オモチャ箱/坂口安吾=小説やマンガを創作する人には勉強になります。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

オモチャ箱-坂口安吾-イメージ

今回は『オモチャ箱/坂口安吾』です。

文字数23000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約62分。

とある作家の破滅。

キャラクターが勝手に動く。
テーマやキーワードは指定されたほうがいい作品が書ける。
金のために書け!

小説やマンガなど創作する人必読の書。
勉強になります。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

三枝庄吉さえぐさしょうきちは近代日本文学の異色作家といわれていたが、どんどんよい作品が書けなくなって身を持ち崩していく。お酒を飲み、お金にだらしがなく、借金、夜逃げ、浮気――学生時代からのファンだった庄吉の妻もだんだん愛想を尽かしていく。

庄吉一家はあるアパートに住むことになる。そこのオーナーマダムはある旦那のオメカケで、とても浮気性な女だった。女のことに稚拙な庄吉は旦那からの信頼を得ていた。それをいいことにマダムは庄吉と出かけることを理由にして、他の男たちと遊びまわった。

庄吉の妻はそんなことは知らないので、夫の浮気にいつも泣かされていた。そして数日間家出した。庄吉もそれでちょっとは懲りて、小田原の実家で創作活動に集中することにする。

実家の母も庄吉にはほとほと愛想を尽かしていた。庄吉は仕事に専念しようとするがうまくいかない。どうにかこうにか原稿料を得てもすぐ酒を飲んで使ってしまう。再び庄吉の妻は庄吉の弟子と失踪してしまう。

今度ばかりは妻も数日で帰ってくることはなく、ショックを受けた庄吉はみるみる衰弱していった。後輩や友人が慰めても効果はなく、衰弱は日に日に悪化していった。

庄吉はついに首を吊った。

知らせを受けて帰ってきた庄吉の妻は「私を苦しめるためにやったのだ」と嘆いた。そして一年半が経つと正視に堪えないほど身を持ち崩してしまった。

「私」は言う。

彼は夢を作る人だった。夢が文学であるためには、夢の根底が現実に根ざしていなければならない。彼にははじめそれがちゃんとできていた。彼の妻もそんな彼のオモチャ箱に魅せられていた。彼にはそれがわかっていたはずだ。なのに夢と現実は次第に遊離してしまった。それで彼は彼自身と彼の妻を不幸にしてしまった。

「私」は、やるせなくて、たまらなかった。

狐人的読書感想

坂口安吾さん自身にもいえるところがあるかもしれませんが、昔の有名な作家さんの破滅の話というのはよく聞かれますよね。

『オモチャ箱』は一人の作家が破滅していくまでを描いた小説ですが、庄吉にはモデルとなった人物がいて、それは坂口安吾さんにとっては恩人ともいえる作家の「牧野信一」さんという方なのだそうです。

この作品については上記のようなこともあって、発表された当時は厳しい批判もあったそうで、作家仲間からは「恩知らず」や「意地が悪い」といった非難もあったらしいのですが、読んでみればそうではない印象を受けます。

まさにラストの一文にあるように、坂口安吾さんの「やるせなくて、たまらなかった」心情が感じられて、また自分自身と照らし合わせて作家について、創作について、思うところをつづっているように感じられます。

狐人的には創作をする人、とくにやはり小説やマンガを書く人には似たようなことを考えた経験があって、共感できること大な小説ではなかろうか、などと思いました。

創作する人にぜひ読んでみてほしい作品です。

たとえば冒頭から創作と将棋を照らし合わせて語っている部分などは一気に惹きつけられました。藤井聡太さんの活躍でいま将棋が注目され話題となっていることも影響しているかもしれません。

とある将棋の名人戦で、先手の棋士が第一手に十四分もかけたのを見た私が、「第一手くらい前夜に考えてくればいいのに……」と、一緒に観戦している友達の棋士に言うのですが、その友達の棋士は「前夜に考えてきても、いざ盤面へ対座すると、気持ちや考えが変わってくることがある」と答えます。

「私」はそれを聞いて「なるほど作家の仕事にも同じことがいえる」と納得します。

あらかじめプロットを練っていても、いざ書き始めてみるとプロットどおりにいかないことがあり、それが創作(芸術)というものであって、いつも予定通りにいくのならばそれは「細工物の製造」と変わらない、というのです。

なんとなく「キャラクターが勝手に動き出す」みたいなことを思い起こした部分でした。

今回の読書で僕が一番思わされるところが大きかったのは以下のところです。少し長いですが引用します。

事実に於て文学はそういうものだ。自由というものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言われると却って困却することが多い。本当に書きたいもの、書かずにいられぬものはそう幾つもあるものではないからだ。だから、通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言われると、却ってそれをキッカケに独自な作家活動が起り易いもの、なぜなら、作家は自分一人であれこれ考えている時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、他から思いも寄らない糸口を与えられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起しらたな自我を発見し加えることができ易いからだ。

これはまさに最近思いはじめていたことだったので、とても共感してしまいました。

小説の公募やマンガの新人賞などでは、テーマやキーワードが設定されているものがありますよね。

テーマやキーワードが設定されていると、自分の想像の幅が狭まってしまい、思い通りのものが書けなくなるんじゃないかとこれまでは考えていたのですが、しかし最近は意外にテーマやキーワードがあったほうが、比較的まとまったものが書けるような気がしはじめています。

引用部分では『本当に書きたいもの、書かずにいられぬものはそう幾つもあるものではないからだ』となっていますが、逆に書きたいものをあれもこれもとつめこみすぎて、なんだかまとまりのない、よくわからない話になってしまうことがあるんですよね。

それは物語の核となる部分をしっかりと定められておらず、また長い物語をまとめられるだけの力が自分にはないからなのかもしれませんが、テーマやキーワードといった制限が与えられることで書きやすくなり、さらに自分の既成概念を超えた新たな着想を見出せるかもしれない、という部分は改めて勉強させられる思いがしました。

それから文学についての坂口安吾さん独自の解釈が描かれているところも興味深かったです。

文学といえばとかく芸術、崇高なものと見なされがちなようですが、現代エンターテインメント小説やマンガが娯楽として主流なように、あるいは作家からしても「文学(小説)はただの飯のタネ」でしかないという考え方です。

たとえばゲーテはシェイクスピアを読んで感動して、「じゃあオレもマネして書いてみるか」という感じにとくに文学的崇高な目的もなく書きはじめたのだし、バルザックもチェーホフもドストエフスキーも結局はお金のために小説を書いていたのだ、といったちょっとひねくれたものの見方がひねくれものの僕にはおもしろく感じました。

案外いい作品を作ろうとあれこれ考えてもいい作品は生まれてこず、生活のためにしゃにむに作った作品が結果としていい作品と認められることのほうが、世の中には多いのかもしれませんよね。

坂口安吾さんの『おもちゃ箱』は、小説やマンガなど創作をされる方にはぜひ一度読んでもらいたい作品です。とても勉強になった気がしました(気がしているだけなのかもしれませんが)。

読書感想まとめ

創作する人におすすめ。

狐人的読書メモ

プライドやこだわり、形式などはできるかぎり捨て去ってしまったほうがいいのかもしれない。

・『オモチャ箱/坂口安吾』の概要

1947年(昭和22年)7月1日『光 第三巻第七号』にて初出。牧野信一追悼作品。創作する者にはとても勉強になる(ような気がする)小説。坂口安吾の作家追悼作品にも興味を持った。

以上、『オモチャ箱/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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