お伽草紙 ―舌切雀―/太宰治=彼はまだ本気出してないだけだった。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

お伽草紙 ―舌切雀―-太宰治-イメージ

今回は『お伽草紙 ―舌切雀―/太宰治』です。

文字17000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約42分。

生活力がない。ニートと大器晩成型天才。ニートのままか、天才になれるか。その分かれ目は何なのか。黙って支える身内の献身はその一つか。ただの甘えか。結果論に過ぎないか。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

お爺さんは、三十代後半の世捨て人、自分を「お爺さん」と呼べと言う変わり者、虚弱体質でニート、金持ちの親から仕送りをもらって、読書して、「俺もやるときがくればやる」とか言いながら、日々生活している。

お婆さんは、三十三歳、色黒で無学のつまらない女、もともとお爺さんの生家の召使で、病弱のお爺さんの世話をするうちにいつしか結婚し、その生涯を受け持つことになってしまった。

十何年連れ添ってきた二人であったが、夫婦関係は停滞している。お爺さんは、お婆さんと話をするのにうんざりしている。お婆さんは、もっと感謝してほしいし、優しい言葉の一つも欲しい。

あるとき、お爺さんはケガした雀を手当てする。雀はお爺さんになつく、突然人語で話をする。お爺さんと雀の少女の話声を聞いたお婆さんは、お爺さんが浮気していると思って嫉妬する。

「女はどこか」と詰め寄るお婆さんに、雀を示すお爺さん。ごまかされたと思ったお婆さんは怒り、雀の舌を抜いてしまう。雀は飛び去ってしまう。

翌日から、お爺さんの大竹藪探索が始まる。雀を探して、毎日毎日大竹藪を探し回る。ついに雀のお宿に辿り着いたお爺さんは、あの雀に再会する。雀は美しい人形の姿をしていて、名をお照さんといった。

お照さんは舌を抜かれてしゃべることができなくなっていたが、お爺さんは無言でお照さんの側にいた。お照さんはそれだけで嬉しそうだった。

お爺さんが帰ることになり、おみやげに大小のつづらを持つように勧められる。お爺さんは荷物を持つのを嫌がって、お照さんのかんざしだという稲の穂だけを持って、家に帰る。

その話を聞いたお婆さんは、お爺さんにまたからかわれていると勘違いし、「では自分も雀のお宿へ行って、一番重いつづらをもらってきましょう」と家を出て行く。

――黄昏時、お婆さんは重いつづらの下敷きになって、冷たくなっていた。そのつづらの中には金貨がたくさんつまっていて、お爺さんはその金貨のおかげかどうか、のちに一国の宰相となる。

晩年、「雀への愛情の結実ですね」とお世辞を言う周囲の者に、お爺さんは「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました」と言ったという。

狐人的読書感想

太宰治さんの『お伽草紙』も、今回の「舌切雀」で最後になってしまいましたが、やっぱりおもしろかったです。

お爺さんは三十代後半で生活力ゼロ、親からの仕送りで世捨て人をしている、現代で言うところのニートですが、しかしのちに一国の宰相になった事実を鑑みるに、あるいは大器晩成型の天才だったのかもしれません。

「いまはそのときじゃない。やるときにはちゃんとやる」なんて、ニートというか、ダメ人間の常套句のようですが、しかしちゃんと「やるときにちゃんとやってしまう」ところがニートのような大器晩成型天才のすごいところ。

「生活力がない」というのは、一つ、天才の条件みたいに感じますが、芸術だったり学術だったり発明だったり……結局、何かで世間に認められなければ、天才はただのニートと変わりない扱いになってしまい――所詮、天才は結果論なのかもしれないな、ということを思わされる話です。

そんなお爺さんの世話をしながら、「たまには優しい言葉の一つも欲しい」と思ってしまう、お婆さんの気持ちはよくわかりますね。

結婚は、どちらも覚悟を持ってしなければならないわけで、お婆さんは夫の才能を信じて、黙って尽くし続けるべきだったのかもしれませんが、なかなかそれは難しそうです。

よく、「売れない夫を支え続けた、いまや人気芸人の妻」みたいな話を聞くことがありますが、夫の才能を信じて支え続けるのって、本当にすごいなと思いますね。

実際、その苦労が報われればいいですが、報われなかったときを思うと、どうしても信頼は揺らぐように思います。もちろん、報われても報われなくても自己責任、となってしまうのでしょうが、本作のお婆さんのような気持ちになるのが、一般的に思えてしまいますね。

お婆さんは自分の命と引き換えに、お爺さんを出世させたみたいなものですが、その結果を喜んでいたとは考えられませんでした。しかもそれが、別の女(雀)の金で成されたというのは、かなり皮肉な感じがします。

真の天才は、人格や行為に関係なく認められ、それを陰で支え続ける人はたとえ自分が認められなくても、黙って満足できなくちゃいけない、雀のお照さんのように舌を抜かれてもただ黙って嬉しそうに――みたいな、なんだかお婆さんが不憫なような、そうでもないんだろうか、よくわからないような今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

彼はまだ本気出してないだけだった。

狐人的読書メモ

・そういえば、雀の保護、飼育は法律(鳥獣保護管理法)で禁じられているらしい。お爺さんのように、やむをえず雀を一時的に手当てして、その後なついて自宅に住みついちゃった場合はどうなんだろうと思った。勝手に住みついちゃった場合は、飼育しているわけじゃないんだし、いいんだろうか。鳥カゴに入れるわけでもないんだし。でもエサをあげたりしたら、飼育になってしまうんだろうか。鳩の餌付けが問題になったケースもあったような。鳥カゴに入れなきゃいい、って話でもないんだろうか。家に勝手に巣を作っちゃう燕とかはどうなんだろう。結局のところ人間のエゴイズムでしか語れない話か。……よくわからない話。

・お爺さんと雀のお照さんの関係が、著者の理想の夫婦像だったのかもしれないが、現実の人間同士の夫婦はそうもいかないのだろうという現実。

・「浦島さん」「舌切雀」を通じて、人の悪口や批評にうんざりしていた著者の心境が伝わってくる、ような気がした。

・とはいえ、男性諸氏はたまには妻を褒めよう、優しい言葉の一つもかけよう。

・『お伽草紙 ―舌切雀―/太宰治』の概要

1945年(昭和20年)『おとぎ草紙』(筑摩書房)にて初出。収録作品「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」。本編ばかりではなく、前半部に「桃太郎」もパロディするつもりであったがやめたこと、「私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である」など語られているところも興味深かった。

以上、『お伽草紙 ―舌切雀―/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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