小説読書感想『オツベルと象 宮沢賢治』のんのんびより…労働の闇…謎の■

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コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。
(「『狐人』の由来」と「初めまして」のご挨拶はこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」

今回の小説読書感想は『オツベルと象 宮沢賢治』について書いてみたいと思います。

宮沢賢治さんといえば、言わずと知れた国民的童話作家です。『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』とか……、その代表作は、誰もが一度は聞いたことのあるタイトルばかり。最近書いたブログ記事の中でも、新美南吉さんと対比されているということで、取り上げさせてもらいました。『北の賢治、南の南吉』ですね(⇒小説読書感想『あし 新美南吉』ブログで読もう!馬の感性に「しびれる」)。

また、宮沢賢治さんといえば、あの宮崎駿監督が多大なる影響を受けていることでも有名だそうです。今回の『オツベルと象』にインスパイアされたのでは……と思わされるジブリ作品も! 後ほどご紹介したいと思います。

それではまずは、簡単なあらすじをどうぞ。

『オツベルと象』は『ある牛飼いがものがたる』お話。ある日、地主であるオツベルのもとに大きな白象がやってきます。オツベルは、巧みな話術(?)で白象を騙し、我が物顔でこき使うようになります。白象は素直で単純な性格。ゆえに最初は、オツベルに課せられる労働を楽しんでいたのですが……。日々減らされていく食事(藁)、過酷さを増すばかりの労働。弱り果て、いよいよ耐えられたくなった白象は、月の助言に従って、山にいる仲間たちへ手紙を書きます。白象の苦境を知った仲間の象たちは、白象を助けるため、オツベルの屋敷へと突撃する! はたして、仲間たちは白象を救い出すことができるのか? 邪智暴虐の王・オツベル(?)の末路や如何に!?

といった感じ。

先日、太宰治さんの『走れメロス』(⇒小説読書感想『走れメロス 太宰治』走れメロス…いや走ってメロス!)について書いたもので、ついつい「邪智暴虐の王」という表現を使ってしまったわけなのですが、ともかく。

このあらすじだけ見ると、少年漫画的展開(白象たちの、友情、努力、勝利)を期待させてしまうかもしれませんが、この『オツベルと象』で注目すべきは、どうやらそこではないようですね。

もちろん、物語の楽しみ方は人それぞれなわけで、このような少年漫画的展開に注目して読んでみてもおもしろいですよね。ちょうど話題が出たので、『走れメロス』で例えるなら、「邪智暴虐の王」・ディオニスが、最後メロスたちの仲間になったように、オツベルも白象たちと和解することができるのか……、みたいな。

ともあれ、以下僕が何かしらの感想を持った部分をつらつら述べていきたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。

まず、宮沢賢治さんの作品に共通する特徴でもある、一風変わったオノマトペや比喩表現です。これらが『オツベルと象』にもふんだんに使われています。

・のんのんのんのんのんのん(稲扱器械の上げる音)
・雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ
・籾は夕立か霰のように、パチパチ象にあたるのだ
・グララアガア、グララアガア。グワア グワア(象の咆哮)
・そこらはばしゃばしゃくらくなり

などなど――、いかがでしょうか。

どことなく、なんらかのイメージが喚起されるような表現ですよね。僕なんかは、ブログ記事のタイトルにもしているように、『のんのんのんのんのんのん』という擬音表現から、『のんのんびより』という漫画作品を想起させられてしまいました。

『のんのんびより』は日常系のコメディ漫画です。『のんのんびより』=「穏々日和」とのことで、田舎の学校に通う少女たちの、穏やかな日々を描いた作品。ほのぼのとした気持ちになれるおすすめの漫画です……って、話が逸れてしまいました。

軌道修正。

なので、宮沢賢治さんの『オツベルと象』も、『のんのんびより』のようなほのぼの系の物語なのかと思いきや、まったく違ったことに驚きを隠せませんでした。恐ろしきは先入観、といった感じ。楽しげなオノマトペにつられて、この物語もどこか楽しげな雰囲気があるのに、じつはそうではない。そんなギャップに、驚くと同時に惹きつけられてしまいました。

あらすじでも述べたように、オツベルは白象を騙して酷使する地主です。悪徳資本家、というか、現代風に例えるならば、ブラック企業やブラックバイトの経営者、といったところでしょうか。ブラック企業やブラックバイト……これだけで、ほのぼのからは程遠いお話であることが分かります。

思えば、昔に書かれた小説には、その時代の社会が反映されている場合も多いです。先日書いたブログ記事(⇒小説読書感想『懐中時計 夢野久作』1分で読…てかこのブログで読める!)でも同じようなことを考えさせられてしまいました。昔も今も、日本の社会というものは、それほど変わっていないことの証左なのかもしれない、とか思わされてしまいます。

オツベルを言い表すのに、「ブラック」企業や「ブラック」バイトを例として用いましたが、逆に白象の「白」という色も、何かを象徴しているように思えます。

「白」といえば、清潔さや純粋性を表すのに用いられる色です。無垢で素直、単純一途な白象の性格をイメージさせられてしまいます。単純一途……『ハンター×ハンター』のヒソカが考えたオーラ別性格分析では「強化系」ですね、白象。

さらに「白痴」という言葉もありますね。僕などはドストエフスキーの作品を想起させらますが。白象は知恵が足りなかったから、オツベルに簡単に騙されてしまったと見ることができる。あるいは、白象はすべてを分かっていて、オツベルの善性を信じていたのかもしれない、という読み方をしてもおもしろいかもしれません。

また「白」は、どこか神秘性を感じさせる色でもありますね。白象や沙羅双樹が描かれていることから、物語の舞台はインドではないかと想像できます。ヒンドゥー教のガネーシャ神も確か白象でしたよね。現実的視点では、白象は突然変異のアルビノ種、ゆえに他の仲間たちに馴染めず、山を離れて人間の世界に下りてきた、という物語の理由づけに使えそうですが、人間の言葉を解し、月と話しができる辺り、特別な象として捉えてみても楽しいです。

さて、オツベルのところで働くことになる白象ですが。オツベルの白象に対する扱いが酷い。まずオツベルは、白象に時計と靴をプレゼントします。おっ、オツベルいい奴じゃん、と思わせておいて、時計はブリキ、靴は紙、すぐに壊れてしまいます。後に残るのは、時計をぶら下げるための重い鎖と、靴を飾るための400kgの分銅だけ。すべては白象を逃がさないための策略だったのです。

さらに税金が高くなったと言っては、日々の労働を少しずつ過酷にしていく。白象の食べ物である藁も、十把、八把、七把、五把、三把と、徐々に減らされていく。「把」は「片手で握る」という意味、仮に一把を1kgだとしても、初日の十把で10kg……象の餌といえば、生の草で一日数百kg必要だといいます。始めから全然足りていないにもかかわらず、さらに減らしていくという悪逆っぷり。許すまじオツベル! ですね。

ここで、人を騙すという行為に対して、とある疑問が思い浮かびました。

すなわち。

『騙す人と騙される人ではどちらが悪いですか?』

またまた『ハンター×ハンター』のクラピカに言わせれば、「だます方が悪いに決まっている」ということになるわけなのですが、いかがでしょう? じつはこれ、何の役にも立たないただの思考ゲームかと思いきや、実際の入社面接で訊かれたことのある質問だそうです。正解はなく、ゆえに論法を試す質問とのこと。そう思えば、考えてみて損はないような気にさせられてしまいます。

「騙される人」が悪いと答えて採用された人が、いざ入社してみると、実際の給料は求人情報の半分、休日は週に半日しかないと知って、人事部に確認しに行くと……「君、面接のとき『騙される人が悪い』って言ったよね」と切り返された話にはぞっとしましたが……(笑える話なのか、笑えない話なのか、判断に困ってしまいました)。

まさにブラック! 労働の闇!

白象もいよいよ耐えられなくなって、毎夜話しかけていたお月様に、辛い胸の内を吐露します。するとお月様から返事があります。お月様は「仲間に助けを求める手紙を書いたらいいや」と助言します。「筆も紙も持ってない」と泣き出す白象のところに、突如赤衣の童子が現れて、それらを象に渡してくれます。

ここで、違和感を覚える読者の方もいるようですね。

都合よく助けてくれる月や赤衣の童子の唐突な登場。つまり、いかにもご都合主義な展開というわけです。僕はといえば、さほど受け入れがたいとは思いませんでした。「白」は神秘性を感じさせる色といった話をしましたが、そういう意味では、やはり白象は特別な存在、主人公。

多かれ少なかれ、物語の主人公にとって、ご都合主義的に話が進んでいくのは、セオリーのように思えます。主人公がピンチのときには、ライバルとか仲間とか、あるいは新キャラとかが助けに入ってくれますよね。そういう漫画やラノベに触れ過ぎているせいなのでしょうか……。この辺、受け入れがたい人と、すんなり受け入れられる人では、どちらが多数派なんですかねえ。

長くなってしまいましたが、ともかく、話を進めます。

その後、白象の書いた手紙は、赤衣の童子によって山の仲間たちに届けられます。それを読んだ五匹の仲間の象たちは、グララアガア、グララアガア。オツベルの屋敷に突撃! オツベルも六連発のピストルで応戦するも、象たちには通用しません。そうこうするうちにも、象たちは塀を越え、オツベルはくしゃくしゃに潰されてしまいます。こうして、大変痩せた白象は、仲間たちによって救出されました。

ふむ。オツベルは、太宰治さんの『走れメロス』に登場する「邪智暴虐の王」・ディオニスのように、白象の仲間になることはありませんでした。悪役に相応しい悲惨な末路を辿った、と言ってよいでしょう。

そしてお待たせしました。

あの宮崎駿監督が宮沢賢治さんに多大なる影響を受けて、この『オツベルと象』にインスパイアされたと思わされるジブリ作品とは何なのか、といったお話ですが、ラストで白象を救うため、オツベルの屋敷に突撃するシーンは、どことなく『風の谷のナウシカ』のラスト、王蟲が暴走するシーンを想起させませんか?(象の大群が突撃するシーンといえば、漫画、『ベルセルク』や『アルスラーン戦記』なども、僕は思い浮かべてしまうわけなのですが)

あるいは、『オツベルと象』の冒頭部分、新式稲扱器械が並んでいる小屋で百姓たちが一生懸命に働いている以下引用のシーン。

稲扱いねこき器械の六台もえつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。』
『十六人の百姓ひゃくしょうどもが、顔をまるっきりまっ赤にして足でんで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしからいて行く。』

これらは、まだまだ未発達ながらも、ようやく機械化がなされ始めてきた第一次産業の風景、『もののけ姫』のタタラ場で働く女性たちを彷彿とさせないでしょうか? ジブリ好きであれば、誰かと語り合ってみたくなるところじゃないかなあ、と僕などは感じました。

いよいよ終わりが見えてきました。ここまで読んでくれただけでもありがたい話なのですが、もう少々お付き合いいただけたら、望外の喜び。

『「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。』

上の引用はラストから二行目の一文です。

白象が、「寂しく」「笑っている」あたりは、とても考えさせられてしまいます。

白象はすべてを承知の上で、あえて騙され、オツベルの善性を信じていたのかもしれない、という読み方をしてもおもしろい、といった話をしましたが、もしそうであれば、オツベルを信じ切れなかったことを寂しく思い、またそんな自分自身に自嘲しているのかもしれません。宮沢賢治さんの『オツベルと象』は、中学生の教科書にも取り上げられる題材なので、この部分をどう感じたか、についてはみんなで話し合って交流するのも楽しそうです。

そしてとうとうラストの一文、記事タイトル最後のキーワード『謎の■』について触れてみたいと思います。

『おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。』

これが『オツベルと象』の結びの一文です。そして『オツベルと象』最大の謎とされている一文でもあります。すなわち、「おや」の後の〔一字不明〕の部分です。

『オツベルと象』の初出誌である『月曜』では、ここが■(黒四角)となっているそう。この〔一字不明〕の部分にどの字が入り、何を意味しているのか。うーん、謎です。

最も有力なものは『君』という一字が入るというもの。あるいは『牛』。

『……ある牛飼《うしか》いがものがたる』

と最初に示されている通り、『オツベルと象』は牛飼いの物語るお話です。最後の一文は地の文(「」ではない)であることから、この牛飼いの台詞だと考えられます。

つまり最後の一文は、牛飼いが物語を語り聞かせている子供たち、あるいは話し相手としていた牛に言っている言葉、となります。よって、話に飽きてしまった子供(あるいは牛)が、川へ入ろうとするのを牛飼いが止めようとしていて、そのことによって、読者を物語から現実の世界へ引き戻すギミックとして機能しているわけです。そしてその台詞の中には、オツベルのように欲に流されて他者を利用してはいけないといった教訓が、暗喩として含まれています、といった説が支持されていいるようですね。

ただし、明確な答えというものはありません。ゆえにいろいろな考え方ができる、だからこその謎です。

じつは、この最後の一文は、月が言った台詞で、オツベルを死なせてしまった自責の念から三途の川を渡ろうとしている白象を止めているもの、なんて説もあります。

著者の宮沢賢治さんが幼少の頃、川に流されて亡くなってしまった同級生を間近で見ていた経験から、単純に危険な物事に身を晒すことの隠喩として、「川」を用いたという考え方もあります。有名な『銀河鉄道の夜』でも、カンパネルラが銀河鉄道の旅に出るきっかけとなったのも、「川」でしたよね。

一つ、僕が非常におもしろいと思った説があります。それはまるでミステリー小説の解決編を読むかのような説でした。

それによれば、〔一字不明〕部分に入るのは、「童」。つまりは「赤衣の童子」に向かって、語り部である牛飼いが言った台詞が、最後の一文だったというのです。

「赤衣の童子」はオツベルの子供だった。

いなくなってしまった父親の身を案じて、オツベルのことを訊ねてくる子供が、よもやオツベルの子供とは気づかずに、牛飼いはありのままを話してしまった。父親のオツベルに酷い扱いを受けている白象を、ただただ助けてやりたくて、その手伝いを買って出たけれど、まさかそのせいで自分の父親が亡くなってしまうとは思ってもみなかった……その後、彼の取った行動は――。

『おや「童」、川へはいっちゃいけないったら』

…………。

なんだかちょっとだけ後味の悪いしめ方になってしまいましたが、読者がそれぞれに欠けた一文字について想像力を働かせることで、一つの作品でも多様な楽しみ方ができる、そんな読書の奥深さを感じさせられた作品が『オツベルと象』なのでした。なんだか、『ミロのヴィーナス』は両腕が欠けていて、未完成だからこそ美しい、といったような話をふと思い出しました。こんなまとめ方でいかがでしょうか(駄目?)。

とはいえ以上、『オツベルと象 宮沢賢治』の小説読書感想でした。

さてさて今回の超雑談。

『文豪ストレイドッグス』に絡めて話をしてみようのコーナーですが、宮沢賢治さんともなれば、さすがに疑うべきもない大文豪! 登場していないわけがない! とか思いつつ(検索中……検索中……)、やはりいました! 宮沢賢治さん! 夢野久作さんと同じショタ狙いのキャラなんですかね(⇒小説読書感想『懐中時計 夢野久作』1分で読…てかこのブログで読める!)。幼い外見の14歳。農作業着を着ている辺り、自身も農業に触れ、農民生活を題材に創作を行ってきた宮沢賢治さんには、ぴったりのデザインです。異能力は『雨ニモマケズ』! 怪力と頑丈さを発揮する異能とのこと。なかなか便利そうな能力ですが、空腹時しか使用できず、満腹になると眠ってしまうという弱点があるみたいですね。『ハンター×ハンター』における念能力の「制約」があると能力はより強くなる、を想起させられてしまいます(てか今回『ハンター×ハンター』ネタ多過ぎ?)。

『文豪とアルケミスト』の方の宮沢賢治さんもショタ狙いっぽいキャラですねえ。そういうイメージなのか宮沢賢治さん……(単純に童話作家のイメージなのでしょうかね)。可愛らしい感じです。

今回ブログ記事で関連付けた最高の漫画たち。

・『のんのんびより』


・『ハンター×ハンター』

・『ベルセルク』

・『アルスラーン戦記』

宮崎駿監督が『オツベルと象』にインスパイアされているかも? 的なジブリ作品


宮沢賢治さんが登場する『文豪ストレイドッグス』はこちら。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは今日はこの辺で。

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