おぎん/芥川龍之介=わたしが生き延びたかっただけで悪いか!?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

おぎん-芥川龍之介-イメージ

今回は『おぎん/芥川龍之介』です。

文字7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約16分。

わたしの生みの両親は仏教徒でした。このままキリスト教徒として火刑に処されれば、わたしは天国へ行けます。ですが生みの両親を地獄へ残し、わたし一人天国へは行けません(にやり!?)

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

江戸時代の初期、元和か寛永年間の頃、禁教令が発布され、キリシタンへの弾圧は苛烈を極め、隠れキリシタンは発見次第、即、火刑に処されていた。

長崎郊外、浦上の山里村におぎんという童女がいた。仏教者であったおぎんの父母は、おぎん一人を残したまま故人となる。おぎんはキリスト教を信奉する孫七とおすみの夫婦に引き取られ、キリストの教義を守り、穏やかでささやかな、幸せな日々を過ごしていた。

だが、ある年、家族は役人に捕らえられ、拷問の末、いよいよ火刑に処されることになる。

刑場で、役人は最後の棄教を家族に迫る。孫七もおすみも答えない。キリストの教義を捨てると言えば、すぐに火刑は中止される。だが、このまま教義を守り、命を捨てれば、天主のいる、幸福な天国へ行ける……

「わたしはおん教を捨てることにいたしました」

沈黙の中、そう言ったのはおぎんだった。

おぎんの生みの両親は仏教徒――キリスト教の教義によれば、今頃は地獄にいるはずである。おぎんは生みの両親だけを地獄にやったまま、じぶんだけ今の両親と天国へ行くことはできないと言う。

それを聞いたおすみは涙する。

「お前も悪魔に魅入られたのか?」と叱りつける夫の孫七に、「わたしはお供いたします。けれどもそれは天国へ行きたいからではありません。あなたのお供をするのでございます」とおすみは言葉を投げかける。

青ざめて沈黙するしかない孫七。

そこで「お父様、お母様、地獄へまいりましょう! みんな悪魔にさらわれましょう!」と叫ぶ童女、おぎん。

おぎんの涙に溢れた目には、不思議な光が宿っており、それは無邪気な童女の心ばかりでない、「流人となれるえわの子供」――あらゆる人間の心であった。

孫七はとうとう堕落し、この話は我が国のキリシタンの受難の中でも、最も恥ずべきつまずきの物語となり、キリスト教徒でもない見物の老若男女さえ彼らを憎み、悪魔は大歓喜したというが――これがはたして悪魔の成功といえるだろうか、作者は懐疑的だという。

狐人的読書感想

いろいろな読み方ができて、おもしろい小説だと思いました(内容的に「おもしろい」と言ってしまうのは、あるいは不謹慎になってしまうかもしれませんが)。

これは、おぎん一家の「棄教」とおぎんの親孝行の心、宗教の価値観でははかれない「人間の善性」とでもいうべき心が、描かれている小説のように読めますが、そうではないかもしれないそうです。

簡単に言ってしまうと、

「いや、おぎん、ただ自分が生き延びたかっただけじゃね?」

ということなのですが(言い方……)。

おぎんが棄教すると宣言したシーン、それに続く亡き生みの両親への想い、共に地獄へまいりましょう(共に生きましょう)という今の両親への想い――

これらは、純真無垢な童女の口から出た言葉であるがため、その言葉以外の狡猾な意味はないのだろうと、単純に考えてしまいがちになりますが、しかし逆に童女ゆえのずる賢さだったのだとすれば、すべての言葉は自分が生き延びたいがための言いわけに過ぎなかったのではなかろうか――という意見に、ひねくれものの僕としては妙に頷かされてしまいました。

もちろん、幼い頃からキリスト教の考え方や物の見方を叩きこまれ、ひたむきにそれを信じて、天国へ行くため、幸福のため……命を投げ出すこともいとわない、あどけない子供――というのも想像できないわけではないのですが、やっぱり命を捨てたくない、もっと生きていたい、と本能的に考えてしまうほうが、リアルな子供心、人間の心情のように思えるんですよね。

これについてはどちらともとれるような、「無邪気な童女の心ばかりではない」「流人となれるえわの子供、あらゆる人間の心である」という、芥川さんの書き方もうまい感じがします。

狡猾とかずる賢さとか書いてしまうと、それが悪いことのように思えてしまいますが、しかし子供が、人間が、生物が……「どんなことがあっても、どんなことをしてでも、生きたい」と望むことが、はたして悪いことなのかは疑問です。

自分のためだけに人を傷つけたり、騙したりするのは悪いことですが、生きるためだったなら仕方ないかな、という気がするのです。

おぎんが本当に両親のことを想って棄教したのか、ただ生きたかっただけなのか、真実はちょっと僕にはわかりませんが、いずれにせよ生きることが描かれているのはわかる気がした、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

わたしが生き延びたかっただけで悪いか!?

狐人的読書メモ

・『おぎんは釈迦が生まれた時、天と地とを指しながら、「天上天下てんじょうてんげ唯我独尊ゆいがどくそん」と獅子吼ししくした事などは信じていない』――、「天上天下唯我独尊」と「獅子吼」という言葉の響きがなんかカッコイイ……それだけ。

・生きること、現実のこの世こそ地獄であるかもしれない……とはよく思う。

・『おぎん/芥川龍之介』の概要

1922年(大正11年)『中央公論』にて初出。1923年(大正12年)短編集『春服』(春陽堂)収録。芥川龍之介のキリシタンもの。キリシタン弾圧におけるキリスト教的観念と日本人的心情、宗教と家族制度との衝突。芥川自身はキリスト教徒ではなかったようだが、キリスト教への興味は並々ならぬものがあった。

以上、『おぎん/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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