海城発電/泉鏡花=医に国境はない、たとえそれが戦争でも。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

海城発電-泉鏡花-イメージ

今回は『海城発電/泉鏡花』です。

文字数15000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約37分。

戦時、医療従事者はたとえそれが敵国の兵でも、助けるべきなのか? その兵士が、やがては自分の大切な人の命を奪うかもしれなくても? 自分の価値観、信念を持って行動することの難しさ。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

これは日清戦争時代の話。

清(中国)の海城という町の、ある家の一室で、赤十字社の看護員・神崎は、日本軍の厳しい尋問を受けていた。複数の軍人が神崎を取り囲んでいた。おもに尋問を担当したのは海野うんのという隊長だった。

神崎は一度清の捕虜となった。だから内通を疑われていた。しかし非戦闘員である神崎は、敵に漏らすような情報を持ち合わせてはいなかった。

神崎は捕虜となっているあいだ、敵国の兵士の看護をしていた。それが赤十字社の看護員である自分の本分だと考えたからだ。その功績は敵国においても認められ、神崎は感謝状を贈られて解放されたのだ。

敵のために働くなど日本国民として恥ずかしくないのか、せめて敵情を話すことで、少しでも国のために尽くそうとは思わないのか。

いくら脅しても平静な態度を崩さない神崎に、海野はイライラを募らせていく。ついに海野は席を立ち、一人の病気の中国人娘を、神崎の前に引き出した。

尋問が行われているある家とは、その娘の実家だったのだ。それは神崎が敵地で助けた娘だった。娘は神崎に好意を寄せていた。

それは海野の最後通告だった。が、神崎の態度が改まることはなかった。娘は軍人たちにもてあそばれ、その命を奪われた。

イギリスからの特派員であるジョン・ベルトンは、すべてを見ていた。彼はすみやかに一部始終を伝えるため、本国の新聞社に以下のような電信を送った。

日本軍には赤十字の責務をまっとうし、敵より感謝状を贈られた国賊がいる。また、敵愾心のために敵国の病気の娘を捕らえ、非道をなす愛国者がいる。詳細はあとから伝える。

狐人的読書感想

「海城」ってなんだ? 「発電」って電気を作るあの発電?

タイトルからは内容がまったく読み取れませんでしたが、海城(中国の都市)から発信された電信のお話でした。

何事にも動じず、たとえ敵であろうと、赤十字看護員として懸命に看護する、強い信念を持った神崎の人物像が印象的でした。

しかし、あえてあらすじには書かなかったのですが、神崎に好意を寄せる中国人娘がピンチのとき、神崎は冷淡とも思える平静さを見せているんですよね。ここがちょっと不気味に感じました。

神崎の内心を本文から窺い知ることはできませんが、自分に想いを寄せる娘がピンチなのだから、熱い男気を見せてほしかった、などと思ってしまうのは僕だけなのでしょうか? やはり違和感を覚えてしまいます。

ところが調べてみると、「それを書いてしまうと検閲に引っかかってしまったのではなかろうか」という見方があって、これは納得のできる意見でした。

最近の読書では、決められたキーワードやテーマなどの制限があったほうが、小説は書きやすいのかもしれない、などと思ったものですが、今回の読書では、それでもやっぱり「表現の自由」はありがたいものだよなあ、などと実感させられてしまいます。

さて、それはそうと、娘の件を除けば、神崎の主張や行動は、一般的に見て間違いなく正しいことだといえるのではないでしょうか?

「医に国境はない」みたいなことは聞かれますが、戦時中にこれを実践できる医療従事者の方というのは、本当に尊敬できますよね。

医療を身につけられたのは国のおかげで、だったらまず第一に国のために尽くすべき、というような全体主義的なこともいえるのだとは思いますが、やはり全体というものに捉われず、一人一人を思ってくれる医療者の人に看てほしい、と思ってしまいます。

その点、神崎はそれを実践していて、立派な医療従事者の在り方が描かれているな、と感じました。

もう一人印象的だったのは、海野です。まあ、神崎と海野、この二人の会話がベースに物語が進んでいくので、あえて言うまでもないことではあるのですが。

海野はコテコテの愛国軍人ですが、恐ろしいと感じたのは昔はそれが当たり前だった、という事実です。

戦争というものは、冷静に考えてみれば「歪んだ価値観」というようなものを生み出す点が、もっとも恐ろしいといえるのではないでしょうか?

国のために命を捨てたり、国のために人の命を奪ったり、国のためだと言ってどんな非道もできたりする――これを本当に正しいことと信じてしまえる風潮も怖ければ、内心でそれは間違っていると思っていても、それが言い出せない世の中というのもとても怖いと感じます。

たとえば、戦時の日本人がこの作品を読んだときにどう思ったのだろう、というところが気になりました。

いまでこそ神崎の在り方のほうが(しつこいようですが娘の件は除いて)称賛されてしかるべきだと感じられますが、当時は海野のほうを称賛する向きが強かったんですかね?

正しい善悪なんかなくて、時代によって正しかったことも、さらに進んだ時代では間違ったことになり、そしてその先の時代にはまた正しいことになるのかもしれず、人間の善悪の価値観というのは本当に揺らぎやすいものだと実感します。

実際、こんなことを想像するだけで、何が正しくて何が正しくないのか、曖昧になってくるような価値観しか持ち合わせていない僕なのですが、正しいことにせよ間違ったことにせよ、自分自身で決められる信念を持ちたいとは願っています。

結局のところ、何を正義とし、何を悪として捉え、行動したとしても、最終的にその責任は自分で負うしかなく、だったらそのとき後悔しないように、教えられた価値観ではなく、自分で考えた価値観を持ちたいと思いますが、これはなかなか、言うほど簡単なことではありませんよね。

「自分が嫌なことは人にしない」といわれますが、自分が嫌なことでも相手は気にしないかもしれず、では「自分が好きなことは人にしてもいいのか」となれば、必ずしも自分の好きが相手の好きだとはいえず、ただの押しつけになってしまうこともあります。

自分だけの考えで価値観を決めると、それは自分本位な価値観になってしまい、しかし他人の意見を取り入れて価値観を決めようとすれば、他人の意見に自分の考えが飲み込まれてしまうようにも思えてきて……何が言いたいのかわからなくなってきてしまいました。

まあ、こういうことを感想として持てた点は、この作品の読書の一つ有意義なところだといえるのかもしれませんが、しかし感想を持つだけでは意味がないともいえるわけで……、今日は本当に思考がぐるぐるしはじめてきたので、この辺にしておきたいと思います。

読書感想まとめ

神崎派か、海野派か、昔の意見が気になるところ。現在では間違いなく神崎派が多数でしょう(……ですよね?)。

狐人的読書メモ

またしても何が言いたいのかわからない感想になってしまった。

・『海城発電/泉鏡花』の概要

1896年(明治29年)、『太陽』にて初出。出来事、登場人物などすべてフィクションで、泉鏡花に従軍経験はなかったはずだが、一定以上のリアリティを感じられた。

以上、『海城発電/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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