時間/横光利一=なんで最近時間が経つのが早く感じるの?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

時間-横光利一-イメージ

今回は『時間/横光利一』です。

文字数16000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約45分。

夜逃げする十二人の男女のお話。
裏切り、猜疑、疲労、空腹、嫉妬、諍い
――見苦しく醜く、だから美しい人間関係。
振り子の等時性、絶対時間、相対性理論、ジャネーの法則
――時間は不思議。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

宿屋に旅芸人の一座があり、座長が金を持ち逃げした。とり残されたのは私を含めた八人の男と四人の女。どうにか言い訳をして、宿の支払いを伸ばしてもらっているが、払える見込みはない。夜逃げするしかない。

宿側の警戒が緩む雨の夜を見計らい、十二人の男女は逃げた。容易に見つからないよう、海に沿った断崖の上の山道を行かねばならず、しかも女の一人は病人で、男たちが交代で背負っていかなければならない。しばらくろくに食べていないので、みんなが空腹だ。

険しい道を進むにつれ、しゃべる元気もなくなり、空腹はますますひどくなる。病気の女を背負って歩くのはつらい。八人の男が分担しても、またすぐに順番が回ってくる。空腹は時間が経つほど増してくる。

ささいなことから一団に争いが持ち上がる。男女関係のいざこざ。三人の男の乱闘、二人の男の格闘――が、やがて喧嘩をする元気もなくなると、自然争いは収まる。一団はまた歩き出す。

空腹はいっそう激しく襲いかかってくる。闇の中、この二分さきの空腹がどんなになるか、この一分さきがどうして持ちこたえられるのであろうか――時間とは、胃袋そのものの量のことだと、私は、はっきりと感じる。

一団は一軒の廃屋同様の水車小屋を見つけて、そこで休憩する。寒さと疲労と空腹と、十二人がひとかたまりとなって、それらの苦痛に耐えていると、心地よい睡魔が襲ってくる。

しかし、このまま眠ってしまえば……みんな互いに暴力を振るうように叩き合い、殴り合い、眠ったり覚ましたり……やがて雨が上がり、月光があたりを照らし、腹ばいになって戸外へでると、崖の中の腹に、水が流れているのを見つけた。

一同はつぎつぎと水を飲んで生気を取り戻していった。そして帽子を使ったバケツリレーで、病人のために水を運んだ。崖を登ってくる、疲れた羅漢たちの姿が月に照らされ浮かんでくると、私は月光の雫でも落としてやるように、病人の口の中へ、その水の雫を落としてやるのだった。

狐人的読書感想

座長の裏切りにより宿屋を夜逃げすることになった十二人の男女のお話です。

座長に対する怒り、つぎは誰が裏切るのかという猜疑心、険しい崖の中の山道を行く疲労、空腹、嫉妬、諍い、などなど、極限状態の人間の集団が描かれているところが印象的です。

同じ旅芸人の仲間とはいえ、座長が金を持ち逃げし、団員たちもつぎつぎと逃げ出し、最後に残された十二人の男女も、やっぱりお互いを完全には信用できず、それでも集団からは抜けられないんですよね。

病気の女は宿屋に置いて行こう、となれば、当人は泣きわめいて連れて行ってくれと騒ぐし、いざ連れて行ってみれば、もうここに捨てて行ってくれとまた勝手なことを言うし。

男女関係を巡って一団に争いが起こる場面も、見苦しく醜く感じてしまいます。

だけど、人間関係って美しいばかりのものじゃないし、リアルにもっとドロドロで、打算に満ち満ちているものだと思うんですよね。疲労、空腹、寒さ――極限状態に置かれていればなおのことそうでしょうね。

心にゆとりがあるときに、人にやさしくできるのは比較的容易なことに思うのですが、極限状態にあって人にやさしさを示すのは難しく感じてしまいます。

しかし、見苦しく醜いばかりが人間でもありません。

なんだかんだで男たちは病気の女を見捨てずに背負い続けていますし、最後には病気の女のためにみんなが協力して水を運ぼうとします。

物語にはどうしても、人間関係の美しいところばかり求めてしまうように、僕なんかは思うのですが、見苦しく醜い部分も踏まえたうえで、人間関係の美しい部分を見なければならないような気が、ふとしました。

ところで、本作のタイトルは『時間』となっていて、ところどころに語り部の「私」が「時間」について思いを巡らす場面があります。

空腹に耐える苦痛の時間。女を背負う交代の時間。

本作で「時間」は、果てしない苦行のように描かれていると感じるのですが、しかし水車小屋での休憩時間、睡魔に襲われ、寝たり起きたり、遮二無二体を動かしてみんなを叩き起こしたり――そうこうするうちに「私」が得た時間の感得とは、

『天空のように快活な気体の中で油然と入れ変り立ち変り現れる色彩の波はあれはいったい生と死の間の何物なのであろう。あれこそはまだ人々の誰もが見たこともない時間という恐るべき怪物の面貌ではないのであろうか』

というものでした。

なんとなくわかるような、わからんような。哲学的、思索的内容だということだけは伝わってくるのですが……。

時間とは何であろうか?

という疑問は古くから考えられてきたものですよね。

それは太陽の動きだったり、ガリレオ・ガリレイの振り子の等時性だったり、ニュートンの絶対時間だったり、アインシュタインの相対性理論だったりするわけですが、物理や量子力学は苦手中の苦手なので、心理学的であったり哲学的であったりしたほうがまだわかりやすいように思ってしまいます。

何かの本で「時間とは物質が劣化していく過程」みたいなことを読んだことがあります。だから物質の存在しない世界には時間も存在しないというのはなるほどな、と納得した記憶があるのですが、ちょっと定かではありません。

「最近は時間が経つのが早く感じる」って思っている人は少なくないのではないでしょうか?

これは「ジャネーの法則」というもので説明できると聞いて、興味深く思ったのは記憶に新しいです。

いわく「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する」、すなわち「50歳の人間にとって1年は50分の1の長さ、5歳の人間にとっては5分の1の長さ」なので「50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日は50歳の人間の10日に当たる」という、心理的な時間の感じ方の違いを説明したものです。

アインシュタインの相対性理論によれば、光速で移動している物体には時間が流れないそうで、だから地球の周りを光速で回り続けることができれば、浦島効果を利用して未来にタイムスリップすること(不可逆的なので過去へのタイムスリップは不可)は可能だという話も聞いたことがあります。

とにかく時間は不思議だ、ということだけは感じ取れたという、なんか浅~い読書感想になってしまいました。

読書感想まとめ

見苦しく醜く、だから美しい人間関係。
時間は不思議。

狐人的読書メモ

極限状態で人は真理に近づけるというあたりは、厳しい修行で悟りを開こうとする修行者を思った。極限の経験をして人生観ががらりと変わったという話はよく聞く。人生に迷ったとき、自分をあえて極限状態まで追い込むというのは、ひとつ有効な手段なのかもしれない。とはいえなかなかその気にはなれないが……。

・『時間/横光利一』の概要

1931年(昭和6年)『中央公論』にて初出。句読点や改行が少なく、『機械』的な文体だけど、読みやすかった、というのはすごい気がした。時間というよりは集団における人間心理が目立っていたように思う。ともあれおもしろい小説ではある。

以上、『時間/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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