『十八歳の花嫁』を読む花嫁の、

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読書時間:およそ5分。
あらすじ:海の見える駅のベンチに一組の男女が腰掛けている。「あなたと結婚できて本当に良かった」と老婦人が言う。「……すまない」と青年は謝る。――戦時、兵隊の士気を高めるために、『軍人援護の美談』というものがあった。そこにはわたしの大好きだった祖母のことが書かれていた。

 

海の見える駅のベンチに一組の男女が腰掛けている。

気持ちのいい日和だ。風がやさしく渡り、空を映す青い水面を、穏やかに揺らめかせている。

「ふふふ」

ふと、老婦人が独り笑いする。

「ごめんなさい。またあのときのこと思い出しちゃって」

青年は思わず顔をしかめる。

「あら、あなたにとっては嫌な思い出かもしれないけれど、わたしにとってはとても大切な思い出なのよ。あのことがあったから、わたしは幸せだったんだから」

そう言われてしまったら、青年も「もう言うな」とは言い出せない。

「ねえあなた、わたしのどこに惚れたんですか?」

老婦人が問う。

「……そういう君は、僕のどこに惚れたんだい?」

答えに窮するあまり、青年は思わず訊き返してしまう。

「……いまだから正直に言いますけれど、じつはわたしも一目惚れだったんですよ」

青年の眉間の皺がいっそう深くなる。

「だから、あなたと結婚できて本当に良かったと、心の底から思っているんですよ」

苦しいことも、つらいこともあったけれど、楽しいことも、嬉しいこともたくさんあった人生だった、あなたと結婚して幸せだったと、老婦人は自身の人生を振り返るように、そっと目を閉じた。

「……本当に申し訳ないことをした。生きて帰れないことはわかっていた。君の幸せを真に願うなら、結婚なんてすべきではなかった。だけど僕は結婚もしないままに死にたくなかったんだ。お国のためにと勇ましいことを言いながら、怖くて怖くて、……自分のことしか考えていなかったんだ」

「謝らないでください。わたしは幸せだったんですよ。それなのに、あなたはわたしの幸せな人生を否定なさるおつもりですか? そんなことはなさらないでください」

「……すまない」

「ほら、もう謝らないで。さあさあ、しゃんとなさってくださいな。明日はわたしたちの、かわいい孫娘の結婚式なんですから」

「ありがとう」

「こちらこそ」

戦時、「軍人援護の美談」というものがあったことを知っている人が、いまの時代、はたしてどれだけいるんだろうかと、考えてみる。

そんなわたしも、それを詳しく知っているわけじゃないんだけれど。

戦争に赴く兵隊の士気を高めるために、あるいは軍事を支える国民を鼓舞するために、物語が利用されていたのかと思うと、なんとも言えない気分になってくる。

とはいえ、わたしの大好きだった祖母のことが書かれているんじゃないか? と思えば、どうしたってその物語を読まずにはいられない。

とくに今夜のようなときには。

それはとある文豪が書いた本当に短い話だ。

著者の友人が休暇を得て戦地から帰ってくる。しかし何日かののちにはすぐまた戦地へ戻らなければならないという。

彼が久しぶりの我が家へ帰ったとたん、お見合いの話が舞い込んでくる。

彼の両親ははじめ躊躇した。

それも当然のことで、お見合いがうまくいって婚約したとしても、息子はまたすぐ戦地へ赴かなければならないのだから。が、先方もそれは承知の上での話なのだと聞けば、両親も彼も満更ではなかった。

こうしてお見合いが行われた。

まだ十八になったばかりの、痛痛しいばかりに初々しい清楚な娘さんだった。

彼はたちまち恋に落ち、話はすぐにまとまった。

しかし娘さんの両親は、まずは婚約という形を取って、正式な結婚式は彼が晴れて戦地より帰還してからにしたい、と申し出た。これも娘さんのことを思う親ならば当然の保険で、やはりいくらかの不安はあったのだろうと推察される。

ところが娘さんに一目惚れした彼は、すぐに結婚式を挙げたいと言って駄々をこねた(おいおい……)。娘さんの両親はどうしたものかと迷った。

が、娘さんは迷わなかった。

両親を説き伏せて二日後には結婚式が挙げられた。

その翌日、彼は汽車に乗って、再び戦地へと戻っていった。

著者は、『十八歳の花嫁はその日から彼に代って彼の老いた両親に仕えるのである』と締めくくり、この話を聞いて、いたく胸を打たれた、と文末に綴っている。

ひょっとすると、当時多くの人が、この話を読んで感動したのかもしれない。

だけど、この娘さんがその後、いったいどんな人生を歩んだのか――知ってる人がどれだけいるんだろう?

わたしの祖母の場合、彼は戦地より帰還することはなかった。

そして女の子を産んだ。それがわたしの母だ。

その女の子も女の子を産んだ。すなわちわたしだ。

そしてその女の子もまた女の子を産んだ。わたしの娘だ。

わたしは、祖母よりももっと早く、十六歳で子供を産んだ。

当然のことながら、両親には猛反対された。「産むなら親子の縁を切る」と言われ、実際に一度は縁を切られた。

それでもわたしは子供を産むことを決めていたし、子供の父親のことを絶対誰にも言わない、と固く心に誓っていた。

彼とは幼なじみだった。

だから、彼が大人になったら何になりたくて、どんな夢を持っているのか――毎日のように聞かされてきたから、知り過ぎるほどに知っていた。

わたしは、そんな彼の語る話が好きで、彼が好きだった。

その夢を壊したくなかった。

家を出て、何も言わずに彼の前から消えた。

とはいえ、十六になったばかりの、痛々しいばかりに愚かしい馬鹿な娘が、これからもっと大きくなるであろうお腹を抱えて、一人生きていけるはずもなく――わたしは祖母を頼ることにした。

母と祖母は非常に折り合いが悪く、ゆえにわたしもほとんど会ったことがなかった。僅かなお金と情報を頼りに、どうにか祖母のところに辿り着いた。

祖母には投資の才があり、それで財産を増やした。

要するに、祖母はお金持ちだった。

なので、娘の一人や二人、簡単に養ってくれるに違いない――と期待していたのだから、わたしは本当に浅ましい。

「あなたのお母さんが、どうして反対したのか、わかりますか?」

祖母はわたしに訊いた。

それは、わたしが十六で……、誰の子かも言われないような子供を、娘が産むのを、許す母親はいないんじゃないかな、とわたしは自分のことながら、冷静に答えたのを覚えている。

「あなたのお母さんが、父親のいない子供の寂しさを、一番よく知っているからよ」

こんなに寂しい思いをするくらいなら産んでほしくなんかなかった。

母が昔、祖母に言ったというその言葉を、わたしはのちに母から聞かされて知った。

だけどそのときは、自分のことで頭がいっぱいで、深く考えることもなかった。

そんなことを言い出すからには、いくら仲が悪いとはいっても、やっぱり祖母は母の味方で、このまますぐに追い出されてしまうかもしれないと、そうなったらどうしようと、その後の身の振り方をあれこれ心配し始めていた。

ところが、祖母はそれだけ言うと、あとはもう何も訊かずに、わたしを家に置いてくれて、出産するまで、出産のとき、それから出産したその後も面倒を見てくれた。

その理由を、どうしてもっと早く知ろうとしなかったんだろう、ということを、じつはかなり後悔している。祖母とお手伝いさんが何かと手伝ってくれるとはいえ、それでも子育ては大変だったし、わたしはわたしなりに、どうにかして経済的に自立しようと必死だった。

だけどそんなのは言い訳だ。

それをもっと早く知っていたら、もっともっと恩返しができたはずなのだ。

祖母にも、そして母にも。

「あなたのお母さんから電話があったのよ。あなたが来るだろうから面倒を見てやってほしいって。あの子、それからも定期的に電話をしてくるようになってね。こんなふうに言うべきじゃないのかもしれないけれど、あなたのおかげで、またあの子とお話できるようになったわ。ありがとうね」

わたしは、祖母がわたしの面倒を見てくれるのは、戦争に行って死ぬかもしれない男のために、結婚を決意した自身の境遇と、彼の夢を壊したくないというわたしの勝手なエゴを、重ねて見ていたからなんじゃないだろうかと、やはり勝手に想像して、納得していた。

十年ぶりに母と会ったとき、

「どうしておばあちゃんは、わたしの面倒を見てくれたのかな?」

わたしが母に訊くと、

「わたしのお母さんが、女手一つで子供を育てる大変さを、一番よく知っていたからよ」

母はそれだけ言って、静かに泣いた。

それを聞いて、わたしは、ああやっぱり母子なんだな、と思った。電話だけじゃなくて、もっと会って、ショッピングに出かけて、服やら何やら選び合ったりなんかして、旅行して――その懸け橋に、わたしが、わたしとわたしの娘がなれたはずなのに。

わたしは明日結婚する。

相手はわたしの幼なじみで、わたしの産んだ女の子の父親だ。

わたしは彼のなりたかったものになった。

彼も夢を諦めなかった。そして夢を叶えた。

だから再会を果たすことができたのだ――とか書くと、なんだか出来すぎで、ご都合主義な三流小説とか言われてしまいそうだけど、事実なんだからしょうがない。

それにこれはわたしの個人的な書きものであって、どこに発表する予定もなく、ならばわたしの好きなようにしても、誰にも文句は言わせない! ということに、いまになってようやく気づいた。

わたしの結婚式に、絶対に絶対に絶対に絶対に来てもらいたかったおばあちゃんは、もういない。

それが悲しくて悲しくて悲しくて悲しい。

だけどわたしの娘に、お父さんとおばあちゃんとおじいちゃんをあげられることが、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しい。

×

「その気持ちを、全然表現できてないじゃないの!」

――と、そんなダメ出しをするくらいなら自分で書いたらいいのに、とは、僕は絶対に絶対に絶対に絶対に言い出せない。

これは結婚前夜、『十八歳の花嫁』を読む花嫁の、情けない花婿が口述筆記し修正を加えて書いた小説だ。

<ザ・ナイト・オブ・ビフォー・ウェディング 終>

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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