狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『戦争と一人の女/坂口安吾』です。
文字数9000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約30分。
戦争の間だけの男女関係。
二人の間に恋愛はないと感じたけれど、
だったら恋愛ってなんなんだろうと思った。
自ら命を絶つ人はただの弱者なの?
強者の理論が常に正しいの?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
太平洋戦争末期の東京。小説家の野村は一人の女と同棲していた。
女は親に女郎に売られ、男たちのオモチャになってきた。小さな酒場の主人で妾だった。不感症なのに、すぐに男と関係したがった。
どうせ敗戦でめちゃめちゃになる。二人の間に家庭的な愛情など必要なかった。野村も女もそれでよかった。
女は家庭的な生活が楽しくなってきたというが、野村は女の性質が変わることはないだろうと、さめた目で見ていた。女はそのことに気づいていて、野村もまた女の目に憎しみが閃くのを見逃さなかった。
空襲の日、女がこの家を焼きたくないといい出したので、二人は水だらけになって家の四方に水をかけた。二人の家は焼け残った。疲労困憊の中で、女は感動して野村を愛しているというが――今日の女は可愛くとも、浮気の本性はどうすることもできないだろう、野村の感動には冷ややかなものが混じっていた。
二人の奇妙な関係は続く。退廃的な生活が続く。
そして終戦の日がやってくる。
野村と女の関係は、戦争の間だけ成立する関係だった。終戦となったいま、野村と女は二人の別離について思わずにはいられなかった。
あなたは私を可愛がってくれた。いいや、僕はただ君の肉体をむさぼっただけだよ。でも、人間はそれだけのものよ、それだけでいいのよ。
女は言葉を続ける。
あなたは遊びを汚いと思っている。だから私を汚がったり、憎んでいる。あなたは自分だけが綺麗に、高くなりたいと思っている。
あなたは卑怯よ。なぜ汚くないと考えるようにしないの? 私は汚くて、遊びが好きで、よくない女だけれど、よくなりたいと願っている。なぜあなたは、私をよくしようとはしてくれないの?
野村は意地悪く考える自分をどうすることもできない。
女は変われないだろう、遊びをやめられないだろう、女はいつでもいい子になりたがる、しょせんは戦争の間だけの愛情だったのだ。
戦争は終わったのか、野村は女の肢体をむさぼり眺めながら、考え続けた。
狐人的読書感想
戦争という特殊な状況下での、男女の同棲関係が描かれている小説ですが、「戦争だから」ということはあまり感じられないように思ったのは、僕だけ?
やはり普遍的な男女関係について描かれているように感じてしまいます。
恋愛や友情といった概念は美化され過ぎていると、普段から考えることがあります。
相手のことを好きだとか愛しているだとかいう気持ちは、つきつめてしまえば自己本位から生じている気持ちでしかないように思ってしまうんですよね。
ひねくれた考え方かもしれませんが。
女は、遊びをやめたいと思っていて、よくなりたいと願っていて、男に愛されたいと望んでいて、男になんでそうさせてくれないのかと訴えかけるわけなのですが、これは甘えという気がします(もちろん、女の過去には充分な同情の余地があるのですが)。
男は、そんな女のいうことが信用できず、まあ楽しめるときに楽しめるだけ女の肉体を楽しめればいいか、みたいな(しかもこちらには戦争下という状況以外にあまり同情の余地がないという……)。
どちらも、一見では自分のことしか考えていないようにしか思えず、それは戦争や酷い身の上といった環境に起因しているように描かれているのですが、しかし案外、戦争とかなくても人間ってこんなものかもしれないなあ、とか、考えてしまうのです。
恋愛小説とか映画とかドラマとか、とかく恋愛というものは美しく描かれがちですが、実際の恋愛には純粋な行為や感情といったものはなくって、必ず自己本位という不純物が混ざっているものだと実感してしまいます。
みんなそういうことはわかっていて、あくまでも幻想として映画やドラマを楽しむのかなあ、などと思い、恋愛を幻想化、理想化、偶像化することで、現実の恋愛に失望してイヤになることとかないのかなあ、などと想像してみるのですが、理想は理想で現実は現実だと、うまく整理できているところに、人間心理の不思議さを感じたりします。
恋愛って難しいよね(?)というお話でした。
もうひとつ、生きるって難しいというお話です。
男と女の共通点は、ともに人生に失望(あるいは絶望)しているということなんですよね。
だから、戦争をオモチャのように感じて、命がどうなってもと開き直って、享楽的、退廃的に生きているわけなのですが、そういう人に限って生き残ってしまうというのは皮肉なセオリーだという気がします(そういった論がピックアップされやすいだけであって、実際にそうであるとは限りませんが)。
人間は誰だって弱さを持っているけれども、その弱さを克服できる人とできない人の違いはなんだろうな、とか考えることがあります。
悲しみや絶望といった感情は、必ずしも相対的に測れるものではありませんよね。
人によって、どのような不幸によって、どのくらいの悲しみを感じるのかは、比べようがないものだと思います。
努力して前向きに生きられる人、絶望の果てに自ら命を絶ってしまう人、両者の違いはなんなのでしょうか?
本人の資質か? 周囲の人たちの助力か? 運か?
強い者が生き残って、弱い者が淘汰されていく――ただそれだけのことだと感じることもあります。
よく、自ら命を絶つ人は、よくなろうとする努力を怠り、ゆえに自業自得の結果だという意見を聞くことがありますが、それは強者の理論だと考えることがあります。
もちろん、強者には強者たるための努力があって、弱者は強者たる努力を怠っていたのかもしれませんが、それだって絶対にそうなのだとは言い切れず、強者は生まれながらの強者なのかもしれないし、弱者は強者たるべき努力をした結果、やはり弱者のまま果てていったのかもしれません。
生きるって難しいとかいいながら、弱肉強食の単純な理論なのか、よくわからなくなってきたというお話でした。
読書感想まとめ
恋愛と生について。
狐人的読書メモ
強者の理論が常に正しいのかもしれない。だけど弱者の理論も聞いてほしいと願うのは、僕が弱者だという表れなのだろうか。
・『戦争と一人の女/坂口安吾』の概要
1946年(昭和21年)『新生 臨時増刊号第一輯』にて初出。戦争とか関係なく現実の男女関係が描かれている。恋愛ものって、理想的、幻想的でなければウケない印象があるのは、僕だけ?
以上、『戦争と一人の女/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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