竹の木戸/国木田独歩=貧乏は悲しい。パートナーは決意を持って決める!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

竹の木戸-国木田独歩-イメージ

今回は『竹の木戸/国木田独歩』です。

文字数15000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約37分。

盗みは悪だ。人に盗みをさせる貧困は悪だ。
では、盗みと貧困、どちらがより悪いのか?
盗みだけは絶対にしないと言い切れる人は、
真の貧困に喘いだことがあるか?
心のゆとりはお金じゃないか?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

会社員の大庭おおば真蔵は東京の郊外に住んでいる。家族は、六十七、八になる老母と、二十九になる妻、妻の妹、七歳になる娘、そしてこの家に奉公して五、六年になる二十三歳の女中のお徳と、六人家族。

真蔵の家の生垣を一つ隔てた隣に、物置同然の小屋があり、そこに植木屋夫婦が暮らしている。

この植木屋夫婦が引っ越してきたとき、井戸がないので水を汲ませてほしいと、大庭家に頼みにきた。大庭家がこれを許すと、今度は門へ回るのがめんどうだからと、生垣に戸口をつくらせてほしいと言ってきた。家の防犯にもかかわることなので、これには大庭家でもだいぶ苦情が出たが、優しい主人の真蔵がこれを許した。

こうして大庭家の生垣には、粗末な竹の木戸ができあがった。女中のお徳は「こんな木戸はないも同じよ」と皮肉が出るほど不満だったが、ひとのいい真蔵は「植木屋さんにしてはよくできている」と気にしなかった。

植木屋夫婦の夫、磯吉は労働意欲にむらのある男で、いざ働くとなれば人の三倍も働くのだが、すぐに三、四日、ひどいと十日は仕事を休む。だから当然貧乏している。妻のお源は、いざとなれば夫はやってくれる人だと頼もしがっている。しかし一文なしになると、はたして夫がいざとなるときがいつくるのだろうか、と不安になる。

十二月のある日、老母と妻と娘と、それからお徳と、四人は下町へ買い物へ出かけた。家では真蔵と妻の妹が留守番をしていた。真蔵は暇を持て余して家をうろうろ、なぜか女中部屋の開けっ放しの窓が気になり、そこからひょいと首を出す。するとすぐ眼下に、隣のお源がいて、ぴたりと目が合った。

お源は明らかに狼狽した様子で去っていった。窓の下には炭俵が口を開けたまま並べてある。最近、炭の値段は高騰している。真蔵は、お源が我が家の炭を盗んでいたかもしれないと考える。しかし確かな証拠があるわけでもない。ただ見ていただけかもしれない。それにもし、盗んでいたとしても、自分に見られたと思えば今後は盗まなくなるのではないか――真蔵はことを荒立てないように、このことは黙っていようと決めた。

午後三時過ぎに下町一行が帰ってくると、女中のお徳がやはり炭がなくなっていると騒ぎ出した。どうも炭の減り方がおかしいので、上の炭に印をつけていたのが、いま見たらなくなっていたという。もちろん疑うべきは、木戸から自由に出入りを許している植木屋夫婦の妻、お源だった。

真蔵は昼間に見たことは黙っていた。結局、ことを荒立てないように、炭の置き場所を容易に取れないところへ変えることで話がついた。

お源は真蔵に見られたがうまくごまかしたと思った。が、罪悪感、不安、恐れ――体がふるえるのをどうすることもできない。夫の磯吉が帰ってくると、お源はたまらず、これまでの貧乏暮らしについて文句を言ってしまう。うちでは炭だってろくに買えない……。

ふいに家を飛び出していった磯吉は、炭俵を持って帰ってきた。翌朝、お源が炭俵を見て驚き、どうしたのかと磯吉に聞くと、買ってきたとしか答えない。

お源が水を汲みに大庭家の庭へ行くと、そこにいたお徳は「おはよう」とあいさつしたきり何も言わない。そしていつもの場所に炭俵が並べられていないのに気づいて、お源は顔色を変えた。

そこへ炭屋がやってきて言う。「昨夜とうとう、上等の佐倉炭さくらを一俵盗まれました」。お源がよろめいて帰り、磯吉の持って帰ってきた炭俵を開くと――佐倉炭だった。

お源は首を吊った。

二日経つと、竹の木戸は壊され、生垣はもとの状態に戻った。それから二ヶ月経つと、磯吉はお源と同じ年頃の新しい妻とべつのところに住んでいたが、やはり豚小屋同然の住まいだった。

狐人的読書感想

なんだか身につまされるような悲しいお話でした。

一言でいえば「ご近所トラブル」ですかねえ。ご近所づきあいが希薄化している現代なのに、なぜかご近所トラブルのニュースはけっこう目にしますよね。

原因を聞いてみれば、「引っ越しの挨拶がなかった」とか(マンションなど、いまやそれが当たり前だと思っているので、この理由には驚きました)、「よその土地を自分の土地だと思い込んでいた」とか、けっこう些細なことなんですよね。

お隣の家のほうが立派だったり、自分が持っていないものを持っていたり――人間、どうしても隣の芝生は青く見えるもので、そこに羨望や嫉妬の気持ちが生まれてしまい……なんだかなあ、という気がします。

ひとを羨んだり妬んだりはしたくないと思いますが、こういう気持ちはなかなかうまくいかないと、日々感じることが多いように思うのですが、どうでしょうね?

『竹の木戸』を読んで一番思ったのは、「貧乏は悲しい」ということです。

「清く貧しく美しく」なんて言ったりもしますが、実際、貧しくても気持ちのゆとりを失わず、きれいな心でい続けて、ひとにやさしくすることなんて不可能なんじゃないか、と考えてしまいます。

もちろん必ずしも、お金持ちだから善人、貧乏だから悪人、ということはなくて、むしろお金持ちだから悪人、貧乏でも善人ということもあって、一概にはいえないところではあるのですが、少なくとも充分にそれを持っていれば、決して盗もうとは思わないんじゃなかろうか、などと想像してみると、やっぱり盗みという行為が悪なのか、それを誘発する貧乏が悪なのか――考えさせられるところです。

もちろん、盗みという行為は悪なわけではありますが。

つまり、どんな理屈をこねてみても、植木屋夫婦の妻、お源の行いは許されないことなのですが、なぜかお源の盗みという局所的なことよりも、貧しいという大局的なところのほうに意識を持っていかれてしまいます。

貧乏は悲しいと思ってしまいます。

夫の磯吉は、正直、最低の男だと思いますが、しかしその男を選んで一緒になった女、お源にもまったく責任がないとは、やはりいえないように感じました。

恋人になるとか、夫婦になるとかいうことって、やはりそれによってどんなことになっても自分が対処していくといったような、決意みたいなものが必要なのかな、という気がします。

しかし普段、そんな決意を持って生活しているひとがいるのだろうか、というところは疑問です。なんだかんだでなるようになるさ、みたいな、みんなけっこう流されるように生きているだけな気がするのですが、ひょっとして僕だけ?

とにもかくにも、パートナーを選ぶなら慎重にならないといけないし、いざパートナーを決めるときには、何があっても自分が対処していくんだ、といったような決意が必要になるのではなかろうか、などと、ちょっと人生を学んだつもりになった――今回はそんな感じの読書感想でした。

読書感想まとめ

貧乏は悲しい。パートナー選びは慎重に。決めるときには決意を持って!

狐人的読書メモ

女中のお徳と植木屋夫婦の妻お源は、上辺だけのつきあいで仲がよいわけではない。そのあたりリアルな人間関係の描写に思える。それでもお源はお徳の嫌いな部分と尊重できる部分を分けて捉えているところがあり、それはひとつ人としての美質のように思えた。

主人公、大庭真蔵のひとのよさ、やさしさには好感を抱く。が、それは持つ者の余裕だと捉えてしまう自分がいる。そういう、うがった見方はよくないと思うのだけれど――思いは、どうしてなかなか矯正できないんだろう?

・『竹の木戸/国木田独歩』の概要

1908年(明治41年)『中央公論』にて初出。ご近所トラブル。人間感情の機微が秀逸。貧困が完全に救われることはきっとないのだろうと思わされた。

以上、『竹の木戸/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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