狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『わらと炭とそら豆/グリム童話』です。
文字数1000字ほどのグリム童話。
狐人的読書時間は約3分。
友達のわらと炭が川の上でワタワタして、ジュッと沈む。
その様子がシュールで、そら豆は大爆笑。
だけどわらと炭が命を落としていたら、
笑い事じゃないよね。
狐人的後悔譚。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
おばあさんがそら豆を煮ようとしている。
たくさんのそら豆を鍋にあけると、そのうちの一粒が土間に落ちる。かまどに火をつけようとわらを一掴み取ると、一本のわらがそら豆の側に落ちる。火のついた薪から、一欠けの消し炭が飛んで、そら豆とわらの側へ落ちる。
こうしてわらと炭とそら豆は出会った。
せっかく拾った命。
余生を楽しく送ろうと、彼らは旅に出ることにする。
野原を意気揚々と進んでいくと、やがて小さな小川に行き当たる。
向こう岸に渡るため、自分が橋になる、あとからぼくを引き上げて、とわらが提案する。
さっそくわらが橋となり、まずは炭がその上を渡ろうとするが……途中で怖くなり動けなくなってしまう。
すると炭の熾火がわらに燃え移り、わらはそこから二つに折れて、炭と一緒にジュッと音を立てて川に沈む。
その様子を見ていたそら豆は大爆笑。
笑い過ぎてお腹が破裂してしまった。
そこへ一人の仕立て屋が通りかかる。
親切な仕立て屋は、針と糸を使ってそら豆のお腹を縫い合わせてくれた。
そのとき、仕立て屋が黒い糸を使ったので、以来、そら豆の腹には黒い縫い目があるという。
狐人的読書感想
わらと炭とそら豆の、かわいい冒険譚かと思いきや、(腹黒い?)そら豆のお腹の黒いスジの由来にまつわる話でした。
このような、ものごとの始まりを示す物語を「由来譚」というそうです。
ものの由来を物語に構成するというのは、なんとなくおもしろさや楽しさを感じられます。
日本にも、岩手県の民話に『豆と炭とワラ』、中部地方の民話として『まんが日本昔ばなし』の中に『ソラ豆の黒いすじ』、というお話があるみたいです。
どちらも大筋は同じなので、これらはひょっとすると、グリム童話から派生したものなのかもしれませんね。
さて。
これを読んだ方がどのような感想を持つのか、ちょっと気になるところです。
僕はなんだか怖いな……とか感じたのですが、どうでしょうね?
そら豆が大爆笑するシーンなのですが、友達が川に沈んでいくのを見て、大爆笑って……。
わらと炭がじつは無事川から上がれた、という後日談(笑い話)を望みたくなってしまいますね。
どうしてそら豆はわらと炭が川に落ちていく様子を笑えたのでしょう?
たしかに、そこに至るまでの経緯――炭が立ちすくんでしまい、熾火がわらに燃え移り、慌てているうちにパキッ、ドボン、ジュッ――には、コントっぽいシュールな笑いがあると思えます。
しかし、友達が命の危機にある、あるいは命を落とす場面においては、さすがに笑ってもいられない気がします。
おそらく、そら豆はことの重大性に気づいていなかったのではなかろうか、などと僕は想像してみるのですが、どうなのでしょうね?
川に落ちたくらいで、わらと炭がまさか命を落とすとは考えがおよばなかったのかもしれません(そうなると、その後わらと炭について一切ふれられていないのが、ますます不気味ですが)。
川でいつも溺れるマネをして、みんなを笑わせていた友達が、ある日本当に溺れていて、いつものことだから……といって、それに気がつけなかった、みたいなことに、似た心境だったのかなあ、などと想像してみます。
じつは、僕にもそら豆と似たような経験があるんですよね。
朝、友達と待ち合わせをして待っていたら、向こうから満面の笑みで手を振りながら、自転車に乗った友達がやってくるのですが、朝だからいつもローテンションなのに、なぜかその日に限ってハイテンションなんです。
よくわからないけど、相手がハイテンションだから、こっちもうれしいような楽しいような気持ちになって、「お~い!」とか言いながら、手を振り返していると、友達が交差点を勢いよく通過しようとした瞬間、もう一方の道から走ってきた車にはね飛ばされるという――大爆笑。
その様子があまりにもシュールで、思わず笑ってしまったのですが、思えば笑っている場合じゃなかったんですよね。
幸い友達はケガもなく(ホント丈夫というか、奇跡というか)、車の人も「気をつけろよ」的な感じで事なきを得て(思えば警察を呼ぶべきだったかもしれません)、友達も「ひとが車にはねられてんのに何笑ってんだよ!」って笑い話で済んだのですが、もしもその友達が大ケガをしていたり、命を落としていたらと思うと――笑ってしまったことがとてもひどいことに感じられて、その友達に冗談交じりじゃなくて、きちんと謝るべきだったと気づいたのですが、気づいたのはずいぶんあとになってからだったので、結局話を蒸し返すのもはばかられてしまい、ちゃんと謝れずじまい――じつはそのことをいまだに後悔していたりします。
だから、わらと炭が川に落ちる様子を見て、そら豆が大爆笑した気持ちが、ちょっとわかるような気がしたのですが、ひとが傷ついたり、悲しんだりする姿は、どんなに滑稽に見えたとしても、決して笑ってはいけないんですよね。
幼さゆえの過ちというか、同じ状況でもいつも真剣に友達を心配できる人がいることを思えば、自分がいかに冷たい人間かを自覚せずにはいられませんでした。
とはいえ、その冷たさを表に出すことで、笑ってしまうことで、誰かを傷つけてしまうこともあるわけで……何事も真剣に受け止めたいと思っているのですが、意外にそのことが人を笑わせるための冗談だったりして、ひとりだけ笑っていないと「空気読めよ」みたいな感じになって、とはいえ、それって本当に冗談ですむことなのって気がして――人を笑わせたり笑ったりするのって難しいです、というお話。
……とりあえず、基本人は笑っちゃダメ、ってことでいいですかね?
読書感想まとめ
そら豆の由来譚。基本人は笑っちゃダメ?
狐人的読書メモ
ひょうきんなことをして人を笑わせる役割の子がグループにいても、じつはその子はそんな役割を演じたくはないのかもしれない。グループの期待というか空気感みたいなものに逆らえず、いやいや道化を演じているのかもしれない。だけどそう思ってその子を笑わなかったりすると、「空気読めないやつ」ってことになってしまう。そういう人間関係の煩わしさを感じることがあったりなんかもする。
・『わらと炭とそら豆/グリム童話』の概要
KHM 18。人を笑うことは人間関係を円滑にするが、人を笑うことは人間の心を傷つけてしまう場合もある。であれば、良し悪しにかかわらず人を笑うべきではないのか? 狐人的にとても思わされる物語だ。
以上、『わらと炭とそら豆/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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