疣/新美南吉=悲しみは平気な顔で通りこしていけばいいんだよ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

疣-新美南吉-イメージ

今回は『いぼ/新美南吉』です。

文字数10000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約26分。

人生にはいろんな悲しみがある。
仲がよかった友達と疎遠になるのもその一つ。
相手にしてもらえなくなって悲しいか?
だけどこんなことこの先いくらでもあるさ。
平気な顔で通りこしていこうよ。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

夏休み、田舎に住む松吉・杉作兄弟のところに、いとこの克己かつみが遊びにきた。ある日、三人はたらいを担いで山の池に行った。たらいにすがって池を横断しようというのだ。

調子よく泳ぎ出した三人だったが、池の真ん中で疲れて動けなくなってしまう。泣き出しそうになる杉作と克己を見て、松吉は「よいとまアけ」と逆の方向にたらいを押しはじめる。

それは田舎のかけ声で、町の子の克己に聞かれるのは恥ずかしかったのだが、そんなことを言ってはいられない。それは弟の杉作も、克己だって同じだった。三人は「よいとまアけ」と声を合わせて、なんとか土手まで辿り着いた。

家に帰ると、松吉の右手のいぼを克己がほしいと言い出す。松吉はいぼが克己に移るようにおまじないをする。翌日、克己は町の家に帰っていった。

秋、松吉と杉作の家では収穫のお祝いにあんころ餅を作った。二人はそれを町の克己の家へ届けに行くことにした。

二人が克己の家に着くと、おじさんもおばさんも、克己もいなかった。克己の家は床屋をしていて、そこには二人と同じ村出身で、修行にきている小平がいた。

どうやらみんな出かけているらしく、松吉と杉作は帰りを待つ間、小平に髪を刈ってもらうことになる。昔は一緒に遊んでいた小平が、仕事をしている姿を見て、松吉は一抹の寂しさを覚える。大人になるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束のように思われた。

そうしているうちに、克己が学校から帰ってきた。しかし克己の松吉と杉作を見る目は、知らない人を見るように冷淡だった。そして二人には目もくれず、誘いにきた町の友達と一緒に出て行ってしまった。

松吉は悟った。

――克己にとって、田舎で十日ばかり遊んだ自分たちは、友達でもなんでもなかったのだ。克己には町の生活があり、田舎とは違う、それが当たり前のことなんだ。

帰り道、松吉と杉作は魂の抜けたような顔をして歩いていた。すると突然「どかアん」と、弟の杉作が大砲の音マネをはじめた。松吉は思った。

――人にすっぽかされるような、こんなことはこれからさきいくらでもあるに違いない、俺たちは、そんな悲しみになんべんあおうと、平気な顔をしていけばいいんだ。

二人は、ドカンドカンと大砲をぶっぱなしながら、心を明るくして、家に帰っていった。

狐人的読書感想

なんとも寂しいお話でした。だけど同時に勇気や希望がもらえるような、そんな作品でもありました。

これは間違いなく早い時期に読んでおくべき童話だと思いました。

松吉・杉作兄弟と同じような現実に直面したとき、この作品を読んでいるかどうかで、その後の気持ちの持ちようというのが全然変わってくるという気がします。

ある一時期はとても仲がよかったのに、引っ越しなどで住む場所が変わったり、学校が変わったり、あるいは成長するにつれて、友達関係というのは移り変わっていくものですよね。

松吉の感じた寂しさは、誰もが感じ得る感情だと思いました。

僕はそういうことがあるとかなり落ち込んでしまい、なかなか割り切れないような気がします。いつまでもそのことをひっぱってしまうように感じています。

だけど松吉が言うように、こんなことはいくらでもあるんですよね。それをいちいち気にしていたら生きていくのがとてもしんどいでしょうし、だからこそ気持ちを切り替えて、平気な顔をして生きていけばいいんだ、というのは本当に大切な、一つの悟りのように思います。

このことを、子供のときに気づくのって、かなりむずかしいような気がするんですよね。何回もそういうことを経験して、ようやく悟るという感じがするのですが、松吉はたった一度の経験でこのことを感得していて、ちょっと尊敬してしまいます。

たぶん弟の杉作も、そんなことを無意識のうちにわかっていて、だから「どかアん」と大砲を打つマネをしたのかな、と思います。あるいは落ち込んでいる兄を元気づけようとしたのかもしれません。いい兄弟だなあ、と単純に思いました。

さて、新美南吉作品といえば、少年の心理描写が秀逸な作品が多く、『疣』もそんな作品の一つだと感じられます。

松吉がところどころで発揮する「田舎コンプレックス」とでもいうべき感情はとてもわかりやすいように思いました。

たとえば、田舎言葉を気にしていたり、町にやってきてきょろきょろしてしまうのをやめられなかったり、町の子供にいじめられないかとびくびくしていたり――まさに典型的な田舎コンプレックスの発露だといえるのではないでしょうか?

つきつめてしまえば「東京は田舎者の集まりだ」などとよくいわれるように、都会の人って、田舎者をそこまでバカにしていない気がするのですが、これは都合よく考え過ぎなんですかね?

「よいとまアけ!」

僕は方言とか聞くと、なんとなくおもしろく感じて、自分も使ってみたくなるのですが、それは田舎者の感想なんでしょうかねえ……、ちょっと人とお話してみたいところです。

松吉が小平さんに感じる一抹の寂しさもやっぱり印象的でした。これは新美南吉さんの他作品(『かぶと虫』など)でも描かれていることですが。

昔は一緒に遊んでくれていたお兄さんお姉さんが、いつしか大人の世界に行ってしまって、もう二度と同じ楽しさを共有できないのだと感じたときには、なんだか切ないような悲しさを覚えるものです。

「大人になるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束のように思われた」

――というところにも思わされるものがありました。

たまたま前回の坂口安吾さんの『風と光と二十の私と』の読書感想でも書いたのですが、僕は基本的に大人と子供の大きな違いというのはないように思っていて、ただ体の大きさ、年齢に伴って、大人のフリができるかどうかの違いでしかないように感じているんですよね。

ひょっとしなくとも、人生経験が足りないゆえの感想なのかもしれませんが……。

散髪の途中に、松吉が顔に蒸しタオルをかぶせられて、松吉たちは床屋で散髪してもらうのがはじめてだったので、松吉が驚いた様子を弟の杉作が笑うシーンがあるのですが、そこで松吉の思った「人間は顔で笑うのだということがよくわかった」という感想がどこか印象に残りました。

「人間は顔で笑う」

明確に説明できる深い意味は見いだせていないのですが、何かあると思わされる印象に残ったフレーズでした。

友達関係に悩む子供たち、あるいは大人たちにおすすめしたい作品です。

読書感想まとめ

人にすっぽかされるようなことはいくらだってあります。だけど、そんな悲しみに何度あっても、平気な顔で通りこしていけばいいんです。

狐人的読書メモ

ちなみに冒頭で「おじいさんの耳に毛が生えている」ことをみんながおもしろがっている場面がある。『さまぁ〜ずの神ギ問』で同じことを取り上げていたのをふと思い出した。

「どうしておじいちゃんは耳から毛が生えてるの、いつ頃から生えてきたの?」というもので、これは神ギ問に選ばれたのだが、Answerは「耳の毛が生えてきたのではなく、うぶ毛が抜け落ちる機能が壊れてしまい、伸びすぎてしまっただけ。ちなみに耳毛が長くなり始めるのはだいたい50代から60代」というものだった。

・『疣/新美南吉』の概要

1943年(昭和18年)9月、『牛をつないだ椿の木』(大和書店)にて初出。完結している作品では新美南吉最後の作品(未完結作では『天狗』が最後)。書き始めてから「4日もかかった」というが、この作品を4日で書ければやっぱりすごいと思わされてしまう。

以上、『疣/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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