egg〈1-1-1〉(第1部・第1巻・第1章)

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第1部 第1巻
第1章

初等部六年 十二月三十一日
――冬休み、バッド・バースデイ、ハッピー・ニューイヤー――

「断あああああつ」

美人女子大生がそう叫んでいた。

「それって、どちらかといえばわたしのほうにこそふさわしい決め台詞なんじゃ……」

こちらも、美人女子大生がそう訴えていた。

『美人女子大生モデル同士の対決!』と、そんなふうに、<デュエル>開始時間前から、進行役の芸能人が煽り立てていた。ふたりは、同じ大学の友人同士で、だから「友情対決」でもあるらしい。

初等部最後の十二月三十一日の夜、ぼくはひとり、生放送されている年末特番<スクランブルエッグ>本大会を、家で見ていた。

画面の向こう側では、龍虎相搏っていた。

言葉どおりの意味でも。

文字どおりの意味でも。

青龍と白虎、二体の<エッグクリーチャー>が<デュエル>をしているのだ。

青龍の<大瀑布>を白虎がかわし、白虎の<アイスエッジ>を青龍の鱗鎧がはじく。

「インテリぶってんじゃねーぞ生意気なクソ虎が!」

「どうやらその目つき同様頭も悪いようだな、愚龍」

罵り合う両者。

激しい攻防の合間には、<クリーチャー>同士の、より激しい舌戦が繰り広げられている。

<デュエルフィールド>内、闘技場を囲む観戦席で<デュエル>を観戦する観客たちが沸き立つ。

「「<アタックアップ>!」」

それぞれの<クリーチャー>の、パートナーたる<エッガー>が、ほぼ同時に<サポートスキル>を発動した。

ぼくが住む七玉子市には<かみさま>がいる。

<かみさま>から<エッグ>を与えられた者を<エッガー>といい、<エッグ>から生まれたものは<エッグクリーチャー>(略称の<クリーチャー>が多用される)と呼ばれる。

<エッグ>から生まれる<クリーチャー>は、端的にいえば喋るペットだ(言うまでもなく、喋るペットがただのペットだ、とは、とても言えないわけだけれど)。

<エッガー>は、<エッグ>から生まれた<クリーチャー>とペアになり、<デュエル>や<クエスト>、<ミッション>といったイベントをこなしていく。

<デュエル>に勝利したとき、あるいは<クエスト>や<ミッション>の達成時、獲得できる<エッグポイント>をためて、年間の獲得ポイント数の多い上位8名が、年末に開催される<スクランブルエッグ>本大会への出場権を得る。

<スクランブルエッグ>(狭義では本大会のことを指し、広義では一年を通じて<エッグポイント>をためる過程をも含む。また、この過程は予選とも称される)は、年一回、大晦日に開催される国民的ビッグイベントだ。

これは<エッガー>が<クリーチャー>同士を決闘させるトーナメント方式の大会で、優勝するには三回の<デュエル>を勝ち抜かなければならない。

<スクランブルエッグ>で優勝した<エッガー>は、<かみさま>と直接対面することができる。

そして。

パートナーである<クリーチャー>を生贄に捧げることで、死んだものをひとり生き返らせることができる。

このとき、ぼくはテレビで、<エッガー>と<クリーチャー>たちの闘いを、ぼんやりと観戦しながら、龍も虎も、両方ともかわいさが足りないな、とか考えていた。

グッズ展開したとき、テディのような大ヒットを狙うなら、やはりかわいさは必須だろう。死んだものを生き返らせることができるだけでも、褒賞としては充分に思えるが、人気<クリーチャー>をグッズ化して、さらに大金が手に入るなら、もっといいに決まっている。

<スクランブルエッグ>のテレビ放送は、本大会のみならず、月一開催の予選大会や、当事者である<エッガー>双方の同意を得た公開<デュエル>など、日常的に行われていた。

どういった人物がどういった経緯で<エッガー>となり、どのような<クリーチャー>が生まれ、彼らがどんな活躍をしたのか。どのペアとどのペアが<デュエル>を行い、どちらが勝利、あるいは敗北したのか。彼らが<エッグポイント>をどのくらいためていて、ランキングのどの位置にいるのか。

このように番組で取り上げられる<エッガー>や<クリーチャー>は、テレビタレント的人気を集める。

<スクランブルエッグ>は人々に娯楽として消費されていた。

まるでゲームのようなこの現実は、逆に現実からゲームへと姿を変えて、子供から大人まで、国民的人気を博した。

ゲームに続く書籍化やアニメ化など、考えられる限りのメディアミックスがなされ、<クリーチャー>のキャラクターグッズのような、ありとあらゆる商品が派生し、それらのいくつかはたびたびブームを起こしている。

<スクランブルエッグ>は、いまや国の経済の一翼を担うまでに発展していた。

ところで。

大晦日の夜に、ひとり、家でテレビを見ている小学生というのは、いったいどのくらいいるのだろうか。

このとき。

ぼくの両親は病院にいた。

母は出産のために、父はその立ち合いのために。

明日には家族が増えているかもしれない。

そうなれば、新たな家族の誕生日は、十二月三十一日か、一月一日になるはずだ。

十二月三十一日生まれと一月一日生まれとの間には、大きな差があるだろうか。

たとえば。

四月一日生まれと四月二日生まれの間にある差のような。

学校教育基本法では「満六歳になった翌日以降で最初に迎える四月一日に、小学校に入学する」とされている。満年齢の計算にも民法による定めがあって、新たな満年齢を迎えるのは、誕生日の前日だ。

だから四月一日生まれの子供は早生まれとなる。

ごちゃごちゃと、賢しげに、いったい何が言いたいのかと訊かれれば、四月一日に生まれた子供は、前年の四月二日に生まれた子供と同学年になる。四月一日生まれの子供が六歳で入学式を迎えたとき、四月二日生まれの同級生はすでに七歳になっている。

すなわち。

四月一日生まれの子供は、四月二日生まれの同級生よりも一歳幼いことになる。

非常にややこしい。

しかし何はともあれこのことは、同学年の子供でも体格・学力・運動能力に大きな差を生じさせる要因と考えられており、早生まれの子供はクラブのレギュラー争いや受験競争などで不利になると見られている。

これが四月一日生まれと四月二日生まれの間にある差だ。

四月一日生まれのぼくが、このことを知ったときには、周りの子供たちより、もっと多くの努力をしようと、心に誓ったものだったが――。

などと益体もない思考を巡らせている間にも、一秒一分一時間――時間は流れていく。

ぼくは一度トイレに立ち、鏡を見て、手を洗った。

とある<エッガー>が、順調にトーナメントを勝ち抜き、その優勝が決まった頃、ぼくが首に装着しているチョーカータイプのPDから、着信を知らせる音が鳴った(ここでいうPD、パーソナルデバイスは、携帯電話やパソコン、電子マネー、その他の電子機器がひとつになったパーソナル端末を指す。高度に発達した通信技術、接触可能型ホログラム技術を応用したホログラフィック・タッチディスプレイ、音声インターフェイスなどが用いられ、電子部品の超々軽量・小型化がなされたことによって、眼鏡、イヤリング、ネックレス、腕時計等々、主にアクセサリーの形態で、現代では最低でもひとりに一台普及している)。

電話をかけてきたのは、ぼくの至高の幼なじみ、佐藤亜子だった。

『ねえひーくん、もうすぐカウントダウンなのに、どうして今夜は会えないの? わたし寂しいよ』

 ………………。

前置きのないデレだった。

亜子は気になる男子に振り向いてもらうため、古今東西、ありとあらゆるヒロインキャラを、その一身に宿していた。

「その理由はすでに説明した。妹が産まれるからだ」

『は! そうだった。寂しさのあまり記憶を忘却したみたい』

「その理由は、昼間、すでに説明した。妹が産まれるからだ」

せめて一日は記憶をもたせてほしかった(それとも昼寝でもしたのだろうか。いずれにせよ、そんなキャラ設定をいきなり現実にもち込まれても、こちらとしても振り向く前に、困惑してしまうわけなのだけれど)。

『ところで妹ちゃん、二葉ちゃんはもう産まれたの?』

「……産まれたら、父さんが電話をくれることになっている」

『そっか、二葉ちゃんにも運命の人ができるといいのにね、わたしにとってのひーくんのように』

ぼくと亜子は、同日同時刻同じ病院でこの世に生を受けた。併せて、ふたりの父親が、同日同時刻同じ病院で歓喜の涙を流し、互いに抱き合いながら、我が子の誕生を喜び合ったという。

それが縁で、家族ぐるみの付き合いが始まり、ぼくと亜子とは現在、幼稚園から大学まで一貫教育の、同じ私立学園に通っていた。

至高の幼なじみたる所以である。

『わたしにとってのひーくんのように!』

亜子はそれを二回言った。

どうやら大事なことだったらしい。

「そうだね」

『あれ? あまりうれしそうじゃないね。お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ! とか、人生相談をしてくれたりなんかするかもしれない、いろんな可能性を秘めた妹誕生の瞬間なのに』

ぼくがリアルの妹にいったい何を求めるというのか。

ぼくの人格に誤解を招くような発言は控えてほしかったが、妹が生まれてくると知ったとき、あらゆる可能性を検討した事実は否定できなかった。

そして検討の結果、妹の誕生はぼくにとって決して好ましいことではない、という結論に至った。

「リアルの妹はお兄ちゃんを好きになったりはしない」

決して。

『常識ではそうかもだけど、ひーくんなら、お兄ちゃんを大好きな妹に、二葉ちゃんを調教できると思うんだけど――』

気になるあの子に振り向いてもらうため、いろんなヒロインキャラを使い分けるわたしのように、と亜子は続けた。

そんなふうな亜子が、そんなふうに言うと、そこはかとない説得力があった。

だがしかし、わたしを調教したあなたならできる、みたいな意味合いを言外に含めるのは、できればやめてほしかった。いろんなヒロインキャラを(少なくとも直接的に)求めたのはぼくではなかったはずだ(間接的に求めてしまった責任は、多少なりとも感じているわけだけれど)。

だからぼくの人格にさらなる誤解を招くような発言は控えてほしかった。

こちらは切実に希求したい。

お願いだから。

「それに兄妹ができるというのは何かと不都合が多い。親の愛情は物理的にも精神的にも確実に二分割される。子供を育てるにはお金もかかる。妹の学費のことも考えると、もう高い私立の学園には通わせてもらえなくなるかもしれない」

ぼくはきっぱりと訴えてみた。

『うわあ、いつもながら、清々しいまでに自分本位だね』

「誕生したときのシッダールタが言ったように、天上天下唯我独尊がぼくの座右の銘だ。ぼくはぼくのためだけに生きて、ぼくのためだけに死ぬつもりだ」

ぼくはその場に立ち上がり、七歩歩いて右手で天を、左手で地を指し示してからそうのたまった。

『目を閉じると、左右の手で天地を指し示すひーくんの姿が浮かんでくるよ』

エスパーか。

『その決め台詞も決めポーズも全然かっこよくないよ、最低だよ』

亜子はばっさりと切り捨てた(台詞はともかく、ポーズについてはせめて実際に見てから判断してほしかった)。

「なんだと、シッダールタを貶めるな」

『ひーくんを貶めたんだよ。シッダールタはもっと尊い意味で、天上天下唯我独尊と言ったんだよ』

「亜子がシッダールタの何を知っている」

『少なくともひーくんよりは、シッダールタを知ってることが、たったいま証明されたばかりだよ。シッダールタは偉い人だよ』

とはいえ、お釈迦様の名を呼び捨てにする、不遜な小学六年生ふたりだった。

「では亜子がぼくの何――」

『すべてだよ』

きっぱりと、刹那の躊躇なく食い気味で言い切れるところに、空恐ろしさを感じてしまう。

「さっきからシッダールタシッダールタとあいつのことばかり……亜子はぼくよりもシッダールタの味方をするのか」

『さっきからシッダールタシッダールタ言ってるのは、ひーくんだよ。わたしはいつだってひーくんの味方だよ』

「では亜子はシッダールタの敵なのか、あいつの敵はぼくの敵だ。あいつはぼくでぼくはあいつだ」

『むちゃくちゃだよ。さすがに何言ってるかわからないよ。だけどわたしはどんなことがあっても、たとえこれまでの発言でひーくんが仏教徒を全部敵に回したとしても、世界中がひーくんの敵になっても、ひーくんがわたしの敵になっても、わたしはひーくんの味方だよ! ひーくんはわたしが守るよ!』

「そうか…では前言は撤回して、ぼくもきみのためだけに生きて、きみのためだけに死ぬことにしよう」
『わたしを辱めないでよ! その台詞はもっと別のときに聞きたかったよ!』

…………。

わたしを辱めないでよ――恥ずかしい思いをさせないでよ、の意だとは理解していても、なんだかいやらしく受け取ってしまうのは、はたしてぼくだけなのか(思春期少年の悲しき性であった)。

ちなみにぼくは仏教徒ではない(無宗教)。

電話の向こうから、あきれたような雰囲気が伝わってきた。

亜子はぼくの至高の幼なじみだった。

つまりぼくと亜子は、こういった気安い会話を交わせる間柄だということだ。

『ひーくんの妹なんだからきっと二葉ちゃんはかわいい子だよ。それにひーくんの家お金持ちだし』

亜子にお金持ちとか言われても、きっとほとんどの人には、嫌味にしか聞こえないのではなかろうか。もちろん亜子の人柄を知る人であれば、本人にそんなつもりがないことは、百も承知なわけだが。

亜子は、幼なじみ以外にも、至高を冠するにふさわしい存在だ(とぼくは思っている)。

亜子は至高の幼なじみのみならず、至高の佐藤さんでもあった。

なぜなら、ぼくは佐藤亜子に、勉強でも運動でも、一度として勝ったためしがなかった。

明確な順位付けにおいて、ぼくは常に亜子の次点だった。

容姿端麗。

マルチな人格については、議論の余地があったかもしれないにしても、人々を惹きつけてやまないカリスマ性が、その核にはたしかにあった。

まさしくパーフェクトな女の子だった。

かてて加えて、亜子は十一歳にして、<エッグ>関連子会社の社長でもあった。

<エッグ>関連企業は、すべて佐藤一族の同族経営だからこそ可能となっている面もあるにはあったが、そんなものを無視できるほどに、亜子は高い経営手腕を振るっている(ソースは亜子の秘書の冴木さん)。

そんなわけで、七玉子市に暮らす以上、所得的にはたしかに上流家庭に属する(しかし親子ともども庶民を自負している)我が鈴木家と比ぶべくもなく、亜子の佐藤家は超大金持ちなのであった。

だからこその、至高の佐藤さん、だった。

まさに佐藤の中の佐藤さん、クイーン・オブ・佐藤さん(亜子単体ならば至高の人類といっても決して過言ではなかったかもしれない)、である。

平凡な、佐藤という名字は、もはやこの一族とは釣り合いがとれておらず、西園寺とか有栖川とかに改姓してほしいくらいなのだ(全国の佐藤さん、ごめんなさい)。

『ところでひーくん、産まれたら、父さんが電話をくれることになっている、って言ってたけど、いまどこで何をしてるの?』

「ああ、家で<スクランブルエッグ>を見ていた。もう遅いし、いつ産まれるかもわからないから、家で留守番をすることに……」

『病院じゃないの? だったら、うちのカウントダウンパーティーに来られたよね。お昼に誘ったとき、断る必要なかったよね』

「…………」

母さんの出産は言い訳で、じつはひとり、家でごろごろしながら、年末特番を見て年越ししたい気分だった、とは言えなかった。

『あんなにしつこくしつこく誘ったのに』

しつこいという自覚はあったのか。

しつこく、をしつこく二度繰り返すほどに。

「ぼくの口を軽くするために、まさかシッダールタを利用するとは。亜子もやるようになったものだ』

『シッダールタをもち出したのはひーくんのほうじゃない』

「まあよいではないか。ところでこの辺で、少しばかりぼくの質問に答えてみないか?」

『よいではないかじゃないよ。全然よくないよ。唐突に話題転換を図らないでよ。この埋め合わせは、必ずしてもらうからね!』

「わかったわかった」

『わかったは一回でしょ!』

「大事なことだから二回言ったんだ」

『……その言葉忘れないでよね!』

「はいはい」

『大事なことだから二回言ったんだよね。その返事忘れないでよね!』

他愛のない冗談に、やけに食いついてくる亜子。

ともあれさすがにごまかしきれなかったか。

まあ、<スクランブルエッグ>を見ながら、ふと誰かに訊いてみたくなったことがあるのは、話題転換のための口実ではなく事実なのだが。

『それで、質問って?』

「亜子は<エッグ>をほしいと思うか?」

『ほしいよ。誰も死ななくていいんだったらね』

亜子の、この返答は、おそらく良識ある大多数の人たちの、正直な、そして正しい回答だと言えただろう。

<かみさま>から<エッグ>を与えられて<エッガー>となるには、すなわち<エッグ>が顕現する者には、ふたつの条件がある。

・七玉子市で生まれ、そこに在住している者
・前項該当者の三親等以内で血のつながりある血族が死ぬこと

ただし、前二項の該当者に必ずしも<エッグ>が顕現するとは限らない。七玉子市出身・在住者が死亡しても、前二項の該当者の誰にも<エッグ>が顕現しないこともある。

何十年も前に、<エッグ>、<クリーチャー>、そして<スクランブルエッグ>の優勝褒賞である死者復活の事実が知れ渡ると、七玉子市への移住希望者は、爆発的な勢いで増加の一途をたどった。

それゆえに七玉子市の地価はうなぎのぼり。

そして人が集まるところ、必ずお金が集まるのは、世の中の常識だ。

<スクランブルエッグ>に優勝することで可能となる死者復活には、復活者の年齢を生前年齢から自由に設定できる、病死だった者からは死因となった病を取り除くことができる、などといったいくつかの付帯特典があることがわかっており、そこに不老不死の可能性を見出そうとする者たちも少なくないという。

以来、権力者や富裕層が、これに魅せられ続々と移住し、現在の七玉子市は、全国有数の富裕都市としてその名を馳せていた。

『ひょっとしてひーくんは<エッグ>がほしいの?』

子供なら、いや、子供でなくとも、みんながほしがっているだろう。

想像してみてほしい。

もしペットの犬や猫と楽しくおしゃべりできたなら――。

テレビに出て有名人になれるとしたら――。

大金が手に入るかもしれない――。

とはいえ、そのために人の死を望むのは倫理的に間違ったことだ。

そうでなくとも、そのために身内の死を許容できるような人間は、そうそういないだろう。

しかし。

もしも。

それでもぼくがどうしても、たとえ身内の人間の死を願ってでも、<エッグ>をほしがっているのだと知ったなら、亜子はいったいどんな反応をするだろうか。

以前、亜子に聞いた話では、<エッグ>関連事業を一手に担う佐藤一族でも、<スクランブルエッグ>の主催者であり、<エッグ>の創造主たる者(俗にいう<かみさま>)のことはよくわかっていないらしい。それは現トップである亜子の祖父であっても例外ではないそうだ。

企業のトップが、企業の根幹を知らないなど、普通なら考えられないことだが、<エッグ>にかかわる現象は、人智をはるかに超越している。

であれば、創造主たる存在が、<かみさま>が、誰にも知られていないことにも、それなりの説得力があるように思わされてしまう。

だから亜子が一族のコネを使って、<エッグ>を手に入れることは難しい。

「ほしいよ。誰も死ななくていいんだったらね」

しかしときによっての亜子ならば、ぼくのためにぼくの身内を殺してでも、<エッグ>を手に入れてくれようとしかねない。そうやって、亜子に返し切れない借りをつくってしまっては、ぼくは一生亜子に縛られ、ぼくのためだけに生きられない。ぼくのためだけに死ねない。

そんなヤンデレ展開はごめんこうむりたかった。

だからオウム返しに答えるしかなかった。

『ひーくん、それは本心じゃないね』

だけど簡単に本心を見抜かれてしまった。

もしもこのときの亜子が、ヤンデレバージョンの亜子だったなら、ぼくの数少ない身内は全滅していたかもしれない。

ただのデレバージョンな、このときの亜子に感謝である。

「ありがとう」

『なんでお礼なの?』

ただのデレバージョンな、このときの亜子に対する感謝が、思わず口をついて出てしまっていた。

『あ! ひーくん、カウントダウンだよ』

言われて、話中つけっぱなしだったテレビのほうに意識を向けると、亜子の言うとおり、新年のカウントダウンが始まっていた。

一分前――、

『ねえ、ひーくん』

「ん?」

『お願いがあるんだけど』

「何?」

『新年最初の挨拶に、わたしのこと昔みたいに呼んでくれないかな?』

「…………」

『さっき埋め合わせしてくれるって言ったよね』

こんなにも早く埋め合わせの機会が訪れようとは(すべては計算されていたのか)。

三十秒前、

だがどうやら、切り出すのが少し早かったようだな。三十秒あればなんとか言い繕える。

『大事なことだから、って、二回言ってくれたよね』

「…………」

『二回返事してくれたよね』

言い繕えない。

策士か(すべては計算されていた)。

十、九、八、七、六――、

ひとつの場所に集まった大勢の人たちが声をそろえて数えている。

五、四、三、二――、

もう言い繕っている暇はなかった。

一、

「今年もよろしく、あーちゃん」

『ふん、昔みたいに呼ばれたからって、ぜんぜんうれしくないんだからねっ!』

………………

通話終了。

ニューイヤー。

明けて一月一日は、ツンデレバージョンの日だったのか。

こうして、ぼくの小学生最後の旧年はデレで終わり、小学生最後の新年はツンデレによって始まったのだった(デレからのツンデレ、すなわちこれが幻のデレツンだったのだろうか? 亜子からすれば、旧年を、ツンから始めてデレでしめたつもりなのかもしれなかったけれど、その場合、語順的には正しくツンデレだったのだろう)。

<備考として>
初等部六年 十二月三十一日 合計一八〇ヒロインポイント 亜子に付与する。

明け方、父さんから連絡があり、これから一度家に帰るということだった。

そして、母さんの死産が告げられた。

<忘れそうな伏線メモ>(「……この『忘れそうな伏線メモ』は書く必要があるんですか?」と冷静につっこみを入れる二葉。「はじめにこうしておけば、書きながら常に左にメモが見えるから、伏線を忘れず、常に伏線を意識しながら書ける。そして最後、執筆が終わったときに消せばいい。ちなみに、『忘れそうな伏線』メモだけに、忘れそうにない伏線についてはあえて書かない。グッドアイデアだろ?」と答えるぼく。「執筆が終わったとき、伏線を忘れずとも、伏線メモの消し忘れをしなければいいですね」と冷静に指摘する二葉。「はっはっは、ぼくはそんなドジっ子ではない」)
・十二月三十一日生まれと一月一日生まれとの間にある差とは何か(複数あるうちのひとつが今回は重要。ほかは今回語る必要性はとくにない)
・『リアルの妹はお兄ちゃんを好きになったりはしない』(リアルな妹キャラ登場の予感? というかすでに登場している?)

(つづく)

※読んでいただきありがとうございました。

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