はつかねずみと小鳥と腸づめの話/グリム童話=てか、私の仕事の方がきつくね?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

はつかねずみと小鳥と腸づめの話-グリム童話-イメージ

今回は『はつかねずみと小鳥と腸づめの話/グリム童話』です。

文字数1300字ほどのグリム童話。
狐人的読書時間は約4分。

小鳥さんは「私の仕事の方がきついから代わって!」って言うけれど、ソーセージさんは不死身の特殊技能を持ってるんだから、誰にも代わりはできないよ(ねずみ)

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

むかし、あるところに、ねずみと小鳥とソーセージが、仲良く幸せに暮らしていた。ねずみの仕事は井戸の水汲みと火起こしと食卓を整えること。小鳥の仕事は森から薪を集めてくること。ソーセージの仕事は料理をすること。

ある日、小鳥が仕事の途中で別の鳥に会い、自分のすばらしい暮らしを自慢した。ところが相手の鳥はこう言った。

「外に出るあなたの仕事が三人の中で一番きつくない? 家にいる二人は楽だろうけど」

次の日、小鳥は昨日言われたことを気にして、森に行く気がしなかった。だから三人の仕事を一日交換してみようと提案した。ねずみとソーセージは一生懸命頼んだが、小鳥は頑固にゆずらなかった。

くじ引きの結果、薪集めはソーセージが、料理はねずみが、水汲みは小鳥が、それぞれ担当することになった――

ソーセージの帰りがあまりに遅いので、小鳥が飛んで迎えに行った。すると森へ向かう途中の道で、ソーセージは犬に食べられていた。ねずみと小鳥はとても悲しんだが、とにかく二人でやっていこうと決めた。

ところが、小鳥が食卓を整えた頃、ねずみはソーセージがいつもやっていた味付けを試み、その命を失くしてしまった。すなわち自分の体を鍋に入れて、野菜に味付けしようとしたのだ。

小鳥が料理を運ぼうとやってくると、そこにねずみの姿はなかった。小鳥は持っていた薪を投げ飛ばし、慌ててねずみを探した。その間、料理の火が飛んできた薪に燃え移り、家は火事になった。

小鳥は水を汲むため、急いで井戸に向かった。そして慣れない作業を焦ってやったため、井戸に落ちて溺れてしまった。

狐人的読書感想

とんでもないバッドエンドでしたね(苦笑)

教訓は「適材適所」ということなのでしょうか。

みんなが自分の能力に適さない仕事をしてしまうと、共同体は全滅してしまうという……、まあ、現実の現代の人間社会において、そこまでの惨事は想像しにくいように思われますが、原始時代だったらけっこう深刻な問題になっていたかもしれませんね。

いまでこそ、昔よりも仕事における男女の差は、なくなってきているのだ思いますが(まだまだ?)、力のある男性が狩りをして、子供を生む女性が家で子育てしたり木の実を採取したりしていたことは、適材適所の役割分担のわかりやすい例ですよね。

これを男性が子供を育てて、女性が狩りをしていたら、どうなってしまっていたのでしょうね? このグリム童話のように、共同体は全滅してしまい、いまの人類の繁栄はなかったのでしょうか?

……案外、女性のほうが狩りがうまかったり、男性もなんだかんだで子育てできちゃったりして、女権社会とでもいうべき人間社会ができあがる――そんなIFの世界が存在し得たのでしょうかね、なんて、パラレルワールドを想像してしまうのですが、どうなんでしょうね?

いまや仕事も機械化やコンピューター化が進んで、どんな仕事でも、勉強すれば誰でもできるようになってきていて、特殊な才能を必要とする一部の職業でもないかぎり、適材適所を実感する場面は少なくなってきているのかもしれません。

(そういえば、ソーセージが味つけのとき鍋で焼かれても平気なのって、特殊な才能ですよね? 違う?)

とはいえ、いや、だからこそというべきなのでしょうか、小鳥の「自分のほうがきつい仕事をしているんじゃないか?」みたいな気持ちを実感する機会は、少なくないように思えてきます。

誰だって、自分の仕事は大変だって、思ってしまいますし、そう思いたくなってしまうというのもあるのかもしれません。

世の中、楽しそうだったり楽そうだったりする仕事があったりしますが、そういう仕事は前述した特殊な才能が必要な仕事であって、なかなかみんながみんなできるものではありませんが、どうしても憧れちゃったりしちゃいますね。

だけど現実は、やはり多くの場合、会社に入って働くというのが、日本の社会の現状だと思います。

ところで、会社の中での適材適所って、どんな感じなんでしょうね?

最初から何らかの資格や技能が必要で、その部署で働くわけではない場合、新入社員の配属先とかどうやって決めているのかな、みたいな。

本人の希望と「適性」を考慮して決めるといいますが、適正なんてそれこそやってみないとわからないという気がします。

思えば、会社内でも「あの部署は楽そうで、うちの部署はきつい」みたいなことを感じることがあるのかな、なんて、想像してみるのですがどうでしょうね?

人間、やっぱり身近なところと自分の境遇を比べてしまうというのはいえそうで、だから職業で比較するよりも、会社内や学校内や家庭内での自分が受け持つ仕事と別のひとが受け持つ仕事を比べて、小鳥のように「自分のほうがきつい仕事をしているんじゃないか?」なんて、感じることが多いかもしれません。

このグリム童話は、まさに家庭における仕事分担、すなわち外に働きに出る小鳥と、家事を担当するねずみとソーセージとは、外に働きに出る男性と、家で働く女性との寓意のように思われます。

まあこれも、現代は女性もバリバリ外で働く時代なので、ちょっとわかりにくく感じてしまうのですが、やっぱり家事のほうが楽で、外の仕事のほうが大変だ、って意見のほうが、表立っていわれなくなっただけで、いまでもやっぱり主流なような気もします。

家事は大変だっていっても、家電とかあるし、子供も寝かせてしまえばあとは自由なんでしょ? みたいな?

だけど、毎日料理をつくって、家の掃除をして、子供の面倒をみて――決まった休日もなく日々働き続けるのって、それだけ聞いてもやっぱり大変に思えるんですよね。

なによりも、妻や母が家を守るのは当たり前のこと、みたいな風潮が昔からあって、外の仕事は出世などでわかりやすく評価されますが、家の仕事というのは社会的には誰からも評価されないところが、けっこうきついんじゃないかな、なんて想像したりします。

結局のところ、このグリム童話のバッドエンドから、自分の仕事と誰かの仕事を比べてみても、いいことなんて一つもないのかな、ってことがいいたかっただけなのですが、余計なことをつらつら書いてしまいました。

自分の好きになれる仕事は、誰かのためになる仕事じゃないかもしれないとか、誰かのためになる仕事ほど、きつい仕事なんじゃないかとか、いろいろと考えてしまいますが、どんな仕事でも、誰かの役に立っているのだと信じて、誇りを持って勤めれば、誰かと比べることなんてないのかもしれませんが、なかなかそう割り切るのは、ひねくれものの僕には難しく思えてしまうんですよね。

つまり、なんやかんやで、小鳥さんの気持ちわかるなあ、という、じつはただそれだけの、今回の読書感想でした。

読書感想まとめ

人は適材適所で協力し合わなければならない、って、現代では実感しにくいように思いましたが、「こっちの仕事のほうがきつくね?」っていう小鳥さんの気持ちには共感してしまいました。

狐人的読書メモ

・とはいえ、小鳥の仕事交換の提案で、まずは仲間のソーセージが命を落としてしまい、それってどういう気持ちなんだろ、って想像してみる。

・『はつかねずみと小鳥と腸づめの話/グリム童話』の概要。KHM23。適材適所で互いに協力し合うことの大切さを教えてくれているように思えるが、パソコンや機械の発達・普及により、仕事の均一化が進んでいるように見受けられる現代社会において、そのことは実感しにくいかもしれないと考えた。とはいえ、肉体労働系はきついよね。

以上、『はつかねずみと小鳥と腸づめの話/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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