或敵打の話/芥川龍之介=人の命を奪ってはいけないと思った。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

或敵打の話-芥川龍之介-イメージ

今回は『或敵打の話/芥川龍之介』です。

文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約32分。

現在では敵打ちは法律で禁止されている。とはいえ敵打ちしたいきもちは現代にもある。法律は正当に罰していない気がする。敵打ちしたい人は何に救いを見ればいいんだろう?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

肥後・細川家の家中に田岡甚太夫たおかじんだゆうという侍がいた。家中の武芸試合で、甚太夫は瀬沼兵衛せぬまひょうえに勝つ。数日後の雨の夜に加納平太郎かのうへいたろうが闇討ちにあい、その翌日兵衛が逐電ちくでんしたことがわかる。加納平太郎は甚太夫と間違われ、兵衛に斬られてしまったのだった。

加納平太郎には十七歳の、求馬もとめという嫡子があった。求馬は江越喜三郎えごしきさぶろうという若党(江戸時代、足軽よりも上位の小身の従者)と共に当時の武士の習慣通り、敵討ちの旅に出ることになった。その旅には求馬の念友(男色関係にある相手)である津崎左近つざきさこん、そして平太郎の死に責任を感じた甚太夫も加わった。

松山で、左近は一人のときに兵衛を発見、敵打ちの勝負を挑むも返り討ちにあってしまう。それから二年、江戸で兵衛の消息を求める中、求馬は吉原の女郎と懇ろになる。求馬が敵討ちの話を打ち明けると、彼女から思いがけず兵衛の行方を知らされる。しかし求馬は仲間たちにその情報を伝えなかった。再び旅立ち、彼女と別れるのがつらかったのだ。しかしそれは武士道に反した行いだった。求馬は仔細を遺書に認め腹を切った。

残された甚太夫と喜三郎は、松江の城下、松平家の指南役の屋敷に兵衛が身を寄せている事実を知る。そして、兵衛が自ら手にかけた人たちのため、その命日には寺に詣でている事実を突き止める。甚太夫と喜三郎はつぎの命日に寺で兵衛を待ち伏せする。しかし敵は姿を現さなかった。

その後、甚太夫が病に倒れる。その治療に訪れた医者から、奇しくも兵衛が同じ病に伏せっていることが明かされる。甚太夫の病は日が経つにつれて悪化した。ついに甚太夫は敵討ちの話を医者に打ち明け、「兵衛はまだ存命でござるか」と尋ねる。医者は甚太夫の武士道に感じ入り、兵衛がすでに亡くなったことを知らせると、甚太夫は微笑して息を引きとった。喜三郎は、三人の遺髪を持って故郷へと帰って行った。

翌年の正月、寺の墓所に四基しきの石塔が建てられ、僧形の二人がそこを詣でていた。一人は医者で、もう一人は病み衰えてはいたがどこか凛々しい武士らしき人――彼は後年僧となるが、順鶴じゅんかくという僧名のほか何も素性が知れない人物だったという。

狐人的読書感想

タイトルどおり「敵打ち」のお話でしたね(前回も『伝吉の敵打ち』という「敵打ち」のお話でしたが)。

現在では敵打ちは法律で禁止されていますが、江戸時代には認められていたんですよね。

ちゃんと届け出が必要だったとか――「届け出出せば敵討ちしてよかったんだ……」みたいな。現代の価値基準からするとちょっと驚いてしまいます。

当時、親のための敵打ちは親孝行としてほめられていたらしく、武家の当主が討たれた場合には、嫡子は敵打ちしないと家名の継承が許されなかったともいいますから、本作のケースもまさにこれに当てはまりそうです。

武士として生きるのもけっこう大変だったみたいです。

――と思わせる登場人物たちのいろいろなドラマがあって、おもしろかったですね、『或敵打の話』。

左近は求馬の念友として登場しますが「念友ってなんだ? 親友のことか?」と調べてみたら「男色関係にある相手」って……となりました(汗)

求馬は、敵打ちとか本当はそんなにしたかったわけでもなかったんでしょうね。武士の嫡子という立場的に敵打ちせざるを得ないという感じが強かったように思います。まあまったくしたくなかったわけでもないのでしょうが……。親が理不尽に命を奪われたからって必ずしも子が復讐したいとは思わないかもしれないってあたり、なんとなく現代的な印象を受けるのですが、どうなんでしょうね?

甚太夫は一番武士っぽい人物でしたね。融通が利かないというか、敵が自分の罪を悔いているところにもまったく思うところがなかったみたいで、しかし情け深い一面もあり、その二律背反する心の持ちようが武士っぽいというか人間っぽい感じでした。

喜三郎はちょっと影が薄かったですね。敵打ちの旅の三人の中で唯一生き残ることができましたが、一番巻き込まれた感が強くちょっとかわいそうな感じもしました。

敵役である兵衛は、どうなんでしょうね? 行動を見るにはじめは直情型の愚かな人物と映りますが、自分の過ちを悔いたりするあたりはまともな感じがしました。まあ悔いれば許されるってものでもないのでしょうが……。

しかし実際の話、遺族としては加害者の後悔の念に救いを見るしかないのかもしれません。正直その命をもって償ってほしいところでしょうが、現実的にはけっこう難しそうですしね……。最後、「じつは兵衛は生きていた」っぽいオチがそんな現実を表しているように感じられました。

単純ですが「人の命を奪ってはいけない」と思った、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

人の命を奪ってはいけないと思った。

狐人的読書メモ

・世情と感情とは生きにくさに通じている気がしてしまう。

・『或敵打の話/芥川龍之介』の概要

1920年(大正9年)5月、『雄弁』にて初出。『芥川龍之介全集 第六巻』収録。『伝吉の敵打ち』の初出時タイトルと同じだが別の話。ラストにどんでん返しもあっておもしろかった。

以上、『或敵打の話/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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