きりしとほろ上人伝/芥川龍之介=9m級の巨人!れぷろぼすの伝説!

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

きりしとほろ上人伝-芥川龍之介-イメージ

今回は『きりしとほろ上人伝/芥川龍之介』です。

文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約46分。

遠い昔、遥か彼方の「しりあ」の山奥で…「大名に、俺はなるっ!」、9m級の巨人「れぷろぼす」は「あんちおきや」の帝のもとで夢を叶えるが…「れぷろぼす」は激怒した。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

遠い昔、遥か彼方の「しりあ」の山奥に、「れぷろぼす」という山男がいた。彼は9m級の巨人だった。なので、彼の髪は四十雀しじゅうからの巣となり、彼が海辺で水をひと吸いすれば、たいかつおがざばざばとその口へ流れ込んだ。

「れぷろぼす」は心やさしい山男だったので、周辺に住む人々は彼にいろいろと助けられていた。彼を憎む者は誰一人いなかった。しかし、彼はその地を発った。彼には一つの野望があったからだ。

「大名に、俺はなるっ!」

噂によれば「あんちおきや」の帝ほど武勇に優れた大将はいないという。

「帝の臣下に、俺はなるっ!」

さっそく「れぷろぼす」は「あんちおきや」を訪れ帝の臣下となり、戦で目まぐるしい戦果をあげて、その功績をもって大名となる。

その夜の宴で「れぷろぼす」は帝が十字を切る仕草をみる。何をしているのか、彼が他の臣下に訊くと、あれは悪魔を払うためなのだという。

「れぷろぼす」は激怒した。

「悪魔を恐れるなんて噂と違うじゃねーか! 俺はこの世で一番つえー奴の下で大名になりてーんだ! それなら悪魔の臣下に、俺はなるっ!」

「れぷろぼす」は謀反を企てたとして地底の牢に囚われた。そこに悪魔が現れ、「れぷろぼす」の「悪魔の臣下に、俺はなるっ!」意志の固いことを知ると、魔力を使って彼を地底の牢から連れ出す。

悪魔は「れぷろぼす」を連れて、さっそく「えじっと」の砂漠へ仕事に向かった。それは美女に化けて、キリスト教徒の隠者を誘惑し、堕落させることだったが、隠者は十字架で悪魔を撃退する。

「れぷろぼす」は隠者の前にひれ伏し、「えす・きりしと」の存在を知る。彼は「『えす・きりしと』の臣下に、俺はなるっ!」ことを隠者に願い出る。隠者はそれならばと、人々に奉仕することがその道であることを説き、流沙河の渡し守になることを勧める。

三年間、隠者から「きりしとほろ」の名前をもらった「れぷろぼす」は、旅人を肩に乗せて、流れの激しい河を渡し続けていた。

ある嵐の夜、一人のわらべが「父のもとへ帰るのだ」と言って「きりしとほろ」に河渡りを頼んだ。「きりしとほろ」は童を哀れに思い、柳の木を杖にして嵐の河へ入った。

風雨が容赦なく「きりしとほろ」を襲うが、それよりも、肩の上の童が、どんどん重くなっていく――そのことが彼をもっとも苦しめる。

命を落とす覚悟で、河を渡り切った「きりしとほろ」は、そこに後光を負った童の姿を見た。

「お前は今宵世界の苦しみを身に負うた。すなわち『えす・きりしと』を負うたのだ」

その夜以来、流沙河のほとりから山男の姿は消え、ただ枯れた柳の木の杖が地面に突き立ち、不思議ときれいでいい香りの、紅い薔薇の花を咲かせていたという。

狐人的読書感想

今回のあらすじはなぜか『スターウォーズ』『ワンピース』『進撃の巨人』『走れメロス』を意識した文章になっているところがありますが、どこだか全部わかりますか?(笑)

この物語は、本文の序文にもあるように、キリスト教の聖人伝集『レゲンダ・アウレア』に描かれている一説(「第95章 聖クリストポルス」―「きりしとほろ」のこと。クリストフォロスとも―)のお話を、芥川龍之介さんが日本風に翻案したものなんだそうです。

(ちなみに前に読書感想を書いた、ろおれんぞとしめおんのBL展開かと思った『奉教人の死』もこれの「第79章 聖女マリナ」によるものです)

本文は、戦国時代に京都や大阪のあたりで使われていた話し言葉で書かれていて、独特の味わいがあっておもしろいので、ぜひとも読んでみてほしいです。

『きりしとほろ上人伝』では、遠い昔、遥か彼方の(銀河で……ではなくて)「しりあ」(シリア)の山奥に住んでいた「れぷろぼす」(レプロブス)は、巨人の山男として描かれています。

これもまた新美南吉さんや宮沢賢治さんの童話に出てくる巨男や山男と通じるところが感じられて、日本的なイメージだというふうに、狐人的にはとらえました。

冒頭に前述した『進撃の巨人』の無垢の巨人は、人を食べる恐ろしい存在として描かれていますよね。おそらく北欧神話に登場する恐ろしい巨人がモチーフになっているのだと思われますが、古来日本の巨人の代表格(?)山男は、どこかやさしい印象があるように思うのは、はたして僕だけ?

そんな心やさしい身の丈三丈の山男(9m級の巨人)である「れぷろぼす」が、「大名に、俺はなるっ!」という野心、功名心を持つという展開は、なんとな~く不自然にも思えたんですよねえ……。

しかし、よくよく考えて見ると、それは「野心家は冷たい」という僕の勝手なイメージからくる違和感であって、ルフィみたいな(「海賊王に、俺はなるっ!」)「やさしい野心家」だったいるはずで、やさしさと野心は必ずしも同居し得ない気質ではないのでしょうね。

(おそらくすべての感情や性格にいえる、当たり前のことに今気づいたという話なのですが)

「れぷろぼす」は「あんちおきや」(アンティオキア)の帝のもとで、めでたく大名となり、夢を叶えるわけなのですが、しかし帝が十字を切って悪魔を恐れる姿を見て、(メロスならぬ)「れぷろぼす」は激怒した、わけです。

より優れたリーダーのもとにつきたい、というのは、なんとなく共感できる思いのように感じます。

芸能人のひとと知り合いになりたかったり、才能を持つひとやカリスマのところに人が集まってくるみたいなイメージでしょうか……あるいは身近なクラスの人気者なんかでも例えることができそうですが、すごいひとの近くにいるだけで、自分もすごいひとになったような錯覚をすることがあります。

それを感じるって、「自分を持っていない」ってことなのかな、って、漠然と不安になることがあるので、これはひょっとするとあまり褒められた感覚ではないのかもしれませんが、皆さんはどうなのでしょうか――気になるところです。

そんなこんなで「れぷろぼす」も、つぎは悪魔の手下になったり、最終的にはキリスト教の信徒になるわけなのですが、やっぱり自分を持っていないような印象を受けてしまうんですよね。

「俺はこの世で一番つえー奴の下で大名になりてーんだ!」という主張は、強烈な主体性のように見えて、そのじつ誰かに従うことを強く望むことは主体性といえるのかなって、漠然と疑問に感じたところです。

この物語は単純に「聖人の伝説」を描いているもので、キリスト教を称えること以外に、何か教訓が含まれているような類のお話ではないのかもしれませんが、なんとなく主体性というものについて考えさせられた、というのが今回の読書感想のオチと思わせつつ、なんとなくいろんな映画やマンガや文学を連想した、というのが今回の読書感想のオチです。

読書感想まとめ

なんで『スターウォーズ』『ワンピース』『進撃の巨人』『走れメロス』を連想したんだろ?

狐人的読書メモ

・以前から『聖書』の物語には興味を持っているが、『レゲンダ・アウレア』(『黄金伝説』)については芥川作品を読むまでついぞ知らなかった。これもまたおもしろそうだと思った。

・『きりしとほろ上人伝/芥川龍之介』の概要。1919年(大正8年)『新小説』にて初出。芥川龍之介の「キリシタンもの」。『奉教人の死』同様にキリスト教の聖人伝集『レゲンダ・アウレア』(『黄金伝説』)を芥川龍之介が翻案したもの。『レゲンダ・アウレア』のほうにも興味を覚える。

以上、『きりしとほろ上人伝/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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