狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『巨男の話/新美南吉』です。
文字数5000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約10分。
お母さんは魔女だったのです!
恐ろしい魔女の息子は心優しい巨男だった。
魔法で白鳥に変えられた王女様をもとの姿に戻すため、
巨男の取った究極の行動とは?
涙を流すラブストーリー?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
森の中に巨男とお母さんが住んでいた。ある月夜、この国の王女が二人の侍女に連れられて、二人の家を訪れた。森の中で道に迷い、一晩の宿を求めにきたのだ。お母さんは心よく彼女たちを迎え入れた。
翌朝、巨男が目を覚ますと、二人の侍女は黒い鳥、王女は白鳥に変えられていた。お母さんは魔女だったのだ。魔女は、巨男がとめるのも聞かず、三羽の鳥を窓から投げ出してしまった。
しかし夕方、白鳥だけが悲しそうに帰ってきた。巨男はかわいそうに思い、こっそりと白鳥を飼ってあげることにした。
魔女はだんだん年をとり、動けなくなっていったので、息子の巨男に魔法を教えることにした。魔女の魔法は人間をいろいろな鳥獣に変えるものだ。魔女の亡くなる際、巨男はついに魔法を解く方法を聞く。それは「その鳥獣が涙を流せばもとの姿に戻る」というものだった。
巨男は都へ行こうと考え、その途中でなんとか白鳥に涙を流させようとした。頭をたたいたり、おしりをつねったり、しかし白鳥は一滴の涙も流さない。いつのまにか巨男が涙を流し、白鳥に頬ずりするありさまだった。
都の人々は、魔女の息子である巨男を恐れた。巨男を遠まわしに亡きものにしようと、人々の代表者が王様に進言して、巨男に大理石の塔を作らせることになった。
巨男は白鳥を背中に乗せて、まずは南の部落に大理石を取りに行った。逃げられないよう、巨男の足には鉄の鎖が結ばれて、宮殿の太い柱につながれた。往路十九日、復路三十日、巨男は大きな大理石を三つ持って都へ帰ってきた。苦しい長い旅で巨男はやつれていた。
が、すぐその日から、塔の建設が巨男に命じられた。心の美しい巨男は決して嘆かず、塔の建設を始めた。大理石を切り、積み上げていく間も、巨男はどうすれば背中のかわいそうな白鳥が涙を流してくれるのか、考え続けていた。
大理石が足りなくなると巨男はまた旅に出て、戻ると再び塔の建設に取りかかる――塔の高いところに星のように浮かぶ巨男の灯を見て、人々も王様も、さすがに彼をかわいそうに思い始めていた。
その夜、巨男は白鳥に涙を流させる方法を思いついた。白鳥にその方法について聞いてみると、白鳥は羽ばたきしてそれを止めた。確信を得た巨男は、白鳥と最後の頬ずりをして、高い塔の上からその身を投げた。
ついに白鳥は涙を流し、もとの王女の姿に戻った。が、そのとき、巨男は地面に落ちて、もはや帰らぬひととなっていた。
王女からすべてを聞いた王様は、巨男に謝罪し感謝した。人々も自分たちの過ちを悔い、巨男に泣いて謝った。
「私は、いつまでも巨男さんの背中に、とまっていたかった……」
いまでも南国の人々は、金星がたった一つ、うるんでいるのを見ると、あれは巨男の灯だ、空を仰ぐという。
狐人的読書感想
「お母さんは魔女だったのです」って、「奥様は魔女だったのです」みたいな、「ハリー・ポッターのお母さんは魔女だったのです」みたいな、出だしから勝手にいろいろとイメージさせられて、惹きつけられるつかみです。
また、魔女、王女様、白鳥――グリム童話みたいなお話ですが、主人公が巨男というあたりは日本っぽいというか、『美女と野獣』を連想してしまいます。
一言でいえば「切ない童話」です。
王女様が魔女の魔法で白鳥に姿を変えられてしまう――この流れはけっこうベタなものに思えるのですが、魔女には心優しい息子(巨男)がいて、その巨男が白鳥をかばい、こっそり世話してあげるというストーリーラインは、あまり知らないように思います。
新美南吉童話なので、当然のごとく恋愛的には描かれてはいないのですが、これは恋愛的に描いたほうが(読んだほうが)断然おもしろいお話のように感じました。
王女様がもとの姿に戻るためには、「涙を流す」必要があったわけですが、王女様はなぜ涙を流さないのか……その理由を考えるのが楽しいです。
最初は勝気な性格から「私、絶対泣かないし!」みたいな感じで意地を張っていたのかもしれませんが(意地を張る意味もわかりませんが……)、巨男の優しさにふれるうちに、だんだん巨男を好きになっていき、魔法を解く方法がわかったときには、巨男と離れがたく思っていたから、涙を流さなかったのかもしれません。
お城に帰りたくない事情もあったんですかねえ……いやな相手とむりやり政略結婚させられそうになっていたとか……。
巨男はそんな王女様の気も知らず、王女様をなんとかもとに戻そうとしますが、うまくいかず……都へ行ってみれば人々から偏見の目で見られ、ひどい差別と奴隷のような扱いを受けて、それでも文句ひとつ言わずに、命令された大理石の塔を建設しながらも、王女様に涙を流させる方法を考え続けています。
罪のない者に対する人々の差別と偏見、奴隷的な扱い――やはり読んでいると怒りを覚えるシーンですが、しかし差別と偏見が一概に悪と断じられない点があるのだとすれば、それは人の恐れの感情に根ざしている、ということなんですよね。
どんな理由があれ(童話では理由もなく)、王女様を鳥獣の姿に変えてしまう魔女の存在は、間違いなく人々にとって脅威の対象ですよね。その息子も魔法を習っているわけで、心優しい性格とはいえ、それは自分たちをだましているだけなのかもしれず、あるいはいつ豹変するかもわからない――恐いから対象を排除してしまおうと考える気持ちは、たしかに僕にもあるように感じられます。
そういう心を抑えて、まずはその人を信じるところから始めなければ、差別も偏見もなくならない、というのはわかるのですが、どうしても疑うところから入ってしまい、それを防衛本能として納得してしまう心の働きが、どうしても抑えられないんですよね。
誰かにだまされた経験があれば、なおのことその傾向は強まってしまいます。
しかし、心優しく、嘆くことなく、自分たちの課した重労働をこなす巨男を見て、王さまも人々も彼をかわいそうに思い、彼が王女様のために自らの命を投げ出す段になってようやく、偏見と差別のよからぬことに気づきます。
もっと早くに気づけていれば……という思いは残りますが、やはりだまされないうちから人を疑うのはよくないし、だまされる覚悟で人を信じるというのも、あるいは必要なことなのかもしれない、と思わされたところです。
王女様は、巨男が自分のために命を投げ出したことを受けて、ついに涙を流し、もとの姿に戻れるわけですが、最後のセリフ『私は、いつまでも白鳥でいて、巨男の背中にとまっていたかったわ。』がやっぱり意味深な感じなんですよね。
王女様が巨男を慕っていたことがわかるセリフですが、この物語に恋愛が直接的にはまったく描かれていないにもかかわらず、ここにどうしても恋愛を見出さずにはいられないのは、はたして僕だけ?
王女様は巨男と離れたくないから、わざと涙を流さなかったのだとしたら……ここにひとつの悲劇を思い描くこともできるんですよね。
想像を膨らませてみると、二倍も三倍も楽しめる童話だと思いました。
読書感想まとめ
涙を流すラブストーリーとして読んでみて。
狐人的読書メモ
・もしもこれを恋愛物語にするならば、王女様と巨男にはハッピーエンドを用意して、幸せになってもらいたいと思った。
・『巨男は不憫に思って、こっそりと白鳥を飼ってやることにしました。昼間は野原へ放ってやって、夜は自分のベッドの中でねさせました。』――なんだか子供が捨て犬や猫を拾ってきて、こっそり飼っているシーンが連想された。後半は大人な意味じゃないよね?
・命を投げ打つ自己犠牲は、やはり究極の献身だと思う。現実にはほとんどありえず、物語でしか描けないからこそ、小説で描くべきことなのかもしれない。
・『巨男の話/新美南吉』の概要
1931年(昭和6年)『綠草』(商業少年社)にて初出。南吉が旧制中学4年生のときの作品(中学4年!?)。ラブストーリーとして読んでみてほしい。
以上、『巨男の話/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
(▼こちらもぜひぜひお願いします!▼)
【140字の小説クイズ!元ネタのタイトルな~んだ?】
※オリジナル小説は、【狐人小説】へ。
※日々のつれづれは、【狐人日記】へ。
※ネット小説雑学等、【狐人雑学】へ。
※おすすめの小説の、【読書感想】へ。
※4択クイズ回答は、【4択回答】へ。
コメント