鳥右ヱ門諸国をめぐる/新美南吉=正しく仕事して生きることの難しさ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

鳥右ヱ門諸国をめぐる-新美南吉-イメージ

今回は『鳥右ヱ門諸国をめぐる/新美南吉』です。

文字数17000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約45分。

新美南吉童話の中では異質。
自分が好きになれる仕事は、自分が好きになれない仕事より、
人のためになるのだろうか?
仕事に貴賤はないのだと、単純に考えていましたが……

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

鳥山鳥右ヱ門はしもべの平次があまり好きではなかった。大好きな犬追物いぬおうもの(犬を弓で射る騎射訓練)をするとき、平次の目が鋭くとがめるように、鳥右ヱ門の心を刺すからだ。鳥右ヱ門はその視線に耐えかねて、平次の右目を射つぶしてしまう。平次は治療を受けると館を出ていった。

七年後、鳥右ヱ門は渡し船に乗り、飛んでいる二羽の白さぎを一矢で仕留める。同船していた人々はその腕前をほめたたえるが、船頭だけが鳥右ヱ門を非難する。

人のためになることをしてこそえらいといわれるもんさ。

怒った鳥右ヱ門は、船が岸に着くと、堤の上から船頭に呼びかけた。振り向いた船頭には右目がなかった。平次だった。鳥右ヱ門は平次の左目に矢を射った。

館へ帰る道中、鳥右ヱ門は平次の目と言葉が気になって仕方なかった。これまでの自分を振り返り、わがままいっぱいにふるまい、人に迷惑ばかりかけてきたことを恥ずかしく思った。鳥右ヱ門は家も妻子も捨てて、正しい生き方を探す旅に出ることにした。

鍛冶かじ屋の弟子、酒造り、櫛引くしひき――その他いろいろな仕事をしてみるも、鳥右ヱ門が納得できるものは一つもなかった。人々のためになる仕事を、鳥右ヱ門は好きになれず、また鳥右ヱ門が好きになれる仕事は、あまり人々のためにはならなかった。

髭や髪を整えるのが面倒になった鳥右ヱ門は、頭を坊主にする。街道の松の木陰にいた男に声をかけられる。男は、村に新しくできた小さな寺の坊主になってくれ、と鳥右ヱ門に頼む。鳥右ヱ門は、自分は武士であり、本物の坊主ではないのだと説明する。男はそれでもかまわないという。

こうして鳥右ヱ門は小さな寺の坊主、鳥右になった。本物の坊主でない鳥右がきて、村人たちははじめがっかりしたが、すぐに考えを改めた。鳥右は村の力仕事をよく手伝い、田畑を荒らす獣を矢で射、柿泥棒を捕まえたりと、村のため一生懸命頑張ってくれたからだ。三年目の春、鳥右は正しい生き方を見つけたのだとわかった。

村に釣鐘つりがねが一つほしいということになり、鳥右は喜捨を求めて諸国をめぐる決意を固め、村を出ていった。

八年後、鳥右はようやく鐘一つつくるだけの金を貯めて帰ってくる。村人たちはどんなに喜んでくれるだろう――村までの道中、鳥右は川名村が大洪水に襲われたという話を聞く。川名村は、鳥右が旅のはじめに立ち寄った村で、とても親切にしてくれた。

鳥右は迷う。川名村のために、八年かけて貯めてきた金を使うべきか、しかし、村では鐘を楽しみにしている人たちが待っている――迷いに迷った結果、鳥右は村へ帰り、そして釣鐘をつくった。

村人たちは釣鐘の音を聞くのをとても喜んでくれた。鳥右は満足だった。そんなとき、一人の両目がない乞食と出会う。平次だった。目がないはずの平次の目が、鳥右を冷たく見ていた。鳥右は悟った。自分はまた間違ったのだ。釣鐘をつくるよりも、川名村を救うべきだったのだ。

罪悪感に苛まれ、鳥右は狂った。見えもしない鐘に追いかけられ、聞こえもしない鐘の音につきまとわれて、再び諸国をめぐることになった。

狐人的読書感想

人は生まれながらの悪であったとしても、成長して善行を学べるのだという「性悪説」を彷彿とさせるお話でした。

本作の主人公である鳥右ヱ門は、横暴な武士というコテコテの悪い奴なのかと思いきや、自分の行いに良心の呵責を感じていて……、という、非常に人間らしいキャラクターですよね。共感を覚えてしまいます。

正しい生き方を探すため、家も妻子も捨ててしまったあたりには、「それがすでに正しい生き方じゃないのでは……?」とツッコまずにはいられませんでしたが、そこまで思いつめていたのだと思えば、やはり悪い人ではないんだよなあ、と感じてしまいます。

そんなこんなで、いろいろな仕事をして鳥右ヱ門が持った感想が、印象に残っています。

人のためになる仕事はおもしろくなくて、あまり人のためにならない仕事はおもしろい――というようなことなのですが、たしかにそのとおりかもしれないなと思いました。

人間、どうしてもおもしろい仕事、自分が好きだと思える仕事をしたいと願ってしまいますが、仕事とは本来おもしろいものではないという、当たり前のことを実感させてくれるところです。

とはいえ一方で、世の中に人のためにならない仕事はないのではなかろうか、などという気もします。

芸能関係とかスポーツ選手とかYouTuber(ユーチューバー)とか小説家とかマンガ家とかイラストレーターとかアニメーターとか――とくにクリエイティブな仕事が楽そうだったり楽しそうだったりして、注目されがちな気がしているのですが、これらは産業などに比べると、はたして人のためになっているのだろうか、などということはあまり考えたことがありませんでした。

娯楽も人の生活には必要だし、かといって生きるための根幹である産業がしっかりしていなければ娯楽は成立しないわけであるし――どうなんでしょうね?

仕事に貴賤はないのだと単純に思っていたのですが、そう思うことができたり、あるいは好きな仕事やおもしろい仕事がしたいと思えること自体、とても幸せなことなのかもしれない、と、ふと考えてしまいました。

新美南吉さんの作品は、最後にちょっとした希望を見出せるようなものが多いように思うのですが、『鳥右ヱ門諸国をめぐる』はそれらとはかなり趣が違うな、と感じました。

物語の最後で、鳥右がノイローゼみたいになってしまうシーンは、なんというか、あまり救いが感じられない終わり方のように思えてなりません。

犬追物などで多くの命を奪ってきたり、平次の両目をつぶしてしまったり――それらは許されない罪だという気がして、だから、いくら鳥右が善い行いをしたとしても、それらは決して許されないのだということなのでしょうか?

たしかに、自分の村の人々を喜ばせるため釣鐘を作るよりも、そのお金でいまを苦しんでいる川名村の人々を救うべきだったのだと僕も思いますが、しかしその選択が一概に間違っていたとは言えないようにも考えてしまいます。

親しい人たちの楽しみを優先するか、あまり縁のない人たちの苦しみを救うべきか――道義的には後者を選択すべきなのでしょうが、前者を選択したからといって、他人に非難されることではない、という気がしてしまいます。

どちらも人のためを思っている行為なのに……。

だけど、鳥右の発狂がすべてを物語っているともいえそうなんですよね。

自分が自分の行いを間違っていたと認めてしまえば、やはりそれは間違っていたことになってしまい、だから鳥右はやっぱり川名村の人々を救うべきだったということになるのでしょう。

仕事にしても、人生の重大な決断にしても、「正しく生きる」というのは本当に難しいことだと思います。

少なくとも、誰に何と言われても、自分が後悔しない生き方をしたいとは願いますが、鳥右の場合のように、それがなかなかに難しいのだということを実感させられてしまいます。

今回の読書では、正しく生きるためにどうしたらいい、こうしたらいいという考えが、うまくまとまりませんでした。それだけに、正しく生きることの難しさを、ただただ実感させられた読書でした。

読書感想まとめ

正しく生きるということの困難さ。

狐人的読書メモ

他方で、生きるということを難しく考え過ぎなのかという気もする。他の動物のように、元来生きるということはもっと単純なものであるはずなのに。トリックスター、平次。

・『鳥右ヱ門諸国をめぐる/新美南吉』の概要

1943年(昭和18年)9月『花のき村と盗人たち』にて初出。これまでに読んできた新美南吉童話に比べると、異質な感じがする作品。晩年作ということが影響しているのだろうか……。

以上、『鳥右ヱ門諸国をめぐる/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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