雪の夜/織田作之助=人が落ちぶれたときってどんなとき?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

雪の夜-織田作之助-イメージ

今回は『雪の夜/織田作之助』です。

文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約35分。

クラブに通って散財、お決まりの転落人生。
落ちぶれても人はプライドを捨てられない。
じゃあプライドを捨てた時が落ちぶれた時?
感想は大阪のほんまのけつねうどんと頑張りエピソード。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

大分県の別府温泉、大晦日に珍しく雪が降った。夜の通りは閑散としている。店はどこも商売あがったりだ。路上の易者もそうだった。しかし動けない。お金がないのに帰れない。

料亭から女たちを引き連れて、羽振りのいい男が出てきた。そのほうをちらと見た易者と男の目が合った。どちらもひどく驚いた。互いに見知った顔だったのだ。料亭から出てきた松本は、易者の坂田に声をかけた。

五年前、坂田は大阪で印刷業を営むまじめな男だった。しかしあるきっかけからクラブにはまってしまった。瞳をナンバーワンにするため、印刷所を売るまで散財してしまった。松本はその頃の坂田同様、瞳の上客だった。

坂田はすっかり落ちぶれて、もはや嫌われて当然だと瞳を諦めかけていた。しかし女心はわからない。坂田が落ちぶれたのも自分が原因だから、といって二人は一緒になる。

瞳の本名は照枝という。そのとき照枝は妊娠していた。坂田は松本の子ではないかと疑っていた。が、結局子供は流産した。

その後、東京でうどん屋を開いたがうまくいかなかった。照枝は病気を患ってしまい、二人は別府温泉に流れてきた。つらく苦しい貧乏暮らしをしていた。

松本は、坂田を誘って入った喫茶店で、昔のことを思い出していた。かつてクラブで豪勢に遊んでいた坂田、いまや落ちぶれた彼の姿は哀れでしかなかった。本当は坂田をダシにして、自分の出世を女たちに自慢したいだけだったのだが、そんな気も失せた。照枝も貧乏暮らしでやつれているのだろうか……。

しばらくして坂田が全員分の勘定を払って店を出ていった。落ちぶれても坂田は男としての対抗心と自尊心を捨てられなかった。これで本当の無一文になった。

松本は坂田の後を追った。「仕事がしたければ連絡してくれ」と名刺を渡した。

坂田は背中を丸めて海岸通りを黒く歩いた。ここまでしてくれるからには、松本と照枝には何かあったに違いないと確信すると、怒りでも悲しみでもない不思議な遠い思いがした。

坂田は松本の名刺を千切った。そして照枝のこと、これからの暮らしのことを思いながら家に帰った。

狐人的読書感想

なんだか気が滅入るお話でしたね。

まず入りからして暗さを感じます。

普通は賑わっていてもいいような観光地、大分県別府温泉の大晦日、その晩は土地柄めったに降らない雪が降り、寒さのため辺りは閑散としている――観光業って、本当に天候に左右されるよなあ、とだいぶ的外れな感想を持ちました。

物語は典型的な転落人生です。まじめだった坂田が、ひょんなことからクラブ通いにはまってしまい、散財して落ちぶれていく……、というストーリーラインはいかにもという感じがします。

坂田が落ちぶれる原因となったクラブ譲の瞳(照枝)が、同情からか何なのか、坂田と一緒になったところに一抹の希望を見出すこともできそうですが、どうも裏があるように思えてなりません。

照枝が坂田と一緒になったのは、本当に愛情や罪悪感や同情心からだったのでしょうか?

宿した子供は本当に松本の子ではなかったのでしょうか?

身重で働くことはできず、しかし松本とは妊娠を打ち明けられるほどの関係ではなく、仕方なく坂田を頼るしかなかったのではなかろうか?

――などと邪推してしまいますね。

坂田も「あれは松本の子だったのでは?」ということにはずっと苦しんできていて、さらに照枝は病気になってしまい、やっぱり重荷になっているだけにしか感じられず、とはいえどんな事情があるにせよ、誰かが一緒にいてくれるのはそれだけで幸せなことなのかなあ、みたいな――はたしてこれが「一抹の希望」となり得ているのかどうかは悩ましいところです。

意見が分かれそうな気もするし、それでもやっぱり偏りそうに思えます。

物語の流れの中で興味を持ったのは、坂田が東京できつねうどん専門のうどん屋を始めたことです。

「大阪のほんまのけつねうどんをたべさしたるねん」ということで、発想はいいのだけど目の付け所が悪かったかな、などという感想を持ちました。

たしかに、海外や地方の知られざるおいしい食べ物を、東京で展開して成功している例はあるように思うのですが、うどんって関西と関東で大きく違うものですよね。

それは出汁の味付けですが、「関西は薄味で関東は濃味」というのは誰でも知っている有名なところだと思います。

「大阪のほんまのけつねうどん」というからには、やはり味付けは薄味だったのでしょうし、これが関東でウケるかどうかはちょっと考えてみればわかるような気がしました(ダメ出しが厳しすぎる?)。

まあ、何が流行るかなんて、本当にはわからないことではあるのですが。

ただ、僕が興味深かったのはその点ではなく(ならなぜ書いたのか?)、うどんが流行らなかった原因を「大阪弁」だと考えている坂田の分析が、意外な感じがしておもしろかったのです。

「おいでやす、なにしまひょ、けつねですか、おうどんでっか」

たしかに僕も、大阪弁には粗雑というか怖いようなイメージを持っています。だけど実際に話をしてみると、言葉の荒さとは反比例に、やさしかったり親切だったりすることが多いような印象も持っています。

むしろ言葉の丁寧だったりキレイだったりする人のほうが冷たい、というのは一般的な印象論といっていいんですかね?

もう一つ、こういう「頑張りエピソード」みたいなのを読むといつも考えてしまうのが、「努力は無駄なのか?」ということなんですよね。

坂田の場合、努力が足りなかったからうどん屋がダメだったのか、それとも経営の才能がなかったからダメだったのか、みたいな。

現実的に見れば、やはり「才能がなかったからダメ」だった、ということになる気がします。

みんなが頑張っているのに、みんなが成功できるわけでないのは、やはり才能というものがあるからだと思うのですよね。

努力をできるのも才能、運をつかむのも才能、夢を叶えるのも才能――などと書き連ねてみれば、全部が全部才能のおかげだと思えてきて、しかしこの言い方は卑怯ですかね。

才能がある人ほど「努力すれば夢は叶う!」みたいなことを言いますが、しかしそれを信じて努力しても夢が叶わなかった人の多いことを思えば、はたしてそれがいいことなのかなあ、という感じがします。

「無駄な努力はするな」とはっきり言ってくれる人のほうが、じつはやさしい人だったりするのかなあ、などと感じてしまうわけなのですが、イメージダウンは免れ得ない気がするので、そこに人間の生きにくさのようなものも感じてしまいます。

――とかなんとか。

そんなことを考えておもしろく感じたところでした。

(どこをおもしろく感じているんだよ、という気がしますが……)

最後に松本の人柄について、ちょっとだけ。

坂田はなんだかかわいそうで情けない、照枝はなんだかずるそう、松本はなんだかいい人そう――といった印象を受けます。

坂田をダシにして女たちに自慢しようと思ってたところはあくどいな、と感じたのですが、坂田の落ちぶれた様子を見てその気は失せて、仕事の面倒まで見てやろうという気になったところ、じつはいい人なのかな、という気がします。

坂田は結局対抗心と自尊心を捨てきれず、松本の名刺を千切ってしまいますが、……これからどうなってしまうのでしょうね?

なんとなくハッピーな展開は期待できそうにありませんが、うまくことが運んでほしいなあ、と、思わずにはいられないラストでした。

読書感想まとめ

……まったくテーマと関係ないことを書いてしまいました。

狐人的読書メモ

人は落ちぶれても対抗心と自尊心を捨てられないものだろうか、人は落ちぶれたとき対抗心と自尊心は早く捨ててしまったほうがいいのかもしれない、しかし対抗心と自尊心を捨てたときが落ちぶれたときだといえるのではないか――そう考えてみると自分のいまが落ちぶれていないとは自信を持って言えない気がした。

・『雪の夜/織田作之助』の概要

1941年(昭和16年)6月、『文芸』にて初出。典型的な転落人生。テンションを下げたくない人にはおすすめできない。

以上、『雪の夜/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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