よだかの星/宮沢賢治=命を捨てる覚悟で逃げて、生きて輝く星になれ!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

よだかの星-宮沢賢治-イメージ

今回は『よだかの星/宮沢賢治』です。

文字数5000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約14分。

いじめられっ子が先生や他のクラスの子に
助けを求めるけど誰も助けてくれない。
それが現実。
だから逃げてもいい。
だけど命を捨てるために逃げるな。
命を捨てる覚悟で生きて輝く星になれ!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

夜鷹よだかの顔はまだら模様で、くちばしは平たく耳まで裂けていて、実に醜い鳥だった。だから他の鳥たちは夜鷹の顔を見るだけで嫌になった。

ある夕方、夜鷹のところへ鷹がやってきて、「おれと同じ『鷹』という名を使うな! 『市蔵いちぞう』に改名しろ! そうしないとただじゃおかないぞ!」と文句をつける。

その夜、夜鷹はエサを探しながら考える。

(なんでぼくばかりこんな目に……)

口を大きく開けて、甲虫かぶとむしを飲み込もうとする。甲虫は咽喉のどでひどくもがいて、夜鷹はなぜかそのときゾッとする。突然すべてがいやになる。

「どうかぼくをそこへ連れて行ってください!」

夜鷹は太陽に、東西南北の星座に頼むも、身分違いとの理由から冷たく拒絶される。

夜鷹はもはや高く高く、空へ昇っていくしかない。空気が薄くなり、体が寒さにしびれ、上も下もわからなくなった頃、夜鷹の心は安らかだった。

夜鷹は青い美しい光となった。

よだかの星はいまもまだ燃え続けている。

狐人的読書感想

なんだかやりきれないお話でした。

簡単にいうと「夜鷹が世を儚んで星になるお話」といった感じでしょうか? 切なく哀しい物語です。

夜鷹が世を儚んだ理由は、主に二つあったと考えます。

一つは食物連鎖、もう一つはいじめです。

おそらくメインテーマは食物連鎖のほうだと感じます。小さい頃、「むやみに他の生き物の命を奪ってはいけません」と教えられるのに、「じゃあ、なんで食べるためなら他の生き物の命を奪ってもいいの?」という矛盾があります。

地球という星の中で、本当にいろいろな生き物たちが、食ったり食われたりしながら生きている――この世界こそがまさに地獄ではないか、なんて、僕はいまだに考えずにはいられないのですが、しかし生きるためには食べなければならず、それがいやなら夜鷹のように星になるしかなく、(これは仕方のないことなんだ……)と自分を納得させて生きるしかありません。

たまにベジタリアンの人とか、本来肉食なのに竹と笹を食べているパンダとか、見ていて自分もそういう生き方をすべきではなかろうか、などと思うことがあるのですが、やっぱりお肉が食べたいですし、野菜は最近高騰してて高いですし(笑)、何より植物だって生き物であることに変わりはありません。

決して菜食主義を否定するわけではないのですが、感情移入しやすい動物はダメで、感情移入しにくい植物はOK、というのは、人間のエゴを感じてしまうところです。

さて、もう一つのいじめのほうですが、僕は今回の読書で、どうしてもこちらのほうをイメージしてしまうところが大きかったように思います。メインは食物連鎖かもしれませんが、現実の人間社会では重要な問題ですよね、いじめも。

夜鷹の顔はまだら模様、嘴は平たく耳まで裂けていて、他の鳥たちはその顔を見るだけで嫌になってしまうから、夜鷹の相手をしてくれない――まさに学校や会社や、様々な人間社会で起きているいじめを想起させられます。

見た目って、本人のせいじゃないところが大きいですし(じゃあ親のせいなのか? と考えてしまうのもつらいのですが)、これでいじめられるのは一番きついって気がするのですが、しかし一番多いいじめの理由って気もするんですよね、「見た目がキモい」みたいな。

鷹が夜鷹に「鷹っていうな、市蔵にしろ!」というところなどは理不尽極まりないですが、現実のいじめもこんなふうに理不尽なものが多いですよね。

いまでも名前でいじめられることってあるんですかね? キラキラネームが話題になった時期がありますが、いまではみんながキラキラネームっぽくなっていて、逆に「市蔵」みたいな古風な感じの名前の方が、いじめられる原因となってしまうんでしょうか? ちょっと興味を覚えてしまったところです。

夜鷹はいろいろと思い悩んだ挙句、もう自分が嫌になって、生きることが嫌になって、それでも誰かに助けてほしい、と訴えているような行動をしています(ここはいじめられっ子としては立派な行動だと思えたのですが、どうでしょうね?)。

それは太陽だったり東西南北の星座だったりに、「どうかぼくをそこへ連れて行ってください!」とお願いして回ることなのですが、僕はこれ、太陽は学校の先生を、東西南北の星座は他のクラスの生徒を、イメージしてしまったのですが、どうでしょう?

先生だったらなんとかしてくれるかも、他のクラスの子たちなら仲良くしてくれるかも、太陽や星は立派な姿をしているから、醜いぼくでも広い心で受け入れてくれるかもしれない――みたいに思って、助けを呼びかけているように感じたのですが、太陽も星座たちも、冷たく夜鷹を拒絶します。

なんだか現実を思わされるんですよねえ、この辺り。先生でも他の生徒たちでも、誰かがいじめを助けてくれることなんて、実際には少ないんじゃなかろうか、なんて、冷めたふうに考えてしまいますね。

その後、夜鷹が取った行動も、もしこれが「ただ学校から逃げる」ということであったなら、僕はそれを否定できないと思いました。

学校はすべての子どもにとって必ずしも最良の場所ではない、という考え方は、現代ではまあそこそこ浸透してきている考え方なのではなかろうか、なんて考えています。

それは命を捨てるよりはずっとマシな選択で、学校から逃げても、いまはインターネットを使った通信教育だってあるし、べつに学校で社会性を身につけなくとも、それこそ小学生だってYouTubeなどで稼げる時代ですしね(当然、賛否はあるかと思いますが)。

とにかく、命を捨てるために逃げて、夜空に輝く星になれ! っていうよりかは、命を捨てる覚悟で逃げて、生きて輝く星になれ! って感じで、いじめた奴らを見返してやれ、っていまを生きている人たちを、僕は尊敬してしまうのですが、どうでしょうねえ……。

とはいえ、一人で生きるのは本当につらい。

親、兄弟、家族――誰でもいいからその子に良き理解者がいてくれることを願いますが、しかしやはり、いじめから助けてくれる先生や生徒同様に、そんなケースもあったりなかったりだと考えてしまいます。

人を救うのは何も人ばかりではない、読書も人を救うことがある、などと、読書びいきの僕は思っているのですが、しかしよくよく突き詰めてみれば、本をつくるのも人なわけで、だったら人を救えるのはやっぱり人、なんですかねえ……。

なんだかまとまりのない締めになってしまいましたが、以上が今回『よだかの星』の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

命を捨てる覚悟で逃げて、生きて輝く星になれ!

狐人的読書メモ

・夜鷹(鳥綱ヨタカ目ヨタカ科ヨタカ属)は鷹の仲間じゃない。カワセミや蜂鳥の仲間。種類によってはまさに「怪鳥」と呼ぶにふさわしいものがいる(ベネズエラのオオタチヨタカ)。ファンタジックで意外とかわいい見た目をしてる。

・親がつけたい名前じゃなくて、子どもが将来恥ずかしい思いをしない名前をつける。それ、重要かもしれない。

・そこが地獄のような、どんなにつらい世界でも、人はそこで生きるしかない。

・『よだかの星/宮沢賢治』の概要

1934年(著者没年の翌年)発表。1921年頃に執筆されたと推察される。かつてはよく国語の教科書に採用された有名な作品。やはりいじめや差別の否定といった教訓話として道徳教育にも使われていた模様。食物連鎖、転生、賢治の仏教思想なども垣間見られる作品。やりきれず、切なく、哀しい物語だが、多くの人におすすめしたい。

以上、『よだかの星/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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