小説読書感想『山月記 中島敦』→月下獣←人虎伝→苛虎…手乗りタイガー?

まずはご挨拶(挨拶は大事!)

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

今回は小説読書感想『山月記 中島敦』です。

狐人的には、いよいよという感じなのですが。『文豪ストレイドッグス』という作品を知って、これまで、登場するキャラクターのモチーフとなっている文豪の作品についてブログ記事を書くたび、中島敦 さんの『山月記』に触れなければと思いつつ、先延ばし先延ばしにしてきました。

李陵・山月記 弟子・名人伝 アニメカバー版<「文豪ストレイドッグス」×角川文庫コラボアニメカバー>

何を隠そう(テレビアニメ化するほどの人気作なので全然隠されてはいませんが)中島敦 さんは『文豪ストレイドッグス』の主人公! 『山月記』はその異能力「月下獣」のモチーフとなっている作品!

 

そんな重要(?)な小説について、なぜこれまで書いてこなかった――、かと訊かれれば、中島敦 さんの『山月記』は、僕にはちょっと読むのが難しく感じられたから、というのがその理由となります。

漢語調、というんですかね、とにかく難しい漢字や理解できない言い回しが多くて、読みづらい……。高校生の国語の教科書にも載る小説と聞けば頷かされてしまいそう(僕の学力レベルがばれてしまいそうな発言ですが……)。

とはいえ、『文豪ストレイドッグス』の話題を度々出させていただいている以上、避けては通れない小説! というわけで、いよいよ『山月記 中島敦』の小説読書感想にチャレンジする運びと相成りました。お付き合いいただけましたら幸いです。

中島敦 さんの『山月記』は、無料の電子書籍Amazon Kindle版で8ページ、文字数7600字ほどの短編小説です。前述したとおり、ちょっと読むのが難しいイメージですが、実際読んでみると、内容を把握するぶんには問題ないレベルでした。未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

概要とあらすじ(まとめに難あり?)

それではここから概要とあらすじを述べていきたいと思います。

物語の舞台は唐の時代の中国です。遣唐使の「唐」。西暦618年~907年。日本は飛鳥時代から平安時代のころのお話となります。

『山月記』を簡単に言ってしまうと、人間が虎になってしまった物語。こうした変身譚というような物語は、東・東南アジアでは結構メジャーなものなのだとか。『山月記』も中国の説話である『人虎伝』から着想を得て、中島敦 さんが独自のアレンジを加えて著された作品です。

主人公の李徴りちょうは博学で才能があり、若くして科挙という国家試験に合格して役人になりますが、尊大で傲慢な性格だったために、その職や周囲の仲間を軽んじていました。

その結果、くだらない上司に使われて一生を棒に振るよりも、詩人になって後世に名を残したい、と思うようになり、せっかく就いた役人の仕事を辞めて、人付き合いを一切絶ち、ひたすら詩を作ることに没頭します。

(詩人ではなくて、ミュージシャンや漫画家、小説家などに置き換えてみると、サラリーマンなら誰しも一度は考えてしまうことなのでしょうか? 脱サラしてフリーランスの道を歩み始めた、といえば幾分聞こえはいいかもしれませんが、ニートになってしまったと捉えると……)

そんな心配が的中して、やはり創作家として身を立てていくのは、現代でも昔でも変わらず難しいことだったようで、李徴は挫折します。貯えもなくなり、生活は苦しくなって、妻子を養うためにも、李徴は出戻り社員よろしく元の職場に復帰します。

(李徴は妻子持ちでしたか。ならば思い切ったことをしましたねえ……。ちなみに出戻り社員とは、独立・起業などを目的に一度自主退社した人が、元の会社に再雇用されること指して言います。これまで日本の企業は、年功序列や終身雇用といった制度のために強い仲間意識が生まれる傾向があり、出戻り社員にはネガティブな印象が強かったのですが、近年では労働人口の減少や多様化する働き方などを背景に、出戻り社員を採用する企業も増えてきているのだとか)

唐の時代の中国が出戻り社員(出戻り役人)に対してネガティブだったのかポジティブだったのかについては調べてみてもわかりませんでしたが、ともかく、なんとか出戻りできた李徴でしたが、しかし――かつての同僚はみんな出世して、自分よりも上の立場に……。もともと、上司に使われるのが嫌で職を辞した李徴が、昔バカにしていた連中に使われるのに耐えられるはずもなく……。一年後、出張した先で発狂し、行方知れずとなってしまいます。

それからさらに一年後、※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)えんさんという役人が、明け方の月明りを頼りに、林の道を進んでいると、一匹の虎に行き合います。虎は袁傪に襲い掛かろうとしますが、急に体を反転させて、草むらの中に隠れてしまいます。虎の隠れた草むらからは人の呟く声が聞こえる……。その虎こそ一年前に行方知れずとなった李徴の成れの果てだったのです。

袁傪は、李徴とはかつての同期であり、ほとんど唯一李徴の友達といえる人物でした。だから、草むらで呟かれる声を聞いて、その虎が李徴であることに気がついたのです。

袁傪は李徴がどうして虎になってしまったのかと尋ねます。

李徴の語るところによれば、一年前、出張先で泊まった夜のこと、ふと目を覚ますと何者かが自分の名前を呼んでいる……その呼び声に導かれるようにして、山中へと走り込み、わけもわからぬまま駆けているうち、気がつけば虎になっていたのだといいます。李徴はそれを避け得ない運命的な出来事だと解釈していました。

虎となった李徴は、一日数時間、人の意識を取り戻しますが、その間隔も日に日に短くなっているといいます。そして自分が完全に人間でなくなってしまう前に、頼みたいことがあるのだと訴えます。

それは、昔作った詩を少しでも後世に残したいという願いでした。

袁傪は友の願いを聞き届けて、部下に三十編ほどの詩を書きとらせました。どれも格調高く、独自性に富み、少し聞いただけでも作者の才能が秀でていると感じさせる作品ですが、袁傪は「何かが足りない」と感じます。

昔自らが作った詩を伝え終えた李徴は、虎に成り果てても、自分の詩集が人々に認められる夢を見るのだと自嘲します。

それから一編の詩を詠みます。

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗※(「車+召」、第3水準1-92-44)気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成※(「口+皐」の「白」に代えて「自」、第4水準2-4-33)

心を病み獣の姿になってしまった わざわいがとりつき逃れられない
私の爪牙に向かってくる者はなし 昔は私も君も評判高いものだった
いまや私は虎となって草むらの中 君は出世して権勢も盛んなようす
今夜も山・谷を照らす月に吠える 詩を吟じることなく吠えるばかり
(僕なりの現代語訳。間違ってたらごめんなさい)

夜明けが近づいてきたころ、李徴は、さきほどはわからないと言った、自分が虎になった理由を悟るのです。

それは、己の抱えていた「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のためだったと、李徴は語ります。

「臆病な自尊心」とは、プライドが高く、それを傷つけられるのを恐れるあまり、他者との交わりを自ら避けてきたこと、「尊大な羞恥心」とは、恥をかきたくないがゆえに、横柄な態度を取ってしまっていたことを指しています。

李徴は、こうした誰もが持っている自意識(=猛獣)を御し切れませんでした。強すぎる自意識が表出した結果が、今の虎の姿なのだと李徴は気づいたのです。

中二病でも恋がしたい!  (1) [Blu-ray](中二病に代表されるように、強すぎる自意識というのは、やはり思春期に感じることが多いように思います。そういう意味でも、(中二病はもう卒業?)高校生の教科書に載る作品として『山月記』は適しているのかもしれません。もちろん大人の方でも、仕事や家庭、夢と現実のギャップを感じることはあるでしょう。思春期から大人まで幅広くおすすめできる小説『山月記』と言えそうですね)

夜が明け始めたころ、李徴は自分の妻子のことを袁傪に頼みます。ここでも、本来ならば、自分の詩のことよりも、まずは家族のことを真っ先に頼むべきだったのに、それをしなかった――だから獣に身を堕としたのだと自責の念を抱きます。

虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮ほうこうしたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

哀しくもどこか美しいような上の一文で物語はとじられます。

エリート役人→脱サラ・ニート→出戻り社員(出戻り役人)→虎、まさに波乱万丈な人生でした……。(こんなまとめ方でいいのだろうか……)

感想と解説(……みたいなもの)

まず、まとめの感想を言ってしまうと、驕らず、常に謙虚な姿勢で人々と交わり、しっかりと努力をしなければならない、といったような教訓を得たように思いました(正直、僕にも李徴のようなところがあるなあ、と思わされてしまったので、李徴のラストに胸が痛いと同時に耳の痛いお話でした)。

そのことにようやく気がついた虎の李徴が作った最後の一編には、かつての李徴が作った詩には「足りなかった何か」が補われているように、袁傪には聴こえたのではないかと、僕は想像してみます。

しかし一方で、『山月記』を「才能があっても努力を怠ってはいけない」という教訓を含んだお話と解するならば、逆に「才能がなければ努力しても無駄」みたいに受け取ることもできるのでは……、とちょっと疑問に思ってみたり(謙虚じゃない?)。

あるいは、才能のあった李徴は、決して努力しなかったわけではありませんでした。そう考えると、才能があって努力をしても必ずしも認められるとは限らないといった、現実が示されているようにも感じました。

実際、学校の先生という職を辞して作家に転身した中島敦 さんの経歴は、『山月記』の主人公であるところの李徴と通じているようにも思います。芸術が認められることの難しさや、後世に残るような名作を生むことの困難さ、といったような問題を、自身のこととして捉え、主題の一つに据えて『山月記』を著したのかとも想像した次第です。

実際には、中島敦 さんは作家になるために辞職したというよりは、病気による体調悪化が原因で職を辞したようです。小説家として長く芽が出なかったわけでもなく、特にデビュー作に続く『光と風と夢』は芥川賞候補になっているので、この想像は飛躍し過ぎかもしれません(ちなみに、中島敦 さんは、その年の12月にお亡くなりになっているそうで、実質小説家だった期間は数カ月と聞いてびっくり)。

とはいえ、描きたいテーマを際立たせるための中島敦 さんのアレンジ力は凄いです。原作の『人虎伝』と中島敦 さんの『山月記』を比較して、いくつか取り上げてみたいと思います。

・虎に変身した理由

中島敦 さんの『山月記』では、李徴が虎になった主な理由は、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」でした。

しかし、原作の『人虎伝』では、李徴の浮気が家族にばれて、それを邪魔されたから家を家族ごと焼いてしまったという言い訳のできない自業自得……(てか、原作の李徴の人でなしっぷり……)。

『人虎伝』では完全に李徴が悪いので、悪いことをすれば悪いことが返ってくるといった因果応報的な教訓しか得られませんが、『山月記』では、人間誰もが陥りがちな心の葛藤を描いているので、人としての正しい在り方や芸術家の苦悩などさまざまに考えさせられていまいます。

・詩のことと妻子のことを頼む順番

『山月記』では、妻子よりも詩を優先してしまった己の非人間性を李徴が嘆くシーンが終盤にありましたが、『人虎伝』では中盤で妻子のことを頼んでいるのです。妻子よりも詩を優先させることで、人間性の欠如が虎となった原因に含まれ、李徴の苦悩の深みとともに、作品の深みがより増しているように感じられました。

・ラストシーン

『人虎伝』は李徴の子どもや李徴の友人である袁傪のその後についても書かれているのですが、『山月記』では虎が月に向かって吠えるシーンで終わります。

たとえば。

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(2017年4月からアニメが始まりますね。『BORUTO -ボルト- NARUTO NEXT GENERATIONS』。楽しみです)

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――好きな物語のその後の話というのは、どうしても惹かれてしまうものですが、『山月記』のラストは、哀切ですがどこか美しいシーンになっているように感じます。

水墨画のような、趣のある一枚の絵が、自然と脳裏に浮かび上がってくるようです。

虎の仰ぐ「白く光を失った月」は、袁傪が「明け方の月明り」を頼りに、林の道を進んだときからの時間経過を表していると同時に、李徴の人としての心が消えていこうとしてる様をも表現していると捉えることができます。

これ以上ないラストシーンになっていると思うのは僕だけでしょうか?

『文豪ストレイドッグス』の中島敦 さんの異能力の名前は「月下獣」です。明らかに『山月記』のラストシーンから付けられた名前だと思うのですが、「月下獣」の表記は、原作の『人虎伝』にも『山月記』にも見られませんでした(僕の調査不足があればすみません)。だから、「月下獣」は『文豪ストレイドッグス』の原作者である朝霧カフカ さんが付けたのだと推察するわけなのですが、このラストシーンを彷彿とさせるとてもいいネーミングだと思いました。

ちょっと雑談(に見せかけた……)

[まとめ買い] とらドラ!(電撃文庫)さて、虎といえば、いろいろな漫画や小説のモチーフとして使われますよね。竹宮ゆゆこ さんのライトノベル『とらドラ!』に登場する逢坂大河(手乗りタイガー)なんかをぱっと思い浮かべてしまいます。

 

猫物語 (白) コンプリートBOX (Blu-ray)(inport)最近ですと、やはり西尾維新 さんの小説『物語シリーズ』・『猫物語(白)』の怪異・苛虎が印象深いです。その特性といい、ひょっとして、『猫物語(白)』の怪異・苛虎のモチーフは、『山月記』ではなくて、原作の方の『人虎伝』なのでは――と、ちょっとした発見をした気分になったのですが、はたして……。

じつは何を隠そう(隠した方がいい?)、僕の書いた小説でも虎をモチーフとして使っているので、よろしければぜひ……と言いたいところではあるのですが、人に読んでもらえる出来になっているのか、不安になってきている今日この頃なわけですが……一応(?)。

虎をモチーフに使用した僕の書いた小説
egg<プロローグ>

そして最後に、中島敦さんの小説の中に『狐憑』というものがあります。狐人的にはぜひとも読まなければならない作品(そのわけはこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」)!

近々小説読書感想にも書こうかと考えているので、こちらもぜひ読んでやってください。

以上、『山月記 中島敦』の小説読書感想でした。

主人公は中島敦さん! 『文豪ストレイドッグス』

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは今日はこの辺で。

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