小説読書感想『セメント樽の中の手紙 葉山嘉樹』ホラー? 恋愛? プロレタリア?

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。
(「『狐人』の由来」と「初めまして」のご挨拶はこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」

今回の小説読書感想は、葉山嘉樹さんの『セメント樽の中の手紙』です。

『セメント樽の中の手紙』は、小学生・中学生・高校生と、幅広く「国語の教科書」に採用される作品らしいのですが、僕はいまだ教科書に載っているのを見たことがありません。

『セメント樽の中の手紙』というタイトルからして、漠然とホラー小説か恋愛小説をイメージしたのですが、ふたを開けてみれば、前者でした。読了したいまにして思えば、そこはかとないホラーの雰囲気を、強く感じてしまいます。なぜ恋愛小説だと思ったのかが不思議なくらいです。「手紙=ラブレター」的な連想ですかねえ(恋愛に飢えているわけでは決してない! ――と信じたい……)。

しかしてしかし。よくよく調べてみると、どうやら分類としては、ホラー小説でもないそうです。「プロレタリア文学」というらしいのですが、これが『セメント樽の中の手紙』を読み解く上での、一つ重要なキーワードだったようなのです。

というのも、いまとなってはお恥ずかしい話と感じるわけなのですが、正直、この小説の意味が、僕にはよくわかりませんでした。これを知るには、当時の時代背景といったようなものを知らねば、なかなか難しかったようで、それだけで、現代に生まれたことの幸福、みたいなものを思わされてしまったわけなのですが……。

それはそうとして、タイトルだけで想像力を刺激される小説というのは結構あるように思います。

最近読んだものですと、

随筆読書感想『武士道の山 新渡戸稲造』必読のビジネス書・自己啓発本!(⇒「Mr.ブシドー」=『ワンピース』、「ミスター・ブシドー」=『機動戦士ガンダム00』、「武士」=『るろうに剣心』?)
小説読書感想『変な音 夏目漱石』変な音は恋の音?(⇒「変な音ってどんな音?」)

最近書いた小説ですと、

一人暮らしのガッルスガッルスドメスティクス(⇒「ガッルスガッルスドメスティクス」って何?)

といった感じでしょうか。

ともあれ、何かを想起させられるタイトルの小説は、良い小説といえるのではないでしょうか(もちろん、すでに世間である程度の評価を得ている、ということが前提としてありますが……ゆえに僕のは言わずもがな――、しかし評価していただけると、いと嬉し)。

さて、恒例のように前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。お付き合いいただけたら幸いです。

まずは簡単なあらすじをば。

松戸与三は、水力発電所の建設現場で働いている労働者です。ある日の作業中のこと、与三はセメント樽のなかから、木箱を見つけます。そのなかには一通の手紙が入っていました。

――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。

手紙を読み進める与三ですが、その内容はとても衝撃的なものでした。

kindle版で5ページ、文字数でも3000字程度の超短編小説なので、よろしければ読んでみてください(以下無料の電子書籍です)。

(ここからネタバレあります)

さて。衝撃的な手紙の内容を明かしますと、ある日、手紙の主である女工の恋人が、セメントを作るために石を砕くクラッシャー(破砕器)のなかにはまってしまったというのです。仲間たちがなんとか助け出そうとしましたが、女工の恋人は石と一緒に砕かれてしまい――、

私は恋人を入れる袋を縫っています。

私の恋人はセメントになりました。

そして――。

女工は手紙のなかで、恋人が劇場の廊下や邸宅の塀になってしまうのは耐えられない、と綴っています。だけど自分には止められない。だからあなたにこのセメントを使わないでほしい。いいえ、使ってください。私の恋人はまだ若く、やさしく、しっかりした人でしたから、どんなところに使われたとしても、きっといいことをしてくれます。彼は、何樽のセメントになったのでしょうか? 何に使われたのでしょうか? いつ、どこで、どんな建物に使われたのでしょうか――?

是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

…………(ゾクゾクッ)。

ドイツ語の「プロレタリア」という言葉には、最下層の低賃金労働者といった意味があります。女工の恋人同様、このプロレタリアに属する与三の日当は、1円90銭。嫁さんと6人の子供たちに、日に二升のご飯を食べさせるのに一円、残りの90銭で衣と住を賄わなければなりません。居酒屋にふらっと立ち寄って、帰りに一杯飲んでいくことが、どうしてできましょう。家で手紙を読み終えた与三は、茶碗の酒を一息に呷ります。そして、

「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかもち壊して見てえなあ」と怒鳴った。

彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。

といったお話なのですが、いかがでしたでしょうか。

女工の手紙を読んで、これはホラー小説だと、僕は思ってしまったわけなのですが。この手紙からは、どこか狂気じみたものが感じられます。『ドグラ・マグラ』で有名な夢野久作さんの怪奇小説などを、彷彿とさせられてしまった方がいらっしゃっても、不思議じゃないかもしれませんね。

ちなみに、夢野久作さんといえば、やはり怪奇小説のイメージがありますが、こちら(⇒小説読書感想『懐中時計 夢野久作』1分で読…てかこのブログで読める!)のような意外な小説もあります。全文181文字で、リンクしたブログ記事で読めてしまうので、ぜひ読んでほしいです。というのも、夢野久作さんの『懐中時計』もまた、葉山嘉樹さんの『セメント樽の中の手紙』同様、労働について考えさせられる小説だからです。

是非々々(ゾクゾクッ)!

……話しを葉山嘉樹さんの『セメント樽の中の手紙』に戻しましょう。

冒頭でも述べたように、僕がなぜこの小説の意味を理解できなかったかといえば、現代日本の労働環境が、『セメント樽の中の手紙』が書かれた当時よりも改善されていて、そのときほどに劣悪なものではないからだといえるでしょう(ブラック企業、ブラックバイト、増加の一途を辿る非正規労働者の全体に占める割合など……まったく問題がないわけではもちろんありませんが)。

前述の通り、プロレタリアには低賃金労働者階級を示す意味があります。なので、プロレタリア文学とは、当時の劣悪な労働環境などの時代背景が、顕著に反映された小説の一分類だといえるでしょう。

『セメント樽の中の手紙』では、松戸与三という一低賃金労働者は、手紙のなかに書かれている、自分と同じ立場の低賃金労働者である女工の恋人と自身を重ね合わせながら、女工の手紙を読んだのだと思います。引用したこの小説のラストからも、そのことが伺える、やり場のない憤りが感じられます。

まさにこの読み方こそが、『セメント樽の中の手紙』という小説を読むのに、必要とされていた姿勢だったのだと気づきました。

たとえば、2008年のリーマン・ショック以降、世界経済は大打撃を受けて、日本経済にも深刻な影響がもたらされました。最悪の就職氷河期のトリガーともいわれていますよね。新規採用のみならず、賃金カットやリストラなど、労働者には厳しい時代が到来し、一時期の最悪は脱したかに思えても、いまだにそれが続いています。

このとき、同じプロレタリア文学に分類される小林多喜二さんの『蟹工船』がブームになったそうです。小林多喜二さんの『蟹工船』もまた、過酷な現場で働く労働者たちを描いた作品。このときも、労働者不遇の時代にあった現代人が、自分たちの状況と重ね合わせて、『蟹工船』を読んでいたのではないでしょうか。

この小説読書感想のブログ記事を書くにあたって、少し調べただけでも、大正から昭和初期にかけての日本の労働環境の悲惨さがわかりました。事故、怪我、病気が後を絶たなかった劣悪な労働環境で、低賃金で苛烈な労働を強いられた労働者たちがいました。

『セメント樽の中の手紙』を読んでいて疑問に思ったのは、女工の恋人がクラッシャー(破砕機)に巻き込まれたとき、なぜ機械を止めなかったのか、ということ。破砕機を止めてしまえば、その分だけ作業がストップしてしまい、会社の利益が少なくなってしまいます。現代の考え方では、人命第一、それに比べれば、機械を一時停止させて被る損害などは、会社全体の利益からすれば、僅かなもののように思えますが、当時はこの僅かな利益よりも、労働者の命は安かったということなのでしょう。

このようにして、最愛の恋人を失った女工のやるせない怒りと悲しみ、明日は我が身であってもおかしくはない与三の気持ちは、当時の状況を知らなければ想像できない思いであったとわかりました。

いくら不況とはいえ、現代に生まれた幸福を思わずにはいられませんでした(とはいえ、現代の不況もなんとかなってほしい!)。

実際、葉山嘉樹さんは1920年から、名古屋のセメント会社で働いていました。この翌年に、『セメント樽の中の手紙』のモデルとなった労災事故があったそうで、仕事仲間が亡くなっているようです。

葉山嘉樹さんは、『セメント樽の中の手紙』という小説を書くことで、こうした社会の不条理みたいなものを、広く世間に伝えて、大衆運動にまで発展させようとしていたのかもしれませんね。

大衆運動といえば、最近韓国で起こった朴槿恵(パククネ)大統領の退陣を求める大規模デモが、思い起こされるわけなのですが。日本では考えられないなあ、とか思ってしまうわけなのですが。和を重視する日本の文化もすばらしいですが、この韓国の人たちのように、自分の意見をはっきりと主張する態度も必要なのかなあ、とか、だけどあそこまで熱くはなれないよなあ、とかなんとか、いろいろと思わされてしまいました。

思わされてみても、それを自分のなかでどう処理してよいのかまではわからないのですが……。

突然ですが、CSR(Corporate Social Responsibility)というものがありますよね。企業の社会的責任というやつです。このCSRがにわかに注目されるようになったのは1990年代後半のこと。

経済活動のグローバル化を背景にして、海外に進出した多くの先進国企業が、発展途上国の労働者に劣悪な労働条件を強制していないか、児童労働などで子どもたちの人権を侵害していないか、あるいは貧富の格差の拡大、環境破壊の進行などの危惧が、発展途上国やNGO関係者などから指摘されはじめました。

また近年では、大気汚染や土壌・水質汚染、地球温暖化が世界的な課題となり、環境に配慮した企業活動が求められるようになっています。さらに、食品の産地偽装や不当表示、個人情報の大量流出、リコール隠しなどの企業不祥事が多発し、消費者や社会が企業に厳しい目を向けるようになったことも企業がCSRに注力する理由のひとつです。

法令を守り、企業倫理を高め、障害者雇用や高齢者雇用、男女平等や従業員の能力開発などの雇用責任を果たして、地域社会に貢献していくことが重要視されるようになってきています。

企業の本質は利潤極大化にあるわけですが、しかし今日では、利潤のみを目的として追い求めている企業はほとんどありません。それは現在、資本主義の経済社会にあっては所有と経営の分離によって、利潤の在り方が大きく変わってきているからであり、さらに利潤のみを追及していては、現代社会の経営環境の変化に、柔軟に対応することが困難になってきているからです。

そしてなにより、社会的責任といった外部からの要請に応えることができないからです。

このCSRの取り組みを見ると、資本主義の在り方というものは、良い方向へ向かっているようにも思えるのですが、利潤を犠牲にして社会的責任を果たしているというよりは、のちの利潤を産むために、社会的責任を果たしているかのようにも思えてしまいます。人や環境にやさしい企業の商品だから消費者が買う、だから売れる、だから儲かる――みたいな。

であれば、合理的な資本主義のシステムが、社会環境を良くしているのであって、「正義」や「人情」を謳うプロレタリア文学のような文学が、社会を変えているわけではないのかと思うと、一抹のむなしさのようなものも感じてしまいました。もちろん、人の心に働きかける小説や物語の力といったものを信じないわけではないのですが。

とかなんとか、後半は柄にもなくちょっと小難しいことなんかも考えさせられたりしたのが、葉山嘉樹さんの『セメント樽の中の手紙』という小説でした。

てか、今回ほとんど漫画やアニメと絡めてない! 予想外に真面目な読書感想になってしまいました。これは、はたして楽しんで読んでもらえるのだろうか……まあ、書き上がってしまったものはしょうがないですね。この反省(?)は次回以降に活かしたいと思います。

今回のオチは、女工の恋人がまったく自身の過失によって事故に遭ったのだとしたら、話はまるで変わってくるのでしょうか? といった話。たとえば破砕機のそばでふざけていて、機械に巻き込まれてしまったとか……ここまでの真面目な感想が台無しだよ! というお話でした(もう書いてしまいましたが書かない方がよかったり?)。

頼みの綱の『文豪ストレイドッグス』と『文豪とアルケミスト』でしたが、葉山嘉樹さんは未登場でこちらも予想外。プロレタリア文学の方はまだ誰も登場していないようなので、キャラのバリエーションを増やす意味でも、今後に期待してもよいのでしょうか。プロレタリア文学勢で一つの組織や勢力が作れそうですしね。

以上、葉山嘉樹さんの『セメント樽の中の手紙』の小説読書感想でした。

葉山嘉樹さんをはじめとした、一大勢力となりうるプロレタリア文学勢の登場は今後あるのでしょうか? 『文豪ストレイドッグス』はこちら。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは今日はこの辺で。

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