潔癖先生と妖精リンさん

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読書時間:およそ20分。
あらすじ:コミュ障の潔癖先生が赴任したのは小さな診療所。そこには美人で無表情な看護師の麗さんがいた。同じ職場で働く二人きりの同僚。なんとかしてコミュニケーションをとりたい。そこに妖精リンさんが現れて……

 

「潔癖先生、こんにちは!」

と、麗さんがにこやかに言った。

いや、クールビューティーを地でいくあの麗さんが、まさか「にこやか」に言うはずがない。

僕は麗さんの無表情以外の顔を見たことがない。

それに僕のことを、麗さんが「潔癖先生」などと呼ぶはずがない。

しかしいま、僕に挨拶をしてきた目の前の彼女は、たしかに麗さんの顔をしている。

二次元の美少女にデフォルメされた麗さんの顔をしている(念のために言っておくと、デフォルメされずとも麗さんは美人だ)。

そして体は一般的なフィギュアのサイズで、露出度の高いドレスを着ていて、羽が生えていて、宙に浮いている。

なるほど、その姿を、僕はよく知っている(初めて見たときにはそれは驚いたものだ)。

SNS上のとあるユーザーの、アイコンに使われているイメージ画像として、よく知っている。

すなわち、『潔癖先生(僕のSNS上でのユーザー名)、こんにちは!』と言ったのは、にこやかに言ったのは麗さんではなくて――

「妖精リンさん」だった。

「潔癖先生、こんにちは!」

と、妖精リンさんがにこやかに言ったのだ。

 

…………。

とっさの場合、人は言葉を出せないものだけれど、僕の場合、それに加えてひどいコミュ障だということがある。

「あれ? どうしたの?」

…………。

「おーい!」

…………。

「もしもーし!」

…………。

「…………」

…………。

そんな僕でも、文章であれば、比較的人と円滑にコミュニケーションをとることができる。

なので、そんな僕の人生の半分は、SNSにあると言っても過言ではない。

なので、「妖精リンさん」とは、SNS上で知り合い、とくに親しくなり、僕が日常的にやりとりをしている相手。

相手のユーザー名だ。

僕はポケットからスマホを取り出してSNSアプリを開くと妖精リンさんにメッセージを送信した。

【どうしてリンさんがここに?】

「潔癖先生、コミュ障ってホントなんだね。あ、ちなみにこのアバターは、わたしが自作した最新鋭機なんだ! マイクロドローンに超小型のホログラム投影機とカメラとマイクとスピーカーとその他諸々組み込んでるから会話もバッチリ! 機体が発するわずかな光と熱とで発電して、半永久的に稼働が可能! これは売れる!」

【それは本当ですが、驚きで言葉が出なかったというのもあります。てか、それは本当ですか? そんな小型のアバターが実現できるなんて、やっぱりリンさんは天才エンジニアですね】

「そうでしょ! そうでしょ!」

【むやみに飛び回らないでください! そのきわどいコスチュームでくるくるしないでください! その姿で下着をちらつかせないでください!】

「スマホを操作するその様子からは、あまり驚いてるようにも見えないんだけど」

【いろいろと驚いてますよ、普通に】

「どう? かわいい衣装でしょ? かわいい下着でしょ? 細部まで手を抜かないのがデザイナー・イラストレーターとしてのわたしのこだわり!」

【相変わらずの多才な天才ぶりですね】

「てか、潔癖先生って、二次元キャラのパンチラに著しく興奮しちゃう人?」

【僕は二次元でも三次元でも、その姿には普通に興奮しちゃう人です!】

って、何を言ってるんだ(書いてるんだ)、僕は。

【で、どうして】

――と、僕が改めて、リンさんがここにいる理由を尋ねようとしたとき。

「おはようございます」

と、診察室に麗さんが入ってきた。

僕は驚いてスマホから顔を上げる。

すると妖精の姿はすでになかった。

 

「先生、医療器具・医薬品のチェック、問題なしです」

僕への挨拶をすませた麗さんは、そのまま診察室内の器具・薬品類のチェックを終えると、それら一連の流れのままスムーズに診察室を出ていった。

事務的な言葉を残して。

無表情のままに。

同い年のはずなのに、いまだ敬語を使ってくる麗さんに距離を感じてしまうのは、コミュ障の僕が意識し過ぎなのだろうか? 職場で看護師が、同僚の医師に敬語を使うのは当然か。

僕はほっとため息をついた。

「あれが霊の麗さんかあ」

リンさんがパッと現れた。

【突然現れたり消えたり現れたり、霊みたいなのはあなたです。「レイのレイさん」の韻踏みだけで充分でしょう。麗さんを幽霊みたいに言わないでください。例の麗さんです】

僕はスマホを取り出してリンさんにメッセージを送信した。

「『例』を『霊』という言葉遊び、声だけでよくわかったね!」

【リンさんが言いそうなことですから。幽霊というか、消えるときも現れるときも本当の妖精みたいですね、どうなってるんですか?】

「ん? ホログラム投影機を切ったり入れたりしてるだけだよ。本体のマイクロドローンはハエほどの大きさだから、天井や地面すれすれを飛んでいればほとんど気づかれないよ」

……ハエほどの大きさだったのかマイクロドローン。リンさんの恐ろしいまでの技術力の高さを思う。

なぜこれほどの天才が世に知られていないのだろうか。

いや、世に知られた天才が、身分を隠してSNSをやっているのかもしれない。

すごい人とお知り合いになってしまったと、いまさらながら改めて実感してしまう。

「で、潔癖先生は何をしているのかな?」

もちろん、見てわかるとおり、掃除だった。

麗さんの働く姿を横目で追っていたときから、僕は診察室の壁を丁寧に拭き続けている。

「うん、わかるんだけど。片手でスマホ使いながら壁を拭くなんて器用だね」

現代、多くの職種にいえることであるが、社会の機械化が進み、人間のする仕事は昔に比べて格段に減っている。

医者もまた然り、だ。

ある程度のケガや病気は、一家に一台備え付けのメディカルシステムでほぼ対処できるし、重症の場合もやはりメディカルシステムが応急処置をして、あとは本土に送るだけ。

だから僕のようなコミュ障の医者でも、医者を訪れる患者が少ないはずの、小さなコロニーの小さな診療所ならば、人と口がきけなくても、どうにかやっていける(はず)。

それは僕がこのコロニーへの赴任を望んだ最たる理由だった。

コミュ障を抱える医者の僕にとって、そこはまさに天国のような場所だと思えた。しかし赴任してきて、初めて汚い診療所を見て、潔癖症である医者の僕にとって、ここはまさに地獄のような場所だと思った(あくまで潔癖症である僕の主観による)。

だから、このコロニーにやってきてからの一週間、僕は徹底的に診療所内の掃除をしている。

「まあ、たしかに掃除ロボットの手が行き届かないところもあるだろうけど、でも、もうずいぶんきれいになってるように見えるし、これ以上人の手で掃除をする必要があるのかな?」

リンさんが本当に不思議そうな声で僕に尋ねてくる。

それもそのはず。

いまや掃除は掃除ロボットが自動で全部やってくれる。

掃除ももはや人間がやる仕事ではなくなった。

そんな考え方が世界的に一般化している。

だから掃除ロボットでは手が行き届かず、しかしさほど目立たない汚れ、目に見えない汚れであれば、みんながその汚れを放置して生活している。

が、かつての日本には、掃除は自分の心をきれいにする行いだと信じられていた時代があって、僕はそれを育ての親である祖母に教わった。

祖母は祖母のお母さんに、祖母のお母さんはそのまたお母さんに――それは代々受け継がれてきた伝統的な教えだそうだ。

僕の祖母は、周りの人たちからは古い人だといわれ、家事系ロボットは一切使わずに、よく子供の僕に家の掃除をさせたものだった。

学校の先生や友達の親からは「子供に掃除をさせるなんてまるで拷問のようだ」などと言われることもあったけど、僕はそうは思わなかった。

祖母の言うように、人が嫌がる掃除をすることで、トイレや床や壁だけでなく、なんとなく自分の心もきれいに磨いているような気がした。

汚いところをきれいにしたとき、自分の心もきれいにしているような、そんな感覚があった。

そしてやはり、自分がきれいにした場所で過ごすのはとても気分がいい。

掃除の大変さを知るからこそ、ゴミのポイ捨てをしないように、極力場所や物を汚さないで使うように、心がけるようにもなった。

掃除は大変なばかりのことではなくて、勉強であり楽しさであった。

あるいは、この思いは錯覚であって、ただの自己満足に過ぎないのかもしれないけれど、しかし僕は、祖母の教えが子供に対する拷問や虐待だったとは決して思えず、大切なことを教えてくれたのだといまでも感謝している。

まあ、それで潔癖症になってしまったことを思えば、人に自慢できる類の話ではないのかもしれないけれど。

「うん、なんかわかるような気もするけど、それだけの長文を掃除しながらよくこの短時間でスマホに打てるなあ、ってところのほうに感心しちゃった」

やはり潔癖症のためにうまく伝わらなかったらしい(いや、これを潔癖症のせいにするのは間違いだろうか)。

ともあれ、この気持ちを伝えたい相手はほかにいる。

この気持ち、というか、僕の気持ちを本当に伝えたいのはリンさんではない。

リンさんではなくて。

【それで、どうしてリンさんがここに?】

僕は聞きそびれていた質問を改めてリンさんに送信した。

「もちろん、昨日の相談に協力してあげようと思って」

麗さんではなくて。

妖精リンさんがにこやかに言った。

 

【麗さんに伝えたいことがあるのですが】

――僕と一緒に掃除をしてくれませんか?

 

妖精リンさんはとても話しやすい人だから、僕もついつい話の流れで悩みごとなど相談してしまった。

いつも無表情の麗さんも、リンさんの半分くらい話しやすければ、と思うのだけれど。

いや、しかしまさかこんなかたちで協力してくれようとは(本当に協力しに来てくれようとは……)。

「それで潔癖先生の悩みって、麗さんに『僕と一緒に掃除をしてくれませんか?』って伝えたいだけなんでしょ? 要は、診療所で一緒に働く同僚と、もっとコミュニケーションをとりたいんでしょ? 簡単なことじゃない!」

まあ、そう言われてしまうと、おおむねそのとおりなのだけれど、しかしそんなに簡単なことだろうか?

あの麗さんに、僕の気持ちを伝えるというのは、僕にとっては一世一代の大勝負にしか思えないのだけれども。

「麗さんは潔癖先生のコミュ障のことは知ってるんでしょ? だったらメールとか手紙でもいいんじゃないかしら?」

【ですが女性は、大切なことはちゃんと口にして伝えてほしいものだと、ネットで調べて知ったのですが】

「大切なことって……、一緒に掃除しましょう、ってか、それをきっかけに今後とも仲良くやっていきましょうね、ってことでしょ? ちょっと大げさなんじゃないかな?」

【そうでしょうか?】

「そうそう。いきなりコミュ障を治すっていっても、これまで話せなかったものを急に話せるようにするのは難しいでしょうし」

【まあ、そうなのですが】

「じゃあ、麗さんのメアドは知らないんだから、手紙を書くということで」

【まあ、そうなのですが。ところで、僕が麗さんのメアドを知らないことを、どうしてリンさんが知ってるんですか?】

「……え? ……言い間違えました。麗さんのメアドは知らないんだろうから、でした」

なぜ敬語に?

「さあ、細かいことは気にしないで! 手書きだったら、むしろ気持ちも伝わりやすいんじゃないかしら? さっそく手紙を書いちゃいましょう!」

――と、そこで患者さんがやってきた。

 

一家に一台メディカルシステムのある時代、小さなコロニーの小さな診療所に、はたして患者さんなど来るのだろうか、などと思っていたのだけれど、これまでこのコロニーには医者がいなかったからだろうか、連日患者さんがやってくる。

しかも決まって子供の患者さんで、お母さんと一緒にやってくる。

「わあ、ようせいさんだあ――ケンケン」

そして決まって犬の吠えるような咳(犬吠様咳嗽けんばいようがいそう)をしている。

てか、リンさんが消えてない!

「こんにちは! 先生の助手の妖精リンだよ! 先生はお話が苦手だから、わたしが先生の言いたいことを伝えるからね!」

それはいつも看護師の麗さんにお願いしていることなのだけれど。しかしそう言ってくれるのであれば、今回だけリンさんにお願いしてもいいのだろうか?

麗さんも、患者さんが来たことに気づいていないのか(あの几帳面な麗さんが?)、なぜか診察室に現れないし。

ともかく、僕は患者さんを診ることにした。

僕は患者さんを診ることにした、とはいっても、実際に診るのは僕ではなくてメディカルシステムなのだけれども。

いまや医者が診察、すなわち視診、聴診、触診などを行うよりも、メディカルシステムによる全身スキャンのほうが、より正確なデータを得られるのだ。

メディカルシステムはそのデータをもとに、ケガや病気への適切な対処方法を示し、さらには適切な薬を調合し、分量・服用のタイミングなども指示してくれるのだから、正直外科手術でも必要ということではない限り、医者の出る幕はないと言っていい。

今日の患者さんの診断結果も、これまでの患者さんと同様に、やはりクループ症候群だった。

クループ症候群は、喉の周辺に炎症を起こす疾患の総称で、生後六か月から六歳までの乳幼児・幼児に多く、この一週間で来た患者さんは、みな同じ診断結果だった。

重症の場合、入院治療が必要だった時代もあったそうだが、もはやそれも過去の話だ。

いまや多くの病気と同じく、自宅のメディカルシステムの指示どおりに対処して、出された薬を飲ませ、安静にしていれば何も問題はないだろう。わざわざ医者に診せるほどの病気ではない。

「先生、うちの子は大丈夫なんでしょうか?」

患者さんのお母さんが心配そうに聞いてきた。

ここでいつもなら、メディカルシステムから出力された診断結果を、コミュ障の僕に代わって麗さんが伝えてくれる。

淡々と伝えてくれる。

それがあらかじめ取り決めていたいつもの手はずだった。

しかしいまは――

いま、僕の横にいるのは看護師の麗さんではなくて妖精リンさんだった。

「先生、お母さんの話をもっと詳しく聞いてみたほうがいいんじゃないかな?」

と、リンさんは言った。

話を聞く?

僕はとっさに意味が飲み込めなかった。

メディカルシステムによって診断結果はすでに出ている。

対処方法も薬も出ている。

話を聞く意味がどこにあるのだろうか、と疑問に思った。

すると、リンさんの顔が、何かを言いたそうにしているのがわかった。

そして、そんなリンさんの姿は、麗さんの姿と重なって見えた。

いまと同様のシチュエーションで、麗さんもまた、僕に何か言いたいことがあるのではなかろうか、などと思うことが僕にはある。

しょっちゅうある。

が、麗さんは無表情なので、想いが顔には出てこない。

それはすなわち、麗さんの全体的な雰囲気から僕が抱いた曖昧な印象にすぎないということだ。

つまり僕はその曖昧な印象に確信が持てず、コミュ障の僕はそれを後で麗さんに確認することもできず――そのことが、僕がどうにかして麗さんともっとコミュニケーションをとりたい、と願う理由の一つになっている。

だけどいま、リンさんが何かを言おうとしていることが、麗さんの無表情に重なったリンさんの顔にはっきりと書かれている。

そしてリンさんは言う。

「先生、患者さんの不安を拭って、心をきれいにしてあげるのも、大切なお医者さんの仕事なんじゃないかな?」

――掃除で壁や床をきれいにするのと同じように。

ハッとした。

掃除をするという行為は、心をきれいにする行為だ。

それはさっき、潔癖症の僕が偉そうに語ったことだった。

医療行為には、患者さんとその家族の話を聞いて、わかりやすい説明をして、「大丈夫です」、「安心してください」、何かわずかな一言でもいい、患者さんの不安という汚れを拭い、心をきれいに、安心させてあげることも含まれているはずだ。

それはまだいまのところ、メディカルシステムにはできないことだ。

僕は自分のコミュ障を言いわけにして、メディカルシステムを頼りすぎ、医者として、人として大事な何かを、本質的な何かを見落としていたのではなかろうか。

――いや、間違いなく見落としていた。

 

僕はスマホを取り出すと、妖精リンさんに向けてメッセージを送った。

リンさんはそのメッセージを、声にして患者さんのお母さんに伝えて、お母さんからその質問の答えを聞いては、僕はまたつぎの質問をメッセージにしてリンさんに送り――僕はリンさんに仲介してもらうかたちで、患者さんについての問診を進めていった。

それでわかったのは、子供がクループ症候群を繰り返している、という事実だった。

メディカルシステムの示すとおりに対処して、一時は治ったとしても、またしばらくすると同じ病気になってしまう。

患者さんのお母さんによれば、それはこのコロニーの多くの幼児に見られる傾向なのだというが、成長するにつれ症状が現れなくなるし、命にかかわるほどのことでもないので、日常的な風邪と同じように捉えられてきたらしい。

僕は改めてメディカルシステムの診断結果を見直してみた。

目についたのは病原菌の項目だ。

――クラドスポリウムの亜種と思われる。

それはつまりカビだ。

黒カビのことだ。

部屋のすみによく生えるあれのことだ。

クループ症候群のおもな原因はウィルスや細菌であって、カビというのはあまり聞いたことがない。

しかし病原菌とは「病気の原因となるものの総称」だ。

カビの胞子が咽頭に入り、それで炎症を起こしてクループ症候群と同等の症状を呈しているのであれば、それは間違いなく病原菌なのだ。

しかも宇宙コロニーにおける黒カビは、宇宙線の影響を受けて突然変異しているものがある。

それがすなわち、潔癖症の僕が気にしている、「目に見えない汚れ」であった。

色を持たず目に見えず、おまけにクループ症候群を引き起こすカビが絶対にないとは断言できない。

僕はスマホからリンさんにメッセージを送る。

リンさんは僕のメッセージを患者さんのお母さんに伝える。

「原因はお部屋のカビだよ! そう、目に見えないカビがいるんだって。潔癖先生が言うんだから間違いないよ! 掃除ロボットだと行き届かないところがあるみたい。定期的に自分の手で、しっかりと壁を拭いてみて!」

 

まずはこの一週間で診療所にきた患者さんたちだ。

さっきリンさんの言ったことを、カビによるクループ症候群に悩まされているであろう他の家庭にも伝えてみよう。

そして経過を見て、よい結果が得られるようなら、このことをより広く発表してみるべきかもしれない。

これに困らされている小さなコロニーが、他にないとは限らないのだから。

お母さんはなんだかすっきりしたみたいに笑って、子供の手を引いて帰っていった。

「ありがとうございました、潔癖先生」

くすくす笑いながら言われてかなり恥ずかしかったけど、その言葉は長く僕の心の中で響いていたような気がする。

【リンさん、ありがとうございました】

僕はリンさんにお礼を言った。

「何が?」

【大切なことに気づかせてくれて】

部屋の壁や床をきれいに拭き取るように、患者さんの不安を拭き取ってあげることも、医者の大事な仕事なのだ。

そしてそれは、いまのところ機械にはできないことで、人間である僕にはできる。

麗さんが、いつも何か言いたそうにしているように感じたのは、きっと僕の気のせいではなかったのだろう。

麗さんもこのことを、僕に伝えたかったのかもしれない。

麗さんは無表情で、リンさんは表情豊か、話し方もまるで違うけれど、なんとなくどこか(デフォルメされた顔だけじゃないどこか)、この二人が似ていることに僕は気づき始めていた。

「わたしの言ったことがきっかけでも、気づいたのは潔癖先生だよ。それにお礼を言われるのはまだ早いんじゃないかな?」

僕は首を傾げる。

「だってまだ、麗さんに潔癖先生の気持ちを伝えられてないじゃない!」

そうだった。

いろいろあって忘れていた。

たしか手紙を書こう、ということになったはずだ。

僕はさっそく机に向かって、手紙を書き始めた。

【僕と一生一緒に掃除をしてくれませんか?】

「うんうん、まあ、いきなり『僕と一生一緒に掃除をしてくれませんか?』なんて言われても、ふつうちょっとわからないかもしれないけれど、麗さんなら大丈夫! わたしが保証してあ、げ……、え? 一生、一緒に?」

【どこかおかしいですか?】

僕は、今度はスマホに向かって、リンさんへのメッセージを打ち込んだ。

「い、いっしょうって、一生のことだよね?」

【もちろんそうですが】

「だ、だって! 昨日は『一生』なんて、言ってなかったですよね!」

【ええ、『一生』を付けるのを漏らしてしまって、削除して書き直そうかとも考えたのですが、すでにリンさんからのいいねをいただいてしまったので、削除するのも失礼かと思いそのまま】

「そんな気は遣わなくていいんですよ! てか、ならリプで追記してくださいよ! やっぱりあなたは大切なところが抜けてます!」

【そうでしょうか?】

「そうです!」

妖精があたふたする姿は愛らしいものだけれど、しかしなぜリンさんがここまであたふたするのだろうか?

そしてなぜ麗さんみたいな敬語になったのだろうか?

いきなりの敬語に距離を感じてしまうのは、やっぱり僕がコミュ障だからだろうか?

「だって、『一生一緒に掃除をしてくれませんか?』ってことは、その、つまり、あれですよね?」

【昔、祖母に聞いた、『僕のために一生みそ汁を作ってくれ』という日本の伝統あるプロポーズの言葉を参考にしてみました】

「み、みそ汁なんて作れませんけど!」

まあ、いまは調理システムがすべてやってくれるので、みそ汁を作れなくても当然だろうけれど、しかしなぜリンさんがみそ汁を作れないことを突然僕に言うのだろう?

「や、やっぱり、プロポーズ、なんですよね……、そんな新古今和歌集に詠まれたような、古いプロポーズを参考にするあたり、やっぱりどこか抜けていると思いますけれど……」

【まだ、このコロニーに赴任して一週間なので、三か月分の給料は出ていませんが、貯金を使って婚約指輪も用意してみました】

「そっちのほうは抜かりない!?」

【ところでリンさん、この一文は決まっているのですが、あとはどうしたらいいんでしょうか? 僕がどういった経緯(一目惚れ)で麗さんを好きになったのか、どのくらい好きなのか、ということも書いておくべきなのでしょうか? そうするととても一枚では】

「…………」

【逆に余計なことは言わず、短いほうがいいんでしょうか? シンプル・イズ・ベスト。その場合、『僕と一生一緒に掃除をしてくれませんか?』に『好きです、僕と結婚してください』の一文も付け加えるべ】

――そのとき、大きな音を立てて、麗さんが診察室に入ってきた。

突然のことに僕は動揺したけど、まだしっかりと手紙を裏返しにする余裕はあった。

いつものクールビューティーな顔……、いやほんのりと頬が赤く見えるのは僕の気のせいだろうか。とはいえ、ヘッドマイクを付けているのは僕の気のせいではないだろう。

なぜヘッドマイクを?

てか、さっきはあれだけ俊敏に姿を消したリンさんの姿が、いまだ見えるのはどういうことだ?

麗さんに見られてしまったではないか。

――などと、僕がさまざまに思考を巡らせていると、麗さんがすたすたと、僕の前までやってきた。

ちょうどリンさんが、麗さんの顔の横に並ぶかたちになって――妖精を引き連れた美女という構図は、ファンタジックで心惹かれる絵だった。

無表情の麗さんが僕を見ている。

こちらは間違いなく怒ったような赤い顔のリンさんも僕を見ている。

よく似た三次元の美女と二次元の美少女と、なぜかどちらの顔も僕には等しく愛らしく映る。

そして麗さんとリンさんが、声をそろえて同時に言う。

「友達から!」

…………。

とっさの場合、人は言葉を出せないものだけれど、僕の場合、それに加えてひどいコミュ障だということがあるのだけれど、この場合、ただただ単純に驚き過ぎて、僕は言葉が出なかった。

<終>

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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