のら犬/新美南吉=お坊さんも人間、のら犬は物? 狐人でもやさしくしてください。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

のら犬-新美南吉-イメージ

今回は『のら犬/新美南吉』です。

新美南吉 さんの『のら犬』は文字数4900字ほどの童話です。常念坊の後をつけるはのら犬か化狐か? 坊主と化物の霊能バトル勃発…はしませんが、常念坊の人間味とのら犬の幸せを思ってほっこり。人間と動物の在り方。狐人でもやさしくしてください。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

常念坊じょうねんぼうは、隣村の檀家だんか法事ほうじで呼ばれ、昼過ぎからを打ち続けていた。いつの間にか夕方となり、驚いて腰を上げた。饅頭の包みをもらい、その家を後にした。

帰り道、常念坊は一匹の犬がついてくるのに気づいた。狐色で、耳がぴんとして、痩せて不気味な、のら犬だった。常念坊が追い払おうとしても、逃げようともせずついてくる……。

夜になり、峠の下の茶店まできた常念坊は、そこで提灯を借りることにした。注文した団子を包んでもらっている間に、常念坊がのら犬の話を持ち出すと、茶店のばあさんが「狐じゃありませんか」という。なんでもこの先の藪のところに、よく狐が出ては、人を化かすのだとか。

饅頭と団子の包みをそれぞれ持って、提灯を下げ、常念坊が峠を上がっていくと、後ろで「クンクン」声がする。構わず先を急ぐ常念坊だが、まさか狐ではあるまいか……、と怖くなる。

ようやく村まで来た常念坊は、団子の包みがなくなっていることに気づく。狐に盗まれたか、とひとりごちながら、寺まで帰った常念坊が後ろを見ると、狐らしきものの姿が。

常念坊は、正観しょうかんを呼ぶと、ほうきで追い払うようにいう。狐は、口にくわえた団子の包みを置いて、逃げていった。

夕食時、話題は狐のこと、正観の「犬みたいだった」という言葉に、箸を置いて考え込む常念坊。そしておもむろに立ち上がり、本堂の縁の下に藁を入れておくよう正観に頼む。

かわいそうに。あれはやはりのら犬だ。ひどくやせていた。落とした団子をくわえて届けてくれた。悪いことをした。

常念坊はのら犬を探しに出ていった。

狐人的読書感想

さて、いかがでしたでしょうか。
狐でもやさしくしてください、と思ってしまったのは僕だけ?

お坊さんも人間

のら犬-新美南吉-狐人的読書感想-イメージ-1

しかし常念坊、法事で呼ばれていったのに、碁が好きだからと時間が経つのも忘れて碁に熱中していたり。茶店のばあさんの「狐じゃありませんか」発言を聞いて、のら犬が狐に思えてきて、いろいろ想像しては怖がったり。かと思えば正観の「犬みたいだった」という話を聞いて、あれはやはりかわいそうなのら犬だったのだ、悪いことをした、とすぐに考えを翻したり。

お坊さんっぽくない、というか、人間味あふれる人柄ですね。

夜道を歩いていて、後ろに人の気配を感じると、ただ後ろを歩いているだけなのに、怖く感じてしまうような。怖い話を聞いてしまって夜眠れなくなるような。反応が普通の人っぽくて、とても共感できました。

なんとなくお坊さんと聞くと、霊的パワーを持っていたり(?)、なんだかわけもなく偉いような気がしてしまうのですが、やっぱり人間なんだなあ……、といった感じでしょうか?

もう終わってしまいましたが、お坊さんが出るバラエティ番組とかもあって、意外に厳しい修行とかやってなかったり、お肉とかも普通に食べていたり……、お坊さんのことが身近に感じられて結構おもしろかったのですが(もちろん宗派によって違いはあるのでしょうが)。

案外お坊さんも普通の人間なんだよ、という本質は、昔から変わらないものなのかもしれませんね(そういえば、坊主カフェとか坊主バーなんてのも一時期話題になったような……)。

のら犬は物……

のら犬-新美南吉-狐人的読書感想-イメージ-2

さて、常念坊は結局のら犬を探しに行ってくれましたが……、うまく見つかって、お寺で飼ってもらえたらいいなあ……、とのら犬の幸せを思わずにはいられないラストでした。

まあ、これは人間的なエゴであって、人に飼われることが必ずしも動物の幸せである、とは断言できないわけなのですが。

しかしながら、現代に照らし合わせて考えるならば、やはりのら犬は、誰かに拾われて飼ってもらえたなら、幸せだといえるのではないでしょうか。

なぜなら、人間に飼われないのら犬を待っているのは、保健所による処分だからです。どんな形であれ、生きていられれば幸せ、と考えてしまうのも、また人間側のエゴなのかもしれませんが……。

人間以外のすべての動物は民法上「物」として扱われます。なのでのら犬は「遺失物・拾得物」となるわけです。

でも保健所も飼い主を募集したりするんでしょ?
――と思われるかもしれませんが(僕が思いましたが)、飼い主が現れるケースは非常に少なく、現れない場合は結局……。

サウジアラビアで、のら犬が、捨てられていた産まれたばかりの(へその緒がまだついていた)赤ちゃんをくわえて、民家の玄関にそっと置いていった、という話があります(赤ちゃんには傷ひとつなかった)。

またロシアで、のら犬を家で飼っていたおばあさんが、そののら犬たちに……、といった話もあります。

ブサかわ犬で一世を風靡した「わさお」(元迷い犬)が、飼い主の菊谷さんの入院をきっかけにフサフサの毛が抜け落ちてしまった(現在は復活)、という話もあります(これは本件にあまり関係ないかもしれませんが、先日テレビでやっていたので)。

最近、読書していて、人間と(ペットあるいは食料としての)動物の在り方については、結構考えさせられることが多いように思います。

(人間と動物の在り方についての読書感想はこちら)

読書感想まとめ

お坊さんも人間、のら犬は物?
人間と動物の在り方について。

狐人的読書メモ

影絵のキツネの手をした少女狐人でもやさしくしてください。

・『のら犬/新美南吉』の概要

1932年(昭和7年)5月「赤い鳥」にて初出。第三童話集「花のき村と盗人たち」に収録された作品。

・化狐(妖狐)について

狐の妖怪。悪狐と善狐がある。齢1000年近くになると尾が九本に分かれたものを「九尾の狐」と呼び、『玉藻前』の物語から悪狐とされることが多い。善狐のうち1000歳を超えて神通力を宿したものは「天狐」と呼ばれる。尾は四本。3000歳を超えると「空狐」となる。尾はなし。

以上、『のら犬/新美南吉』の読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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