夜長姫と耳男/坂口安吾=美少女ヒロイン夜長姫はヤンデレ?メンヘラ?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

夜長姫と耳男-坂口安吾-イメージ

今回は『夜長姫と耳男/坂口安吾』です。

文字数28000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約73分。

坂口安吾の傑作。夜長姫と耳男、
タイトルや登場人物の名前から
ジブリ的な雰囲気を感じてしまうのは僕だけ?

読書感想はグロ、ヤンデレ、メンヘラ、美少女ヒロイン、
夜長姫のキャラに注目。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

耳男ミミオうさぎのような耳を持つ二十歳の青年で、ヒダ随一の名人と謳われている匠の弟子だった。夜長の里の長者の招きを受けたとき、師は老病の床にあったため、弟子の一人である耳男を自分の代わりとして推薦した。それはすなわち耳男が、師と並んで「ヒダの三名人」との誉れ高い、青笠アオガサ古釜フルカマと腕比べをすることにほかならない。

周囲の者たちはもちろん驚いたが、耳男自身もまた驚いた。不安はやはり拭えない。だが耳男にも職人としての自信と意地とプライドがある――耳男は生きては帰らぬ覚悟を決めて、使者とともに長者のやしきへ赴いた。

長者の邸へ到着した翌日、耳男は長者とその一人娘の夜長姫に挨拶をした。夜長姫は十三歳で、黄金の露で産湯を使わせたために、黄金の輝きと香りをその身に宿しているといわれていた。珍しい人や物に出会ったときは目を放すな。耳男は師の教え通りに努めた。そのときの夜長姫は威厳こそあれ、恐ろしさは感じられず、まだまだ子供のように耳男の目には映った。

夜長姫は挨拶の場で耳男の顔を馬のようだといって笑った。それは耳男のどうにもできないコンプレックスだった。我慢できず、耳男は邸を飛び出してしまった。

耳男、青ガサ、そしてフル釜の名代であるチイサ釜が揃うと、三人は自分たちが招かれた用件を聞かされた。夜長姫の護身仏を彫れというのだ。

その後の酒肴の席で、三人のうち、夜長姫がもっとも気に入る護身仏を彫った者には、エナコという美しい奴隷が褒美に与えられる、と伝えられた。耳男は女などどうでもよいと思った。先日の意趣返しに、恐ろしい魔神の像を彫ってやろうと心に決めていた。そんな耳男のあなどりの視線が、エナコにはわかってしまったらしい。それがもとで二人は言い争いとなり、逆上したエナコは耳男の左耳を懐剣でそぎ落としてしまった。

それから六日が過ぎ、邸内の一部に仕事小屋をつくっている耳男のところに、長者からのお呼びがかかった。先日の事件の罪人として、エナコの首を落とすから、耳男自身に斧を持たせて、それをなせというのだ。耳男は自分でも不思議なほどに、エナコを恨んではいなかった。なので虫にかまれたようなものだと言ってその申し出を断った。すると夜長姫が、もう片方の耳もかんでおやり、とエナコに懐剣を渡した。エナコは耳男のもう片方の耳もそぎ落とした。

耳男は三年の間、一心不乱にのみをふるった。耳男には、自分が耳をそぎ落とされたときの夜長姫の笑顔が忘れられず、そこに得体の知れない恐ろしいものを見出していた。その笑顔を押し返すほどのモノノケの姿をつくり出すのは容易なことではなかった。三年間、耳男は無数の蛇を捕らえ、その生き血を飲み、残りはつくりかけの像と辺りにぶちまけて、身は小屋の天井いっぱいに吊るした。それはやがて腐り、骨となって、冬の風にカサカサと鳴った。

選ばれたのは耳男の像だった。十六歳になっていた美しい夜長姫は、像をいたく気に入ったらしく、自ずから耳男を訪ねて称賛した。凄惨な小屋の様子にも感動しているふうだった。そして無邪気な、あの童女の笑顔を浮かべてその小屋を燃やした。

褒美に着物をやるから着替えておいで、と促された耳男はそれに素直に従った。入浴中、耳男は悟らざるを得なかった。やはり夜長姫は得体の知れないバケモノであった。自分のつくった魔神の像など児戯に等しいものだ。おそらくは、役目を終えた自分の命も夜長姫には不要だろう。

奥の間へ導かれた耳男は、床にぬかずいて懇願した。どうかオレに夜長姫のお顔を刻ませてほしい。それを聞いた夜長姫は、自分もそれを頼むつもりであったのだと喜んで承諾した。そういえば、エナコを与える約束をしていたが、それはできなくなってしまった。いま耳男の着ている下着は、血に染まったエナコの着物を、男物に仕立て直したものだった。もう耳男は驚かなかった。横で聞いている長者は青ざめていた。夜長姫はニコニコと耳男を見つめていた。

耳男が新しい仕事に入ってから二度目の疫病が夜長の里を襲った。夜長姫は毎日のようにろうにのぼって、キリキリ舞いする人々を見てははしゃぎ、それを耳男に楽しそうに話して聞かせた。

ある日夜長姫は、耳男の小屋と同じように、楼の天井にも蛇を吊るすように命じた。耳男が朝からたくさんの蛇を山で捕らえて、楼の天井に吊るしていると、夜長姫の眺める先で、また一人、農夫がキリキリ舞って倒れた。夜長姫は無邪気な笑顔を浮かべてはしゃいだ。

この天井が蛇でいっぱいになったとき、長者の里の最後の一人が息をひきとるに違いない……。耳男は夜長姫を抱きすくめると、その胸にきりを打ち込んだ。夜長姫はにっこりと笑った。

サヨナラの挨拶をしてないわ、私もサヨナラの挨拶をしてから、胸を突き刺してほしかったのに……、好きなものはのろうか、その命を奪うしかないのよ、お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ、いつも天井に蛇を吊して、いま私にそうしたように立派な仕事をして……

夜長姫の目が笑って閉じ、耳男は夜長姫を抱いたまま気を失って倒れた。

狐人的読書感想

夜長姫と耳男-坂口安吾-狐人的読書感想-イメージ

おもしろい、といってしまっていい小説だと思うのですが、ただおもしろい、といっておすすめするのは違和感があるような気がしています。

しかし、ともあれ、おもしろかったです。

『夜長姫と耳男』は、坂口安吾さんの傑作だといってもけっして過言ではないと僕は思ったのですが、現代ではあまり読まれていないのではなかろうか、という印象を受けます(これは昔の小説がいまあまり読まれないという意味合いにおいての「読まれていない」ということなのですが)。

一人称の説話体は現代の日本においては主流な文体のように思われます。

それと、『夜長姫と耳男』のタイトルから、このことを感じた方がいらっしゃるでしょうか? 僕はこのタイトルと、「耳男・夜長姫・エナコ・青ガサ・フル釜・チイサ釜・アナマロ(夜長の長者の使者)」など作中登場人物のネーミングから、どこかジブリ的なものを感じました(『もののけ姫』とかです)。

それから、なんといってもヒロインである夜長姫のキャラクターです。厳密には、ちょっと趣は異なるのかもしれませんが、このキャラは現代でいうところのヤンデレやメンヘラに通じるところのあるキャラクターなのではないでしょうか?(サブヒロインとしてのエナコも直情的でこの傾向があるように思えますが……、どうでしょうね?)

そういった意味においても、ラノベやゲーム、あるいはそれらを原作とするアニメ好きな方などにおすすめしたい小説のように思いました。

(調べてみたところ、ヤンデレという言葉が流行りだしたのは2005年、『School Days』の桂言葉、『SHUFFLE!』の芙蓉楓あたりからだとわれていて、『ひぐらしのなく頃に』の園崎詩音他、『未来日記』の我妻由乃などなどヤンデレヒロインというのはいわずもがな、いまでは数多く存在しています)

以上の理由から、現代だからこそ、当時読まれるよりもおもしろいと感じる方が多いのではないでしょうか。とくにヤンデレ美少女ヒロイン好きの方には夜長姫をおすすめしたいです。

そんなわけで、とにもかくにも夜長姫については語っておかなければならないでしょう、というお話なのですが、例のごとく前置きが長くなってしまいました(汗)

夜長姫のパーソナリティを一単語で表すならば「子供」ということになるかと思います。虫の羽をむしって遊ぶような子供の行いを、よく「子供の残酷さ」というように表現することがありますが、まさにこれがピッタリくる言葉のように感じました。

我が子が遊びで笑いながら動物の命を奪ってしまった姿を見て、愕然としてしまったという親御さんのお話などもありますが、だけどその姿を見て、そこにある種の「美」というようなものを発見してしまうというのも、まったくわからなくはない(というかわかる)人間の感性のように思います。

それを証明するように、先述のヤンデレヒロインが流行ったり、最近でも『進撃の巨人』などがヒットしていたり、あるいはグロテスクな娯楽や芸術が人心を魅了してきたあらゆる歴史的事実を鑑みても、これは決して否定できない事実だといえるのではないでしょうか。

純粋性を有した残酷さ、とでも言い表せばよいのでしょうか、人間の中にはやはりそういったものにどうしようもなく惹かれてしまうさががあって、善悪の区別のつかない幼少時の残酷な遊びも、ひとつ本能的なものなのではないかなあ、と考えてしまいます。

しかしながら同時に、人間はそれを否定する心の働きも持っていて、だから親がちゃんと教えてあげれば、子供もそれを悪いことだと認識して、残酷な遊びをしなくなりますよね。

ただこうして考えてみると、人間の残酷性というものは先天的な本能で、人間の良心というものは後天的な倫理観なのかなあ、という気がしてしまうのです。

性善説なのか性悪説なのか、というお話ではないのですが、動物はみな残酷さを本能として有していて、だけどみなが残酷さをむき出しにして生きていては種の滅びに通じてしまうから、残酷性を抑制する精神作用もまた本能として有していて、人間には高い知能と理性があるからこれらを善悪として捉えているのだけれど、結局はどちらも生物としての本能であることに違いはなく、だったら「夜長姫のような残酷な人」も「一般人としての残酷でない人」も、ただの自然な在り方に過ぎない、というふうに捉えられないでしょうか。

良心そのものが先天的な本能ではなかったとしても、それを育もうとする精神作用はまさに本能といえるわけで、では残酷性も良心も同じ本能だという話なのですが、残酷なことは悪で良心は善、とするのはどこか不自然さを感じてしまいますが、しかしだからといって道徳というものがまったく必要でないというのは違いますし、人間は自分の痛みを知って、他人の痛みを知って、本能的な残酷さを良心によってコントロールしなければならないと、僕なんかは考えています。

よく残酷な漫画やゲームなどの影響で、凶悪犯罪が増加しているみたいな論調がありあすが、これも見方が難しいところだと感じています。人間はある程度自分の中にある残酷性を自覚して、それをうまく解消してコントロールするためにも、そうした残酷なエンターテインメント作品は必要だと思うし、しかしながら、それらが人間の残酷性に火をつけて暴走させてしまうこともあるのかなあ、などとも考えてしまいます。

倫理社会ともいえる現代日本においては現実的な残酷性は忌避される傾向が強いように思い、だからこそ夜長姫に見られるような、あるいはエンターテインメントとしての残酷性に希少性が付加されて、儚く美しいもののように感じられて、人々の心を魅了するのかなあ、という気がしています。

夜長姫はたしかに残酷で、社会的には存在を許してはいけない少女でしたが、その残酷さは善悪の概念を持たない純粋な残酷性であったからこそ人の心を惹きつけて、だからこそ、この作品のラストシーンは儚く、美しく、どこか感動してしまう物語に仕上がっているのだと感じました(あるいはこれも「かわいいは正義」なの?)。

坂口安吾さん、というか、文豪作品とか日本近代文学とかいうと、とかく敬遠されがちで、読んでいらっしゃる方もそんなに多くないように僕は感じているのですが(僕のまわりだけ?)、もっと多くの方に読んでほしい、その入り口としておすすめしたい作品です。

読書感想まとめ

夜長姫と耳男-坂口安吾-読書感想まとめ-イメージ

いま主流の一人称説話形式で読みやすく、グロ、ヤンデレヒロイン好きなど、文豪作品の入りとしておすすめできる小説です。

狐人的読書メモ

今回は夜長姫をピックアップしたが、主人公の耳男もとても興味深いキャラクターだった。職人としての気概、芸術的な意味においての教訓や、コンプレックス、夜長姫に対する複雑な心の動き、芸術家の狂気、などなど思わされたところ多数だった。

・『夜長姫と耳男/坂口安吾』の概要

1952年(昭和27年)6月1日発行『新潮』にて初出。坂口安吾の芸術観、恋愛観。当時の批評ではおもしろい一方でカタカナの多用が疑問、というような否定的な意見もあったようだが、現在ではそこにジブリ的な雰囲気を感じられてより趣深く楽しめるのではなかろうか。価値観というものは時代とともにたしかに変遷する。調べている中で、坂口安吾は多作のわりに代表作が少ないということを知って意外な思いがした。随筆に比べると小説があまり評価されていないという意見も。とはいえ、すばらしい作品を残した文豪であることに違いはあるまい。

以上、『夜長姫と耳男/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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