「アイ・ノウ」
本当にすばらしい小説なのです!
しかしながら、
いい小説に出会ったとき、
それを誰かに十全に伝える方法はないだろうか、
といつも思うのです。
読んでいるときの高揚感、
本を閉じたときの満足感。
そういった感動をほかの人にも知ってもらうためには、
実際その小説を読んでもらうしかないわけなのですが、
それがなかなか難しいのです。
だから、
おすすめした小説を誰かに読んでもらえたとき、
とてもうれしい気持ちになります。
「おもしろかったよ」とか「よかったよ」
と言ってもらえたとき、
もっともっとうれしい気持ちになります。
今回もそんな小説のひとつなのです。
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
(「『狐人』の由来」と「初めまして」のご挨拶はこちら⇒狐人日記 その1 「皆もすなるブログといふものを…」&「『狐人』の由来」)
今回の小説読書感想は、
梨木香歩さんの
『西の魔女が死んだ』
について書いてみたいと思うのです。
梨木香歩さんは、
G・ガルシア=マルケスさんの
『百年の孤独』
を愛読書のひとつに挙げているそう。
僕も、
G・ガルシア=マルケスさんの
『コレラの時代の愛』
を最近読んで感銘を受けました。
(⇒小説読書感想『コレラの時代の愛』初恋を貫く51年9か月と4日!)
小説を書く上での勉強のひとつは、
やはり小説を読むことでしょう。
(『狐人小説』にて小説を書いています。
よろしくお願いするのです!)
近々ぜひ
『百年の孤独』
も読みたいと思うのです。
『西の魔女が死んだ』
は1994年に出版されました。
<日本児童文学者協会新人賞>、
<新美南吉児童文学賞>、
<第44回小学館文学賞>など、
数々の文学賞を受賞!
2008年6月に実写映画が公開され、
話題となりました。
なぜこれまで、
この小説を読んでこなかったのか……
ある小説を読んで、
後悔に似たような感情とともに、
このように思うことがあるのですが、
『西の魔女が死んだ』
の読了後にもこうした思いを抱いたのです。
『西の魔女が死んだ』
本当にすばらしい小説なのです!
(大切なことは2度言う!)
では、
そろそろあらすじを。
西の魔女が死んだ。
タイトルにもなっている一文から始まり、
物語は主人公の少女・まいの、
回想へと移りゆく。
「あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」
中学生になったまいは、
学校に行くことを拒絶する。
登校拒否。
まいのママは、
まいを「西の魔女」に預けることを決める。
「西の魔女」とは、
ママのママ、
つまりまいのおばあちゃんのこと。
季節は初夏へ、
その一月ほどを、
まいは魔女修行を受けながら、
大好きなおばあちゃんと田舎で暮らす。
魔女修行の核は、
「何でも自分で決める」
ということ。
喜び、
希望、
幸福、
そして生と死――
「西の魔女」のもと、
豊かな自然とふれあいながら、
一歩を踏み出すまいの成長。
と、
こんな感じでしょうか。
それでは感想などつらつらと。
p.14
「あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」
多くの人たちにとって、
学校は楽しいだけのものなのでしょうか?
大なり小なり、
まいと同じように感じたことのある人は、
多いのではないかと思うのです。
(とか思うのは僕だけなのでしょうか?)
そんなまいの言葉を聞いて、
まいのママはその理由を訊こうとはしませんでした。
まいとママに、
「西の魔女」
と呼ばれるまいのおばあちゃんは
英国人です。
つまり、
まいのママは日本人と英国人のハーフ。
自身も学校でつらい思いをしてきたからこそ、
まいの気持ちがわかるのだと想像させられます。
余計なことは訊かず、
しばらくの休学を決めた、
母親としての態度は、
意見が分かれるところかもしれませんが、
僕にはすばらしいことのように感じられました。
しかし直後、
単身赴任中の父親と電話で話す際に、
「扱いにくい子」
という言葉を使って、
まいはそれを聞いてしまいます。
この言葉は、
まいの心の重しとなります。
おそらくママは、
まいの存在を否定する意味で、
その言葉を使ったわけではなかったと思うのですが、
親の些細な一言に子は心痛めることがあるでしょう。
そんなつもりはなくとも、
自分を否定されたように思った子供はつらい。
もちろん気にしない子も中にはいるでしょうが、
まいは感受性が強くナイーブな女の子なのです。
p.22
「私はいつでもまいのような子が生まれたことを感謝していましたから」
物語中で、
おばあちゃんは、
そんなまいを肯定する言葉を、
いくつもまいに与えてくれます。
おばあちゃんの言葉の数々が、
どれほどまいの救いとなったか、
想像するとこちらまでうれしくなるのです。
いつでも自分の存在を肯定してくれる。
欲しい言葉を与えてくれる人がいるということは、
とても幸せなことだと思いました。
思春期の中学生らしい葛藤が描かれている部分が、
おばあちゃんの家の近所に住むおじさん、
ゲンジさんへまいが抱く嫌悪感。
出会ったときにゲンジさんが吐き捨てた
「ええ身分じゃ」
という言葉にまいは憤りを覚えます。
これは、
登校拒否し、
おばあちゃんのところに逃げてきた、
と指摘されても言い訳できない状況、
痛いところを突かれたために発露したまいの感情だと思いました。
自分の非であったり、
悪いと思っていることだったり。
わかっていても、
認めるのが難しいということは、
大人になってもままあることなのではないでしょうか。
これとまっすぐに向き合い、
自己を顧みる材料にしたい、
と事あるごとに思いますが、
実践はやはり難しいのです。
テレビスターになって、
人々の注目を集めることが、
その人にとっての幸福といえるか。
幸福の形はひとによって違うということも、
この小説を読んで考えさせられたことのひとつなのです。
『西の魔女が死んだ』に出てくる魔法は、
ファンタジーのような魔法とは違います。
おばあちゃんから、
魔女の血筋と魔法について聞かされたまいも、
超能力が使えれば学校の問題に煩わされずに、
いまよりスムーズに生きられるのではないか、
と考えます。
おばあちゃんの教えてくれる魔女修行は、
ファンタジックな魔法を使えるようになるものとは違いますが、
スムーズに生きていくことに通じている、
大切なことには違いありません。
自然に親しみ、
規則正しい生活を送ること、
現代人が学ぶべき大切なことが描かれているように感じました。
p.113
「人は死んだらどうなるの?」
まいとおばあちゃんが、
死について話す場面があります。
以前にまいが同様のことをパパに訊いたとき、
まいのパパは、
死んだら最後、
という論理的な答え方をして、
感受性の強いまいは少なからず心を傷つけられました。
ひとりの人間として、
対等に誠実に我が子と接したい、
父親としての気持ちはわかりますが、
死のようなナイーブな質問については、
幼い子供に対する姿勢に注意すべきだと学びました。
あらゆる宗教に見られるように、
死については、
魂という概念を用いて説明され、
おばあちゃんも魂を用いて、
死についてまいに話します。
死は大人でも恐ろしい、
ゆえに宗教が成立しているのだともいえるでしょう。
だからこそ、
幼い子供に対しては、
死についてより慎重になる必要があるのかもしれない、
と思わされました。
西の魔女が死んだ。
とある出来事が原因で、
まいとおばあちゃんは、
ぎくしゃくしたまま別れることになり、
以来おばあちゃんが生きているうちに、
ふたりが会うことはありませんでした。
死は残酷で哀しいもの。
もう謝ることも、
話をすることも、
できないのです。
しかし、
ラストで示される「西の魔女」の死は、
どこかすがすがしく鮮やかなのです。
死に対する新鮮な衝撃がありました。
示すことが難しい、
死、
という問題に対するひとつの答えが、
明快に描かれているのに驚きました。
『西の魔女が死んだ』は、
この点ひとつだけをとってみても、
小学生・中学生・高校生を中心に、
世代を問わずあらゆる人に読んでほしい小説だと、
間違いなくおすすめできます。
小説を読む醍醐味のひとつとして、
普段は見られない風景を見せてくれる、
ということが挙げられるのではないでしょうか。
『西の魔女が死んだ』では、
ハーブや木々、
たくさんの花々、
田舎の美しい風景がとても鮮やかに描かれています。
狐人的には、
ジブリ作品、
『となりのトトロ』
の田園風景を喚起させられました。
『西の魔女が死んだ』は、
美しい風景と、
愛があふれる、
あたたかな小説。
なつやすみも後半に突入!
新潮文庫は226ページ。
読みやすい上にページ数も少なく、
読書感想文の宿題には間違いなく最適の一冊!
宿題の読書感想文がまだな学生のみなさん、
のみならず、
小説を書く小説仲間たち、
小説を読む小説仲間たちにも、
未読の方にはぜひぜひおすすめしたいのです!
なぜこれまで、
この小説を読んでこなかったのか……
『西の魔女が死んだ』
いかがでしょうか。
読了後、
間違いなく誰かと語り合いたくなる小説!
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とてもうれしいのです!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは今日はこの辺で。
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