実感/織田作之助=自己判断のみで行動しない、だけど主体性も持ちたい。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

実感-織田作之助-イメージ

今回は『実感/織田作之助』です。

文字数400字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約1分。

ニュース見てツイったりする? ニュースって他人が言ってることだけど、本人が言ってることでも、それが真実とは限らないよね? 感情的な話には実感があるけど、実感を鵜呑みにしちゃダメって話。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(今回は全文です)

『実感/織田作之助』

文子は十七の歳から温泉小町といわれたが、

「日本の男はみんな嘘つきで無節操だ。……」

だからお前の亭主には出来ん――という父親の言落を素直にきいているうちにいつか二十九歳の老嬢になり秋は人一倍寂しかった。

父親は偏窟の一言居士で家業の宿屋より新聞投書にのぼせ、字の巧い文子はその清書をしながら、父親の文章が縁談の相手を片っ端からこき下す時と同じ調子だと、情なかった。

秋の夜、目の鋭いみすぼらしい男が投宿した。宿帳には下手糞な字で共産党員と書き、昨日出獄したばかりだからとわざと服装の言訳して、ベラベラとマルキシズムを喋ったが、十年入獄の苦労話の方はなお実感が籠り、父親は十年に感激して泣いて文子の婿にした。

所が、男は一年たたぬうちに再び投獄された。が、主義のためではない。きけば前科八犯の博徒で入獄するたびに同房に思想犯が膝をかかえて鉛のように坐っていたのだ。

最近父親の投書には天皇制護持論が多い。

狐人的読書感想

「実感というものの曖昧さ」みたいなことが皮肉的に描かれている、ブラックユーモア的な小説なんですかね?

「実感」といえば自分が物事から感じた確かなことで、しかしその物事自体が真実なのか、というところには、人間あまり気を遣っていないように思えてきます。

文子の父親は一言居士(何にでも自分の意見を言わないと気がすまない人)で、刑務所から出所したばかりの共産党員を名乗る男から、マルキシズム(マルクス主義)の理想と、そのために無為に費やされた十年の入獄の苦労話に実感を覚え、大事な娘の婿にしますが、じつは男はただのばくち打ちで(しかも前科八犯)、一年足らずでまた牢獄へ、男の苦労話は同房にいた思想犯がしゃべっていたことだったんですね。

ニュースにあれやこれやと口出しして、世間をなんでもわかった気になって、ろくでなし男の苦労話に実感してしまい、大事な娘を不幸にしてしまった、という悲劇――なんとなく身につまされる思いがしました。

昔は新聞投書という手間をかけて世間の話題に意見していたようですが、いまではSNSなどを使って、誰でも簡単に自分の意見を発信することができ、その意見には今話題のニュースに対する、批判だったり擁護だったりも、けっこう多く見受けられます。

思えば、ニュースというのは、人から伝え聞いているものであって、ワイドショーなどでは有名人や専門家などコメンテーターという人たちのフィルターを通した意見を、僕たちは聞いているわけで、だけどけっこうそれを鵜呑みにして賛同したり反対したり、実際に当事者から直接話を聞いて、その実感を得るということはほとんどないですよね。

会社や学校の噂話、友達同士の恋バナとかでも、本人から話を聞く機会というのは、本当に少ないように感じられます。

しかも、実際に当人から話を聞いたとして、それが本当のことかどうか、見抜くことは難しく、ただただ感情をこめて語られてしまえば、そこに実感を覚えずにはいられず、よかれと思ってその人の側に立ち、相手側を非難していたら、じつはその人のほうが悪いことがのちに判明して、ばつが悪い思いをする――みたいなことは想像しやすく思います。

僕は「メディアに踊らされる」というフレーズをよく用いるのですが、踊らされてるんじゃなくて勝手に踊ってるだけなのかな、なんて、思うこともよくあります。

せめて自分のことだけでも、過剰に飾ったり偽ったりせずに、ありのままを正直に話したいと思いますが、どうしても感情的になって「自分は悪くない!」って、声高に叫んでしまったりしてしまいます。

人間の誠実な生き方って、自分のことについても他人のことについても多くを語らず、ただ行動しなければならない場面では揺るがぬ信念を持って行動し、その責任は常に取る覚悟でいることが、大事なのかな、って、考えたりするのですが、何も言わないでいると結局誤解されたりもするので、本当に発言することって難しいなって、思ってしまうのです。

ともあれ、自分の思い込みや判断だけで行動して、大切な人を傷つけたり不幸にしたりすることだけは、ないようにしたいと思いました。

現代ではこの作品のように、親の一存だけで結婚できなかったり結婚させられたり、ということは少ないようにも思えますが、しかし、前々回の『婚期はずれ/織田作之助』の読書感想で、親コンというものを知りました。

非婚化、晩婚化が進む現在、結婚に消極的な子供に代わって、親がお見合いパーティーなどに行くことが増えているそうですが、恋愛結婚が当たり前の時代を過ぎて、また昔とは違った形で、親の発言力が結婚に影響する時代が、訪れているのかもしれませんね。

しかしながら子供もまた、文子のように親のいいなりになるばかりではダメなのだと、そんな教訓も含まれているように感じました。

400字ほどの中にこれだけのことが描かれているというのは、本当に凄いなあ、なんて、実感しました――というのが今回の読書感想のオチです。

読書感想まとめ

自分の思い込みや判断だけで行動し、誰かを傷つけたり不幸にしたりするようなことがないように心がけたいです。

また、しっかりとした主体性を身につけ、しかしそれを自己正当化ばかりに使うのではなくて、とはいえひとや自分を傷つけない方向にうまく使っていけたらいいな、と思いました。

狐人的読書メモ

・マルクス主義と天皇制護持論についてはあまり知らず、これを対照して描くことで、なんらかの風刺があったのかもしれないけれど、それはわからなかった。

・まったく関連のない二つの事柄に、ころころと無節操に興味を持つ父親を描くことで、実感というものの曖昧さを強調しているのかもしれない。

・なんとなく後者の解釈でいいような気がするのだけれど、その実感は薄い。

・『実感/織田作之助』の概要

1946年(昭和21年)『大阪朝日新聞』にて初出。短いながらも、実感というものについて、皮肉的、ユーモラスに描かれている。おもしろかったし、わずか数百字の中にこうしたことを描けるというのは本当に凄いと実感する。

以上、『実感/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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