狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『坑夫の子/葉山嘉樹』です。
葉山嘉樹の『坑夫の子』は文字数5800字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約16分。
発電所の掘削作業は過酷を極めた。
ダイナマイトの破裂音。
帰らぬ父、滅茶苦茶に泣く坑夫の子。
責任転嫁する責任者。
化学兵器が使用されたシリア。
泣くのはいつも無辜の犠牲者家族なのです。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
吹雪く冬の日、発電所の掘削のため、坑夫は昼夜兼行で働いていた。掘削には大量のダイナマイトと坑夫を消費した。民家に破片が落ちると、住民は駐在所へ苦情を持ち込み、駐在所は会社の事務所に注意し、会社員は組員に、組員は名義人に、名義人は下請けに――それぞれ文句を言った。
秋山は十年、小林は三十年、ベテランの坑夫だ。受け持ちの場所にダイナマイトを仕掛けると、合図とともに導火線に火をつけて駆け出す。その途中で秋山が動かなくなる。秋山を追い越し先を行く小林が叫ぶ。しかしかつてない腰痛で秋山は動けない。助けに向かう小林。秋山を担ぐ。一人でも登り難い道。どうにもならない。
ダイナマイトの破裂音。
現場近くの長屋には坑夫の家族が住み込んでいる。夕食は家族一緒に……、しかしいつまで待っても父親たちが帰ってこない。十歳になる秋山と小林の子が、待ちきれなくなって探しに出た。二人は坑夫の子供だから、事故で亡くなる者の姿は見慣れていた。だけど自分たちの父親がそうなるかもしれないとは考えたこともなかった。
――子供たちはそれぞれの父親の首にしがみついて、夕食の席に連れ帰ろうとでもするかのように、遮二無二涙を流しながら、引き起こそうとしている。もしも飯場の人たちが、心配して探しに来なければ、ずっとそうしていたに違いない。
皆、その姿を見て涙した。
狐人的読書感想
前々回の読書感想で、横光利一さんの『街の底』を読んで、労働、格差問題などを感じさせながらも、主人公の人格から労働や貧困の苦しみや悲しみといったものが伝わってこず、その作品がプロレタリア文学なのか否かについて迷ったのは記憶に新しいところですが、葉山嘉樹さんの『坑夫の子』はまぎれもないプロレタリア文学といえるでしょう。
(▼プロレタリア文学? な読書感想はこちら)
葉山嘉樹さんのプロレタリア文学を読んでいて、常に思うことは、現代にも通じるところが必ずあるということなのです。
今回の『坑夫の子』でいえば、まずは「責任転嫁」ということ。
あらすじの冒頭に書きましたが、掘削の破片が民家に落ちて、住民から苦情が出ると「会社→組員→名義人→下請け」と。……これは単純に、現場へ注意を促すためのプロセスなのかもしれませんが、僕としてはどこかたらい回しにされている印象を受けました。
いろいろと彷彿とさせるものがありますよねえ……、築地市場の豊洲移転問題とか。かかわった責任者の方がみんな「自分の責任じゃない自分の責任じゃない」みたいな。ひょっとしたら本当に知らないこともあるのかもしれませんが「何かあったときに責任取るのが責任者じゃないの?」と思ってしまうのは僕だけなのでしょうか?
まあ、責任者を選んだ都民(国民)みんなの責任、ということなのかもしれませんが。こういうことがあるたびに、民主主義の有効性みたいなものを思わされてしまうのです。専制君主制では公然と責任者を非難することもできないのだ、と考えてみれば、それができるだけ民主主義のほうがよいといえるのでしょうか……、みたいなことを考えてしまうわけなのですが、どうでしょうね? (――とか訊かれても? 失礼しました)
さらに『坑夫の子』では、ダイナマイトと坑夫を同等の消費物として表現しているところがあるのですが、強く印象に残りました。
現代でもブラック企業やブラックバイトなど、低賃金や重労働などの悪条件で働かされる労働者のニュースを見かけることがありますし、どれだけ機械化されていても危険な仕事はなくなっていないと思うのですが、しかしまるで大量のダイナマイトを使うがごとく「労働者=消費物」とされるような労働環境が、現在でもあるのでしょうか? (社会経験がないからそう思ってしまうだけ?)
やはりかつての労働環境はひどいものだったんだなあ……、と思ってしまうのです。
過酷な労働環境にあった坑夫たちが起こした事件に「足尾銅山暴動事件」というものがあります。これは1907年(明治40年)2月に起こった事件で、葉山嘉樹さんが『坑夫の子』を発表されたのは1926年(大正15年)のことですから、坑夫の方々の労働環境というものは20年経ってもそれほど改善されてはいなかったのかもしれません。あるいはこうした実際の事件をもとに『坑夫の子』は執筆されたのかもしれませんが。
おそらくこの作品でもっとも心を打たれるのは、タイトルにもあるように、「坑夫の子」たちの在り方ではないでしょうか?
現代では、プロレタリア文学の流行した当時のように、苛烈な労働環境というものに思いを馳せる機会も少なくなっているように思うのですが、それ以上に、その家族の人々に思いを馳せる機会は、もっと少ないように思いました。
ただしこれは、労働災害の被害者家族に限らなければ、犯罪被害者、戦争被害者の家族だって同様の思いを抱くことに気づかされます。先日(2017年4月4日)、シリアで化学兵器が使用され、多くの犠牲者が出たというニュースがありました。おそらく妻子を失ったお父さんが、お墓に縋りついて「どこにも行かないよ、ずっと一緒だよ」と泣き叫んでいる姿に言葉を失ってしまいました。
最近見たニュースでは、アサド政権の化学兵器使用の情報を、ロシアが事前に掴んでいたのでは――といったものもあります。痛みを伴うのは、いつも無辜の人々で、痛みを知らない一部の権力者が、他人の命を消費物として扱う――いつの時代、どんな社会でも起こっていることだと感じてしまいます。
読書をして、ニュースに触れて、このようなことを考える機会を得るたびに、僕はいつも「完全な世界」みたいなものを思わずにはいられません。たとえば、『マトリックス』という映画のコンピューターに支配された仮想現実の世界とか、『エヴァンゲリオン』の人類補完計画後の世界とか、『ナルト』の無限月読の世界みたいな。
葛藤はあっても、だいたいそういう「完全な世界」は、主人公たちに否定される向きが強いように思うのですが、はたしてそうなのかなあ……、みたいな。現実の肉体は機械に繋がれ支配されていても、夢の中で大切な人たちと幸せに過ごせるならば、それでいいような気がして、本当にそんな未来は訪れ得ないだろうか……、みたいな(僕は狐人的にこれを殻社会と呼んでいますが)。
……ただの現実逃避だと非難されてしまうのかもしれませんが。
最後は創作のガジェットとして興味を持ったダイナマイトについて。
ダイナマイトは、あのノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルさんが最初に発明したものなのだと、恥ずかしながらこのたび初めて知りました(ノーベルさんは「ダイナマイト王」と呼ばれるほど、これは有名なお話なのだそうなのですが……)。
じつはこのダイナマイト、ある失敗から生まれたものだそうです。ダイナマイトの元となるニトログリセリンは、ちょっとの衝撃ですぐ爆発してしまい、非常に不安定な液体なので実用に難渋していました。あるとき、このニトログリセリンを保管していた容器が壊れて、中の液体が漏れ出してしまいました。大変危険な状況ですが、偶然傍にあった珪藻土がニトログリセリンを吸い込んで、爆発は回避されたのだとか。ここからノーベルさんは、珪藻土を利用したダイナマイトの実用化に成功したのだそうです。
(▼失敗をヒントに成功したコーラ、コーンフレーク、万年筆についてはこちら)
……そういえば、『鋼の錬金術師』で、エドがダイナマイトの原料であるところの硝酸アンモニウムを錬金術で分解して、アンモニアを抽出し、嗅覚の鋭い敵を撃退したのを思い出しました(……『坑夫の子』の感想とまったく関係ありませんが、炭坑つながり―?―ということで―何が?―)。
読書感想まとめ
責任転嫁する責任者ってどうなの? 被害者家族の悲しむ姿にいつも言葉を失ってしまうのです。『マトリックス』の仮想現実、『エヴァンゲリオン』の人類補完計、『ナルト』の無限月読、みたいな世界(殻社会)の訪れを望むのは変なのかなあ……。失敗をヒントにしたダイナマイト。
狐人的読書メモ
完全な世界とは……
・『坑夫の子/葉山嘉樹』の概要
1926年(大正15年)『解放』にて初出。プロレタリア文学。坑夫の子の悲しみ。
(▼労働災害で残された恋人の悲しみ)
以上、『坑夫の子/葉山嘉樹』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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