Kの昇天/梶井基次郎=魂のミステリー、K君と私とあなたは同一人物だ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

Kの昇天-梶井基次郎-イメージ

今回は『Kの昇天/梶井基次郎』です。

梶井基次郎 さんの『Kの昇天』は
文字数5800字ほどの短編小説。

「K君はとうとう月世界へ行った」
あなたからの手紙を受けて私は語る。
ドッペルゲンガーと二重人格。
この小説は魂のミステリー。
K君とは。私とは。あなたとは。
いったい何者なのか?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

「私」は、面識のない「あなた」からの手紙で、K君が溺死したことを知らされる。そして原因について、過失か……、不治の病をはかなんでか……、と思い悩んでいる様子の「あなた」に語る。

「K君はとうとう月世界へ行った」のだと――

「私」は病気療養のために訪れていたN海岸でK君に出会った。その日はNに来てはじめての満月の晩で、病気のせいで眠れず、海を眺めていた。ふと砂浜のほうへ目を転じてみると、一人の人を発見した。

その人影は、「私」に背を向けて、砂浜を前に進んだり、後に退いたり、立ち止まったり……、を繰り返している。「私」はそれを奇異に思い、口笛を吹いて気を引こうとしてみるも効果はなかった。

とうとう声をかけた「私」に、K君は「自分の影を見ていた」のだと言う――

影を見ていると、自分の姿が見えてくる。だんだん姿が現れてきて、影の自分は彼自身の人格を持ち始める。そしてこちらの自分はだんだん気持ちが遠のいて、月へ向かって昇っていく……。

この出会いを機に、「私」とK君はお互いを訪ね合ったり、散歩をしたりするようになり、その交流は一か月続いたが、「私」が快方に向かい帰る決心をする一方で、K君の病気は重くなっていった。

影がK君を奪った。「私」は直感する。
不幸な満月の夜のことを想像する。

月光により現れた影に自分自身を見たK君の魂は月へと昇っていく。魂の抜けたK君の身体は、人格を持った影に導かれ、海へと歩み入った。ついに肉体は無感覚のまま終わり、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのだ。

狐人的読書感想

満月の夜の砂浜。月明りに照らされたK君の影は人格を持ち始め、一方でその魂は月へ月へと昇っていく。そしてK君の物質的な命は海の中へと消えた。

……とても幻想的な小説です。

アンソロジー作品として人気があるそうで、既読の方も多いのでしょうか。『Kの昇天』は、梶井基次郎 さんの特徴である小説の美しさを感じられる一方で、別の楽しみ方もできる作品でもあります。

おすすめです。
ぜひ多くの方に読んでいただきたい小説です。

さて、幻想文学とも呼べる『Kの昇天』ですが、一方で「魂のミステリー」とも評されています。

つまり、これは「K君の溺死の原因を『私』が推理している小説」と捉えられるわけですし、また「探偵役は『あなた』で容疑者たる『私』が何らかの『告白』をしようとしている小説」ともいうことができます。

僕としては、「『私』は誰なのか?」、「『K君』とは何者だったのか?」、また「『あなた』とは誰なのか?」という点を考えてみると、ミステリーとしてもまた別の、味わい深い作品のように思えました。

「『私』はK君のドッペルゲンガーだ」
「『あなた』はK君の二重人格(別人格)だ」

以下、僕はその直感を土台にして、彼らの正体のことを仮に組み立ててみようと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。

「私」はK君のドッペルゲンガーだ

Kの昇天-梶井基次郎-狐人的読書感想-イメージ

さて、「ドッペルゲンガー」とは何か、ということについては、いまさら語る必要はないかもしれませんが。これはドイツ語で、英語では「ダブル」ともいわれています。

僕などは、おなじみ『HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)』のカストロの念能力『分身(ダブル)』を思い浮かべてしまいますが、いまや小説、漫画、アニメ、映画、ゲームなどなど、さまざまな作品においてモチーフとされる題材なので、知らない方のほうが少ないのではないでしょうか。

――とはいえ、一応簡単にいっておくならば、ドッペルゲンガーは自分で自分の姿を見る幻覚の一種です。ちなみに、かの芥川龍之介 さんもドッペルゲンガーを体験していたそうで、梶井基次郎 さん同様これを題材とした短編小説『二つの手紙』を著しています(僕はまだ未読なので、今度ぜひ読みたいと思います)。

ドッペルゲンガーについては、医学的説明の試みもなされているようですが、やはり不可解な点も多く、超常現象の一つとして扱われているのが一般的なように思います。

超常現象ということは、確固たる定義が困難である、ということなのですが、よくいわれる特徴として、自分のドッペルゲンガーを見た本人は、近く命を失ってしまう、というものがあります。

では、なぜドッペルゲンガーを見た本人が命を失う結果になるのか、といえば、ドッペルゲンガーが本人から命を吸い取ってしまい、そのまま本人と入れ替わってしまうからだ、とされています。

K君は、「私」と出会ってのちに命を失っています。その原因については、「影がK君を奪った」とあるように、「影=ドッペルゲンガー」がその原因だと「私」は語っているわけなのですが、僕にはそう語る「私」こそが、K君のドッペルゲンガーのように思われました(ドッペルゲンガー自身は、その現象には無自覚だという話があるので、K君とドッペルゲンガーたる「私」が同一人物であることに、「私」は気づいていないと考えられます)。

『Kの昇天』の著者であるところの梶井基次郎 さん自身、K君同様に重い病を患っていて、早逝されているのは有名な話で、そのことがやはり残された作品と深く結びついている、というのは、誰もが考えることでしょう。

意図的なものなのかわかりませんが、K君の『K』は梶井基次郎 さんの『K』であり、亡くなりゆく運命もまた重なっています。

K君のドッペルゲンガーとしての「私」が、生き残っているところに、何らかの意味を見出してしまうのは、はたして僕だけなのでしょうか?

それは、梶井基次郎 さんの生への執着であったかもしれませんし、現代まで読み継がれている自身の著作を、象徴しているのかもしれません。

――というオカルト展開を想像してみた、というお話でした(ミステリーというかホラーみたいになってしまいましたが……)。

「あなた」はK君の二重人格(別人格)だ

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続いて「あなた」の正体についてですが。

二重人格についても、もはや語る必要はないように思います。解離性同一性障害。『ジキル博士とハイド氏』、『24人のビリー・ミリガン』 、『多重人格探偵サイコ』(?)といったところが有名でしょうか。

「あなた」はK君の別人格(二重人格)、すなわち「私」の別人格でもあるとするならば、「あなた」について生じるすべての疑問のつじつま合わせができるように思います(まあドッペルゲンガー同様、定義が難しい現象だからこそ、どうとでも捉えられて、つじつま合わせが可能となるわけなのですが……)。

まず、「あなた」が知っていること(K君の溺死)を「私」が知らず、「私」が知っていること(K君の昇天)を「あなた」が知らないことについては、それぞれの人格によって保持する記憶に差が生じる、といった多重人格の特徴により説明(こじつけ)が可能です。

「あなた」と「私」に一面識もない、という点も、K君と「私」も知り合って日が浅い(一月ほど)、というのも、この記憶と認識の差で(僕は)納得できるように思います(「私」の人格が生じたのはまさに「私」がK君に出会ったその夜のことなのかもしれません)。

一面識もない「私」の語り口には、「あなた」に対する親しみのようなものが感じられる部分があり、これを違和感として気にする方もいらっしゃるかもしれませんが、無意識的に自分自身に語りかけているのだと解するならば、(僕には)頷けるように思います。

「私」がK君の気を引こうとして吹く口笛の曲の一つは、シューベルトがハイネの詩に作曲した『白鳥の歌』第13曲目の『ドッペルゲンゲル』(ドッペルゲンガー)です。そして作中これを「二重人格」と訳しています。

ここに、「あなた=二重人格」説の暗示があるように思うのですが、じつはこれは、自分で言っておいてなんなのですが、牽強付会です。

ドストエフスキー さんの『分身』(二重人格)からも見受けられるように、当時の二重人格はドッペルゲンガーとまったく同義に捉えられていたと思われるからです。

すなわち梶井基次郎 さんも、二重人格を解離性同一性障害としては認識しておらず、やはり主題としてはドッペルゲンガー(分身)のみを取り上げて『Kの昇天』を執筆されたのだと推察できます。

しかしながら「二重人格=解離性同一性障害」の認識を持つ現代人であるところの僕から見ると、偶然とはいえ、結果としてこのテーマが内包されている作品のように見受けられてしまうのです――ここに何らかの意味があるように思ってしまうのですが、ただの深読みにすぎないのでしょうか?

「私」とK君についても、本文を読んでみれば、その描写から、「私」がK君と出会う前から影を意識していたのは、明らかなように思えます。そしてラスト、K君の昇天について想像を語っていたはずの「私」の口調は、次第に熱を帯びていき、確信的な語り口に変化しているのです。

意識的にせよ、無意識的にせよ、「私」とK君に同一性が存在するからこその破綻だ、とはいえないでしょうか?

そして何より、この小説が書簡体形式であるところに、意味深なものを感じてしまうのですが。

手紙のやりとりであれば、一面識もない(一度も会っていない)というのも納得ですし、多重人格もので、自分の別人格と手紙でやりとりする、というのは一種セオリーなようにも思います(『猫物語(白)』で羽川翼がブラック羽川に手紙を書くシーンのように)。

――というオカルト展開を想像してみたというお話でした(ミステリーというか、やはりホラーみたいになってしまいましたが……)。

読書感想まとめ

K君と「私」と「あなた」は同一人物だ。

すなわち、

  • K君=主人格であり本人
  • 「私」=K君のドッペルゲンガーであり別人格
  • 「あなた」=K君の別人格であり「私」の別人格でもある

ということ。

まあ、当時のドッペルゲンガーと二重人格の認識(同義として捉えられ、別物としては認知されていない)を思えば、明らかに深読みのしすぎで無理のある解釈ですが、こう読んでみるとおもしろくないですか?
――という狐人的主張です。

狐人的読書メモ

Kの昇天-梶井基次郎-狐人的読書メモ-イメージおもしろかった。
おすすめしたいし語り合いたい……。

芥川龍之介 さんの『二つの手紙』を読むこと。

・『Kの昇天/梶井基次郎』の概要

1926年(大正15年)10月1日『青空』にて初出。幻想文学であり、魂のミステリーである。

以上、『Kの昇天/梶井基次郎』の読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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