狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『若菜のうち/泉鏡花』です。
泉鏡花 さんの『若菜のうち』は文字数4300字ほどの短編小説です。色彩豊か。日本の四季と日本語の美しさ。将来理想の夫婦像がこの小説の中にあります。熟年離婚を考えている方――よりは若い夫婦の方のほうが向いている小説でしょうか。もちろん、どんな世代にもおすすめできる作品ですが。泉鏡花 さんの「幻想文学」は美しき怪異譚? 怪しき可憐な幼女姉妹登場! アニメ『幼女戦記』の評判がいいみたいですね。ひょっとして、いまは「幼女ブーム(幼年ブーム)」?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
春の山歩きというほどのことでもないが――初老の夫婦が、旅先の修善寺の温泉宿から、散歩に出かける。四月上旬の田んぼ道は、暑いくらいに暖かい。夫君のほうは羽織を脱ぎたい。しかし脱ぐと、ステッキを持った片手の荷物になってしまう。夫人が「持ちましょうか?」と言ってくれるけれど、自分たちの年齢や羽織の下の粗末な着物を思えば……、美しい野山の景色に映えるべくもなく――おどけた会話を楽しみながら、夫婦は歩を運ぶ。
小鼓のような桂川の瀬の音、桜の咲いた里の景色、そこに薄い桃の花もまじっている――
そのとき、近くには家も見えないのに、山裾の径から、姉妹らしき二人連れの幼女が、若菜を摘んで歩いているような、うっとりした顔でやってくる。
夫人のほうが「蕨のあるところを教えてくださいな」と声をかけると、女の子は首を左右に傾ける愛らしいしぐさ。夫人がもう一度尋ねると、姉妹の姉が頷いて、山裾の坂の登り口まで、夫婦を案内してから、上のほうを指さした。そして来たときと同じように、妹の手を引いて、径をふわふわと行ってしまう。
さて、帰り道のこと。夫婦は女の子が教えてくれた坂を上り、五、六本の蕨を摘んでもとの野道に戻る。相変わらず小鼓は響き、菜の花は眩い。町のほうへ近づくと、桃の根元の草堤の陰から、先ほどの姉妹が現れる。二人はもじもじしながら、姉が二本、妹が一本、たんぽぽの花を差し出してくれる。夫君はその花を受け取りながら、なんとなく胸打たれる思いがした。
そのとき、もお――と鳴き声がした。夫婦が振り返ると、すぐそこに小屋があって、子牛の姿があった。顔を戻すと、姉妹の姿は消えていた。二人は黙って目を見合わせた。子のない夫婦はさびしかった。
のちに同じような出来事がある。秋の末、十一月の初め頃。場所はやはり修善寺、桂川を上る、大師の奥の院へ続く本道と渓流を隔てた川堤の岐路。夫婦はまたしても散歩の道中だった。コートの黒い裾と着物の青い褄――二人並んで腰かけて、秋の風情を味わっていた。
穂はキラキラと輝く白銀の波。竜胆の影が紫の灯のように穂をすいて、昼の十日ばかりの月が澄む。ちちろ、ちちろ――と、せせらぎの囁くようなコオロギの声……。
そろそろ帰ろうか――といった頃、スッと低く飛んだ赤とんぼをかんざしにして、またしても幼女が二人。いつかのたんぽぽの子たちかしら、ちょっと様子が違うようだ――。二人とも夫人の大好きな柿を持っている。妹のものはよく熟しているようで、口も頬もだらりと赤い。
夫人が「おばさんにもその柿をちょうだい」と声をかけると、妹は驚いてべそをかく。そのとき姉が前に出て、いたいけな掌をパッと開き、ぴったり妹を後ろに庇った。ごめんよ、ごめんなさい――そんな姉の様子を目にして、夫婦は揃って姉妹に詫びた。思わずほろりとした。
宿の廊下づたいに、湯に行く橋がかりの欄干ずれに、その名樹の柿が、梢を暗く、紅日に照っている。
二羽。
「雀がいる。」
その雀色時。
「めじろですわ。」
狐人的読書感想
さて、いかがでしたでしょうか。
泉鏡花 さんの小説を読むのは、これで三作目ということで、そろそろ文語体にも慣れてきたか――と思いきや、全然そんなこともなくて、やはり読みづらさを感じてしまう今日この頃です。
あらすじは、できるだけ現代語訳して書いてみましたが、間違いがないことを祈るばかり。
『若菜のうち』は、じつに色彩豊かな小説です。日本の四季と日本語の美しさを感じずにはいられませんでした。これは、文語体の読みづらさを打ち消して、僕の書いた稚拙なあらすじとは違い、間違いなくおすすめできる作品です。
いまや増加する熟年離婚と将来理想の夫婦像
はてさて、読書感想を、何から書こうかなあ――といったところですが。
まずこの小説が発表されたのは、1933年(昭和8年)のことです。泉鏡花 さんは、1928年(昭和3年)に肺炎を患って、予後の静養のために修善寺を訪れています。このときのことが作品のモチーフになっているのかもしれません。
1928年といえば、泉鏡花 さんは50代半ば、『若菜のうち』が発表された1933年は60手前ということで、作中の夫婦のイメージにも、ぴったりの年齢といえそうです。
泉鏡花 さんの奥さんは、元芸者だった泉すず さんで、『婦系図』の名台詞『別れろ切れろは芸者の時にいう言葉。……』で有名です。
『若菜のうち』の夫婦は、仲のいい、まさにおしどり夫婦といった感じで、泉さん夫妻もこんな感じだったのかなあ……、と想像すると、ちょっと憧れてしまいます。
近年では、熟年離婚が増えているそうです(なんでも40年前に比べておよそ10倍にもなっているそうです)が、『若菜のうち』の夫婦のような、年を取っても、春の山を仲良く散歩できるような夫婦でありたいものですが、はたして……(僕の場合はその前に、パートナーを見つけなければ、というその前に、という段階ですが……)。
とはいえ――
何を、こいつら……大みそかの事を忘れたか。新春の読ものだからといって、暢気らしい。
と、上の引用のような、泉鏡花 さんの心の声みたいな記述もあって、大晦日にいったい何が……、と、やはり夫婦はいつも順風満帆とはいかないらしく、思わずクスリとさせられてしまった部分もありました。
熟年離婚をお考えの方にはぜひおすすめしたい……、と思ったのですが、その段階ではすでに手遅れでしょうか? 若い夫婦の方にこそ、将来理想の夫婦像として、おすすめしたほうが良いのかもしれませんねえ。
『若菜のうち』は幻想文学、美しき怪異譚?
泉鏡花 さんといえば、「観念小説」と「幻想文学」の先駆者として有名なのだそうです。これまでに読んできた三作品(今回の『若菜のうち』を含む)のうち、二作品は「観念小説」に分類されるものでしたが、今回の『若菜のうち』は「幻想文学」に属する小説といえるのではないでしょうか。
(これまでに僕が読んだ泉鏡花 さんの「観念小説」はこちら)
「幻想文学」とは、そのもの幻想的な文学作品を指していう言葉ですが、泉鏡花 さんの『若菜のうち』は、現実にある日本の四季の風景を描いているわけではありますが、その美しさは、どこか浮世離れしていて、幻想的だと感じさせます。
しかしながら、この作品でもっとも幻想的といえるのは、やはり夫婦の出会った二組の姉妹ではないでしょうか。夫君は、春に出会った姉妹を「山姫のおつかわしめ」、秋に出会った姉妹を「山の神の落子」と言い表していますが、どちらも可憐で神秘的な印象を受けます。
春の姉妹のほうは、ふいに山裾の径に現れて、夫婦が子牛の鳴き声にちょっと気をそらした瞬間には、もう消えている――怪異を思わせるような存在です。
秋の姉妹のほうも、あらすじでも引用したラストの、二羽のめじろと対になっていて、意味深なものを感じてしまいます。ちなみに「雀色時」とは夕暮れ時のことです。
姉妹は怪異だったのか、それとも子のない初老の夫婦が、慰めに見た幻だったのか……、想像してみると、そこにそこはかとない趣を、感じずにはいられませんよね。
『幼女戦記』……ひょっとして幼女ブーム?
この姉妹を、あらすじでは「幼女」と記述した部分もありますが、じつはこの話がしたかったための伏線(?)でした。
――幼女と聞くと、僕は『物語シリーズ』(これは怪異にもつうじていますね)や『未確認で進行形』などを思い浮かべるのですが、いかがでしょうか。
いかがでしょうか――というか、かわいい幼女が出てこないラノベ、漫画、アニメのほうが、現在では少ないようにも思いますが。
最近はそのもの『幼女戦記』というアニメの評判がいいようです。これは萌え系というよりは、本格ミリタリーとしてウケているらしいので、また違う話なのかもしれませんが。
このところ、「幼女ブーム」とか「幼年ブーム」とでもいうべき流れがきているように思うのは、はたして僕だけなのでしょうか? 『物語シリーズ』の阿良々木くんや『未確認で進行形』の紅緒様みたいな人が増えているということ(あと『初恋モンスター』とかも)?
純真無垢でけなげなものに惹かれてしまう心情というのは、理解できるような気もするのですが……。
たとえば、織田作之助 さんの『道なき道』の寿子、北方謙三 さんの『水滸伝』(北方水滸)の楊令、浅田次郎 さんの『蒼穹の昴』の春児、同じく『プリズンホテル』の美加、映画『スターウォーズ』のアナキン・スカイウォーカーなどが、ぱっと思い浮かびます。
(最近触れた作品だからかもしれませんが)
まあ、政略結婚が当たり前だった時代、戦国時代とか江戸時代とかでは、男女ともに、まだ野を駆け回って遊ぶ子供の時分には結婚していた、という話も聞きますし、それを思えば……、という気もしないではないのですが。
このところ、貞操観念について時代の逆行を思わされる読書感想が続きましたので、今回もそれと似たようなことを思わされる展開で、狐人的にはとても興味深く、ちょって分析してみたい傾向ではあります(とかいってしまうと、危ないほうに勘違いされてしまいそうですが、ち、違うよ?)。
(一応、貞操観念に触れた読書感想はこちら)
読書感想まとめ
『若菜のうち』は、じつに色彩豊かで、日本の四季や日本語の美しさが感じられる幻想文学。将来理想の夫婦像がここに。子のない初老の夫婦が、旅行先で出会った不思議な姉妹に胸打たれる姿もまた美しかったです。怪異を思わせる幼女姉妹ですが「幼女ブーム」の先駈け? とにかくおすすめの小説です。
狐人的読書メモ
「幼女ブーム(幼年ブーム)」の流れは、創作するうえでも、興味深いテーマです。
・『若菜のうち/泉鏡花』
1933年(昭和8年)、「大阪朝日新聞」初出。泉鏡花 さんの幻想文学。まさに日本の美しい小説。人におすすめできる。
以上、『若菜のうち/泉鏡花』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント
若菜のうち、私も大好きです。鏡花さんはすずさんのことを時に「うちの娘左衛門」と呼んだそうで、神のように崇めた紅葉の叱責にもめげず一緒になりましたから、仲が良かったのです。
まことに恐縮なのですが、『婦系図』の名台詞『別れろ切れろは芸者の時にいう言葉。……』で有名です。とありますが、婦系図に当該セリフは無く、「湯島の境内」にあるのです。蔦(すずさんをモデルに創作)と早瀬は確かに別れさせられるのですが、そもそも別離のシーンが無いのです。新派が婦系図を基にアレンジした演目が大当たりして、「それならあたしが」と鏡花が書いたのが戯曲「湯島の境内」なのです。
さて、「大みそかのこと」ですが、これはいつも月末や年末の支払いに汲々としていた泉家の台所事情の事を言っております。決して夫婦喧嘩ではないのでご安心ください。
またお邪魔します
コメント、ありがとうございます。若菜のうち、いいですよね。同じ感想を持つ人に出会えて嬉しく思います。丁寧に教えて頂いたことに重ねて感謝を。またのお越しをお待ちしております。