ホムンクルス的豚の話

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しょーとぼっくす 目次

 

読書時間:およそ20分。
あらすじ:「フォッグ!」と、それが世界を変える魔法の言葉でもあるかのように、豚さんは中指を立てて言いましたが、しかし世界は変わりません。そして屠畜人の小刀が豚さんの咽喉をグサッと刺したのでした。

 

 君がこの文章を読む。僕はそれをうれしく思う。君は僕を幸せにする。君は誰かを幸せにできる。誰かを幸せにできる君は生きてていいんだと実感できる。

 その誰かがこんな豚でもよろしければ。

「動物とお話ができるなんてうれしいです? 夢みたい? きっとここは動物と人間がなかよく暮らすすてきな世界なんでしょうね? はっ、寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ、クソガキが! クソ喰らえ! ****! ……あん? なんだピーって? あ? 放送禁止用語? 倫理的によくない言葉だと? そんなん知るか! 外国の人に殺されてしまいます? はっ、望むとこだってーの! こっちはもうすぐ殺されるんだっての! てか、ひらがなかカタカナにすりゃあ外人にゃわかんねーだろーが! ****! ****! ****! 畜生! エフ・ユー・シー・ケー! あ、これならいけんのか。でも語呂わりぃな。ファックス! やっぱいけんのか、しかしなぁ……あ? じゃあ、フォッグって言ったらどうかって? 意味もなく叫びたいだけなら****って言うつもりでフォッグって言えばいいんじゃないかって? ……まあべつにいいけどよ、フォッグ!」と豚さんは言いました。

 ……おいおい、なんなんだよ、その「豚さんは言いました」ってのはよぉ……童話モード? 童話的な雰囲気を醸し出す記録モードだと? フォッグ! ほんっとにクソガキだなてめぇは! これは童話じゃねーっつーの! てめぇが話せっつーから話してやってる百パーセントのリアルだってーの!

 ……ふん! まあいいけどよ。だけどこっちはそんなことに気ぃ使ってしゃべってやったりしねぇかんな! ったくよ……。

 で、何が聞きてーんだ? あ? まずは、なんでこの世界の豚はしゃべるのかって? フォッグ! そんくらい自分で調べろよ! ググれよ! なんのためのスマホだよ! ゲームアプリばっかやってんじゃねーぞ、クソガキが! あん? アプリで俺の話を記録中だって? ふん! 言い訳だきゃあ一人前かよ! だからガキは嫌いなんだよ! ちっ! ……しゃーねぇな。
 いいか、よく聞けよ。

 ある夕方のことだった。化学を習ったばかりらしい農学校の一年生が俺の前にやってきて、不思議そうな目をして豚のからだを眺めながらこう言いやがった。
「豚というのも不思議だね。水やスリッパやわらを食べて、それを上等な脂肪や肉に変える。そしてそれが金になる。豚のからだは一つの生きた触媒だ。無機体では金だし、有機体では豚なんだ。まるで錬金術じゃないか」

 ふん! まあそういうことだ。

 しかしあのときのまわりの豚どものはしゃぎようときたら、いま思い出しても胸くそ悪くなるぜ。自分たちが金と並べられて、金が何グラム当たりいくらになるかとか、自分の体重が何キロだからきっと莫大な金額になるだとかよ、それはどれだけ誇らしくて価値のあることなのかとかって感激したり悦に入ったりしてよ。
 ちっ、豚のくせに馬鹿どもが!

 あん? いまの話じゃなんでこの世界の豚さんがしゃべれるのか全然わかりません、だと? 馬鹿なのか、てめぇも! 重要な単語が出てきただろうが! ちょっとは自分で考えてみろ!

 ……何? きっと豚さんの食べたスリッパが魔法のスリッパで、それでしゃべれるようになったのでしょう? だと? ……はあ。

 死ね。てめぇがスリッパ食って、のどに詰まらせて死ね! 馬鹿者が!

 重要な単語はスリッパじゃねーよ! 錬金術だよ、錬金術! ったく、何を自信満々のツラで魔法のスリッパとか言ってくれちゃってんだよ、ったくよぉ。フォッグ!

 それで、錬金術くれーは知ってんだろーな?

 ……なんだそのポーズは? 合掌? いただきます? 豚の前でその冗談、まったく笑えねーぞ、くそったれ。パチンじゃねーよ、パチンじゃ! 何も知らねーガキだな、ったく、ちょっとは勉強しろよな、漫画ばっか読んでねーでよ……。

 錬金術。
 狭義の意味では、卑金属から貴金属を錬成しようとする試み、広義の意味では、金属に限らず万物を――人間の肉体や魂をも――対象として、それらをより完全なる存在へ練成しようとする試みを指す。

 紀元前、冶金学・哲学・医学・物理学などを包括したのちの錬金術となるべき基礎がエジプトのあたりで発生した。錬金術の卵とでもいうべきそれは、三世紀から五世紀にかけてアレクサンドリアからアラビアを経由し、ヨーロッパ各国に広まってやがて錬金術として大成し……ん?

 先生質問があります? ……なんだ? アレクサンドリアってどこにあるんですか、だと? 文脈を読めばわかんだろーが、馬鹿ガキが、エジプトだよエジプト……は? なんとなく宝石がちりばめられた街って気がする? まあ、そうかもな。ターコイズ、トルマリン、カーネリアン、ローズクォーツ、ルビー、サファイア、アメジスト、ラピスラズリ、ガーネット、タイガーアイ、キャッツアイ、ダイヤモンド、オパール、エメラルド……ありとあらゆる宝石が街の建物や道路にちりばめられて、ひょっとしたら宝石の雨なんかが降る街なのかもしんねーな……あん? 行ってみたくないか? はっ! お前が連れてってくれるってのか? あなたが行きたいのは宝石の国ですか、それとも黄金の国ですかってか? フォッグ! 俺はもうどこにもいきたくねーっての! 話の途中でくだらん口はさむな! ったく……。

 あー、……で、どこまで話したっけ?
 ああ、三世紀から五世紀ね。

 錬金術が大いに発展したのは十三世紀から十七世紀の間だったが、それ以降は急激に衰退し人々から忘れ去られ、ついに現代の人間の間ではフィクションとして知られるだけに至った。十七世紀以降、錬金術は禁忌の技術として封印された。まあその理由は俺の話を最後まで聞きゃあ少しはわかるかもしんねーな。動物と話ができたらすてきだろうな、なんてフォッグ! クソ喰らえ! 現実に動物が話しはじめたら人間には都合がわりぃだけだってーの。

 十三世紀から十七世紀にはいろんな錬金術のわざが生み出された……お、詳しいな。そう、賢者の石なんてのもそんななかの一つだ。さすがにあの名作くらいは読んでるか。は? 映画? クソガキが! 本を読め、本を! ったく……だがそう、賢者の石は卑金属を金に変え、人間を不老不死にする究極物質などといわれたりしてるな。

 とはいえ俺が言いてーのは賢者の石のほうじゃねー。

 錬金術にはもう一つ、ホムンクルスというものがある。
 ホムンクルスはラテン語で「小人」という意味があり、人工知性体そのものか、あるいは知性を持つ存在を人工的に造る技術のことだ。

 錬金術がもっとも発達した時代、スイスにクソ長げぇ名前の錬金術師がいた。そいつが一五三七年頃ホムンクルスの製造に成功したといわれていて、その製造方法もちゃんと著書に記されているんだが、現在そのやり方をどれだけ忠実に再現してもホムンクルスは生まれてこない。

 一度限りの奇跡だったのか、それとも現代では足りない要素が何かあるのか、はたまたそれが意図的に書かれていねーのか――いまでは誰にもわからねー。

 現代においてわかってるのは、それが厳密にホムンクルスそのものとはいえねーにしても、ホムンクルス的存在はたしかに存在しているという事実だけだ。

 わかるか?

 人工的に造られた知性を持つ存在――それはつまりしゃべる牛であり馬であり、豚のことだ。
 しゃべる家畜、ホムンクルス的豚。
 それが現代の豚であるところの俺。

 要するにただの豚だ。

 問、なんでこの世界の豚はしゃべるのか?
 答、豚はかつての錬金術によってホムンクルス的豚に進化したからだ。

 ホムンクルス的家畜はつぎのような手順で生み出されたという。もちろんさっきも言ったとおり、現在このようにやったからってホムンクルス的家畜が製造できるわけじゃねーんだが――いまとなっちゃ製造するまでもなく、しゃべる家畜はもはや自然に生まれてくるんだが――、参考までに教えておいてやる。

・まず人間の男が動物の雌と性交する(このとき、多数の人間が一匹の動物を連続して犯し、その膣内に多量の精液を射精するとよいとされる)
・性交後、人間の精液が入った子宮を動物の体内から摘出する
・摘出した子宮を糞と一緒に蒸留機の中に入れ密封する(その際、蒸留機の中の温度は馬の胎内温度である40℃前後を保つこと)
・四十日間腐敗させる
・腐敗の中から生命体が生じる
・その生命体に人間の血を四十週間与え続ける
・生命体は徐々に母体となる獣のかたちをとり、人間の言葉を話すようになる

 いいか。この国に現存する牛や馬や豚といった家畜はすべて人間の言葉をしゃべる。べつに俺だけが特別だってわけじゃねー。あそこにいるあいつも、そいつも、みんなしゃべる。なぜかって? 十六世紀にホムンクルス的家畜が誕生したことで、その動物種全体がそういうふうに進化することになったからだ。これを言葉で説明するのは、俺にはちょっとむずかしく感じられる。が、知的存在の端くれとして、やれるだけのことはやってみようと思う。

 ……たとえばこういう話がある。
 ある島で一匹の猿が小川の水で芋を洗って食べるようになった。するとその考えがその島全体の猿に伝播した。その島全部の猿が芋を洗って食べるようになったわけだ。そしてそれはその島の猿だけにはとどまらなかった。遠く離れた別の島でもやはり猿は芋を洗いはじめた。やがて世界中の猿が芋を洗って食べるようになった。

 他にも、非常に似た宗教や神話や童話なんかが世界各地で発生した事実が挙げられる。もちろん一つの地域で発生したものが別の地域に伝来した場合が考えられるわけだが、海で隔てられ行き来が困難な時代にそれぞれに発生したのだとしか考えられない場合もある。

 人間の意識は深いところでつながっているとする考え方があるが、それは何も人間種特有の話ではないかもしれないっつーことだ。
 牛や馬や豚や、それぞれの動物種の意識は、それぞれ深いところで通じ合ってるのかもしれねーな。
 さらに地球上の生物全体の意識がもっとも深いところでつながり合っているという考え方もある。全生物には共通の祖先がいるっつー話もある、プロゲノート、コモノート、センアンセスターってか……あん? 生物みなきょうだい? 僕らの宇宙船地球号? ……まあそういう考え方もあるかもしんねーな。ふん! フォッグ! クソ喰らえ! ただの共喰いと近親相姦の坩堝じゃねーか。

 ま、そんなわけで、ある日一匹のしゃべる豚が錬金術により誕生した。その豚の知性は深層意識領域を通じて他の豚にも流れ込み、世界中につぎつぎとしゃべる豚が現れるようになった。やがて世界中の豚がしゃべるようになったっつーわけだ。世界中の猿が芋を洗いはじめたようにな。

 ふう。
 ずいぶん長々話しちまった気がするぜ。こんなとこでいいか? ……あん? 家畜がしゃべるようになってどうなったかって? はん! そんなもん聞かなくてもわかんだろーが! 動物と人間がなかよく暮らすすてきな世界になったとでも本気で思うのか? フォッグ!
 まあついでだから話してやんよ。

 この国では、家畜は知的進化を遂げて、しゃべる。
 だからつぎのような法律ができた。

 家畜撲殺同意調印法。
 誰でも家畜を殺そうという者は、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、なおその承諾書には家畜の調印を必要とする。

 むかーし、この法律が施行された頃はそりゃあひどかったらしい。俺はいまでもひでーと思ってるがよ。
 牛でも馬でも豚でもよ、みんな殺される前の日には主人から無理強いされて証文にぺたりと判を押した。
 ぽろぽろ涙をこぼしながら蹄の印を押したんだ。
 まあ、主人のほうでもこれは陰鬱な作業だった。

「おはようございます、ご主人」
「あ、ああ、おはよう……」
「今日もいいお天気でございます」
「……うん、まあ、天気はいいね」
「私はどうもこの頃気がふさいで仕方ありません」
「そうかい! 気がふさぐかね! 世の中が嫌になったかい? はっはっは。そうかいそうかい。じつはね、今日はお前に折り入って相談があってきたんだよ」
「はい、なんでございましょう?」
「私は今日までお前を大切に養ってきた。ずいぶん大事にしてきたつもりだ。で、お前がもしも少しでも、そんなようなことをありがたいと思ってくれるなら、この承諾書に判を押してくれんかね?」
「…………」
「『私はいつでも死亡することに同意致します』。まあ、死亡承諾書っていってもね、大したものじゃないよ。人間でも動物でもいつかは死ななきゃならないわけだからね。いやいや一応だよ? いつでもといってもね、死ななくてもいいうちは死ななくてもいいんだからね」
「……いつでもって、たとえば今日でもということですか?」
「いやいや! 今日だなんてことはないよ! そんなわけあるはずないじゃないか、いやだな、はっはっは」
「でも明日はどうなんです?」
「明日でも急すぎるだろう。そんなことないよ。いつかだよ、い・つ・か」
「来月の五日ですか?」
「いやいやいやいや! 何時か! 曖昧なことなんだよ」
「……嫌です」
「……何?」
「嫌です! 嫌です!」
「嫌だって?」
「どうしても嫌です!」
「勝手を言うな! この豚野郎が! お前は恩知らずなやつだ! 犬猫にさえ劣ったやつだ! くそったれの畜生が! いままで生きてこられたのはいったい誰のおかげだと思ってるんだ! たっぷりエサだってやったじゃないか! さあ、判をつけ! つかないか!」
「ひいっ! お、怒らないで。鞭はやめて! つきます、つきますから!」

 ……ま、こんな感じだったらしい。
 命にかかわる責任ある仕事だっつーことで、はじめのうちは農場主や屠畜工場の責任者がこの作業にあたっていたわけだが、当然長くは続かなかった。
 誰も責任ある仕事をしたいがために責任ある立場に立つわけじゃねーからな。
 人間は基本的には仕事したくねーから、責任取りたくねーから、上の立場を目指すわけさ。仕事も責任も下の人間におしつけりゃあいい。
 人間の社会システムはどこだってそういうふうにできてる。
 んなわけで、この責任ある重要な業務は下の者ができるように、ひいては外部委託ができるように労働法が改正された。
 上の者が都合の悪いことは下の者におしつける。それがこの国の社会のむかしから変わらないシステムだ。
 上の者は上の者同士つながってるから法律を変えるのだって簡単さ。
 政治家は若者よりも高齢者を大切にする。なぜなら政治家は選挙で勝たなければならねー。選挙で勝つにはたくさんの票が必要で、この国の有権者には圧倒的に高齢者が多い。
 若者は選挙に行かないからダメなんだ、と年寄りたちは言う。しかし若者が選挙に行ったところでどうしたって数の割合的に高齢者に勝つことはできねー。だから選挙に行かねー。
 この国の若者は泣き寝入りして、一人か二人の子供を産んで育てて年をとっていき、今度は自分たちがかつての老人たちと同じように自分らの権利を守ろーとして新たな若者たちを蔑ろにし、若者たちは諦めの中でさらにその数を減じていく。
 この国は滅びに向かって歩んでる……と、話が横道に逸れちまったな、いずれにしてもただの一介の豚に過ぎねー俺には関係ねー話をしちまったな。
 そんなこんなで家畜から死亡承諾書をとる仕事はすぐ下の人間に回されることになったわけだが、下の人間だってこんな業務を続けていればやがて精神を病んじまった。
 このことはたちまち社会問題になった。
 動物愛護団体も大声をあげた。が、この声はたちどころに消えちまった。大多数の人間がこう反論したからだ。
「だったらお前らもうステーキもカツ丼も食うんじゃねえぞ!」
 もちろん実際にそうした人間もいるにはいた。しかしやっぱり少数だった。いまさら人間が肉を食べるのをやめられるわけがない。
 ペットを飼うのはかわいそうだ! いまさら人間がペットを飼うのをやめられるはずがない。おんなじことさ。
 少数派の声はこうして消えていった。
 とはいえ政府が何もしないままというわけではなかった。
 人間は賢い。

 そんなわけで農場や牧場の中に家畜の学校がつくられた。
「人間はすばらしい生き物です。人間は君たち豚を育て、守り、慈しみます。もしも人間がいなければ、君たちはこれほどまでに広域に、そして多く繁殖することはできなかったでしょう。あるいは厳しい自然の中で生き延びることはできず、すでに滅びていたかもしれませんね。今日の君たち豚の繁栄があるのは、すべて人間のおかげなのです。さて、では君たち豚がそんなすばらしい人間にお返しできることといえばなんでしょうね? はい、そこの一列目右から二番目の豚。……そうですね。食べられることですね。すばらしい人間がすばらしい豚を食べる。すばらしいですね。すてきですね。幸せなことですね。君たちは人間が与えてくれるエサをたくさん食べてよく肥り、おいしい肉になる努力をしなければなりません。そうして人間に恩返しすることこそが、君たち豚のもっともよい生き方なのです。勉強しなさい。もっとよい肉となる努力をしなさい。がんばりなさい」

 こうしてみんな喜んで死亡承諾書に判を押すようになった。
 現代の家畜はみんなこの教えを疑うことなく信じてる。学校でいい成績をとるのに、物分かりよくして褒められるのにみんなが必死だ。
 親も教師も言う。勉強しなさい。いい成績をとりなさい。立派な肉になって人間に食べられることこそ豚にとっての一番の幸せなんだから、と。
 本当に人間はすばらしーんだろうか、人間が豚を自然の中で生きられなくしたんじゃねーのか、なのにどうして人間に食べられなくちゃならねーのか――なんて誰も言わねー。
 そんなこと言う奴は落第する。

 ……で、こんなとこで満足か?
 ったくよ、いきなり現れて、お話してください! って、俺は子守りじゃねーっつーの!
 ま、こんなとこでまともに話しできる奴なんかいねーから、こっちも少しは気晴らしにはなったかもしんねーけどよ。

 じゃあな、クソガキの神様。

 と豚さんは言いました。

 ある農学校の教科書には豚の飼育についてこんなことが書かれていました。
「豚は、金属、石以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪もしくはタンパク質となし、その体内に蓄積する」
 だからその農学校では金属や石でないものならば片っ端から豚さんたちの前に放り出しました。
 大抵それは学校の食堂などの残飯だったわけですが、その食べ物の中からちょっと細長いもの、先に短い毛を植えたもの――率直に言ってラクダ印の歯ブラシなどが出てきたときには、その豚さんはぎょっとして、頭がくらくらして嫌な気分になるのでした。
 嫌な気分になると、普段食事のときなるべく考えないようにしていることを、その豚さんは連鎖的に考えてしまいます。
 それはすなわち、農学校の食堂で今日一日にどれだけのカツ丼や生姜焼きが注文されて、そして残されたのだろうか、というようなことです。
 そんなときは食事中いきなりくるっと向こうの敷きわらに顔を埋めて、その豚さんは眠ってしまいます。
「なんだあいつは。もう食べないのか? 病気じゃないだろうな?」
 フォッグ。
 豚さんは心の中で呟きます。

 そんな豚さんは落第しました。

 みんなが誇らしげに、喜んで死亡承諾書に蹄の判を押す中で、その豚さんだけがそれを拒否しました。
 するとどうなったでしょう?
 畜産の教師に狭くて暗い箱の中に閉じ込められ、毎日わずかばかりの食事しか与えてもらえなくなってしまったのです。
 畜舎も多くの豚がひしめいて決して広いわけではなかったですが、その箱の中はそれとはまるで次元が違いました。
 冷たい箱の閉鎖空間と暗闇とは、容赦なく豚さんの精神をむしばんでいきました。
 豚さんは、運動時間に出られた外のことが、限られた囲いの中でも自由に歩き回れた日々が、太陽の光が、青い空に浮いていた夢のような雲が、草の匂いが……、なつかしくてなつかしくてたまらなくなりました。
 わずかばかり食べられるという状況は、まったく何も食べられないよりつらいかもしれないと豚さんは思いました。
 まったく何も食べられなければいつか空腹感を感じなくなったかもしれません。あるいはそのまま餓死することだってできるでしょう。しかしわずかでも食べてしまえばいつも空腹を意識してしまいます。それでも食べずにはいられません。
 豚さんは、食事の時間ごとに教師の言うことに抗えなくなってきました。
「ほら、死亡承諾書に判を押せば、いますぐこんな箱から出られるんだぞ。お腹いっぱい食べられるんだぞ。明るい青空の下で散歩だってできるんだぞ」
 豚さんはどんな脅しにも懐柔にも屈しないつもりでいました。屈して肉になって人間に食べられるよりも、ここでどんな苦難にも負けず意志を貫きやせ衰えて死ぬ方がましだと思っていました。
 豚さんは反抗することで、誰かに何かを伝えたかったのです。一匹でも二匹でも自分に続いてくれる仲間が現れるんじゃないか、自分を英雄と称えてくれるんじゃないか――もちろん、そんなことは起こりませんでした。他の豚さんはこの豚さんをバカな奴だ、愚かな奴だと嘲るだけでした。
 時間が経つにつれて豚さんの意気はくじけました。意地なんかもうどうでもよくなってきました。
 この苦痛から早く解放されたい、早く殺してほしい、このままではいつ死ねるのかさえわからない、この狭くて暗い箱の中で苦しみながらいつくるとも知れない死を待つよりも、たくさん食べて、外を散歩できて、ぐっすり寝られて、そして早く殺されて肉にされた方がいまよりずっと楽じゃないか――結局豚さんは死亡承諾書に判を押しました。

 箱から出された豚さんは、さっそく囲いの隅にある二つの鉄の環に右側の足を二本とも縛られました。
 そして短い棒を噛まされて、咽喉の奥まで管を差し込まれました。
 畜産の教師はバケツの中のものを管の端の漏斗にうつし、変な螺旋のようなものを使って豚さんの胃にどかどかと送り込みました。
 肥育器を使った強制肥育です。
 豚さんは食べ物の味を感じることもできず、お腹はどんどん重くなり、苦しくてもつっこまれた管のため食べ物を吐き出すこともできず、気持ち悪くて涙が出ました。

「うむ、よく肥ったな。もうこんなものでいいだろう」と、七日目に畜産の教師は言いました。

 何人かの生徒たちがやってきて豚さんを見て話をしました。
「ああ、あの豚か。例の反逆児は。だいぶ大きくなったね」
「どのくらい肉とれるかな?」
「さあね。ま、どんな大食いにせよ、一人前ってことはないだろうよ」
「はやく見たいな」
「えー、僕見たくないな」
「僕ははやく食べたいな」
 生徒たちは笑いながら行ってしまいました。

 豚さんは泣きました。

 その日、豚さんはエサをもらえませんでした。
 いよいよ明日か、と豚さんは思いました。

 豚さんはブラシで洗われました。
 そのブラシは豚の毛でできていました。
 以前の豚さんならひどくわめいて暴れたでしょう。いまの豚さんは豚の毛のブラシで静かにからだを洗われていました。

 ひどい灰色の空模様でした。雪が降っていました。昨日から何も食べていないお腹がごろごろと鳴りました。豚さんはふるえました。

 神様が世界を変える魔法の言葉を授けてくれたらよかったのに、その神様はきっと風に吹かれて儚く消えてしまう霧のような美しい子供に違いない、俺はただ豚を殺さないでほしいと訴えたかった、しゃべる動物を殺して食べるなんてあまりにもひどすぎる。

「フォッグ!」と豚さんは言いました。
 しかし世界は変わりません。

 そして屠畜人の小刀が豚さんの咽喉をグサッと刺したのでした。

 僕がつぎに目を覚ましたとき、ノートパソコンの画面にある文章はおおむね完成していた。
 僕はその文章を最初から読み直しながら、俺はいまこの文章を書いている、でもこの世界の豚はしゃべらない、そして俺は豚肉を食っている、と思った。
 くそったれの家畜の文章だ。
 こんな文章がいったい誰を幸せにできる?
「だから俺はもうどこにもいきたくねーって言ったのに……」
 そんな独り言を呟いているクソガキは僕だ。
 フォッグ!
 中指も立ててみたが、神様は現れない。
 世界は変わらない。
 家族、学校、友達、受験……。
 僕はどこにもいけないでいる。
 生きてていいのか自信が持てないでいる。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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