かぶと虫/新美南吉=この世には泣くことのできない悲しみがある、大きいお友達にもおすすめ。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

今回は『かぶと虫/新美南吉』です。

かぶと虫-新美南吉-イメージ

文字数3800字ほどの童話。
狐人的読書時間は約11分。

カブトムシをとらえた小さい太郎をとらえた悲しみ。
人は価値観が変わると心の距離も変わってしまう。
この世には泣くことのできない悲しみがある。
童話ですが大きいお友達にもおすすめ。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

小さい太郎はカブトムシを捕まえた。おばあさんに見せに行くとつまらない反応しか返してくれなかった。そこで友達に見せようと家を出た。

一人目は金平きんぺいちゃんだ。小さい太郎が金平ちゃんの家に行くと、「金平ちゃんはお腹を壊して遊べないのだ」と、金平ちゃんのお父さんが教えてくれた。小さい太郎はがっかりした。でも、明日になれば、金平ちゃんのお腹も治って、また一緒に遊べるからいいや、と思った。

二人目は恭一きょういち君だ。恭一君は小さい太郎よりひとつ年上で木登りが得意だ。小さい太郎が恭一君の家に行くと、「恭一君は三河みかわの親戚のところへ養子に出した」と、おばさんが教えてくれた。小さい太郎は望みを失わなかった。また盆や正月になれば恭一君と遊べるのだから。

三人目は安雄やすおさんだ。安雄さんはもう青年学校に行っていたが、面倒見がよく小さい友達からは特別に尊敬されていた。安雄さんの家は車大工をしていて、そのためか安雄さんは遊びを工夫しておもしろくするのがとても上手だった。安雄さんならきっとこのカブトムシでおもしろいことを考えてくれるに違いない――小さい太郎がわくわくしながら安雄さんの家に行くと、「安雄はもう一人前の大人になったから子供とは遊ばないのだ」と、安雄さんに大工の手ほどきをしていたおじさんが言った。

小さい太郎の胸に深い悲しみが湧き起こった。金平ちゃんは明日になればまた遊べる。恭一君も三河からきっとまた帰ってくる。しかし安雄さんはもう帰ってこない。大人の世界から子供の世界に帰ってくることはない。同じ村のこんなに近くにいても、もう安雄さんと一緒に遊ぶことはないのだ。小さい太郎は泣かなかった。この悲しみは泣いて消すことのできる悲しみではなかったから。カブトムシはいつか指からすり抜けて、逃げてしまった。が、小さい太郎はそのことにさえ気がつかなかった。

狐人的読書感想

かぶと虫-新美南吉-狐人的読書感想-イメージ

小さい太郎がカブトムシを捕まえて、きっとおもしろい遊びがあるに違いないと思ったあたりから、はじめは小さな子供の無邪気な残酷さ、みたいなことを思っていたのですが、そんなことを思っている場合ではありませんでした(そんなことってことはないのですが……)。

大きいお友達(この書き方、あるいは語弊があるかもしれませんが……)安雄さんが大人の世界に行ってしまい、もう二度と一緒には遊べないのだと悟ったときの、小さい太郎の深い悲しみに深い感銘を受けました。

みなさんは、自分が子供のときどんなことを考えていたか、覚えているでしょうか? あるいは、まだまだ現役バリバリの子供だぜ!(どんな主張だよ! ですが)――という方は、小さい太郎と同じような悲しみを抱いたことがあるでしょうか?

かくいう僕はというと、自分が子供のときどんなことを考えていたか、まったく覚えていないのですが(まったく覚えていないのはまだ自分が子供だからなのか? そんなばかな!)、だけど共感できるということは、どこかで似たような感情を抱いたことがあるのか、それとも今回の読書のように、かつて読んだ何かの本で疑似体験していたのだろうか、……ちょっと思いを巡らせてみました。

思いを巡らせてみるうちに、「別々の世界に住むことになる別離の気持ち」とでもいえるようなものは、何も「子供の世界と大人の世界」に限ったことではないのかなあ、といったようなことを考えました。

たとえば、同年代の友達でも、昔はあんなに仲良しだったのに、いまは疎遠になってしまった、みたいなことがあると思います。

それは、学校が変わってしまったとか、クラスが変わってしまったとか、物理的な距離の開きが理由の場合もあるでしょうが、勉強やスポーツの能力差を感じたり、趣味や話が合わなくなったり、そのことでお互いの付き合う友達が変わってしまったり――やはり心の距離が開いてしまうことが、大きな要因なのではないでしょうか?

個人の持つ価値観の違いが、人と人との間を隔ててしまうわけで、子供の世界や大人の世界とかいうのも、この価値観の違いというもののひとつのように感じます。

小さい太郎の胸に沸き上がった深い悲しみ、それは非常に漠然としたものだという気がして、とくに子供の頃にそれを文章化して残しておくことは難しいように思いますが、しかし大人になってもそれを文章として伝えるのはなかなかに難しいことのような気がしました。

これは新美南吉さんの作品を読むたびに思わされることですが、新美南吉さんは少年の気持ちを描くのが本当に巧みです。

新美南吉さん自身も母方の祖母の家へ養子に出された経験があり、そのことを恭一君の境遇や、あるいは小さい太郎とおばあさんの通じ合わない心の在り様などにモチーフとして反映しているのかなあ、などと想像できるのですが、自身の幼少期の体験とはいえ、それを人が共感できる童話という形に具象化できたことは、やはり文豪の才能を感じさせられるところであります。

もうひとつ、これまで僕は童話といえばファンタジーの印象が強かったのですが、最近童話を読んでいて思うことは、現実を描いているものがかなり多いということなのです。とくにグリム童話を読んでこれを感じることが多いように思いますが、新美南吉さんの作品も非常にリアルを感じられます。

ある悲しみは、なくことができます。ないて消すことができます。

しかし、ある悲しみはなくことができません。ないたって、どうしたって、消すことはできないのです。いま、小さい太郎のむねにひろがった悲しみは、なくことのできない悲しみでした。

「泣くことのできない悲しみ」がこの世にはあるって、なんか深いなあ、とかリアルに感じてしまうのは僕だけ?

人と人とは、一時ある一部分では心を通わせることができるかもしれませんが、それは永遠に続くものではあり得ないし、また完全に心を通わせることもできません(このことは『久助君の話』などでも描かれていて、ひとつ新美南吉さんにとっての重要なテーマだったと思われます)。

なんとなく少年マンガの熱血主人公ならば、それに自分流の理屈をつけて、熱く熱く語れるシーンな気もするのですが、現実をすなおに受け入れて、それでも人間は生きていくんだ、的な余韻のある終わり方はどこか現代的にも思ったのですがどうでしょうね?

「俺TUEEE系」みたいな、物語に求められる主人公像は時代とともに変わっているような気もするし、「流行は繰り返す」といわれるようにぐるぐる回っているだけのような気もします(俺TUEEEはひょっとしてもう古い?)。

……うん、話が関係のない方向へとずれてきているので、今回はこのへんで。

読書感想まとめ

かぶと虫-新美南吉-読書感想まとめ-イメージ

人は価値観が変わると心の距離も変わってしまう。

この世には泣くことのできない悲しみがある。

狐人的読書メモ

――リアルな童話だと思った他の点に、命で遊ぶという人の残酷さと、金平ちゃんの腹痛を心配するよりも治ればまた明日遊ぶことができるという自分本位な部分についても思うことは多かった。また別の機会を得て書きたいところである。

・『かぶと虫/新美南吉』の概要

初出は1943年(昭和18年)出版の第二童話集『牛をつないだ椿の木』。執筆時のタイトルは『小さい太郎の悲しみ』だった。ある悲しみは泣くことができない。泣いたって、どうしたって、消すことはできない。大きいお友達にもおすすめ。

以上、『かぶと虫/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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