清心庵/泉鏡花=幻想怪奇?口裏合わせ?エディプスコンプレックス?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

清心庵-泉鏡花-イメージ

今回は『清心庵/泉鏡花』です。

文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約40分。

華族の若妻が行方不明となり、
若い男と二人きり、山の庵で暮らしていた。

二人の語る不思議な話は、
連れ戻しにきた家の者を困惑させる。

幻想怪奇か、口裏合わせか、あるいは……、
あなたの目でご覧あれ。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

ある華族の若妻が山へ出かけたまま行方不明になった。身分が身分だから不用意に騒ぐこともできない。そこへ山のいおりに住む清心という尼が訪ねてきて言った。

「お宅の若奥様は私のところにいるから心配なさるな。けれどもお前様のところへは二度と戻らないとお心得おきくだされ」

それを聞いた旦那は顔色を蒼くした。すぐ家の女中に男衆をつけて、駕籠かごを持たせて迎えにやった。女中が山の中の庵に入ると、着崩れてあやしい様子の若奥様がいた。

用があるから帰らない、可愛い子と二人でいる、一緒にいてあげないと千ちゃんが可哀相だから――若奥様の話は要領を得ない。しかし女中には「千ちゃん」に心当たりがあった。

千は、女中がかつて親しくしていたおたえの子供だった。当時はたしか九つくらいの子供だったが――いまや十八歳の青年になっているはずだ。

黄昏時、キノコ採りから帰ってきた千を、女中が庵の外でつかまえた。女中は千に詳しい事情を聞こうとするが、おおよそ男女のことだろうと当たりをつけていた。

しかし女中が聞いたのは、常識では理解できない不可思議な話だった。

千の母親は千が九歳のとき、清心尼によって命を奪われたという。当時、千の母には深刻な悩みがあり、相談のために庵を訪れた。帰り際、閉まった戸の内側から「おお、寒、寒」という無作法な尼の声がした。それを聞いた母の顔色は変わった。

帰り道、山のふもとの橋へかかると、母は川へ身を投げた。以来、千はショックで何もわからなくなってしまった。ただただ母に逢いたいと願いながら、虚ろな日々を過ごしてきた。

年も月もうろ覚えで、摩耶まやさんと知り合ったのは嫁入りの年だったと思うのだけれど、それさえよく覚えていない。摩耶さんが嫁入りして会えなくなってからは、よく尼のところへ行って、母に会わせてくれとねだった。

すると摩耶さんがやってきた。それから清心尼は托鉢たくはつに出かけていって――現在に至るという。

女中にはわけがわからなかったが、とりあえず一度屋敷へ戻ることにした。

千は「ただいま」と、勢いよく庵に入った。そこにいるのは摩耶か、母か。これは夢か、それとも先の世のことなのだろうか……。

狐人的読書感想

読解力不足を実感します。

泉鏡花さんの小説は、幻想的でなんかいいなあ、と思わされる作品が多いのですが、よく意味のわからないものもあって、どうやら『清心庵』もそんな小説の一つとなりそうです。

物語は、一人の華族の若妻がある日突然行方不明となり、家の者が探しに行くとかなり様子がおかしく、昔可愛がっていた男の子で、いまは十八歳になっている青年と山の中の庵で暮らしている――どんな理由で?

みたいな。

素直に読めばおそらく、若妻に千の母親の情念みたいなものがとりついていて、母がその愛情を示すために息子のところにあらわれた、という幻想怪奇小説なのだと思います。

ただなんとなく、女中が言うように(あるいは誰しもがそう思うように)、男と女のことだったのかな、という気もするんですよね。

千と若妻が口裏合わせをして、人々を惑わせているだけじゃないの?

みたいな。

ただなんとなく、と書いたように、明確な根拠があるわけではないのですが、どこか現実を感じられるところがあると思えます(華族の若妻―御新造様―という設定でしょうか? たしかにこの言葉には、生々しい現実感があります)。

現実と幻想がうまく混ざり合っているというか、ひょっとしてそれが狙いなのかというか、そんなところに秀逸さを感じてしまうというか――とにかく不思議な小説でした。

もう一つ思ったのは、エディプスコンプレックス的なことが描かれているのかな、ということです。

エディプスコンプレックスは、子供が異性の親に対して強い愛情を感じ、同性の親に嫉妬してライバル視するような無意識的な葛藤のことをいいます。

男の子の千にとっては母親が強い愛情を抱く対象であって、実際の父親は登場していませんが、清心尼がどこか父親を象徴しているようにも思えてきます。

千のもう一人の母親ともいえる若妻の名前は摩耶まやで、摩耶といえば釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の生母、あるいは「母」そのものを指す言葉ともされているので、ここからもやはり象徴的にエディプスコンプレックスが描かれているように感じてしまいます。

――とはいえ、自信はないのですが。

確実にいえるのは「不思議な話だった」という一言だけなんですよね。読書感想文の宿題で書いたら間違いなく再提出をくらいそうに思いますが。

誰か詳しい人がいたら解説してくれないかなあ、と思ってしまったほど、不思議な小説でした。

読書感想まとめ

幻想と現実が融和する不思議な小説です。

狐人的読書メモ

最近読む泉鏡花作品は母親について書かれているものが多い。全体的に多いのだろうか。

・『清心庵/泉鏡花』の概要

1897年(明治30年)、『新著月刊』にて初出。幻想怪奇小説。とはいえ現実的な何かを感じる。マジックリアリズムとまではいえないにしても。

以上、『清心庵/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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