後とも追いかけていきたいと思います。

ちなみに唐突なる余談ですが、男性が女性に嘘をつく理由には以下の3つがあるそうです。

  1. めんどくさい
  2. 彼女を傷つけたくない
  3. 自分をよく見せたい

女性からすれば「どうしてそんなしょーもない嘘を……」ということも多いそうですが、それもあるいは愛情表現のひとつ、深く追及したりせず寛容に受け止めてあげるのが「イイ女」なのだとか。

嘘か真か、読んでくださった方の判断にお任せします。
(てか、これなんの話よ……)

読書感想まとめ

嘘はよくないけれど人は嘘をつく。

狐人的読書メモ

せめてよくない嘘はつかないようにしたい。

・『嘘/新美南吉』の概要

久助シリーズ。1941年(昭和16年)『新児童文化』にて初出。第一童話集『おぢいさんのランプ』(有光社、1942年―昭和17年―]収録。ちなみに『おぢいさんのランプ』は新美南吉唯一の生前発表童話集である。

以上、『嘘/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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