雛/芥川龍之介=雛を弄ぶイギリス童女を見た芥川龍之介が書いた小説。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

雛-芥川龍之介-イメージ

今回は『雛/芥川龍之介』です。

文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約31分。

日本で雛は大切にされる。だから高く売れて一家が助かる。されどイギリス童女が雛をおもちゃにしているところを見ると……。どこか無常を感じる小説です。47都道府県苗字の雑学あり。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

ある老女が語る子供の頃の話。

お鶴の家は諸大名の御用金を用立てるほどの商家だったが、明治維新後、お鶴が十五歳のときにはすでに没落していた。火事で焼け残った土蔵を住まいとし、仮設の建物を店にして、にわか仕込みの薬屋を営んでいた。

父と母と兄とお鶴と、一家四人が食べていくのは難しく、家財を売ってなんとか生計を立てていた。あらかたの家財を売り払ってしまった頃、いよいよお鶴の雛人形にも手を出さなければならなくなり、買い手はとあるアメリカ人に決まった。

娘を思ってためらう父に、雛人形を売らせたのは、文明開化の信奉者である兄だった。母は昔気質の人で、兄とはたびたび口論をしたが、家計が苦しいのは事実なので、今度ばかりは異論を挟めなかった。

お鶴は最初、あまり悲しいとも思わなかったが、引き渡しの日が近づくにつれ、じわじわと雛人形を惜しむ気持ちが湧いてくる。

最後に一目だけ、雛人形が飾られたところを見たいと父に頼むが、半金を受け取ってしまったからにはもう他人のもの、それに手をつけることは許されなかった。

引き渡しの前日、お鶴は諦めきれず父にせがむが、やはり取り合ってもらえない。そんなお鶴を冷たくあしらう兄とはケンカになる。さらにお鶴をかばおうとした母と兄も口論になってしまう。

その夜、家にランプがやってきた。夕食の席は、いつもより花やかな気がした。薄暗い無尽燈の代りに、新しいランプが輝いていたからだ。

兄は「一度ランプをつけたら、もう無尽燈には戻れない」と言い、母は「新しいものはなんでも、はじめは眩しすぎる」と言う。

お鶴はなかなか寝付けずにいた。やっぱり雛を諦めきれない。しかしやがて眠ってしまう。ふと、目を覚ますと、行燈あんどうを灯した薄暗い中に、人の起きている物音が聞こえた。お鶴が細目を開いてこわごわ見ると、雛壇を飾って眺めている父の横顔が映る。

お鶴も美しい雛人形に見惚れ、これは夢だろうか、と疑うが、しかしそこには、女々しい、だけど厳かな、独り雛を眺めている、年取った父の姿が、たしかにあったのだった。

著者がこの作品を書き上げたのは、横浜のあるイギリス人の客間に、古雛の首をおもちゃにしている赤毛の童女に遭ったからだという。

今はこの話に出て来る雛も、鉛の兵隊やゴムの人形と一つ玩具箱おもちやばこに投げこまれながら、同じ憂きめを見てゐるのかも知れない。

狐人的読書感想

最近では「日本の伝統工芸はいま後継者がいない」みたいな話を聞くことがあります。

新しいものはたしかに便利で、だから古いものはどんどん廃れていって忘れられてしまう、そこに切なさや寂しさや悲しみを抱いてしまうのは、なんとなく日本人的な感傷のようにも感じられますが、これは世界の人に共通の感情なんですかね?

ラストでイギリス人の童女が、雛人形をほかのおもちゃの人形と同じように扱っていたのは、その価値や日本の文化を理解していなかったからだと捉えれば、仕方のないことのように思えます。

仕方のないことのように思えますが、しかしどうしても、気持ちを蔑ろにされている印象は持ってしまいますよね。

何も知らない童女は悪くなく、新しいものにも罪はなく、だけど捨てられ忘れられていく古きものを思い、感傷的にならずにはいられないような、そんな「諸行無常の響き」が感じられる小説でした。

雛人形のほかに象徴的なものとして「ランプ」が出てきます。

最近読書していて思ったのですが、当時ランプは文明開化の象徴的なものだったようですね(一般常識でしょうか?)。

新美南吉さんの『おじいさんのランプ』も、『雛』と同じような「無常」というテーマが描かれている作品でした。

「一度ランプをつけたら、もう無尽燈には戻れない」

「新しいものはなんでも、はじめは眩しすぎる」

文明開化の信奉者たる兄と、昔気質の母のセリフがそれぞれ印象的でした。

明治維新、文明開化――時代背景と照らし合わせてみると「西洋の新しいものばかりに目を向けていると、日本の昔から続いてきた大切な文化を見失ってしまうよ」的な、警告の意味を含んでいるとも読み取れますが、とはいえ雛人形を売らなければ一家は暮らしていけなかったわけで、ただ単純に書かずにはいられなかったことを書いた、それ以上の意味はない、というようにも思われます。

この読書感想の入りに、「日本の伝統工芸はいま後継者がいない」という話を出しましたが、最近のニュースで、「お給料が出ない伝統工芸の求人がある」とやっていました。

昔は弟子入りというかたちで、「働かされるのではなく技術を教えてもらっていた」のだと思えば、納得できる求人形態なのかもしれませんが、だけど募集しようとするほうからしたら、やっぱり躊躇してしまいますよね。

しかしながらニュースを見ていて、伝統工芸品を商売として扱うことはもはや難しくとも、その技術を習い事として楽しみたい、という人はけっこういるのかもしれないな、と感じました。

伝統工芸に興味を持つ外国人の方とか、主婦や高齢者で趣味を求めている方々だとか、そういう人たちのための教室として、伝統工芸が広まっていけば、別のかたちで日本文化は続いていくのかなあ、みたいな、やはり古きよき文化は何らかのかたちで残っていくのかなあ、みたいな。

今回はそんなことを考えた読書でした。

読書感想まとめ

新しいものばかりに目を奪われず、古きよき日本の文化も大切にしよう、とはいえ、こればかりはどうしようもないよなあ、というような気持ちが感じられます。著者としてもただ書かずにはいられなかったから書いた小説なのではないでしょうか。

狐人的読書メモ

あまり本筋には関係ないのだが、徳三という若者が、ご一新以後平民でも苗字をつけられることになり、「徳川」とつけようとして役所でえらく怒られたという挿話がある。

これは、明治3年の「平民苗字許可令」が発令されたときの話だと思うのだが、自由に苗字を決められるとはいえやはりまったく自由というわけではなかったのだと興味深く読んだ。

ちなみに、日本には47都道府県の苗字がほとんど存在しているが、「京都さん・愛媛さん・沖縄さん」の3つは存在しない、という書かずにはいられなかった豆知識。

・『雛/芥川龍之介』の概要

1923年(大正12年)3月、『中央公論』にて初出。のち1924年(大正13年)7月、『黄雀風』に収録。家族のドラマと諸行無常。

以上、『雛/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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