疑惑/芥川龍之介=疑惑そのものを描いたすごい小説なのかも。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

疑惑-芥川龍之介-イメージ

今回は『疑惑/芥川龍之介』です。

文字数14000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約32分。

地震で妻が梁の下敷きになり、救い出すのは無理、火事はそこまで迫ってる。あなたはどうする? 玄道は生きたまま焼かれるよりはと考えた。疑惑そのものが描かれたすごい小説です(たぶん)

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

実践倫理学者の私は十年くらい前、岐阜県大垣町へ講演に行った。そこへ中村玄道という左手の指が一本欠けた男が訪ねてきて、二十年ほど前にあった話を聞いてほしいと私に頼み込む。

その話というのは濃尾大地震が発生したときのこと。妻が梁の下敷きとなり、玄道はひっぱり出そうとしたが無理だった。火事がそこまで迫っていた。彼女は「あなた」と言った。その一言に無数の意味や感情を感じた玄道は、生きたまま焼かれるよりはと考え、そばに落ちていた瓦で妻の頭を打ちつけた。

その後、玄道は「自分は本当に妻を苦痛から救おうとしただけだったのか?」という疑惑に苛まれるようになった。妻には肉体的欠陥があり、玄道は彼女を愛する一方で内心その欠陥を憎んでいたのだ。そんな苦悩の日々を送るうち、玄道の再婚話が進んでいった。

地震から二年後、結婚式の日がやってきた。そこで玄道の苦悩は限界を超え、思わず「私は極重悪の罪人です」と叫んでしまった。以来、彼は「狂人」と呼ばれるようになった。

人間の心の中には誰でも怪物が住んでいて、自分を狂人と嘲笑っている人たちでさえ、いつ狂人になるかはわからない――と玄道は語り終えたが、私はただ黙って座っているよりほかはなかった。

狐人的読書感想

すごい小説だと思いました。この作品にはいくつかの疑惑があると考えられます。その疑惑というのは以下の通りです。

・主人公の「私」は「実践倫理学者」であるにもかかわらず、玄道の話に対して終始消極的な姿勢であった点(仮にも「実践倫理学者」ならば玄道の話にいささかなりとも興味を惹かれるのではなかろうか?)
・なぜ玄道の左手の指が欠けていたのか、という謎
・どの指が欠けていたのか、という謎(他の部分では詳細に語られていた「私」の語りが、この部分だけ説明不十分なのはおかしい)
・玄道は案内も請わず、どうやって「私」の居室まで一人で来られたのか?
・時間設定の謎(玄道の話を聞いたのが十年前に設定されている意味は? 作品の出版年―現在―からのただの逆算だったのか?)
・玄道が妻を憎んでいたとする理由である重要な部分(「妻の肉体的欠陥」)が「(八十二行省略)」というかたちで空白となっている(これは原稿からこうなっているらしく、つまりは出版社側の都合ではなく作者の意図的な工夫であるらしい)

で、こういう疑惑を考えていくと、

・そもそも私は本当に実践倫理学者なのだろうか?(狂人である玄道が人違いでもしてるんじゃなかろうか? あるいは私も狂人説)
・てか玄道の言ってる話は本当なのだろうか?
・てか玄道ちゃんと生きてる?(幽霊的な存在じゃないよね?)
・そうなってくるとこの作品自体本物なんだろうか?

――という疑惑がどんどん伝染・増幅していって、作品自体の真偽まで疑わしくなってくるという――まさに『疑惑』というタイトル(言葉)通りの小説に仕上がっているというわけになります。

とはいえ、物語が全部ウソだったらその作品は小説として成立しているのか、という根本的な疑惑が浮上してくるわけなのですが……。

著者自身はこの作品を「悪作」という言葉でしか語ろうとしなかったといいますから、それはすなわちそういうことを言っていたのか、あるいはその言葉によってさらに『疑惑』を増幅しようと企んでいたのか……考えさせられるところですね。

まあ読者が勝手に想像しているだけで、著者からしたらそんな意図はなく、ただ単純にありのままに読んでほしいところなのかもしれませんが、しかしそれなのに勝手に想像できるだけの要素が作品中にちりばめられているというのはなんだかすごい感じがします。

本筋のテーマ的にもすごく考えさせられますしね。もしも自分の家族が地震で梁の下敷きになり、救い出すことはできず、火事がそこまで迫っていたとしたら――生きながら焼かれる苦しみを与えないためにその命を奪うべきか、それともそのままにしておくべきか……。

(法律的にはほう助罪とかにかかわってくるんですかね、てか家の下敷きになるって進撃の巨人のエレンのお母さんをちょっと思い出すシチュエーションでしたね)

どちらにしても、玄道のように思い悩むことになりそうです。

いくら好きな人でもその人のすべてがずっと好きってことはないような気がします。同じ人に対してでも、90%好きで10%嫌いなときもあれば、10%好きで90%嫌いなときもあり、後者の気分のようなときには相手をあやめてしまってもおかしくないと思える場合があり、もしそれが玄道のような立場に置かれたあとだったとしたら……それは思い悩んでしまうよって気がします。

(そうじゃないことを本人に会って話をして確かめたくても、もはやその本人は自分があやめてしまっていないわけですからね……罪悪感は肥大していく一方なわけですし……自分を納得させるだけの理由づけがむずかしく感じてしまいますね……)

『……しかしたとい狂人でございましても、私を狂人に致したものは、やはり我々人間の心の底に潜んでいる怪物のせいではございますまいか。その怪物が居ります限り、今日きょう私を狂人と嘲笑あざわらっている連中でさえ、明日あすはまた私と同様な狂人にならないものでもございません。――とまあ私は考えてるのでございますが、いかがなものでございましょう。』

玄道の最後の語りが妙に心に残った、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

疑惑そのものを描いたすごい小説なのかも。

狐人的読書メモ

・ちなみに「(八十二行省略)」となっている「妻の肉体的欠陥」とは「結婚時に妻が処女ではなかった」という説が有力であるらしい。男性が女性よりもそのような経験で劣る事実はコンプレックスとなり、その劣等感は相手への憎しみへ転化される。タイトルの『疑惑』はあるいは「妻が処女じゃなかった(のでは……という疑惑)」にもかかっているのかもしれない。ここにも「疑惑」がまた一つ……。

・『疑惑/芥川龍之介』の概要

1919年(大正8年)7月、『中央公論』にて初出。1920年(大正9年)短編集『影燈籠』に収録。「『疑惑』は悪作読む可らず」「疑惑は悪作だ」など著者自身の評価は極めて低く、また世間的な評価も低いが、そこにこの作品の真の意味が隠されているのかもしれない。

以上、『疑惑/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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