手袋を買いに/新美南吉=狐人的感想「3つの解釈で最大の謎を解説!」

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)

今回は『手袋を買いに/新美南吉』です。

新美南吉 さんの『手袋を買いに』は文字数4000字ほどの童話です。雪、夜、母の歌声――情景描写が美しく、子狐を思う母狐の愛に溢れた童話ですが、どうやらそれだけではなさそうです。誰もが思う疑問を、狐人的に解釈、解説! 未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

寒い冬が狐の母子ののんでいる森にも訪れた。

朝、洞穴から出てきた子狐は、太陽の光をキラキラと反射する雪を、初めて目にして大はしゃぎ。子狐は、一日中遊びまわって帰ってくると、「お手々がちんちんする」のだと、母狐に言う。それを聞き、子狐の牡丹色ぼたんいろになった手を見た母狐は、手袋を買ってやろうと思い立つ。

夜、狐の母子は町へ向かった。しかし、町が近づいてくると、母狐の足が止まる。母狐は、昔、友達と町へ出かけて行ったときのことを思い出していた。友達は、母狐が止めるのも聞かず、ある家のアヒルを盗もうとした。百姓に見つかって、さんざん追いまくられて、命からがら逃げだした。

母狐は、この思い出がトラウマとなって、どうしても足が進まない……。そこで子狐を一人町まで行かせることに――子狐の片手を人間の手に変えてやり、人間の恐ろしさを言い聞かせ、少し開いた店の戸の隙間から必ずこちらの手を出すようにといいつけて……、それから白銅貨はくどうかを二枚握らせると、子狐を町へ送り出す。

町の帽子屋に着いた子狐は、トントン戸を叩いた。すると母狐の言ったとおり、ちょっとだけ戸が開く。子狐は、戸の隙間から漏れる光の帯にめんくらって、狐の手のほうを間違って出してしまう。そして「このお手々にちょうどいい手袋下さい」と言う。狐の手を見た帽子屋は、狐が木の葉で買いに来たに違いないと疑う。そこで「先にお金を下さい」と言う。子狐から受け取った白銅貨をかち合わせてみると、チンチンとよい音がして、どうやら木の葉ではないようだ――帽子屋は子狐に手袋を持たせてやる。

狐の手を見ても、人間は手袋を売ってくれた――子狐は思う。母狐は、人間は恐ろしいものだと言っていたけれど、ちっとも恐ろしくないや。人間に興味を持つ子狐。

ある窓の下を通りかかると、人間のお母さんのやさしい、美しい歌声が聞こえてくる――お母さんが恋しくなった子狐は、母狐の待っているほうへ、急いで帰っていく。

母狐は、帰ってきた子狐の話を聞いて、驚き呆れるも、

「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」

と呟いた。

手袋を買いに-新美南吉-狐人的あらすじ-イメージ

著作者: webdesignhot

狐人的読書感想

さて、いかがでしたでしょうか。

雪、夜、母の歌声――情景描写が本当に美しい母子の愛情物語。

子狐を想う母狐の愛、子狐の純真無垢さ、帽子屋のやさしさ……、などなど、純粋に楽しむのが、童話の本来の味わい方――

しかしてしかし。

  • 「なんで母狐は、恐ろしい人間の町に、子狐一人を行かせたんだ?」
  • 「なんで母狐は子狐の両手を人間の手に変えてやらなかったんだ?」
  • 「子狐に手袋を持たせてやった帽子屋は本当にやさしかったのか?」

純粋に楽しむのが、童話の本来の味わい方――だとは分かっていても、いろいろとおかしなところをツッコミたくなってしまうのは、ひねくれものの僕だけ(ではないと信じたい)?

――とはいえ、そうした疑問を持って物語に接するのは、子供の情操教育の観点から見ても、悪いことにはならないはず(ですよね?)。

新美南吉 さんの童話といえば、親が子どもに読み聞かせてあげる作品の代表格と言っても過言じゃない(ですよね)!

そんなわけで、新美南吉 さんの『手袋を買いに』は、大人と子どもの区別なく、全年齢の方におすすめしたい作品です。

そして自然と沸き起こった疑問に対するいろいろな解釈を考えておくというのは、将来あるいは現在、子どもからそれを質問されたとき、おもしろく、また楽しく答えるための一助になるかと愚考します。

ぜひ最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

狐は我が子を巣穴の外に放り出す! 「子狐の自立説」

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「なんで母狐は、恐ろしい人間の町に、子狐一人を行かせたんだ?」

おそらく誰もが思うこの疑問こそが、『手袋を買いに』の最大の謎といえるのではないでしょうか?

母狐は、かつて人間に追いまくられたトラウマから、人間を恐ろしいものとして、しっかりと認識しています。そんな恐ろしい人間の町に、かわいい我が子を、一人行かせる危険を冒すでしょうか?

これにはいくつかの解釈が考えられるでしょう。

まず考えたのは、子狐の自立を促すための母親の決断だった、という「子狐の自立説」はいかがでしょうか? シチュエーション的にも『はじめてのおつかい』を想起させますよね。

しかし(自分で言っておきながら)狐人的にはこの解釈に疑義を呈さずにはいられません。母狐は、町に近づいたとき、足がすくんでそれ以上進めなくなってしまうほどの恐怖を感じています。我が子の自立を促すためとはいえ、そんなところに一人行かせるのはいかにも不自然に思いました。後ろからこっそりと見守っていて……、と想像してみると、それはそれで素敵なお話になりそうですが、前述の理由から、それもできそうにありませんし……。

ただ、この「子狐の自立説」をプッシュできる説明もあります。それは現実の狐の(狐だけに見られるものではありませんが)生態である「子別れ」という儀式です。

母狐は時期が訪れると、巣穴に入ろうとする子狐を、激しく攻撃して、決して巣穴に入れようとしません。いきなり突き放された子狐は、初めのうちは困惑し、哀願するように何度も何度も、巣穴の中に入ろうとするも、母狐は絶対にそれを許さず、やがて子狐は母狐のもとを離れ、自立を余儀なくされる、というものです。これを物語の中にも再現しているのだと思えば、一定の説得力を持たせることができるようにも思います。

母狐から離れて、厳しい自然の中、天敵や人間のハンター(昔の話で今はないかと思われますが)から生き残れる子狐は、僅かだったと聞きますので、母狐にとっての恐ろしい人間の町と厳しい自然は同義と捉えることもできます。

さらに「子狐の自立説」は「なんで母狐は子狐の両手を人間の手に変えてやらなかったんだ?」という疑問の説明(あえて母狐は子狐の両手を人間の手に変えてやらなかった)にもなって、一石二鳥です(単に母狐の持つ力の限界だったのかもしれませんが)。

少子化で、ついつい我が子に甘くなりがちなお父さんお母さんの視点からすると、なかなか考えさせられる説であるかもしれません。モンスターペアレントや、中国で社会問題化しているといわれる怪獣家長の方々には、ぜひ考えてほしいところでもあります。

(親の過保護と怪獣家長についてはこちらもどうぞ)

実母と継母……、新美南吉さんの孤独「作家論由来説」

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著作者: jordia.sintes

つぎは「作家論由来説」となってしまうので、作品と作家を結びつけて論じるべきではない、とお考えの方には受け入れがたいものかもしれませんが、あくまで一つの解釈だと受け取ってもらえたら幸いです。

新美南吉 さんは、4歳のときに実母を失い、6歳のときに継母を迎え、8歳のときに養子に出され――孤独な幼少時代、継母との間には心理的な葛藤があったともいわれています。子狐を想い手袋を買ってやりたい母親の愛と、恐ろしい人間の町に子狐を一人行かせた矛盾が、この孤独な生い立ちに由来されるのでは、というものです。ここから生じた「愛情感じさせる温かな母親像」と、「愛情を感じられない冷たい母親像」の融合には、「なんで母狐は子狐の両手を人間の手に変えてやらなかったんだ?」という疑問の回答についても、後者にあるからだと捉えることができて、頷けるところがあると思うのですが、いかがでしょうか?

しかし、その場合、母狐が子狐を一人町へ行かせた時点で、物語が破綻しているという指摘には反論できないように思います。

人間だもの? 母親だって間違える「母狐判断ミス説」

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そんなわけで最後、僕がもっとも推したいのは、「母狐判断ミス説」です。前項で、新美南吉さんの持つ「温かな母親像」と「冷たい母親像」の投影された姿が、母狐のおかしな在り方の由来だった、ということを綴りましたが――雪に反射する日の光を受けて、目に何か刺さったと訴える子狐を心配したり、雪で冷たくなった子狐の手を自分の手で温めてあげたり、手袋を買ってやろうと思ったり……、物語の中からは、子狐に対する母狐の愛情がひしひしと感じられて、とてもその裏に、「冷たい母親像」が隠されているとは思えませんでした(いえ、前項のように考えてしまったのは事実なのですが)。

もちろん、母親だって人間です。子育てに疲れ、子どもを煩わしく思うことだってあるはずですが、やはりその芯には、無条件の愛情があるものだと信じます。

しかし、やはり母親だって人間(いや、狐だよというツッコミは置いといて)です。いくら子どものことを第一に考えていても――いいえ第一に考えるからこそ、間違えることだってあるのではないでしょうか?

ゆえの「母狐判断ミス説」です。

母狐は子狐に手袋を買ってやりたかった……、だけど人間の町が恐ろしいところであるという認識も十分に持っていました。当初は自分が一緒に行って買ってやるつもりでしたが、過去のトラウマからどうしても町に行くことができませんでした。おそらく正常な判断をするならば、子狐を一人恐ろしい人間の町へ行かせる危険を避けて、手袋の購入は諦め、森へ帰るべきだったのでしょう。ですが、このときの母親は、立ちすくんでしまうほどの恐怖を感じていました。そして子狐に手袋を買ってやりたいという強い愛情も抱いていました。

表立っては分かりませんでしたが、母狐が混乱していなかった、とは決していえないのではないでしょうか。「なんで母狐は子狐の両手を人間の手に変えてやらなかったんだ?」という疑問点にも、この混乱による判断ミス(あるいは混乱による思考力の低下)があったと説明することはできないでしょうか? すなわち、混乱、あるいは思考力の低下によって、子狐の手の出し間違えばかりを気にしてしまい、両手を人間の手に変える、という根本的な解決策を思いつけなかったのです。

子どもに対して、あのときああ言えばよかった、こうしていればよかった、と一度も思わないお母さんが、はたしているのでしょうか。それが大きな事故や事件などにつながってしまったら……、一生悔やんでも悔やみ切れません。しかし、母親だって人間である以上、その判断ミスをいったい誰が責められるでしょう。自身が一番悔やんでいることを、知っていたならなおさらのこと。

ちょっと重々しく言ってしまいましたが、まあたいていの場合はそこまでの事態にはならないでしょう。子どもの視点からすれば「まったくお母さんはしょうがないなあ」といった感じで、存外子どもだけでしっかりと、事を解決してしまうこともあるのでは?

(ちょっと重々しく言ってしまったのは最近読んだこちらの小説の影響かもしれません。「成人式」のお話です)

『手袋を買いに』の場合もこうしたケースの一つだと考えました。親が、子どもから学んで、間違いに気がつく……、ということも結構多いのでは?

あらすじでも引用した母狐のラストの台詞――

「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」

――には、小狐の話を半ば信じつつも、人間への猜疑心を捨て切れない母狐の心情が表れているように思います。

まあこれは当然の心の働きであって、「子狐に手袋を持たせてやった帽子屋は本当にやさしかったのか?」という疑問の解釈にも通じるところです。

帽子屋は、狐の手を見て、子狐が人間を化かし、木の葉で手袋を買おうとしているのだ、と疑いますが、子狐はちゃんとしたお金を渡しました。これに帽子屋は「はなから疑って申し訳ないことをした」と反省し、子狐に手袋を持たせてやったのだと思えば、「やさしい帽子屋像」がここに浮かび上がってきます。

しかしながら、子狐を店内に入れてやらなかったこと(ストーリー上の問題もありますが)、子狐に手袋を渡す際の「持たせてやりました」という記述や、それに対しお礼を言う子狐に、帽子屋が返事を返す描写がないことから、帽子屋はただ単純にお金を貰えたから商品を渡したのだ、といった資本主義的な行動とも捉えることができ、母狐の猜疑心を湧き起こすもととなる、人間の本質を垣間見ることができます(金さえ払えば誰にでも売る、というのは、とくに武器商人的な連想が働いて、ちょっとした資本主義の恐怖を思わされる話のような気もします。さすが文豪、新美南吉 さん、……とはいえ、そこまで意図しての表現とは、断言できないところではありますが)。

こう考えてみると、人間と狐だから、結局お互い相容れない存在なのだ……、とも読むことができ、ちょっと寂しい話のようにも思います。ですがこれは、特別人間と狐に限った話ではなくて、人間同士でもお互いを完全に理解し合うことは不可能ですよね。

国、人種、いじめ――など、偏見や猜疑心、そこから生じる差別といったものもまた、この作品の中に描かれているように感じました。

一つ興味深い話として、母狐のラストの台詞は、初稿では以下のようなものだったそうです。

「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間がいいものなら、その人間を騙そうとした私は、とんだ悪いことをしたことになるのね。」とつぶやいて神さまのゐられる星の空をすんだ眼で見あげました。

新美南吉さんの作品のテーマの一つとして「人間同士本当に分かり合うことができるのだろうか?」といったものがあり、なのでやはり前述のとおり、これを表現するための改変と見るべきかもしれません。

(こちらの新美南吉 さんの作品も人間の偏見について描かれています)

ですがこのラストも素敵ですよね。親が子に教えられて、考え方を改める「母狐判断ミス」説の重要な根拠となるべく挙げた部分でしたが、いかがでしたでしょうか?

子とともに親も成長する!

ぜひ親子で話し合いながら、楽しんでほしいおすすめの童話です(今回の内容は幼いお子さんにはちょっと難しいかもしれませんが)。

読書感想まとめ

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「子狐の自立説」と「作家論由来説」と「母狐判断ミス説」を取り上げてみましたが、狐人的には「母狐判断ミス説」を推します(皆さんはいかがですか?)。情景描写の美しさと母子の愛、子の自立、新美南吉 さんの葛藤、矛盾する母親像、人と狐(人)とは真に分かり合える日がやってくるのか――いろいろなことを考えさせられる名作です。

狐人的読書メモ

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『ごんぎつね』同様狐を題材にした童話には、狐人的に気合が入ってしまいました。気合が入り過ぎて書き過ぎた感があるのでそこは反省点です。(毎回のことながら)上手にまとめることの難しさを改めて痛感。

(ちなみに『ごんぎつね』の読書感想はこちら)

・『手袋を買いに/新美南吉』の概要

初稿、1933年12月26日。初出、1943年(昭和18年)。じつに多くのことを考えさせられた童話。

・分からなかった言葉

シャッポ:帽子

以上、『手袋を買いに/新美南吉』の読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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