三十歳/坂口安吾=純粋な恋愛はない、恋愛に傷つかない傷つけないためのエッセンス。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

三十歳-坂口安吾-イメージ

今回は『三十歳/坂口安吾』です。

文字数16000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約56分。

坂口安吾三十歳、狂気の恋愛の結末。

人から評価を得るのは難しい、
評価して欲しがっていることを相手に見抜かれているから。

恋愛を純粋なものだと勘違いしていると
傷つき傷つけてしまう。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

坂口安吾が四十二歳のときに、「三十歳」の頃を回想して書いた私小説。二十六歳のときから恋愛関係にあった、当時の人気女流作家・矢田津世子やだつせことの別れが綴られている。

二人の交際は約四年およんだが、なかに中断期間が三年あって、実質的には一年ほどの付き合いだったという。

安吾はその中断期間に複数女性と付き合っていたが、その女性とはきっぱり別れて、元のアパートに帰ってくると、矢田はそこに訪ねてきた。

私はあなたを愛しています。

――その一言だけを怒鳴って立ち去るつもりであったと語る矢田に、四年間自分も思い続けていたことを告げる安吾。なぜ、四年前に、それをおっしゃってくださらなかったのです。――その日二人は三日後に会う約束をして、別れた。

三十歳の安吾はまだ売れない小説家だった。矢田は、あなたは天才なのだからあきらめるな、と言ってくれたが、安吾にはただむなしく、無能力者であるといわれているようにしか響かなかった。

年が変わると、安吾は三畳ぐらいの時計塔のような部屋に引っ越した。再会から一週間、あの日二人は激しい愛情を打ち明け合ったが、それ以上どうにもなりそうにないらしいことを、安吾は悟り始めていた。

当時の安吾は狂気のような恋をしていた。恋愛とは、狂気なものではあるが、純粋なものではない。そこには複雑で不純な歪みがある。しかし狂気の恋愛は純粋なものであると思われやすい。もちろん当時の安吾もそのように思いつめていた。

矢田に会わない三年の間、安吾は矢田を求めるように他の女を求めた。しかし女が安吾を求めるのには、時々激しい憤りを覚えた。空想の中の矢田は理想化され、神聖なものになっていった。

安吾は矢田に再会し、混乱の時期が収まると、自分が恋い焦がれてきた矢田津世子は、もはや現実の矢田津世子ではないことに気づいてしまった。そして矢田も、同じことを悟っていることにも。

二十七のときにはもう戻れない。

矢田津世子と最後に会った日、安吾はたとえ暴力を振るってでも、彼女を自分のものにしようと決意していた。しかしそんな安吾の下心は、食事をしているときから矢田に見抜かれていた。二十七のときにはもう戻れないのだ。

結局その日は安吾の部屋のベッドの上で、二人はキスをして別れた。鉛のようなキスだった。

安吾は夜更けまで考え込んで、絶縁の手紙を書いた。私たちには肉体があってはいけない、ようやくそれがわかった、だからもう再び会わないことにしよう。矢田からの返事はなかった。

狐人的読書感想

三十歳-坂口安吾-狐人的読書感想-イメージ

『三十歳』は坂口安吾さんの私小説です。

作中でも言葉として出てきた『二十七歳』や『いづこへ』など、坂口安吾さんは私小説が多いみたいですね。

ちょっと調べてみると、坂口安吾さんは豪快なお人柄で知られているようなのですが、『三十歳』を読んでみて、僕もなんとなく坂口安吾さんという人物に惹かれるところがあります。

ぜひ他の私小説も読んでみたいと思いました。

ところで私小説は、自伝小説や自伝的小説といわれることもありますよね。

私小説はフィクションを含み、自伝はノンフィクションである、という違いはわかるのですが、では私小説と自伝小説とはいったい何が違うんでしょうね?

じつは私小説と自伝小説の明白な区別はむずかしいのだとか。

私小説が著者の「人生の一部」をテーマにしているのに対して、自伝小説はその「生涯」をテーマにしている、といった期間的な区別もできるようですが、どうやらほぼ同じものだと認識していて大きな問題はないようです。

さて、ここからは『三十歳』の内容に触れていきたいと思うのですが、一言で言えば「大人な小説」ですね。僕にはむずかしかったように思います。

とはいえ、やはり何も思わなかった、ということはないので、狐人的読書感想を綴っておきます。

売れない小説家、売れない漫画家、売れないミュージシャン、売れない芸人……、何か一般的に大成するのがむずかしい夢を追いかけていて、それがうまくいかないときというのはどのような気持ちがするものなのでしょう?

たぶんこれは、勉強や部活や仕事や人間関係などがうまくいかないときに感じる気持ちの延長線上にあるもので、鬱々うつうつとした気持ちになるのではなかろうか、というのは想像に難くないところです。

何かがうまくいかないとき、誰かの慰めや励ましの言葉をすなおな気持ちで聞けないときというのはあるように思います。

坂口安吾さんが矢田さんに、「あなたは天才なのだから、あきらめてはいけない」と言われたとき、その言葉がただむなしかった気持ちは、そんな鬱屈の表れだったはずです。

坂口安吾さんは、それを矢田さんに言わせているのは自分自身の虚栄であって、その虚栄は矢田さんに見抜かれていて、それで矢田さんは坂口安吾さんに不潔さを感じていたと分析していて、まあ思い入れのある人のことだとはいえ、人の心を深く読み解くひとだなあ、と、感心させられてしまいました。

もしも僕だったら、普通にうれしいか、憐れまれたと思って悲しいか、それだけのことしか考えないように思います。

恋愛関係にある人だからこそ、あるいは家族や友達だからこそ、そこに自分の甘えとでもいうべき感情が見え隠れしてしまい、そういった感情が相手に自分の求めている言葉を言わせているのだという考え方は、もうひらかれたような気がして、ちょっと自分の態度を振り返させられるところでした。

たとえば、自慢話とか、自慢話とまではいえないにしても、テストでいい点が取れたときとか、どこかしら、話し相手に「すごいね」と言ってほしいという気持ちがあって、その話をすることがあります。

そんなときに相手が「すごいね」と言ってくれるのは、ひょっとしてこちらが「すごいね」と言ってほしいから言ってくれているのであって、本当は心の中で「すごいね、って言ってほしいんでしょ? だから言ってあげてるんだよ」とか思われているかもしれない、ってことですよねえ、これ。

ちょっと穿ち過ぎかもしれませんが、そう考えてみると、自分が本当に評価を得たいものについては、自分から話題にしてしまうと、真の評価は得られないのかもしれず、自分が創作した小説だとか、「ちょっと読んでみてよ」ってお願いするのも考えものなのかもしれません。

他者から真の評価を得るというのは、本当に才能がないとなかなかむずかしいことなんでしょうねえ……という、なんだか当たり前のことを思ってしまいました。

『恋愛とは狂気なものではあるが、純粋なものではない』というフレーズには僕も思わされるところがありました。

一途に想う恋愛というのはたしかに純粋なものであると勘違いしてしまいがちなように感じます。

恋愛は、相手に愛されたいから一途に慕うわけであって、この「相手に愛されたい」という気持ちがおそらくはすでに不純な気持ちなのでしょうね。

母の愛を「無償の愛」、というのを耳にすることがありますが、それだって突き詰めてしまえば「子孫を残す生物としての本能」であるのかもしれず、そう考えてしまえば、人間の想いというものに純粋なものなど存在しないのかもしれませんよね。

本文に「幼年期、年長の異性に強い思慕を寄せるのは動物的なもので、青年の恋愛は人間のものであるが、情熱の高さのみが純粋であって、人間が純粋であるわけがない」といったようなくだりがあります。

人間も動物である以上は、愛といってその思いが崇高なものであるはずがなく、生物的本能や欲望がそれに含まれているには違いなく、動物性と人間性という言葉があるように、人間には何かしら純粋なもの、理想的なものを追い求めてしまうところがあって、恋愛などもそれと勘違いしてしまう最たるもの、というのはたしかにあるように思います。僕自身にもあるように思います。

純粋な恋愛、純粋な愛、純粋な好意、そんなものはアニメやドラマや映画や、物語の中だけの話であって、自分だって不純なのだから、相手が不純だからといって失望したりしてはいけないのだと、日頃の自分の姿勢を反省させられる思いがしました。

いろいろな場面に置いて、純粋な好意を求めてしまうところが僕にはあるのですが、それではダメなんですよねえ。

「ギブアンドテイク」ということを常に意識しておきたいと思う今日この頃です。

読書感想まとめ

三十歳-坂口安吾-読書感想まとめ-イメージ

大人な小説。

恋愛について語るのは僕にはむずかしいです。

狐人的読書メモ

自分の経験を書かない小説はない、という意味でも私小説の線引きはむずかしいらしい。

真心を感じたとき、ひとはそのことを忘れられない。

勝利とは何なのだろうか、答えは人それぞれにある(中島敦の『虎狩』に通じるテーマ、その答えか?)。

同じような繰り返しの恋愛から得たもの、それはいま書きつつあること、いま書かれつつあることである(作家らしい)。

若い時分は自分でも自分の気持ちの正体がうまくつかめないからイライラして相手を傷つけてしまうのか、その意味では若いうちに読んでおくべき小説なのかもしれない。

動物的なのが人間性なのか、動物的でないのが人間性なのか、ということについては深く考えさせられる。

・『三十歳/坂口安吾』の概要

1948年(昭和23年)5月、『文学界』(第二巻第五号)にて初出。著者自身の恋愛について書かれた私小説。大人な小説、されど若いうちに読むのが吉な小説。

以上、『三十歳/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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