昨日・今日・明日/織田作之助=昨日も今日も苦しくても、明日は楽しいかもしれない!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

昨日・今日・明日-織田作之助-イメージ

今回は『昨日・今日・明日/織田作之助』です。

文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約27分。

パワハラや暴力事件。
人間痛い目を見なければわからない、
とはいえ、
人間だからこそ痛い目を見なくてもわかる教育や指導がある。
昨日今日が絶望でも、明日に希望を見る小説。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

昨日

ある高射砲隊の隊長は、部下にひどいパワハラをしていた。怒鳴り、顔に痰を吐き、鼻血が出るまで殴る――そんな隊長の一番の犠牲者が、大学出の白崎と落語家出身の赤井だ。

その日、隊長は鶏のすき焼きがしたいと思い、鶏の徴発を白崎と赤井の両名に命じた。しかし夕方、二人は手ぶらでしょんぼりと、帰りの道を歩くことになる。

このままではまたひどい目に遭わされる。脱走したい。が、脱走したら非国民だ。それより何より、脱走は卑怯で男らしくない。思いつめた白崎は「帰ったら隊長を殴ってやる!」と決意する。赤井は驚くも、白崎の勢いに押されて、その意見に同調する。

二人が意気込んで隊へ戻ると、隊長は司令部からの連絡を受けて、慌てて出て行った後だった。若い当番兵によれば、明日、日本は降伏することになったという――「俺はいつも何々しようとした途端に、必ず際どい所で故障がはいるんだ」と、白崎が呟いた。

今日

白崎と赤井は混雑した汽車の片隅にうずくまっていた。汽車が沼津へ着いたとき、白崎は一人の若い洋装の女性を、窓から引き上げてやる。白崎は赤くなっている女性の顔を見て驚いた。その美しさにもどきりとしたが、しかし、それよりも――女性は以前、白崎たちの隊へ歌の慰問に訪れていたのだ。

女性は京都まで行くのだという。赤井は大阪の妻子の無事を案じているのか、どこか寂しそうな様子。白崎は赤井を心配していたが、女性と語っているうちに、どこか晴々とした気持ちになってくる。

京都まではあっという間だった。白崎は、今度は窓から彼女を降ろしてやり、別れづらそうにしている女性に、何かを言わなければと焦る。「僕は歌が大嫌いなのですが、しかし今は歌が――」、好きになりましたよ、と言いかけた瞬間、発車のベルと汽笛が言葉を消してしまった。俺はいつも何々しようとした途端に、必ず際どい所で故障がはいる!

白崎ががっかりし、しかし何か甘い気持ちを感じながら、窓から首を引っ込めると、足元に彼女のトランクがあるのを見つける。トランクを渡すのを忘れたのもうかつなら、名前を聞くのを忘れたのもまた、うかつだった。汽車が大阪駅に着くと、白崎と赤井はそれぞれ我が家に帰っていった。

赤井の家のあったはずの敷地に、赤井の家はなく、妻子の姿もなかった。赤井は難波駅の地下鉄構内で、十歳くらいのミネ子という女の子に出会う。ミネ子は両親を亡くしたらしく、赤井は彼女を養子にすることを決意するが、この子の母やきょうだいになる妻子を、明日はどこへ探しに行けばいいのか……。

白崎は、自宅の焼け跡に建てられたバラックで、父親に再会した。白崎にも探したい人があったが、京都に住んでいる声楽家という以外、まるで見当がつかない。

そして、月日は流れた。

明日

靴磨きの仕事を終えた赤井が、ミネ子の手を引いて夜の道を帰っていると、近くのバラックから歌が聞こえてきて――それはかつて慰問で聞いた声だった。赤井はミネ子の手をひっぱって、大阪の放送局のある馬場町へかけ出して行った。ちょうどその頃、白崎も自宅のバラック小屋でラジオを聞いていた。

白崎と赤井は放送局の受付で出会う。放送が終わるのを待っていると、ラジオ局の演芸係長の佐川が赤井を見つける。赤井は落語家だった時代、二、三度、佐川の世話になったことがあったのだ。

佐川は「また落語をやりませんか?」と赤井を誘う。が、妻子もいまだ見つからず、落語をやる気になれない赤井は、その誘いを断ろうとする。しかし白崎が「やりたまえ!」と赤井に勧める。いま僕らがここにいるように、君の放送を聴いた奥さんやお子さんが、君に会いにかけてくるかもしれないじゃないか。

赤井の目が急に生き生きと輝いた。赤井と佐川は打ち合わせのため二階へ――ちょうどそのとき、杉山節子が第一スタジオから姿を現し、白崎と節子は再会をはたす。

あのときの忘れ物のトランクを渡した白崎は「これからはあなたの音楽会に、僕も招待してくれませんか?」。節子は「でも、歌はお嫌いなのでは……」。「あなたのおかげで歌が好きになりました」。

二週間後の夜、赤井の新作落語が放送されることになった。すると新聞を見たのだろうか、「奥さんが来られていますよ」と、受付から知らせがある。赤井は飛び上がって出て行こうとしたが――そろそろ放送時間です。

赤井は、傍にいた白崎が、「何々しようとした途端に、際どい所で故障がはいるのは、俺だけじゃなかったな」と言う言葉を背中に聞きながら、放送室へ入って行った。

狐人的読書感想

高射砲隊の隊長は、本当に憎らしいひとでしたね。昔は、指導や教育のための暴力、いわゆるパワハラが当たり前だった時代もありますが、いまでは許されないことになっていますよね。

もちろん、賛否両論あって、愛を持って相手を叩き、それが相手に伝わっていれば、体罰はあり、という考え方にも、一定以上の説得力があるように思います。

最近は、日馬富士暴行事件が何かと取り沙汰されていますが、スポーツ、とくに日本の、暴力と紙一重の格闘技では、伝統的な指導方法に暴力を思わせるものもあるのかな、などと想像してみると、体罰的な指導の是非というのは、断言するのがむずかしく感じます。

とはいえ、やっぱり暴力はよくないなと思うわけで、やっぱり相手がそれをどのように受け取るのか、というところが大きいのかな、という気がします。しかしケガの具合によっては、いくら本人が納得していても、世間的な印象は暴力反対に傾くわけで――むずかしいですね。

学校の部活指導なんかでも似たようなニュースを見ることがあって、たまに指導側じゃなくて指導を受ける側であるはずの生徒の暴力があると知って、驚いてしまうのですが、総合的には「暴力はよくない(言葉の暴力含む)」ということになる気がします。

「人間、痛い目を見なければわからない」とはいえ、「人間だからこそ、痛い目を見なくてもわかる」教育や指導というものが、ほかにあるように思えるのです。

白崎と赤井は兵隊としての要領が悪く、厚かましさが足りない人物として、隊内では損な役回りとして描かれていますが、これは一般的な善良な人柄だと捉えることができて、善良なひとって、けっこういろんな場面で損をしていることが多いよな、という感じがしたのですが、どうでしょうね?

いいひとにはいいことがあってほしいと願いますが、世の中そんなことはないことのほうが、多いように感じてしまいます。

織田作之助さんの『昨日・今日・明日』は、そんな善良なひとが明日への希望を見出せるような、救いや希望が感じられるような小説になっていて、とてもいい作品だと思いました。

昨日は苦しかった、今日もやっぱり苦しい、では明日もやはり苦しいのか……明日は苦しくないかもしれない、いや、明日は楽しいかもしれない――そんなふうに思わせてくれる小説でした。

読書感想まとめ

「人間、痛い目を見なければわからない」とはいえ「人間だからこそ、痛い目を見なくてもわかる」教育や指導。

昨日も今日も苦しくても、明日は楽しいかもしれない!

狐人的読書メモ

いいひとはみんな幸せになりますように。

・『昨日・今日・明日/織田作之助』の概要

1946年(昭和21年)『キング』にて初出。『定本織田作之助全集 第五巻』(文泉堂出版、1976年-昭和51年-)収録。明日への希望を感じさせる良作。

以上、『昨日・今日・明日/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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